学位論文要旨



No 116225
著者(漢字) 佐々,千由紀
著者(英字)
著者(カナ) サッサ,チユキ
標題(和) 西部北太平洋におけるハダカイワシ科魚類仔稚の生態学的研究
標題(洋)
報告番号 116225
報告番号 甲16225
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2255号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川口,弘一
 東京大学 教授 塚本勝巳
 東京大学 教授 渡邊,良朗
 東京大学 教授 青木,一郎
 東京大学 助教授 西田,周平
内容要旨 要旨を表示する

 ハダカイワシ科魚類は35属約250種からなり、全世界の外洋の中層に適応分化している。また、これらは外洋全域で数億トンレベルの莫大な生物量をもつと見積もられている。ハダカイワシ科魚類は200m以浅の表層で仔魚期を過ごし、稚魚期以降に中・深層へ移動し、日周鉛直移動を行うようになる。ハダカイワシ科の仔魚は外洋の魚類プランクトン中で常に卓越するため水産上有用な魚類の仔魚との餌を巡る競合関係が指摘され、その生態研究の必要性がさけばれてきたが、世界的にもこれらの知見は極めて乏しい。本研究は西部北太平洋におけるハダカイワシ科魚類仔稚の分布生態、摂餌生態およびそれに関連する初期生活史と成魚の繁殖生態に関する知見を得ることを目的とした。

1.西部北太平洋移行域におけるハダカイワシ科魚類の群集構造

 仔魚の群集構造の理解に必要な稚魚および成魚の群集構造を移行域およびそれに隣接する親潮・黒潮海域において海洋構造との対応で明らかにした。採集はハダカイワシ類が浮上してくる夜間の0〜20m層で大型中層トロールにより行った。採集を行った50の採集点から6科16属23種の中層性魚類が出現し、その内ハダカイワシ科は最も多様性に富み11属17種が出現した。Morishita-Hornの類似度指数を基に50試料をクラスター解析した結果、調査海域には亜寒帯群集、北部移行域群集、南部移行域群集、亜熱帯群集、陸棚縁辺群集および海山群集という6つの群集が存在することが明らかとなった。これら6つの群集は種組成だけでなく体長組成と総生物量の違いによっても特徴づけられ、またその分布は黒潮前線、親潮前線および亜寒帯境界という海洋物理学的構造によく対応していた。陸棚縁辺群集および海山群集の出現は海底地形に関連し、前者は本州東方沖の陸棚縁辺域に、後者はシャツキー海膨および天皇海山列の周辺域に分布した。20m以浅に浮上する中層性魚類の夜間の生物量は亜寒帯群集、北部移行域群集、南部移行域群集、亜熱帯群集、陸棚縁辺群集および海山群集でそれぞれ1.63、1.14、0.12、0.01、0,64および14.47g(湿重量)m-2と推定された。

2.黒潮海域およびその隣接海域におけるハダカイワシ科魚類仔魚の群集構造

 1)夏季の仔魚の群集構造と黒潮の海洋物理学的構造との対応

 房総沖の黒潮海域を水温・塩分の鉛直断面構造により黒潮内側域、黒潮域および黒潮沖合域に区分した。12属18種のハダカイワシ科魚類が出現し、仔魚総数の70%を占めて最優占した。これらは黒潮域に多い種、黒潮沖合域に多い種、両域に広く分布する種に類別できた。黒潮の内測域に仔魚の分布中心をもつ種は見られず、本科魚類が典型的な外洋種であることを裏付けた。各種の鉛直分布パターンは系統的類縁関係と極めてよい対応を示し、30m以浅に分布極大をもつトンガリハダカ亜科と50m以深を中心に分布するススキハダカ亜科に大別できた。ススキハダカ亜科の仔魚は互いに体型や口などの形態が多様性に富み、餌の少ない深層で多様な摂餌習性を発達させているものと考えられた。

 2)冬季の黒潮内・外側域における仔魚の水平分布構造と輸送

 冬季の九州薩南沖の黒潮流域における中・深層性魚類仔魚の出現様式から各種の産卵場を推定し、これを稚魚・成魚の分布域に関する知見と比較し、中・深層性魚類の産卵回遊および初期生活史戦略について考察した。合計8,690個体の仔魚が採集され、その85.8%が中・深層性魚類、45.7%がハダカイワシ科仔魚であった。中・深層性魚類仔魚の分布密度は黒潮外側域で平均660.6個体/10m2であったが、内側域では平均194.5個体/10m2であった。種組成ではヨコエソ(16.9%)、クロシオハダカ(13.8%)およびアラハダカ(9.3%)等の黒潮系種の仔魚に加え、これまで親潮系種あるいは移行域種とされてきたソコイワシ(16.4%)とオオクチハダカ(15.2%)の仔魚が卓越した。これら5種の仔魚は冬季の親潮域、移行域および中央水域に極めて少ないこと、5種の稚魚・幼魚が春季の移行域で大量に出現することから、孵化仔魚は産卵場の薩南海域から仔・稚魚の生育場として好適な移行域へ黒潮によって輸送されていると結論した。また、ソコイワシとオオクチハダカが冬季に親潮・移行域から1000kmに及ぶ南下産卵回遊を行っている可能性の高いことを示唆した。

