学位論文要旨



No 116213
著者(漢字) 泉,桂子
著者(英字)
著者(カナ) イズミ,ケイコ
標題(和) 水源林の形成過程とその経営展開 : 東京都・横浜市・甲府市を事例として
標題(洋)
報告番号 116213
報告番号 甲16213
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2243号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 箕輪,光博
 東京大学 教授 永田,信
 東京大学 教授 大橋,邦夫
 東京大学 教授 宮崎,毅
 東京大学 助教授 白石,則彦
内容要旨 要旨を表示する

 本研究にいう水源林は都市水道利用者によって所有され,その水道水源の保護のために直接管理される森林であり,特殊な成立背景・管理形態を有している。本研究は東京都・横浜市・甲府市水源林を対象とし,その形成過程及び一部の経営展開の解明を目的とした。研究方法は,文献を用いた歴史的実証分析であり,記述に当たっては特に上流・森林利用者と下流・飲用水利用者の関係変化一両者の対立発生と解消の過程に着目した。

 序論では,まず,水源林が,今日の森林経営における木材生産機能と公益的機能の両立,そこにおける市民参加,あるいはストックとしてのオンサイト的な森林資源管理といった論点を考察する際の格好の材料であることを述べ,その有する現代的意義を高く評価した。続いて,水源林管理事例に関する研究史を整理し,そこでは上・下流の関係把握が重要視されているにもかかわらず,それを解明する試みは十分でなかったことを指摘した。そこで本研究は,上・下流関係を考える上で非常に重要となる水源林の形成過程を明らかにし,更に水源林形成以降の経営展開を明らかにすること,を目的とした。最後に研究対象の検討を行い,実証分析の持つ一般化困難性という間題を克服するために3つの水源林管理事例を抽出した(表一1,図一1)。これら水源林は,いずれも戦前期に形成されており,今日みられる水源林管理事例の中でも長い歴史を有し,その経営規模は全国屈指の広さを持つ。かつ3者はいずれも山梨県内に位置し(一部東京都を含む),水源林の形成過程において当該森林が1889年に御料林へ編入され,1911年に山梨県有林として「下賜」されるという共通点を有しながら,それぞれ首都・貿易港・県庁所在地という異なる属性を持つ都市の水源林となった。以上の観点から3事例を水源林形成過程の分析・比較に好適の事例であると判断した。

 第I部では上記水源林を対象とした事例別分析を行った。1〜3章では,明治維新(1868年)からそれぞれの水源林の形成までを対象期間とし,上流の経済活動活性化と下流の水道水源保護活動との対立関係から水源林の形成過程を明らかにした。第1章では東京都水源林の形成過程を,東京府と神奈川県との行政界を挟んだ対立発生,近代的社会資本整備による上・下流対立の解消,水源林管理者・東京府と飲用水利用者・東京市との対立発生に着目して解明した。第2章では横浜市水源林の形成過程を,横浜市と道志村との開発計画(水力発電及び鉱山試掘)や森林利用をめぐる対立に着目して解明した。第3章では甲府市水源林の形成過程を,飲用水利用と農業用水及び工業用水利用との対立,甲府市と上流・森林との薪炭材需給関係,観光開発やパルプ材生産を意図する上流・森林所有者と甲府市との対立に着目して解明した。4〜5章は東京都水源林における戦前・戦中期及び戦後期(試論)の経営展開を,水源林経営計画,それらの実行過程,国有林経営計画との比較,水源林と上流・地元村との関係に着目して明らかにした。戦前・戦中期の経営展開を,針葉樹人工林主義の導入期(1909〜1920年),針葉樹人工林主義の修正期(1921〜1932年),針広混交林主義への転換期(1933〜1945年)に区分した。

 第II部は,第I部の事例別分析に4つの論点から横断的分析を加えた。

 第1章は横断的分析に先立ち,水源林形成過程は上流・下流に明治政府を加えた構図で捉えられ,上・下流の相互関係は水源林と木材需給という二面性を持ち,明治政府から上流への働きかけは「官民有区分」,下流へのそれは「近代都市の建設」に代表されると整理した(図一2)。

