学位論文要旨



No 116222
著者(漢字) 井上,潤
著者(英字)
著者(カナ) イノウエ,ジュン
標題(和) ミトコンドリアゲノム分析に基づくカライワシ類(Elopomorpha)の系統に関する研究
標題(洋)
報告番号 116222
報告番号 甲16222
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2252号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塚本,勝巳
 東京大学 教授 西田,睦
 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 助教授 小川,和夫
 北海道大学大学院水産科学研究科 教授 仲谷,一宏
内容要旨 要旨を表示する

 カライワシ類(Elopomorpha)は、仔魚期にレプトケファルスと呼ばれる柳葉状の幼生をもつことによってまとめられた真骨類の一分類群である。現在、オステオグロッサム類(Osteoglossomorpha)、ニシン類(Clupeomorpha)、正真骨類(Euteleostei)と並んで亜区の階級に位置づけられており、真骨類における四大系統の一つとなっている。一方、カライワシ類の内部にはカライワシ目、ソトイワシ目、ウナギ目、フウセンウナギ目など、成魚の形態や生態が大きく異なる原始的な真骨類が含まれている。そのため、レプトケファルス幼生をもつこと以外に有力な共有派生形質は見あたらず、その単系統性を疑問視する研究者も多かった。また、その系統的位置については、下位真骨類の一角を占めるという共通認識は得られているものの、他の分類群とどのような系統関係をもつのか、未だに定説と呼べるものはない。

 そこで本研究では、近年急速に発達してきた分子系統学的手法を用いてカライワシ類の単系統性を検証するとともに、下位真骨類におけるその系統的位置とカライワシ類内部の系統関係を解明することを大きな目的とした。これまで核DNAやミトコンドリアDNAの部分塩基配列に基づくカライワシ類の系統学的研究はいくつか行われてきたが、解析に用いる塩基配列の長さや分類群の数が不十分であったため、問題解決には至っていない。本研究では、ロングPCRと魚類汎用プライマーに基づく手法(Miya and Nishida l999)を用いることにより、カライワシ類を中心とした下位真骨類17種(図)のミトコンドリアゲノム(ミトゲノム)全塩基配列(計286,277塩基対[bp])を新たに決定し、これを用いてカライワシ類の高次系統関係を解析した。

カライワシ類ミトゲノムの特性

 カライワシ類を中心とした下位真骨類17種のミトゲノム全塩基配列を、ロングPCRの技術と150個あまりの魚類汎用プライマーを用いて直接法により決定した。ミトゲノムの全長は16,649-18,978bpの範囲にあり、他の脊椎動物と同様13個のタンパク質遺伝子、2個のリボゾームRNA遺伝子、22個の転移RNA(tRNA)遺伝子、ならびに1個の調節領域から構成されていた。多くの種では、遺伝子の配置も他の脊椎動物と同じであったが、4種において通常とは異なる配置が見いだされた。これら、ウナギ目のダイナンウミヘビとマアナゴにみられた調節領域周辺の遺伝子配置の変動(図のA)と、フウセンウナギ目のフウセンウナギとフクロウナギにみられたミトゲノム全域にわたる大規模な遺伝子配置の変動(図のB)は、これまでどの脊椎動物からも報告されていない特異なものであった。他の脊椎動物にみられる一般的な遺伝子配置を祖先的なものと仮定すると、これら2種類の特異な遺伝子配置は、1回の縦列重複とそれに引き続く遺伝子の欠失という、きわめて単純な過程を経て生じたものと推測された。

特異な遺伝子配置の系統学的意義

 ウナギ目内部の2種にみられた特異な遺伝子配置が系統マーカーとして有用かどうか、すなわち共有されていた特異な遺伝子配置が単一の祖先種に由来するかどうか検討を行った。ミトゲノム全配列を決定した種の他に、ウナギ目に含まれる7科7種(ハリガネウミヘビ、イワアナゴ、ヘラアナゴ、スズハモ、シギウナギ、クズアナゴ、ヒメノコバウナギ)のND5-cytb遺伝子領域の塩基配列を決定し、この領域に含まれる遺伝子の配置を比較するとともに、cytbと12S rRNA遺伝子の部分塩基配列に基づく系統樹を作成し、配置変動の進化パターンを推定した。