 3)初夏の黒潮およびその上流域における仔魚の群集構造と海洋物理学的構造の対応

 1994年5月から6月に東経134度線上の北緯33度から15度の間に設けた西部北太平洋亜熱帯循環海域を縦断し、北赤道海流域にいたる19測点において仔魚の昼夜別鉛直区分採集を行った。19採集点における14属40種のハダカイワシ科仔魚の10m2当たりの個体密度について群集解析を行い、海洋物理構造と極めてよい対応を示す3つの群集、黒潮流軸域群集、黒潮反流域群集および北赤道海流域群集を識別した。何れの種も200m以浅において水柱当たりの個体数の95%以上が出現した。また、各種は明瞭な日周鉛直移動を行わずそれぞれに固有な分布深度をもち、空間的にすみわけ又は共存していることを示した。黒潮反流域と北赤道海流域に共通して出現する種について仔魚の鉛直分布を比較した結果、何れの種も北赤道海流域において分布が深くなることを明らかにした。従来、鉛直分布の知見がなかった変態期仔魚14属25種の昼夜別の鉛直分布を明らかにした。ハダカイワシ属以外の全ての属の変態期仔魚は何れも昼夜を問わず水深600〜900m層に分布中心をもち、日周鉛直移動を行っていなかった。これに対し、ハダカイワシ属仔魚は変態期から既に夜間は200m以浅に浮上し、昼間はそれ以深に下降する日周鉛直移動を行っていた。

3.移行域におけるハダカイワシ科魚類仔魚の群集構造

 1)仔魚群集構造と海洋構造の対応

 1998年5月から6月に東経144度、150度、157度30分および173度測線上に設けた46測点において採集した試料を解析し、春から初夏の移行域におけるハダカイワシ科魚類仔魚の水平分布を海洋構造と対応させて明らかにした。調査海域には親潮前線、亜寒帯境界および黒潮前線が認められ、東経144度上には暖水塊が存在した。本調査により、ハダカイワシ科14属18種が同定され、この内の上位8種で科全体の97.9%を占めた。セッキハダカ、ホクヨウハダカおよびマメハダカの仔魚は34.0PSUの等塩分線で指標される亜寒帯境界以北の表面水温11〜16℃の北部移行域を中心に出現した。ナガハダカ、トドハダカおよびミカドハダカの仔魚は亜寒帯境界以南の表面水温14〜18℃の南部移行域に分布した。アラハダカとヒロハダカの仔魚は表面水温17〜22℃の黒潮前線以南に数多く出現した。何れの種も親潮域と暖水塊中央部には殆ど出現しなかった。セッキハダカ、ホクヨウハダカ、マメハダカ、ナガハダカおよびトドハダカの仔魚の分布域は成魚の主分布域よりも南に偏っており、これらが北部移行域や南部移行域への南下産卵回遊を行っていることが示唆される。

 2)仔魚の分布構造と季節変動

 黒潮と親潮がぶつかり合い極めて複雑な海洋構造を持つ東経150度以西の移行域においてハダカイワシ科およびその他の中・深層性魚類仔魚の分布構造と季節変動を明らかにした。優占種の出現様式を(1)周年を通して親潮水中に出現するトガリイチモンジイワシ、(2)夏季の移行域に出現極大をもつトドハダカ、ホクヨウハダカ、オオメハダカおよびキュウリエソ、(3)春季の移行域においてのみ出現するナガハダカ、(4)黒潮の輸送により移行域南部に出現するソコイワシとヒロハダカの4つに類別した。

4.移行域におけるハダカイワシ科魚類仔魚の摂餌生態

 移行域を初期生育の場としているアラハダカ、ヒロハダカ、トドハダカ、ナガハダカ、オオメハダカおよびホクヨウハダカの6種の仔魚について、その摂餌率の日周変化、餌生物組成、餌サイズ、仔魚1尾当たりの摂餌個体数を明らかにした。摂餌率の日周変化によりハダカイワシ科魚類は仔魚期には何れの種も昼間の表層において摂餌活動を行うことが明らかになった。南部移行域に生息するトドハダカとナガハダカの仔魚は何れもカイアシ類を主に摂餌し、8mm以下の仔魚初期には共にノウプリウスを摂餌したが、成長にともないトドハダカはOithona属を高度に利用するのに対して、ナガハダカはカラヌス目カイアシ類、特にPseudo/aracalanus属を主要な餌生物とした。北部移行域に分布中心をもつホクヨウハダカとオオメハダカの仔魚は何れも仔魚初期にはノウプリウスおよびOithona属を摂餌し、成長とともにオオメハダカはOithona属、カラヌス目カイアシ類コペポダイトおよび介形類を摂餌するようになるのに対し、ホクヨウハダカはカイアシ類卵を専食した。黒潮により仔魚が移行域に輸送されるアラハダカとヒロハダカの食性は他の4種とは大きく異なり、アラハダカはその大型の口で摂餌開始期から体幅長の大きい介形類を少数摂餌し、ヒロハダカは尾虫類に脱ぎ捨てられて海水中に懸濁物として浮遊あるいは沈降している尾虫類包巣を専食することを明らかにした。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は西部北太平洋におけるハダカイワシ科魚類仔稚の水平・鉛直分布、摂餌およびそれに関連する初期生活史と成魚の繁殖生態に関する知見を得ることを目的として行われたものである。

