学位論文要旨



No 116224
著者(漢字) 小檜山,篤志
著者(英字)
著者(カナ) コビヤマ,アツシ
標題(和) コイ速筋ミオシン重鎖アイソフオーム遺伝子の転写調節機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 116224
報告番号 甲16224
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2254号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 伏谷,伸宏
 東京大学 教授 阿部,宏喜
 東京大学 助教授 渡邊,俊樹
 東京大学 助教授 小林,牧人
内容要旨 要旨を表示する

 コイやキンギョなどの広温域性淡水魚は、季節的な環境水温の変動に応じて体温も大幅に変化する。生体内の化学反応の多くは温度の影響を受けることから、これら魚類の代謝や運動能力も環境水温に依存して大きく変化することが予想される。しかしながら、コイでは温度馴化に伴い、ミオシン・アイソフォームの組成を変えATPase活性を変化させることが明らかにされており、この事実が幅広い温度域での高い遊泳能力を可能にしていると考えられている。ところで、筋肉の主要タンパク質であるミオシンは、約200kDaの重鎖2本と約20kDaの軽鎖4本によって1分子が構成される。その後のコイを対象とした研究で、ATPおよびアクチン結合部位を有するミオシン重鎖につき、10℃および30℃馴化コイ速筋で転写量が増大するそれぞれ10℃および30℃型ミオシン重鎖cDNAが単離され、ミオシン・アイソフォームの変換は転写レベルで調節されていることが示された。しかしながら、その遺伝子発現調節機構は未だ不明である。

 このような背景の下、本研究ではまず、コイ速筋から筋特異的転写因子MyoDファミリーおよびmyocyte-specific enhancer factor2(MEF2)ファミリーのcDNAを単離した。次に、これら転写因子につき種々の発生段階のコイ、および成魚の温度馴化過程における遺伝子発現パターンを調べ、ミオシン重鎖のものと比較した。また、高温誘導型ミオシン重鎖遺伝子MyHC30を単離し、その構造遺伝子領域および5'非転写領域の塩基配列を決定した。さらに本遺伝子につき、既報の低温誘導型ミオシン重鎖遺伝子MyHCl0とともにプロモーター活性の測定を行い、それぞれの転写調節領域を同定した。本研究は以上の成果をとりまとめたもので、概要は以下の通りである。

1. コイ筋特異的転写因子のcDNAクローニング

 まず受精後30時間のコイ卵および孵化直後のコイ仔魚より調製した全RNAからfirst strand cDNAを合成した。次に既報の生物種の塩基配列を参考に作製したプライマーを用いてRT-PCRを行い、MyoDファミリー転写因子myf-5, MyoDおよびmyogeninのcDNA断片を増幅した。さらに、RACE法を用いて全長をコードする塩基配列を決定した。アミノ酸配列を演繹したところ、上記の順にそれぞれ240、275および253アミノ酸をコードしていることが示された。3つの転写因子とも、DNAとの結合および二量体の形成に重要であるbasic helix-loop-helix領域のアミノ酸配列は、他生物種のものと同様によく保存されていた。

 次に、コイ速筋cDNAライブラリーを鋳型に他生物種の塩基配列を参考に作製したプライマーでPCRを行い、コイMEF2CのcDNA断片を得た。さらに、本DNA断片をプローブに用い、cDNAライブラリーからMEF2ファミリー転写因子MEF2AおよびMEF2C cDNAを単離して塩基配列を決定した。塩基配列からアミノ酸配列を演繹したところ、それぞれ472および474アミノ酸をコードしていることが示された。両転写因子とも、DNAとの結合および二量体の形成に必須なMADSboxおよびMEF2 domainのアミノ酸配列は、既報の生物種のものと同様によく保存されていた。

2. コイ発生段階および成魚の温度馴化に伴う筋特異的転写因子および速筋ミオシン重鎖の遺伝子発現パターン

 種々の発生段階のコイを用いて、MyoDファミリーおよびMEF2ファミリーにつきノーザンブロット解析を行い、ミオシン重鎖およびα-アクチン転写産物の発現パターンと比較した。その結果、まず転写因子をコードするmRNAが発現した。すなわち、myf-5,MyoDおよびMEF2C mRNAは受精後30時間、myogeninおよびMEF2A mRNAは受精後42時間の卵で検出された。一方、骨格筋ミオシン重鎖を共通認識するプローブおよびα-アクチン特異的プローブでは、転写因子よりやや遅れて、受精後61時間の卵でシグナルが得られた。なお、転写因子についてはmyf-5を除き孵化後でもmRNAが観察されたことから、この段階でもミオシン重鎖遺伝子の転写調節を行っていることが示唆された。