 第2章は上・下流関係・特に上流の経済活動と下流の水源保護活動の対立関係に着目した。第1節で,上・下流の関係は上流の諸活動による外部経済が河川を通じて下流にもたらされる,という非対象性を持つことを指摘し,第2節では下流飲料水利用との対立項を,その他の水利用(農業用水・工業用水等)・河水利用(運輸,水力発電等),局所的開発行為(鉱山開発等),森林利用の4種に整理した。3水源林の形成過程では,まず水利用や河水利用に係わる上・下流(あるいは下流内)対立が現れ,それが次第に流域の土地利用や森林利用に係わる対立へと間接化・広域化していった。更に,対立項のうち特に森林利用は,飲用水利用との利害の一致を見い出しにくく,また下流による対処が困難であるところに,水源林の問題性,その困難性が見られる。第3節では,下流による水源林管理の段階を熊崎の1981年の整理-a損失補償-b造林補助金,c分収造林,d山林買収-に依拠しつつ,a〜cの持つ限界性とdの特殊性,d成立の背景には森林の公的所有が前段階として存在することを示した。第4節では,水源林の形成一下流による森林の取得一によって,それまでの上・下流の対外的な対立関係が,水源林経営によって共存する「相互依存と緊張」の関係に変質することを述べた。水源林経営は労働力調達や防火活動などの上流の協力なくしては存続し得ず,また上流にとって水源林は生業の場であり,そこでの経済活動なくしては生活は成り立たない。その点では上・下流は密接な相互依存の関係にある。しかし,下流の意図は水道水源の保護とそれに伴う費用の最小化にあり,上流のそれは造林事業による雇用増大や立木払下量の確保という水源林における経済活動の活性化にあったので,両者は常に緊張関係をはらんでいた。

 第3章は近代都市発達と水源林について論じた。第1節では,近世以来の従来型の木樋水道(横浜市では明治期に入ってからの建設)が,近代に入って都市衛生問題及び水量確保問題から限界に達し,近代水道敷設が都市行政上の至上課題となる過程を述べた。対象3都市は飲用水を河川表流水に依っており,その近代水道敷設は多くの代償を伴い,かつ当時は河川流量調節をダムでなく森林に依っていたため,近代水道取入口上流の森林が一水道施設として重要な意味を持つに至った。第2節では,都市の木材需要と産業革命進行に伴うその変化を明らかにした。産業革命前半期(1900年代前半まで)において都市木材需要は工業用薪炭材を中心として旺盛であったが,産業革命後半期(1900年代後半以降)に至ると,鉄道網整備による化石燃料の調達,水力発電事業の勃興により産業用都市木材需要は後退していく。折しも都市では近代水道が敷設され,都市における森林の位置づけは,従来の木材供給地から水源林へと大きく転換していった。この転換は甲府市において最も明瞭に現れた。

 第4章では山梨県下森林の所有及び利用問題を論じた。第1節では山梨県における官民有区分の特殊性が,入会地の官有化(1889年に御料林編入,1911年山梨県へ「下賜」)にあったことに触れ,第2項では山梨県下における森林荒廃が1894〜1905年頃に最も進行し,その原因は官民有区分への抵抗運動と山村における養蚕・製炭を中心とする経済活動にあったことを明らかにした。前者の典型は東京都水源林の萩原山,後者のそれは横浜市及び甲府市水源林であった。第3節において,3水源林では上記の抵抗運動と経済活動によって御料林が施業案編成業務に着手できなかったことを指摘し,水源林が御料林,山梨県,下流都市の3者の相互関係で形成されたことを明らかにした。まず御料林は施業案編成業務進捗のため県内御料林を山梨県に「下賜」することで処分し,ついで山梨県はその県有林を東京市及び横浜市に売却することで県有林特別経営事業資金を得,東京市及び横浜市は割引価格による特権的売買で水源林を取得し,水道水源保護活動を有利に展開した。

 第5章では東京都水源林における経営展開を振り返り,水源林経営計画の展開を論じた。第1節では,水源かん養上望ましいとされる森林像の変遷をまとめ,1900年代〜1910年代は吉野林業のイメージ,集約的入会利用にさらされ荒廃した現林相との対比,造林技術の安定性等からその森林像が針葉樹人工林であったことを明らかにした。第2節では水源林経営計画の技術的展開を振り返り,水源林経営計画の多くは国有林の影響を強く受けたが,戦前・戦中期第I期(1909〜1920年)は吉野林業をモデルとした計画,戦後期第III期(1973〜1996年)は国有林野に先がけて公益的機能高度発揮型計画が編成され,それぞれ独自性を持っていたことを述べた。第3節では水源林経営展開から今日の森林経理に得られた教訓として,水源林の経営経験や独自性に基づく計画内容が一定の成果をあげてきたこと,経営計画における人工林齢級配置が木材生産の保続のみならず,上流・山村の経済活動維持の上でも重要であることを指摘した。

 研究方法に再検討を加えると,まず,歴史的実証分析はそこから得られた知見や教訓を一般化するのに困難を伴う手法であるが,本研究の水源林の形成過程に関する部分では3つの対象を設けたことにより,事象を立体視し,それぞれの相対的位置を比較することが可能となった。次に,上・下流関係による水源林問題の記述は,既に熊崎が1981年にその有効性を指摘しているように,本研究で水源林形成過程及びその経営展開を分析するに当たっても有用な方法であった。

 本研究で得られた知見は,3水源林の形成過程と東京都水源林の戦前・戦中期の経営展開を実証的に解明したことであり,(1)水源林問題を上・下流関係から記述することの有効性,(2)近代都市発達過程における森林の位置づけ一木材供給地から水源林ヘ-の転換,(3)山梨県有林成立前夜における県内森林利用の実証例,(4)1900〜1910年代に針葉樹人工林が水源かん養機能上望ましいと考えられていたこと,も明らかにした。

