学位論文要旨



No 116218
著者(漢字)
著者(英字) Rajendra,Prasad Lamichhane
著者(カナ) ラジェンドラ,パラサンド ラミチャネ
標題(和) 流域管理における住民参加 : ネパール王国カスキ郡を事例として
標題(洋) People's Participation in the Process of Watershed Management : A Case of the Kaski District, Nepal
報告番号 116218
報告番号 甲16218
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2248号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 箕輪,光博
 日本大学 教授 木平,勇吉
 東京大学 助教授 酒井,秀夫
 東京大学 助教授 井上,真
 東京大学 助教授 白石,則彦
内容要旨 要旨を表示する

 ネパールのような山岳国では流域管理と住民の日常生活は不可分の関係にある。流域の物理的な安定と地域住民の生活向上を同時に図るという基本的方針は、1990年代以降の多くの途上国において現実的な流域管理のあり方として受け入れられている。そこで本論文では、まず、ネパールにおける流域管理の経緯、これまでになされた各種事業の長短、住民参加における社会経済的分析の欠如とその必要性などを分析することにより、研究の背景を明らかにする。第二に、ネパール国の西中山間部にあるカスキ郡に設定したモデル地域(面積約3万ha,人工約7万人)を、社会経済条件と自然環境条件の両面から分析する。第三に、社会経済条件や人々の関心と自然環境条件との関係を明らかにする。第四に社会経済及び自然環境条件に応じた行政最小単位であるワードの類型化を行う。最後に、こうした分析に草の根レベルでの流域管理活動に関連した研究成果を加えて、住民参加型流域管理に必要な基本要素を明らかにし、望ましい流域管理のありかたを提案する。

 分析に用いた主たるデータは、JICAが1995年9月から1996年12月に上記のモデル地域で実施した開発調査結果と1999年の夏に1ヶ月半にわたり著者が実施した現地調査の結果である。JICAの開発調査は社会経済調査と自然環境調査から成る。社会経済調査は19行政村の144ワードを対象に、4668世帯、1万人の世帯員に対して実施された。自然環境調査の結果は土地利用情報と斜面傾斜情報からなり、これをGISと統計解析方法で分析行った。

 第1章ではこれまでの流域管理の経緯、森林/流域保全政策、カースト/民族などに焦点をあてて、流域管理と住民参加には、社会経済条件と自然環境条件が大きな影響を与えていることを明らかにする。山岳住民の生活は飼料木、薪炭材やその他の林産物の採取を通して森林に強く依存しており、農耕も森林との間に密接な関連がある。1957年にネパールの全森林が国有化されても農民による森林資源の利用は違法なまま続けられた。森林及び流域の保全から地域住民を切り離す政策は、結果的に深刻な流域の荒廃を生んだ。政府の流域管理施策は1970年代半ばに土壌保全流域管理局(DSCWM)で開始された。当初の流域管理手法は土壌保全を中心に大流域単位で実施されてきたが、保全活動は公有地において政府職員が実施するだけで地域住民の参加はほとんどなかった。しかし近年、流域管理への住民参加が重要であるとの認識が急速に高まり、1993年の森林法では村落林業の規定が設けられ、国有林の一部の管理がユーザーグループ(以下UG)に受け渡された。現在の流域管理方式では多くの活動は15・25km2の大きさの小流域単位で実施されている。1993年に策定された住民参加のガイドラインでは、様々な流域管理活動の中で非熟練労働力についてはUGによる提供を義務づけている。流域管理活動は民有地と公有地の双方で実施され、自然環境条件によって対象地の優先度が決まる。流域には独自の社会制度、文化的価値を持ち、異なる社会経済条件を有するカースト/民族グループがいる。現行の森林/流域保全政策ではUGを強く意識しているが、その政策の中にはこうした社会経済条件の格差が反映されていない。

 第2章では研究対象地であるカスキ郡での2つの流域管理計画で採用された様々な活動やプロセスについて分析する。これらの事業はともに住民参加を基本戦略に採用しており、流域管理の成功事例と評価されている。1つはベグナス及びルパ湖流域管理計画(1984-1997)と呼ばれるDSCWMとCAREの共同事業であり、もう1つはJICAによる村落振興及び森林/流域保全事業(1994一)である。両事業とも流域内数力所に出先事務所を設置し、地域住民と密接な連携を取りつつ村落林業、農業、収入源創出など様々な活動を実施してきた。地域住民は事業実施の必要経費の半分を負担している。出先事務所を通した迅速かつ容易な意志疎通、草の根制度の推進、多様な流域管理計画、予算や計画の透明性などが流域管理の成功要因と考えられた。低位カーストや女性を意志決定過程に組み込むことも重要である。しかし住民参加の多くは労働力提供に限られ、事業採択の決定過程では高位カースト出身の政治的リーダーが影響力を持っていることも解った。