 解析した7種のうち、ダイナンウミヘビとマアナゴでみられた特異な遺伝子配置をもつものはアナゴ亜目に属する3種(ヘラアナゴ、スズハモ、クズアナゴ)であった。これら特異な遺伝子配置を共有する5種は、部分塩基配列に基づく系統樹において単系統群を形成し、このミトゲノムの構造的特性が単一の祖先種に由来することが示唆された。これまで、これら5種に代表される5科がウナギ目における亜目や上科などの高次分類群として認められた例はなく、今回の結果は遺伝子配置の変動がウナギ目内部の高次系統を解析するうえで一つの有力な系統マーカーになりうることを示している。

ミトゲノムデータに基づくカライワシ類の系統解析

 カライワシ類の単系統性を検証し、その系統的位置とカライワシ類内部の系統関係を推定するために、下位真骨類における4つの主要分類群からそれぞれ2種を選定し、カライワシ類内部からは4つの目を幅広く代表するように各目から2-5種の計13種を選定した。外群にはトラザメ属とポリプテルス属の一種を用いた。以上の結果選ばれた計23種の魚類のミトゲノム(本研究で決定した17種を含む)から、12個のタンパク質遺伝子(ND6遺伝子とコドンの第三座位を除く)と22個のtRNA遺伝子(ステム領域のみ)を抜き出し、計8115塩基を解析に用いた。系統解析には最大節約法と最尤法を用い、系統樹の内部枝の信頼性を統計的に評価した。

 カライワシ類の単系統性:Greenwood et al.(1966)がカライワシ類を設立するまでは、現在カライワシ類を構成する諸分類群は相互関係が不明なさまざまな原始的真骨類のグループに含まれていた。Green-wood et al.(1966)以降も、カライワシ類の単系統性を疑問視する研究者は少なからずいたが、この問題はいまだかつて系統樹を用いた検証を受けていない。また、カライワシ類の単系統性は、レプトケファルス幼生の存在、すなわち仔魚期の特性が高次分類群の共有派生形質になるか否かという魚類系統学上重要な問題もはらんでいた。

 最節約法と最尤法で得られた2本の系統樹のトポロジーはほぼ一致し、双方ともにカライワシ類の単系統性を支持した(図)。また、カライワシ類の単系統性を否定する代替仮説(Gosline l971)は、高い統計的有意性をもって棄却された。ミトゲノムデータは、カライワシ類の単系統性をめぐる問題に決着をつけただけでなく、レプトケファルス幼生の存在が単一の共通祖先種に由来するカライワシ類の共有派生形質となることを実証したことになる。

 カライワシ類の系統的位置:カライワシ類が下位真骨類の一群であることに異論を唱える研究者はいなかったが、その系統的位置については形態ならびに分子データに基づきさまざまな仮説が発表され、この20数年間にわたって激しい議論が戦わされてきた。

 本研究で得られた系統樹(図)では、オステオグロッサム類が真骨類の最も原始的な位置を占め、カライワシ類は他のより上位の真骨類(ニシン類+骨鰾類+原棘鰭類)の姉妹群となった。また、これら上位の真骨類の中ではニシン類と骨鰾類が姉妹群を形成した。