図-1 研究対象の位置図

表-1 研究対象とする水源林一覧表

図-2 水源林形成過程の横断的分析における構図

審査要旨 要旨を表示する

 本研究にいう水源林は都市水道利用者によって所有され、その水道水源の保護のために直接管理される森林であり、特殊な成立背景・管理形態を有している。本研究は、東京都・横浜市・甲府市水源林を対象とし、その形成過程及び一部の経営展開の解明を目的としたものである。研究方法は、文献を用いた歴史的実証分析であり、記述に当たっては特に上流・森林利用者と下流・飲用水利用者の関係変化一両者の対立発生と調整の過程に着目している。

 序論では、まず、水源林が、今日の森林経営における木材生産機能と公益的機能の両立、そこにおける市民参加といった論点を考察する際の格好の材料であることを述べ、その有する現代的意義を高く評価している。続いて、水源林管理事例に関する研究史を整理し、そこでは上・下流の関係把握が重要視されているにもかかわらず、それを解明する試みは十分でなかったことが指摘され、それを踏まえて、水源林の形成過程と水源林形成以降の経営展開を明らかにすることの重要性が述べられている。最後に研究対象の検討を行い、実証分析の持つ一般化困難性という問題を克服するために3つの水源林管理事例が抽出された。これら水源林は、いずれも戦前期に形成されており、今日みられる水源林管理事例の中でも長い歴史を有し、その経営規模は全国屈指の広さを持つ。かつ3者はいずれも山梨県内に位置し(一部東京都を含む)、水源林の形成過程において当該森林が1889年に御料林へ編入され、1911年に山梨県有林として「下賜」されるという共通点を有しながら、それぞれ首都・貿易港・県庁所在地という異なる属性を持つ都市の水源林となった。以上の観点から3事例を水源林形成過程の分析・比較に好適の事例であると判断した。

 第I部では上記水源林を対象とした事例別分析がなされている。1〜3章では、明治維新(1868年)からそれぞれの水源林の形成までを対象期間とし、上流の経済活動活性化と下流の水道水源保護活動との対立関係から水源林の形成過程を明らかにした。第1章では東京都水源林の形成過程を、東京府と神奈川県との行政界を挟んだ対立発生、近代的社会資本整備による上・下流対立の調整等に着目して解明した。第2章では横浜市水源林の形成過程を、横浜市と道志村との開発計画や森林利用をめぐる対立に着目して解明した。第3章では甲府市水源林の形成過程を、甲府市と上流・森林との薪炭材需給関係、観光開発やパルプ材生産を意図する上流・森林所有者と甲府市との対立等に着目して解明した。4〜5章は東京都水源林における戦前・戦中期及び戦後期の経営展開を、水源林経営計画、それらの実行過程、国有林経営計画との比較、水源林と上流・地元村との関係に着目して明らかにした。

 第II部では横断的分析が行われている。第1章では、水源林形城過程は上流・下流に明治政府を加えた構図で捉えられると整理した。第2章は上・下流関係、特に上流の経済活動と下流の水源保護活動の対立関係に着目し、水源林の形成一下流による森林の取得一によって、それまでの上・下流の対外的な対立関係が、水源林経営によって上流と下流が共有する「相互依存と緊張」関係に調整されることを述べた。

 第3章は近代都市発達と水源林について論じている。産業革命前半期(1900年代前半まで)において都市木材需要は産業用を中心として旺盛であったが・産業革命後半期(1900年代後半以降)に至ると・鉄道網整備による化石燃料の調達、水力発電事業の勃興により産業用都市木材需要は後退していく。折しも都市では、近世以来の従来型の木樋水道(横浜市では明治期に入ってからの建設)が、近代に入って都市衛生問題及び水量確保問題から限界に達し、近代水道敷設が都市行政上の大きな課題となっていた。都市における森林の位置づけは、従来の木材供給地から水源林へと大きく転換していった。

 第4章では山梨県下森林の所有及び利用問題を論じている。対象3水源林では上記の抵抗運動と経済活動によって御料林が施業案編成業務に着手できなかったことを指摘し、水源林が御料局・山梨県・下流都市の3者の相互関係で形成されたことを明らかにした。

 第5章では東京都水源林における経営展開を整理し、水原林経営計画の展開を論じている。水源林径営展開から今日の森林経理にとって得られた教訓として、水源林の経営経験や独自性に基づく計画内容が一定の成果をあげてきたこと、経営計画における人工林齢級配置が木材生産の保続のみならず、上流・山村の経済活動維持の上でも重要であることを指摘した。

 以上のように、本研究は、3つの水源林の形成過程と東京都水源林の戦前・戦中期の経営展開を上・下流の観点から実証的に解明したもので、審査委員一同は本論文が博士(農学)の1学位論文としてふさわしいものであると判断した。

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