 第3章では理想的な住民参加と現実のそれとの違いを分析した。理想的な住民参加は流域管理における住民の能力増進および主体性の向上を含んでおり、低位カーストや女性の参加も重要である。政府が十分な人的、財政的実行力を備えていない現状では、特に山村地域では住民が流域管理の主体とならざるを得ない。住民参加を考える上で重要なことは、a)地域資源の活用、b)費用分担、c)政府職員と地域住民の信頼関係の増進、d)地域住民の能力育成、そしてe)持続性である。DSCWMでは土壌保全への住民参加のガイドラインを作成している。全ての流域管理活動はUGを通して実施すべきとされているが、社会経済条件への配慮が欠けており、住民参加の目的も曖昧である。

 第4章では社会経済条件、とくに各カースト/民族の抱いている関心について検討する。社会経済条件として分析したのは、教育、農地所有規模、農産物生産、飲料永、薪炭材、現金収入源及び家畜である。社会経済条件や関心事項はカースト/民族により大きく異なる。水田の平均所有面積は高位カースト0.43ha、民族グループ0.34ha、低カースト0.07haであり、低位カーストの70%は水田を所有していない。所有する立木本数も高位カーストが世帯当たり98本、民族グループが93本であるのに対し、低位カーストの所有本数は僅かに22本である。低位カーストは文盲率が高く、所有農地面積も少なく、農業生産額も少ない。薪炭材や飲料水の獲得に費やす時間も他に比べ多い。主な収入源は高位カーストでは定職からの給与、民族グループでは家族からの送金、低位カーストでは日雇い賃金であった。グループによる関心の違いとして、高位カーストは農業生産性、灌漑、テラス維持に関心が高いのに対し、民族グループは歩道整備に関心が高い。一方、低位カーストは食料、飼料、飲料水の確保に強い関心を持つが、テラス維持や灌漑、崖崩れ土壌流亡、洪水といった農地関連事項には関心が低かった。

 第5章ではモデル地域の自然環境条件や土地利用について検討した。流域を平坦地(傾斜度0-10°)、緩傾斜地(10-30°)、急傾斜地(30°以上)に区分したところ、平坦地16%、緩傾斜地50%、急傾斜地34%であった。土地利用については畑地、水田、森林、放牧地、その他に5区分した。畑作地の17%、水田の12%が急傾斜地にあった。大部分の森林は緩傾斜及び急傾斜地にある。放牧地の50%が緩傾斜地に、36%が急傾斜地に分布している。急傾斜地にあるこれら農耕地は土壌流亡の危険性が高いことからとくに配慮が必要である。また、JICA開発調査によって作成された幾つかの主題図を用いて災害危険度を高、中、低に区分したハザードマップを作成し、住民の関心事項と災害危険度の関係を調べた。傾斜地では危険度が高く、同時に食料や飲料水の心配も大きかった。

 第6章では社会経済条件、住民の関心事項、自然環境条件及び土地利用の間の関係について総合的に検討した。食糧、薪炭材、飲料水の確保、農業生産性、労働力確保、電力供給、テラス維持そして洪水についての関心が、カースト/民族グループ間で大きく異なることが分散分析によって分かった。食糧確保への関心は高位カーストよりも民族グループや低位カーストで強かった。識字率向上への関心は高位カーストよりも低位カーストで強かった。同様に薪炭材確保についても低位カーストの方が関心が強い。食糧確保への関心は急傾斜地が多いワードほど高かった。また、森林が多い地域では薪炭材への関心が低く、薪炭林までの距離も畑地や森林の面積とは負の相関がみられた。平坦地では緩傾斜、急傾斜地に比べ食糧確保に関する関心が薄いが、薪炭材に関する関心は他の地域に比べ高い。薪炭林までの距離も傾斜と正の相関があった。また食糧確保についての関心の高さを説明するのに、各ワードの低位カースト世帯の割合、農地所有規模、緩傾斜地及び急傾斜地割合が重要な変数であることが、重回帰分析で明らかになった。同様に、薪炭材確保への関心については高位カースト世帯と低位カースト世帯の割合、農地所有規模、薪炭林までの距離、水田率が重要な説明変数となった。こうした分析から住民の関心事項を推し量るのに/カースト/民族グループ、傾斜、社会経済条件が重要な因子であることが解明された。

 さらに、クラスター分析を用いてカースト/民族グループに応じてワードを5区分、傾斜に応じて3区分、住民の関心事項について3区分し、合計で40クラスに類型化した。これらのクラス間では社会経済条件でみると識字率、農地所有規模、薪炭林までの距離が大きく異なっていた。また別な分析から、同一ワード内でもカースト/民族グループに応じて、さらに社会経済条件に大きな違いがあることが明らかになった。

 第7章では前章までの分析をふまえて包括的議論を行った。地域住民は流域管理が彼ら自身の問題であるという認識なしには、参加の動機付けを持たない。この論文では社会経済条件と人々の関心事項の関係を明らかにし、各関心事項がどのような因子に左右されるのかを調べた。住民の関心事項を流域管理活動の中に取り込むことにより、流域管理への住民参加の動機付けができると考えられる。カースト/民族グループごとに異なる関心に配慮し、自然環境だけでなく社会構造にも基づいて流域管理計画を策定すべきである。同時に活動の多様性、住民の識字率を向上させるための訓練や教育、制度・組織の確立といったことも住民参加型流域管理計画にとって重要である。そして住民参加型こそがネパールにおいて唯一適切な流域管理の手法である。