 この系統関係は、これまでに発表された下位真骨類の系統に関する5つの仮説(Patterson and Rosen 1977; Arratia 1997など)のいずれとも完全に一致しなかったが、オステオグロッサム類とカライワシ類の系統的位置についてはこれまでに広く受け入れられてきた仮説と一致し、またそれより上位のニシン類、骨鰾類、原棘鰭類の相互関係については、近年形態と分子データに基づき提出された仮説と一致した。したがって、今回得られた系統仮説は、これまで提唱されていた関係を総括する形となった。また本研究は、これまで骨鰾類+原棘鰭類+それより上位の真骨類から構成されていた正真骨類が、ニシン類を新たに含めたうえで再検討されなければならないという、近年提出された見解を支持する。

 カライワシ類内部の系統関係:成魚の形態があまりにもかけ離れているため、カライワシ類内部の系統関係を解析した例はこれまでほとんどなかった。わずかに、いくつかの比較解剖学的データを用いて個々の目内に亜目や上科レベルの分類群を設けた事例があるが、これらが系統を反映したものかどうか厳密な検証が行われたわけではない。

 本研究では、カライワシ類を代表する4つの目、すなわちカライワシ目、ソトイワシ目、ウナギ目、ならびにフウセンウナギ目間の関係を明瞭に描き出すことができた。カライワシ類の中で最も原始的な位置を占めたのはカライワシ目であり、彼らがより上位のカライワシ類の姉妹群となった。ソトイワシ目は、ソトイワシ亜目とソコギス亜目という形態的・生態的にかけ離れた2つの亜目を含むにもかかわらず明瞭な単系統群を形成し、ウナギ目+フウセンウナギ目の姉妹群となった。ウナギ目は、その内部から単系統群であるフウセンウナギ目が派生しているため、側系統群となった。ウナギ目の単系統性は高い有意性をもって統計的に棄却されたため、ウナギ目とフウセンウナギ目を合わせた新たな分類群の設立が必要になると考えられた。

 以上、本研究では長年にわたって魚類系統学の大きな問題となってきたカライワシ類の単系統性と、下位真骨類におけるカライワシ類の系統的位置について明確な結論を得ることができた。また、カライワシ類内部の系統関係については、その大枠が明らかになっただけでなく、遺伝子配置の変動というこれまで魚類系統学で用いられてこなかった有力な系統マーカーを見いだすことができた。今後、解析対象分類群の数を増やすとともに、形態や生態を初めとする比較生物学的データを充実させ、さらに分子時計を用いて系統樹に時間軸を入れることにより、脊椎動物最大の多様性を有する真骨類の初期進化の実態を明らかにすることができると考える。

カライワシ類を中心とする下位真骨類の最節約樹。トポロジーは最尤樹とほぼ一致した。内部枝の数字は500回の試行に基づくブーツストラップ確率を示す。国際DNAバンクから得た骨鰾類、原棘鰭類、および外群としたトラザメとポリプテルスの計6種以外の計17種のミトゲノム全塩基配列(計286,277bp)を本研究で決定した。遺伝子配置Aでは、変動したと推定される遺伝子を黒で示し、Bでは脊椎動物一般の配置が保存されている4領域を4種類の帯で示した。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、真骨類の中でも分岐が古いと考えられ、レプトケファルス幼生という特異な仔魚形態によってまとめられているカライワシ類(Elopomorpha)の単系統性を検証し、その系統的位置と内部の系統関係を解明することを目的とした。そこでカライワシ類を中心とした下位真骨類17種のミトゲノム全塩基配列(286,277bp)を決定し、系統学的解析を行った。論文は5章からなり、緒言に続く2章から5章では以下の結果を得た。

 第2章ではカライワシ類のミトゲノムの特徴を明らかにした。カライワシ類から13種、オステオグロッサム類とニシン類からそれぞれ2種の計17種を選び、そのミトゲノム全塩基配列をロングPCRの技術と魚類汎用プライマーを用いて直接法により決定した。ミトゲノムの全長は16,647-18,978bpの範囲にあり、他の脊椎動物と同様の遺伝子から構成されていた。しかしながらダイナンウミヘビとマアナゴ、およびフウセンウナギとフクロウナギという2系列においてそれぞれ特異なミトゲノム遺伝子配置がみられた。これらの特異な遺伝子配置は一見複雑な変動に見えたが、単純な過程で現在に至っていることが推察された。

