学位論文要旨



No 116217
著者(漢字)
著者(英字) Musyafa
著者(カナ) ムシャファ
標題(和) 樹種と人工酸性雨が大型土壌動物に与える影響に関する生態学的研究
標題(洋) Ecological study of soil macroinvertebrates in urban open space with special reference to the effects of canopy tree species and artificial acid rain
報告番号 116217
報告番号 甲16217
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2247号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古田,公人
 東京大学 教授 田付,貞洋
 東京大学 教授 丹下,健
 東京大学 助教授 久保田,耕平
 農林水産省森林総合研究所 森林生物研究室室長 新島,渓子
内容要旨 要旨を表示する

 近年の世界的な規模での都市化の進行により大都市の緑地は市民生活の上でますます重要なものとなっている。そうした都市緑地の維持管理の上で土壌生態系の健全性を保つことは重要な課題であるが、その主要な構成員である土壌動物に関してはこれまでそれほど関心が払われてこなかった。

 土壌動物は有機物の粉砕と分解、土壌の耕起と撹拌に重要な役割を果たしており、土壌動物の活動は土壌の物理化学性に関係するとともに、昆虫類、鳥類、その他の動物の食物として都市緑地の動物群集を支える機能をも有している。他方、緑地の樹種構成、住民の利用、近年の環境汚染は土壌動物に少なからぬ影響を与えるものと考えられる。

 本研究は都市緑地の大型土壌動物の土壌生態系における機能を明らかにするとともに、緑地の樹種構成、また近年とくに問題になっている酸性雨が大型土壌動物群集にどのような影響を与えるかを解析し、大型土壌動物の保全の観点から都市緑地の土壌生態系の管理について考察を加えるものである。

 野外調査は東京都田無市にある東京大学附属演習林、田無試験地で行った。ここには小面積ではあるがアカマツ、クロマツ、スギ、ヒノキ、シラカシ、コナラ、モウソウチクなどの群落の他、広葉樹二次林が存在している。

 樹冠を構成する植物が大型土壌動物群集に与える影響に関する調査はスギ林、各種マツ林、シラカシ林、コナラ林、広葉樹二次林内のアオキ群落、モウソウチク林の6林分7地点(アオキについては密度の異なる2地点)で、1999年8月から2000年5月まで合計5回、それぞれ1地点あたり25個のピットフォール・トラップを使用して行った。その結果、樹冠を構成する樹種によって大型土壌動物群集には若干の違いがあることが明らかになった。類似性からみればそれらの動物群集は針葉樹類林(スギ、各種マツ林)、Quercus林(シラカシ、コナラ)、その他の林(広葉樹二次林内のアオキ群落、モウソウチク林)の3つに大別されることが明らかになった。また、距離的に近いほど大型土壌動物群集の類似性は高いこと、夏期には樹冠の疎密の程度とリターの含水率が大型土壌動物群集構造に影響を与えていることが明らかになった。

 もっともふつうにみられ、また腐食者として重要な働きをしていると考えられるオカダンゴムシについて群落別の個対数と食物条件との対応を室内飼育によって調べた。オカダンゴムシの個対数は二次林内のアオキ群落で最も多く、次いでモウソウチク林に多かった。これに対して、コナラ、シラカシ、スギ林にはわずかしかいなかった。アオキ、コナラ、シラカシ、スギのリターを食物として25℃の恒温槽で飼育したところ、アオキのリターでは成長も良好で生存率も高かった。しかし、コナラの落葉を食物とした場合には十分な成長を示さず、また生存率も低かったこと。このことから、コナラ林に少ないことには食物条件が関与していると考えられた。シラカシとスギのリターについては成長においても生存率においてもマイナスの現象は認められず、これらのリターは食物としては問題がないことと考えられる。こうしたことから大型土壌動物の分布には食物以外の条件が関与していると考えられた。

 土壌動物の個対数とバイオマスの季節変化を見るため、1998年5月から2000年2月まで7回、0.0625m2のコードラートをスギ林とコナラ林にそれぞれ8個設定し、深さ5cmまでの土壌とリターを採集し、土壌動物についてはハンドソーテイングで調査した。分類群ごとにみると、個対数ではワラジムシとムカデ類がスギ林では合計約68%、コナラ林では57%、バイオマスではミミズ類はスギ林でおよそ64%、コナラ林では62%を占めていた。スギ林とコナラ林という環境の違いに関しては個対数とバイオマスに関しては大きな違いはなかったが、ピットフォール・トラップ調査で観察されたと同様に群集構造には違いが見られ、その違いは春に顕著であった。

