学位論文要旨



No 116209
著者(漢字) 真野,弘範
著者(英字)
著者(カナ) マノ,ヒロノリ
標題(和) イネ篩管液中のRNAに関する研究
標題(洋)
報告番号 116209
報告番号 甲16209
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2239号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 米山,忠克
 東京大学 教授 森,敏
 東京大学 教授 福井,泰久
 東京大学 教授 正木,春彦
 東京大学 助教授 林,浩昭
内容要旨 要旨を表示する

 多細胞生物が一つの個体として生きていくためには,離れた器官の間で的確に物質や情報のやり取りをしなくてはならない。高等植物においては維管束がその役割を担っている。維管束の構成要素である篩管はその分化の過程で核やリボソーム,液胞,ゴルジ体などは失うものの,原形質膜やミトコンドリア,プラスチドなどは篩管が成熟した後も維持されており,「生きた細胞」としての代謝活性をある程度持っていると考えられる。

 核が消失した成熟篩管内にもRNAが存在することが1960年代から報告されてきた。イネについては大嶋ら(1990)は,ノーザンハイブリダイゼーションによって篩管液中にはtRNAが含まれることを示した。佐々木ら(1998)は, Thioredoxin h, actin,oryzacystatin-IなどのmRNAをRT-PCRによって検出した。イネ以外の植物の篩部要素においてもSUT1, CmPP16,CmNACPなどいくつかのタンパク質をコードするmRNAがin situ hybridizationやin situ RT-PCRなどによって検出されている(Kuhn et al. 1997;Xoconostle-Cazares et al. 1999;Ruiz-Medrano et al. 1999)。また,RNAウィルスに対する植物の反応としてのRNA-mediated virus resistance(RMVR)や外部から導入した遺伝子に対するpost-transcriptional gene silencing(PTGS)のシグナル物質としてもRNAが有力視されており,そのシグナル物質は篩管を移動することが示唆されている。またRNAウィルスも篩管を移動するRNAの一つとしてあげることができる。本研究はイネ篩管液中に存在するRNA種の全体像を知ることを目標として実験を行った。

 インセクトレーザー法はイネの篩管液を吸汁する昆虫であるトビイロウンカがイネを吸汁している最中にその口針をYAGレーザーで切断し,切り口より滲出してくる液をキャピラリーで集める方法である。通常用いられる切り込み法に比べると,作業がやや困難であり,得られる篩管液の量がかなり少なく(一回に数μ1程度),またウンカからの汚染も予想されるという欠点があるものの,篩管以外の細胞からの汚染や植物に対するダメージが少ないという点で優れている。RNAは篩管液中には微量にしか存在しないことが予想される一方で,周辺の細胞には多量に存在する分子であり,他の細胞からの汚染が最も問題となる。このため,本研究においては篩管液をインセクトレーザー法によって採取した。

1, イネ篩液中の核酸の濃度の測定

 イネ篩液より核酸をフェノール抽出し高効率でエタノール沈殿したのちDNA DipStickkit(invitrogen)によって核酸の濃度を測定すると,出始めの篩管液を集めたものでは18ng/μ1程度,続いて出た篩管液を集めたものでは44ng/μ1程度であった。したがってイネ篩管液中の核酸濃度は20〜40ng/μ1程度であり,出始めのものより続いて出た篩管液の核酸の濃度の方がやや濃いという傾向があることが分かった。

 RNase A処理した篩管液, DNase I 処理した篩管液から核酸の抽出を行った後に濃度を測定すると,それぞれ20ng/μ1と16ng/μ1となった。同時に抽出を行った無処理の篩管液の場合は38ng/μ1となった。このことからRNAとDNAはイネ篩管液中にほぼ同程度の量が存在していると思われる。

 切り込み法により採取されたニセアカシア(Robinia)の篩管液中の核酸の濃度は6.35ng/μ1(DNA 4.7ng/μl, RNA1.65ng/μl) (Ziegler and Kluge1962),カボチャ(Cucurbita maxima)篩管液中のRNAの濃度は10ng/μ1, DNAの濃度は20ng/μ1( Kollmann et al. 1970)と報告されており、これと大きな違いは見られなかった。

2, イネ篩管液の電気泳動

 イネ篩管液より抽出した核酸をアクリルアミドゲルで電気泳動し,銀染色を行うと,100〜200ベース付近にスメアなシグナルが検出された。このシグナルはDNase I処理では変化が見られず,RNase A処理によって消失したことからRNAであると考えられる。