 次に、20℃に馴化させたコイ成魚につき、飼育水温を20℃から30℃に1日で変化させ、その後水温を30℃に保ち、ミオシン重鎖アイソフォームmRNAの変化を調べた。その結果、水温の上昇後3日目で30℃型ミオシン重鎖のmRNA蓄積量は大きく増大し、逆に10℃型は著しく減少した。MyoDおよびmyogeninのmRNA蓄積量は水温の上昇後1日目に増大した後、MyoDでは速やかに20℃時のレベルに戻り、myogeninでは7日目に大きく減少した。一方、MEF2AおよびMEF2CのmRNA蓄積量は30℃飼育中、低下することが示された。

 飼育水温を20℃から10℃に変化させた場合、30℃型ミオシン重鎖のmRNA蓄積量は減少するものの、10℃型はほとんど変化しなかった。MyoDのmRNA蓄積量は緩やかに減少し、MEF2CのmRNA蓄積量は10℃飼育中、緩やかに増大した。以上のように、MyoDファミリーおよびMEF2ファミリー転写因子の遺伝子発現は飼育水温の変化に伴って複雑な変動を示したが、ミオシン重鎖アイソフォーム遺伝子の発現調節に関与する可能性も示された。一方、温度馴化過程におけるミオシン重鎖アイソフォームmRNAの発現局在をin situハイブリダイゼーションで調べたところ、速筋細胞全体に一様に分布することが明らかになった。

3. コイ速筋ミオシン重鎖遺伝子のクローニング

 コイのゲノムライブラリーから高温誘導型ミオシン重鎖遺伝子MyHc30を単離した。MyHC30の構造遺伝子領域の塩基配列を決定し、既報の10℃および30℃型ミオシン重鎖cDNAのものと比較したところ、30℃型によく類似することが示された。また、MyHC30の転写開始点より5'上流域の塩基配列を決定した結果、約3kb内にはMyoDファミリーが結合するE-box,MEF2ファミリーの結合配列、カルシニューリン依存的に筋特異的遺伝子の発現を誘導するnuclear factor of activated T-cell(NFAT)結合配列、CCAAT/enhancer-binding proteinが結合するCCAAT box、および基本転写因子群が結合するTATA boxが存在した。次に、MyHC30の5'上流約lkbを、既報のコイ低温誘導型ミオシン重鎖遺伝子MyHC10および高温誘導型と報告されたコイ・ミオシン重鎖遺伝子FG2のものと比較した。その結果、TATA box, CCAAT boxおよび約-500bに位置するE-boxとその周辺の塩基配列が良く保存されており、これら配列がミオシン重鎖の筋特異的な遺伝子発現に重要であることが示唆された。また、MyHC30の約-1kbには既報のFG2と同様にMEF2結合配列が存在した。

4. コイ速筋ミオシン重鎖遺伝子の5'上流調節領域の機能解析

 既報のMyHC10の5'上流域の機能解析を行うため、同領域を5'側から欠失させた様々な長さのDNA断片をpGL3-Basic vectorのルシフェラーゼ遺伝子の上流に組み込み、レポーターアッセイ用のプラスミドを構築した。10℃馴化コイ成魚の背側速筋に本プラスミドを注入して15日後にルシフェラーゼ活性を測定したところ、転写活性には本遺伝子の5'上流824-921bが重要であることが示された。この配列中には、NFATとともに筋特異的遺伝子の転写を活性化するGATA因子およびマウスIIB型ミオシン重鎖遺伝子の5'上流域にみられるOct-1の結合配列が存在し、これら転写因子がMyHC10の遺伝子発現を活性化することが示唆された。また、本遺伝子の5'上流約3kおよび1kbを組み込んだプラスミドを10℃および30℃馴化コイに注入してプロモーター活性を測定した結果、10℃馴化コイでの値は30℃馴化コイのものより有意に高かった。したがって、MyHC10の5'上流約lkb内には、温度依存的な発現調節に関わる配列が存在することが示唆された。

 一方、MyHC30の5'上流域につき機能解析を行ったところ、既報のFG2と同様に約-lkbに存在するMEF2結合配列が30℃馴化コイにおける転写活性に必要であることが示された。また、本遺伝子の5'上流3kおよびlkbを組み込んだプラスミドを10℃および30℃馴化コイに注入してプロモーター活性を調べたところ、両馴化コイ間で差はみられなかった。したがって、MyHC30の5'上流約3kb内に温度依存的な発現調節に関わる配列は存在しないことが示唆された。