 ハダカイワシ科魚類は35属約250種からなり、全世界の外洋の中層に適応分化し繁栄している。また、これらは外洋全域で数億トンレベルの莫大な生物量をもち、外洋生態系主構成要素のひとつであり、その生態研究の必要性がさけばれてきたが、世界的にもこれらの知見は極めて乏しい。

 本論文は、まず第1章でこれまでの研究結果の総括を行った後、第2章で仔魚群集研究の基礎となる稚魚と成魚の群集構造解析を親潮・黒潮海域を含む移行域を中心に行い、第3章で黒潮とその隣接海域、第4章で移行域、さらに第5章では相模湾の仔魚群集構造をそれぞれ海洋物理学的環境要因と対応させて明らかにしている。第6章では、もっとも多様で豊富な仔魚が出現した移行域で優占した6種の摂餌生態を明らかにしている。第7章では、2種の仔魚の同定法を確立した。結果は要約すると以下の通りである。

1.西部北太平洋におけるハダカイワシ科魚類稚魚・成魚の群集構造(第2章)

 仔魚の群集構造の理解に必要な稚魚および成魚の群集をクラスター解析により、移行域およびそれに隣接する親潮・黒潮海域において海洋物理学的構造との対応で明らかにした。調査海域には亜寒帯群集、北部移行域群集、南部移行域群集、亜熱帯群集、陸棚縁辺群集および海山群集という6つの群集が存在することを明らかにした。これら6つの群集は種組成だけでなく体長組成と総生物量の違いによっても区別され、またその分布境界は黒潮前線、親潮前線および亜寒帯境界という海洋物理学的境界に対応していた。

2.黒潮海域およびその隣接海域におけるハダカイワシ科魚類仔魚の群集構造(第3,5章)

 夏季の仔魚の群集構造と黒潮の海洋物理学的構造を対応させて解析し、12属18種のハダカイワシ科魚類仔魚の水平・鉛直分布様式を明らかにした。黒潮の内側域に仔魚の分布中心をもつ種は見られず、本科魚類が典型的な外洋種であることを裏付けた。

 冬季の九州薩南沖の黒潮流域における中層性魚類仔魚の出現様式から各種の産卵場を推定し、これを稚魚・成魚の分布域に関する知見と比較し、各種の産卵回遊様式について考察した。とくにソコイワシとオオクチハダカが冬季に親潮・移行域から1000kmに及ぶ南下産卵回遊を行っていることを示したことは、世界的にも例がなく注目される。さらに研究海域を初夏の黒潮およびその上流域である北赤道海流域にまで広げ、海洋物理構造と極めてよい対応を示す3つの群集、黒潮流軸域群集、黒潮反流域群集および北赤道海流域群集を識別した。各種は明瞭な日周鉛直移動を行わず200m以浅層に分布し、種に固有な分布深度をもち、空間的にすみわけ又は共存していることを示している。さらにハダカイワシ科魚類(ハダカイワシ属を除く)の仔魚から稚魚への変態が600〜900mの深海へ降下して行われることを明らかにした。

3.移行域におけるハダカイワシ科魚類仔魚の群集構造(第4章)

 春から初夏の移行域における14属8種のハダカイワシ科魚類仔魚の水平分布が、成魚で見られた如く海洋物理的構造つまり親潮前線、亜寒帯境界および黒潮前線を境界にして種固有のパターンを示すことを明らかにし、さらにその季節変化を明らかにした。

4.移行域におけるハダカイワシ科魚類仔魚の摂餌生態(第6章)

 移行域を初期生育の場としているアラハダカ、ヒロハダカ、トドハダカ、ナガハダカ、オオメハダカおよびホクヨウハダカの6種の仔魚について、その摂餌率の日周変化、餌生物組成、餌サイズ、仔魚1尾当たりの摂餌個体数を分析し、何れの種も昼間の表層において摂餌活動を行うこと、種により固有の餌生物を利用していることを分布水深と関連付けて明らかにした。

5.クロシオハダカとヒロハダカ仔魚の初期形態発達の記載(第7章)

 上記2種の仔魚の初期形態を新記載し、同定法を確立した。

 本研究は、外洋生態系の主要素のひとつと考えられているハダカイワシ科魚類の仔稚魚期の時空間分布、摂餌生態に関する研究を西部北太平洋をフィールドにして行ったものである。ハダカイワシ科魚類は、海洋表層の主要動物プランクトンの消費者であり水産上重要な魚類との餌を巡る競合者として、またカツオ・マグロ類、サケ・マス類等大型魚類、イカ類、イルカ、アザラシ等の海産哺乳類の餌生物としての重要性が注目されている。ハダカイワシ科魚類仔魚の初期生態を扱った本論文は、水産学ならびに海洋生態学の発展に大きく貢献したと評価し、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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