3, イネ篩管液のRNA分解活性の検出

 RNAマーカー3μgに3μ1の篩管液を混ぜ(全液量7μ1),37℃で1時間インキュベートしてもRNAの量は減少せず,RNAの電気泳動パターンも変化しなかった。このことからインセクトレーザー法で採取したイネ篩管液中には本研究の実験作業において問題となるようなRNase活性はないことが示された。

 RNAマーカー3μgに1ngのRNase Aを混ぜて(全液量7μ1)同条件でインキュベートするとRNAは約半分に減少し,電気泳動パターンもスメアなものに変化したが,ここに篩管液3μ1を混ぜた場合(全液量7μ1)にもこれとほぼ同様なRNAの分解が起きた。このためイネ篩管液中には、切り込み法によるキュウリ篩管液について報告されたRNAを安定化するような作用(Ruiz-Medrano et al.1999)はないと考えられる。

4, イネ篩管液のcDNA libraryの作製

 Poly A tailのついていないRNAも含めてクローニングすることを目的として,イネ節管液約65μ1相当からフェノール抽出したRNAにpoly A tailを付加し,RT-PCRで増幅した後cDNA libraryの構築を行った。Blue/white selectionによってランダムに単離した895個の白色クローンについてPCRを行い、そのバンドの位置によりインサートが入っていると判断した225クローンについてシークエンスを決定した。

 イネのゲノムサイズは430Mbと推定されており,配列が全くランダムであると仮定すると,17ベース以上の長さのクローンが偶然一致してしまう確率は2.5%以下となる。このため相同性検索によって、17ベース以上のクローンについてイネの遺伝子やEST,ゲノム配列と一致したものはイネ由来のクローンであると推定できると考えた。17ベース以上の長さのクローンは115個得られており,そのうち65個のクローンがイネ由来の配列と一致した。この中で,イネのESTと一致したのは7つ,イネの核ゲノム由来のribosomal RNA(rRNA)としては5.8SrRNAと一致するクローンが1つ,17SrRNAと一致するのは2つ,25S rRNAに対して一致したクローンは5つであった。transfer RNA(tRNA)に関してはプロリン,グリシン,システイン,リジンのtRNAに一致するクローンがそれぞれ1つずつ得られた。イネのゲノム配列にのみ一致するものは46個あった。現在はまだイネゲノムの全配列は決定されていないため,一致しなかったものの中にもイネ由来のクローンが含まれていると考えられる。これについては,得られたクローンの配列からプライマーを設計しPCRを行うことにより判別が可能である。

5, イネ篩管液の転流速度の測定

 11Cでラベルした二酸化炭素を,イネの葉の上部より吸収させ,PETIS(Positron emitting tracer imaging system)によってリアルタイムで11Cの移行を観察したところ,50〜200cm/h程度の速度で移行するのが観察された。

まとめ

 篩管液中のRNAの由来としては,篩部分化過程における分解物が残存している可能性,および隣接細胞からの輸送ということが考えられる。本研究では1の実験において、続いて出てくる数μ1の篩管液における核酸の濃度は減少していないことを示した。このことは篩管液中の核酸は隣接する細胞より継続的に供給されている可能性を支持している。

 篩管液の電気泳動においては低分子側およそ100〜200ベース付近にRNAのシグナルが検出され,篩管液より構築したcDNA libraryから単離したクローンでは20ベース程度の短いものが数多く得られた。3の実験によって,これらが篩管液の採取時に分解した産物ではないことが示されたため,篩管液中のRNAは短い断片を主なものとして存在していることが予測される。

 cDNA libralyから単離したクローンには、今のところほとんど重複するものが含まれていないことから,篩管液中のRNA分子は最低でも60種類以上あることが示された。また,tRNAやrRNAの断片も含まれていることが分かった。

 篩管を介したRNAの移行がマスフローで起こっているならば,その速度は光合成産物と同等であると予想される。5の実験からその速度は1時間で50〜200cmであることが示されたため,篩管液中のRNAは特にシャペロンなどの存在を想定しなくても,植物体内の離れた器官間を分解を受けずに移行が可能であると予想される。