 大型土壌動物の土壌生態系における機能とその制限要因としての土壌の堅密度の影響を明らかにするため、オカダンゴムシ、マクラギヤスデ、2種のミミズを土壌堅密度とリターを違えた条件下で飼育し、スギ、モミ、アオキ、ケヤキ等の各種リターに対する食物選好、スギとアオキに対する摂食量と排泄量、土壌の耕起と撹拌能力を調べた。オカダンゴムシは針葉樹と落葉広葉樹ともに食物として選好したが、土壌の撹拌は行わず、リターを噛み砕いて糞として排泄するところに関与している。マクラギヤスデはオカダンゴムシと同じような働きをしている。フトミミズはスギとアオキの両種を摂食したが、シマミミズはどちらをも摂食しなかった。しかし、両種共に土壌中に坑道を掘り、土壌の耕起と撹拌の機能を持っていた。土壌堅密度に関しては、土壌堅密度が04g/cm3までなら坑道を掘ることができるものの、05g/cm3以上では掘ることができなかった。人間活動などによる土壌の堅密化はミミズ類など土壌中に潜入する動物の活動を制限することが明らかになった。

 酸性雨の与える影響を野外において明らかにするため、土壌動物のいない土壌を直径20cm,深さ17cmのポットに入れ、スギ林とコナラ林の林床にそれぞれ135個ずつ1996年4月に設定し、あわせて林縁から3〜10mほど離れた無立木地に1995年4月に180個設置し、それぞれに硫酸の人工酸性雨(0.0l5%と0.030%)あるいは対照区として水道水を400mlずつ週に1度の頻度で毎年4月から9ないし10月まで散布し、1ないし2年後に形成される土壌動物群集を調べた。その結果、大型土壌動物の個対数、バイオマスはともに水道水を散布した場合よりも硫酸水を散布した場合が小さい傾向にあり、酸性水が土壌動物群集に与える影響は明らかに認められた。とくにワラジムシではその差は顕著であり、またミミズ類にも同様の傾向が認められた。ワラジムシのような陸生甲殻類は土壌生態系の中の重要な腐食者であり、ミミズ類は土壌の物理的、化学的、微生物的形成にとりわけ重要な役割を果たしているものである。このような動物に酸性水の影響が顕著に認められたことは酸性雨が大型土壌動物群集だけではなく、物質循環にも大きな影響を与えることが示唆された。

 酸性水の影響がワラジムシに明瞭に認められたが、ワラジムシは飼育が難しく、酸性水がどのような筋道をとおって影響を与えるかを知ることが困難であるため、同じ陸生甲殻類であるオカダンゴムシを室内で飼育して酸性水が影響の解析を試みた。(1)まず、酸性水の直接的な影響を見るため硫酸水を直接その体表面にかけたところ、酸性水による明瞭な負の影響と考えられる現象は認められなかった。(2)次いで、オカダンゴムシにpH2,4,6の硫酸水に浸積したアオキを与えた場合にはオカダンゴムシの成長と生存率は低下した。以上のことから、大型土壌動物に与える酸性雨の影響には直接的なものと間接的なものとがあるが、体表面が堅いクチクラでおおわれているオカダンゴムシの場合には間節的なものの影響が大きいと考えられた。これに対し、体表面がやわらかいミミズやワラジムシのようなものでは直接的な影響が大きいのではないかと考えられるが、その点については確認はできなかった。

 土壌の生態系の中では土壌動物は落葉の粉砕や分解、土壌の耕起と撹拌といった環境形成作用だけではなく、鳥類や昆虫類、リスやモグラなどの哺乳類などの食物として複雑な食物連鎖を支える役割をも果たしている。したがって、緑地の管理にあたってはこうした土壌動物の働きを高めるような形で手入れが行われることが望ましい。そのためには、まず緑地にはさまざまな種類の樹木を植えて土壌動物群集の多様性を高めるような方策が今後とも維持される必要がある。とくに、針葉樹と広葉樹の林では土壌動物群集に違いがあったことから考え、針葉樹と広葉樹のそれぞれが植栽されることが望ましい。

 人間活動の高密化に伴う土壌の堅密化の進行はミミズのような土壌中に穿入する動物にはその活動の障害となることがあきらかにされたことから、土壌の著しい堅密化は土壌生態系の保全の観点からは避けられなければならない。

 今日では地球的な規模で、とりわけ都市においては酸性雨が降ることは普遍的な現象になりつつあるが、酸性雨はワラジムシやミミズのような腐食者の生息にとりわけ顕著なマイナスの影響を与えるので必要によっては(石灰の散布のような)なんらかの手段を講じることが望ましい場合も生じるであろう。酸性雨が大型土壌動物に与える影響に関する作用機作の解明に関してはさらに多くの種についての解明が必要であること、また野外実験においてはもう少し弱い酸性水についての長期にわたる影響の解明が必要であることを指摘しておきたい。