 続く第3章では、ウナギ目内部の2種に見られた特異な遺伝子配置が系統マーカーとして有用かどうか、すなわち共有されていた特異な遺伝子配置が単一の祖先種に由来するかどうかをウナギ目15科のうちの12科12種を解析することで検討した。新たにウナギ目7科7種のND5-cyt b遺伝子領域の塩基配列を決定したところ、このうち3種でダイナンウミヘビとマアナゴの遺伝子配置が共有されていたが、残りの4種では、脊椎動物一般と同様な遺伝子配置を示した。cyt bと12S rRNA遺伝子領域の塩基配列を用いて系統解析を行った結果、これら特異な遺伝子配置を共有する5種は単系統群を形成し、このミトゲノムの構造的特徴が単一の祖先種に由来することが示唆された。

 第4章では、ミトゲノム全塩基配列を用いて系統解析を行い、信頼性の高い系統樹を推定することができた。ここでは下位真骨類における4つの主要分類群からそれぞれ2種、カライワシ類内部の4つの目からそれぞれ2-5種の計13種、さらには外群としてトラザメ属とポリプテルス属の1種、総計23種を選定し解析に供した。

 得られた系統樹はカライワシ類の単系統性を強く支持した。また、カライワシ類の単系統性を否定する代替え仮説(Gosline、1971)は、高い統計的有意性で棄却された。ミトゲノムデータは、Greenwood et al。(1966)以来のカライワシ類の単系統性を巡る問題に決着をつけただけでなく、レプトケファルス幼生の存在が単一の共通祖先種に由来するカライワシ類の共有派生形質となることを実証したことになる。

 さらにオステオグロッサム類が真骨類の最も原始的な位置を占め、カライワシ類は他のより上位の真骨類(ニシン類+骨鰾類+原棘鰭類)の姉妹群となった。また、これら上位の真骨類の中ではニシン類と骨鰾類が姉妹群を形成した。この結果は、部分的には伝統的な仮説(Patterson and Rosen, 1977;Le et al., 1993; Arratia,1997)と同じであるものの、全体としてはまったく新しい系統関係を示した。

 カライワシ類内部に関しては、これまでの形態学的研究(Robins, 1989)から提唱されてきたカライワシ類を代表する4つの目(カライワシ目、ソトイワシ目、ウナギ目、ならびにフウセンウナギ目)間の関係を明瞭に描き出すことができた。カライワシ類の中で最も原始的な位置を占めたのはカライワシ目であった。ソトイワシ目は、ソトイワシ亜目とソコギス亜目という形態的・生態的にかけ離れた2つの亜目を含むにもかかわらず明瞭な単系統群を形成し、ウナギ目+フウセンウナギ目の姉妹群となった。ウナギ目は、その内部から単系統群であるフウセンウナギ目が派生しているため、側系統群となった。形態学的研先(Greenwood et al., 1966;Robins, 1989)から常に単系統とされてきたウナギ目は、高い有意性をもって統計的に棄却された。

 第5章では、これまでに得られた結果から、下位真骨類におけるミトコンドリアゲノムの特徴の進化とカライワシ類における生活史の進化について総合的に考察した。

 以上本研究は、長年にわたって魚類系統学の大きな問題となってきたカライワシ類の単系統性と、下位真骨類におけるカライワシ類の系統的位置、およびその内部の系統関係について明快な結論を提示したものである。さらにカライワシ類内部において遺伝子配置の変動というこれまで魚類系統学でまったく用いられたことのない、有力な系統推定マーカーを発見した。これらは、重要な水産資源を多数含む下位真骨類の生物学的理解を大きく進め、これらの資源を保全・管理する際に寄与することが少なくないと判断された。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文としてふさわしいものと認めた。

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