審査要旨 要旨を表示する

 ネパールのような山岳国では、流域管理と住民の日常生活は不可分の関係にあり、近年、流域管理への住民の主体的参加がますます重要視されつつある。本論文は、ネパール王国の西中山間部にあるカスキ郡に設定したモデル地域の社会経済条件と自然条件の分析を介して、住民参加型流域管理に必要な基本要素を明らかにし、望ましい流域管理のありかたを提案することを研究目的としたものである。

 本研究に利用したデータは、主としてJICAが上記の地域で実施した開発調査から得られた社会経済条件と自然条件に関するもので、調査は19行政村の144ワードを対象に、4668世帯、1万人の世帯員に対して実施された。方法としては、地域の自然条件・社会条件および両者の関係を相関的・空間的に明らかにするために、重回帰分析やクラスタ分析などの統計的手法とGIS(地理情報システム)を用いている。

 第1章では、これまでの流域管理の経緯、森林/流域保全政策、カースト/民族などに焦点をあてて、流或管理と住民参加には社会経済条件と自然環境条件が大きな影響を与えていることを明らかにしている。

 第2章では、カスキ郡でのベグナス及びルパ湖流域管理計画と、JICAによる村落振興森林/流域保全事業で採用された様々な活動やプロセスについて分析している。流域管理の成功要因として、迅速かつ容易な意志疎通、草の根制度の推進、多様な流域管理計画、予算や計画の透明性などが挙げられる。

 第3章では、理想的な住民参加と現実のそれとの違いを分析している。理想的な住民参加には低位カーストや女性の参加が必要である。住民参加における重要な要素として、a)地域資源の活用、b)費用分担、c)政府職員と地域住民の信頼関係の増進、d)地域住民の能力育成、e)持続性などが指摘されている。

 第4章では、社会経済条件、特に、カースト/民族の抱いている関心について検討している。住民の関心項目はカースト/民族により大きく異なる。低位カーストは文盲率が高く、所有農地面積も少なく、農業生産額も少ない。薪炭材や飲料水の獲得に他に比べて多くの時間を費やしている。主な収入源は、高位カーストでは定職からの給与、民族グループでは家族からの送金、低位カーストでは日雇い賃金であった。グループによる関心の違いとして、高位カーストは農業生産に関する関心が高いのに対し、民族グループは歩道整備に対する関心が高い。一方、低位カーストは食料、飼料、飲料水の確保に強い関心を抱いている。

 第5章では、モデル地域の自然環境条件や土地利用について検討している。流域の自然条件を平坦地、緩傾斜地、急傾斜地の3区分に、士地利用については畑地、水田、森林、放牧地、その他に5区分に分け、区分ごとの割合、自然条件と土地利用との関係を定量的に明らかにした。特に、急傾斜地にある農耕地は土壌流亡の危険性が高いことから十分な配慮が必要である。さらに、JICA開発調査によって作成された幾つかの主題図を用いて災害危険度を高、中、低に区分したハザードマツプを作成し、住民の関心事項と災害危険度の関係を調べた。

 第6章では、社会経済条件、住民の関心事項、自然環境条件及び土地利用の間の関係について総合的に検討している。方法的には、統計的手法とGIS技術が有効であった。食料確保への関心は急傾斜地の多いワードほど高く、平坦地では緩傾斜、急傾斜地に比べ食料確保に関する関心が薄い。食料確保についての関心については、各ワードの低位カースト世帯の割合、農地所有規模、緩傾斜地及び急傾斜地割合が重要な説明変数であることが重回帰分析で明らかになった。同様に、薪炭材確保への関心については、高位カースト世帯と低位カースト世帯の割合、農地所有規模、薪炭林までの距離、水田率が重要な説明変数として抽出された。こうした分析から住民の関心項目を推し量る際には、カースト/民族グループ、傾斜、社会構造の3因子が重要であることが判明した。

 さらに、クラスタ分析を用いてカースト/民族グループに応じてワードを5区分、傾斜に応じて3区分、住民の関心事項について3区分し、合計でワードを40クラスに類型化した。

 第7章では、前章までの分析をふまえて包括的議論を行っている。本研究では、流域管理への住民参加の動機付けを重視し、住民の関心項目に主眼を置いた分析を行った。その結果、カースト/民族グループごとに異なる関心と自然条件・社会構造の両面に配慮した総合的な住民参加型の流域管理計画の必要性や、活動の多様性、住民の識字率を向上させるための訓練や教育、制度・組織の確立などの重要性が提案されている。

 以上のように、本論文は、ネパールのカスキ郡におけるモデル地域を対象に、住民参加型の流域管理に関して、自然条件・社会条件の両面から綜合的分析を加えたもので、審査委員一同は本論文が博士論文(農学)として価値あるものと認めた。

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