 以上、本研究により、コイMyoDファミリーおよびMEF2ファミリーは種々の発生段階のみならず、孵化後のコイでも筋特異的遺伝子の転写を調節している可能性が示された。また、これら転写因子は成魚での飼育水温の変化に伴うミオシン重鎖アイソフォームの発現変動にも関与することが示唆された。さらに、低温誘導型ミオシン重鎖遺伝子MyHC10および高温誘導型のMyHC30につき、それぞれ10℃および30℃馴化コイにおける転写活性に必要な領域を同定した。以上のように本研究は馴化温度依存的に発現するコイ・ミオシン重鎖アイソフォーム遺伝子の発現調節機構の一端を明らかにしたもので、これらの成果は比較生理生化学上のみならず、魚類の高度利用上にも資するところが大きいものと考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 コイでは温度馴化に伴い、ミオシン・アイソフォームの組成を変えATPase活性を変化させることが明らかにされており、この事実が幅広い温度域での高い遊泳能力を可能にしていると考えられている。その後、10℃および30℃馴化コイ速筋で転写量が増大するそれぞれ10℃および30℃型コイ・ミオシン重鎖cDNAが単離され、ミオシン・アイソフォームの変換は転写レベルで調節されていることが示されたが、その遺伝子発現調節機構は不明である。そこで本研究ではまず、コイからMyoDファミリーおよびMEF2ファミリーのcDNAを単離した。次に、種々の発生段階のコイおよび成魚の温度馴化過程における遺伝子発現パターンを調べ、ミオシン重鎖のものと比較した。さらに、高温誘導型ミオシン重鎖遺伝子MyHC30を単離して塩基配列を決定し、既報の低温誘導型のMyHC10とともに転写調節領域を同定した。

 まず、コイ卵および仔魚のfirst strand cDNAを鋳型に、PCR法を用いてmyf-5,MyoDおよびmyogeninをコードする塩基配列を決定した。アミノ酸配列を演繹したところ、basic helix-loop-helix領域のアミノ酸配列は、他生物種のものと同様によく保存されていた。さらにcDNAライブラリーからMEF2ファミリー転写因子MEF2AおよびMEF2C cDNAを単離した。アミノ酸配列を演繹したところ、MADS boxおよびMEF2 domainのアミノ酸配列は、既報の生物種のものと同様によく保存されていた。

 次に、種々の発生段階のコイを用いてノーザンブロット解析を行った結果、myf-5、MyoDおよびMEF2C mRNAは受精後30時間、myogeninおよびMEF2A mRNAは受精後42時間、骨格筋ミオシン重鎖およびα-アクチンでは、受精後61時間の卵でシグナルが得られた。さらに飼育水温を20℃から30℃に1日で変化させ、ミオシン重鎮アイソフォームmRNAの変化を調べた。その結果、水温の上昇後、30℃型ミオシン重鎖のmRNA蓄積量は増大し、10℃型は減少した。MyoDおよびmyogeninのmRNA蓄積量は増大した後、MyoDでは20℃時のレベルに戻り、myogeninでは減少した。一方、MEF2AおよびMEF2CのmRNA蓄積量は低下した。水温を20℃から10℃に変化させた場合、30℃型ミオシン重鎖mRNA蓄積量は減少したが、10℃型は変化しなかった。またMyoDのmRNA蓄積量は減少し、MEF2CのmRNA蓄積量は増大した。さらに温度馴化過程におけるミオシン重鎖アィソフォームmRNAの発現局在をin situハイブリダイゼーションで調べたところ、速筋細胞全体に一様に分布することが示された。

 次に、コイのゲノムライブラリーから高温誘導型ミオシン重鎖遺伝子MyHC30を単離した。MyHC30の構造遺伝子領域の塩基配列を決定したところ、30℃型ミオシン重鎖cDNAによく類似した。また、MyHC30の5'上流約1kbを、既報のコイ低温誘導型ミオシン重鎖遺伝子MyHC10および高温誘導型と報告されたFG2のものと比較した。その結果、TATA box, CCAAT boxおよび約-500bに位置するE-boxが保存されており、これらがミオシン重鎖の遺伝子発現に重要であることが示唆された。

 さらに、MyHC10の5'上流域につき機能解析を行ったところ、10℃馴化コイでの転写活性には本遺伝子の5'上流824-921bが重要であることが示された。また、本遺伝子の5'上流約3kおよび1kbを組み込んだプラスミドを10℃および30℃馴化コイに注入して活性を測定した結果・本遺伝子の5'上流約1kb内には、温度依存的な発現に関わる配列が存在することが示唆された。また、MyHC30の5'上流域につき機能解析を行ったところ、約-1kbに存在するMEF2結合配列が30℃馴化コイにおける転写活性に必要であることが示された。次に、本遺伝子の5'上流3kおよび1kbを組み込んだプラスミドを10℃および30℃馴化コイに注入して活性を調べたところ、両馴化コイ間で差はみられなかった。

 以上、本研究は馴化温度依存的に発現するコイ・ミオシン重鎖アイソフォーム遺伝子の発現調節機構の一端を明らかにしたもので、学術上、応用上に寄与するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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