審査要旨 要旨を表示する

 都市緑地の維持管理の上で土壌生態系の健全性を保つことは重要な課題であるが、その主要な構成員である土壌動物に関してはこれまでそれほど関心が払われてこなかった。しかし、土壌動物は有機物の粉砕と分解、土壌の耕起と撹拌に重要な役割を果たしており、土壌動物の活動は土壌の物理化学性に関係するとともに、昆虫類、鳥類、その他の動物の食物として都市緑地の動物群集を支える機能をも有している。

 本研究は緑地の樹種構成、また近年とくに問題になっている酸性雨が大型土壌動物群集にどのような影響を与えるかを解析し、都市緑地の生態系の保全について考察したものである。緑地の樹種構成が大型土壌動物群集に与える影響に関する調査は東京大学附属演習林田無試験地内のスギ林、マツ林、シラカシ林、コナラ林、アオキ群落、モウソウチク林等で、1998年5月から2000年5月までピットフォール・トラップとハンドソーテイングで調査した。その結果、調査地は森林での既往のどの研究に比べても種数、個対数、バイオマス共に小さく、動物群集は貧困であった。動物群集については、類似性から見て針葉樹類林(スギ、各種マツ林)、Quercus林(シラカシ、コナラ)、その他の林の3つに大別され、樹冠を構成する樹木が重要なことが確かめられた。その他の生息環境として重要な要因は土壌含水率、樹冠の疎密、とりわけリターであった。オカダンゴムシを例にリターと成長の関係を調べたところ、アオキ、コナラ、シラカシとスギのリターについては成長においても生存率においても顕著な差異が認められた。リターは生息環境としてのみならず食物として重要であり、人為によるリターの持ち出しは動物にとって大きな影響を与える。

 都市緑地の利用状況は土壌動物に影響すると考えられる。土壌の堅密度と土壌動物による掘削能力、掘削された穴の大きさをヤスデ、ミミズ、オカダンゴムシ等について調べたところ、土壌の堅密度の上昇に伴って掘削能力は著しく低下したが、掘削された穴の大きさはそれほど違わなかった。人間活動に伴う土壌の堅密化は動物にとって大きな影響を与えることが明らかである。

 酸性雨が与える影響を野外において明らかにするため、土壌を直径20cm、深さ17cmのポットに入れ、スギ林とコナラ林の林床と林縁から3〜10mほど離れた無立木地に135〜180個設置し、それぞれに硫酸の人工酸性雨(0.015%と0.030%)あるいは対照区として水道水を週に1度の頻度で毎年4月から9ないし10月まで散布し、1ないし2年後に形成される土壌動物群集を調べた。その結果、大型土壌動物の個対数、バイオマスは水道水を散布した場合よりも硫酸水を散布した場合が小さい傾向にあり、酸性水が土壌動物群集に与える影響は明らかに認められた。とくに陸生甲殻類ではその差は顕著であり、またミミズ類にも同様の傾向が認められた。

 陸生甲殻類の1種であるオカダンゴムシを室内で飼育して酸性水の影響の解析を試みた。

(1)酸性水の直接的な影響を見るため硫酸水を直接その体表面にかけたところ、明瞭な負の影響は認められなかった。(2)次いで、水道水とpH2,4,6の硫酸水に浸積し、条件づけをしたろ紙上でオカダンゴムシの分布を調べたところ、オカダンゴムシは酸性水で条件付けられたところを避けた。(3)水道水とpH2,4,6の硫酸水に浸積したアオキを食物として与えた場合にもオカダンゴムシはpHの低い食物を避けた。また、(4)オカダンゴムシの成長と生存率はpHの低下とともに低下した。以上のことから、酸性雨は大型土壌動物の行動、食物選択、栄養生理のさまざまな面で影響することが明らかになった。

 調査を行った東京大学附属演習林田無試験地の林地はいわゆる都市公園内の緑地に比べれば良好に保全されていると考えられるにもかかわらず、動物群集は貧困であった。都市緑地の土壌動物群集の保全がきわめて重要な問題であることを意味している。そのためには樹木の多様性を保つこと、リターの持ちだしを行わないこと、過度の利用による土壌の堅密化を避けることといった緑地そのものの管理の他に、硫黄酸化物や窒素酸化物といった酸性雨の原因となる物質の大気中への放出を削減することが必要であることが明らかになった。

 以上、本論文は都市緑地の樹種構成、また近年とくに問題になっている酸性雨が大型土壌動物群集にどのような影響を与えるかを解析し、大型土壌動物の保全の観点から都市緑地の土壌生態系の管理について考察を加えたものである。学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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