 一般にRNAの役割は一つの細胞内でタンパク質の合成を行うことにあるといえるが,本研究において検出されたクローンは断片であったためタンパク質合成の鋳型とはなりえない。篩管に入ったRNAは器官間の移行が可能であることから,RNAは器官間のシグナル物質として働いていることが予測できる。篩管液中のRNAの役割を明らかなものとするためには今後さらなる検証を重ねることが必要であるが,本研究はその基礎となると考える。

審査要旨 要旨を表示する

 多細胞生物が一つの個体として生きていくためには,離れた器官の間で的確に物質や情報のやり取りをしなくてはならない。高等植物においては維管束がその役割を担っている。維管束の構成要素である篩管はその分化の過程で核やリボソーム,液胞,ゴルジ体などは失うものの,原形質膜やミトコンドリア,プラスチドなどは篩管が成熟した後も維持されており,「生きた細胞」としての代謝活性をある程度持っていると考えられる。核が消失した成熟節管内にもRNAが存在することが1960年代から報告されてきたが、最近Thioredoxin h, actin,oryzacystatin-1,SUT1,CmPP16,CmNACPなどのmRNAが篩管液から検出された(Kuhn et al. 1997;Xoconostle-Cares et al .1999;Ruiz-Medrano et al. 1999)。

 本論文はイネ篩管液中に存在するRNA種の全体像を知ることを目標として行われたものであり、第1章で本研究の背景と意義を述べている。第2章では、篩管以外の細胞からの汚染が少ないインセクトレーザー法をもちいてイネ篩管液を採取し、その核酸の濃度を測定している。イネ篩管液の核酸濃度は20〜40ng/μ1程度であり,RNase AまたはDNase I 処理実験の結果から、RNAとDNAはほぼ同程度の量が存在していると推定している。第3章ではイネ篩管液より抽出した核酸をアクリルアミドゲルで電気泳動し,銀染色により検出している。100〜200ベース付近にスメアなシグナルが検出され、このシグナルはDNase I 処理では変化が見られず,RNase A処理によって消失したことからRNAであると考えられた。第4章ではイネ篩管液中には本研究において問題となるようなRNase活性はなく、キュウリ篩管液について報告されたRNAを安定化するような作用(Ruiz-Medrano et a1.1999)はなかった。第5章ではPoly A tailのついていないRNAも含めてクローニングすることを目的として,イネ篩管液約53μ1相当からフェノール抽出したRNAにpoly A tailを付加し,RT-PCRで増幅した後cDNA libraryの構築を行っている。Blue/white selectionによってランダムに単離した895個の白色クローンについてPCRを行い、インサートが入っていると判断した225クローンについてシークエンスを決定した。相同性検索によって、17ベース以上のクローン(115個)についてイネの遺伝子やEST,ゲノム配列と比較した。68個のクローンがイネ由来の配列と一致した。この中で,イネのESTなどと一致したのは8つ,イネの核ゲノム由来のribosomal RNA(rRNA)と一致するクローンが8つあった。

transfer RNA(tRNA)に関してはプロリン,グリシン,システイン,リジンのtRNAに一致するクローンがそれぞれ1つずつ得られた。イネのゲノム配列にのみ一致するものは48個あった。一致しなかったものの中にもイネ由来のクローンが含まれていると考えられたので、得られたクローンの配列からプライマーを設計しPCRを行うことにより判別を行った。策6章では11Cでラベルした二酸化炭素を,イネの葉の上部より吸収させ,PETIS(Positron emitting tracer imaging system)によってリアルタイムで11Cの移行を観察し,50〜200cm/hの速度で移行する結果を得ている。

 本研究から篩管液中のRNAは,隣接する細胞より継続的に供給されており、篩管液中の大部分のRNAは短い断片として存在していると推定している。またcDNA libraryから単離したクローンには、ほとんど重複するものが含まれていなかったことから,篩管液中のRNA分子は最低でも60種類以上あること、tRNAやrRNAの断片も含まれていることを示している。一般にRNAの役割は一つの細胞内でタンパク質の合成を行うことにあるといえるが,本研究において検出されたクローンは断片であったためタンパク質合成の鋳型とはなりえない。篩管に入ったRNAは器官間の移行が可能であることから,RNAは器官間のシグナル物質として働いていることを予測している。

 以上本論文は高等植物の物質や情報の移送を担っている篩管液に含まれるRNAについて、イネ篩管液の詳細な解析から、大部分のRNAが短い断片であることを初めて明らかにしたものであり、学術上、応用上貢献するところがすくなくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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