学位論文要旨



No 116226
著者(漢字) 菅原,顕人
著者(英字)
著者(カナ) スガワラ,アキヒト
標題(和) 褐藻アラメ・カジメの生育と物理環境に関する生態学的研究
標題(洋)
報告番号 116226
報告番号 甲16226
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2256号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 小松,輝久
 東京大学 教授 大和田,紘一
 東京大学 教授 杉本,隆成
 東京大学 教授 古谷,研
 東京水産大学 助教授 佐藤,博雄
内容要旨 要旨を表示する

 日本の太平洋沿岸には大型多年生褐藻のアラメおよびカジメが広く分布している。藻場あるいは海中林と呼ばれるこれらの群落は、沿岸域の最大の一次生産者であり、直接的にはウニ、アワビ、サザエなどの植食動物の餌料として、間接的には魚類の産卵場や幼稚仔の保護育成場として、生態学的にも水産資源学的にも重要な役割を果たしている。また、これらの海藻が同所的に生育している海域では、潮間帯下部から潮下帯上部にはアラメが、潮下帯下部にはカジメが等深線に平行した鉛直帯状の群落を形成する。近年、沿岸域の開発に伴う埋め立てや「磯焼け」により藻場は著しく減少してきており、日本各地で藻場造成が進められているが、海藻の生育と環境との関係に関する生態学的知見が乏しいため、これらの事業は必ずしも成功しているとは言えない。

 海藻の生育を制限する要因としては、光、水温、基質、波浪などの物理的要因、栄養塩などの化学的要因、食害などの生物的要因が挙げられる。とりわけ、物理的要因は海藻の分布や生長、生残に大きな影響を及ぼす環境要因であると考えられる。アラメおよびカジメに関して、これまでに多くの生態学的な知見が得られているが、藻場を取り巻く物理環境に着目し、これらの種の生育との関係を明らかにした研究例はほとんどない。

 本研究では、藻場あるいは海中林を構成するアラメおよびカジメに関して、これらの種の生育に及ぼす光および流動環境の影響を明らかにすることを目的とした。そこで、現場において、1)これらの種の分布水深と群落構造について調査し、室内および現場において、2)藻体の光合成速度を測定しこれらの種の生育に及ぼす光環境の影響と、3)各生長段階ごとに藻体の基部の固着力および作用流体力を測定しこれらの種の個体を基質から引き剥がす流動環境の影響について明らかにし、アラメとカジメとが形成する鉛直帯状分布(verticalzonation)の形成要因について考察した。

1.アラメ・カジメの鉛直帯状分布と群落構造

 神奈川県三浦半島の東京大学理学部附属臨海実験所地先の海域で調査をおこなった。当該海域では、平均水深1.0mから3.0m深にアラメが、1.5mから4.5m深にカジメがそれぞれ群落を形成しており、これらの2種の間では等深線に沿った鉛直帯状分布が認められた。1999年6月にアラメと2つの異なる深度に生育するカジメ(3齢以上の成体)の茎部の長さをそれぞれランダムに測定したところ、1.5m深のアラメでは39.4±5.2 cm、約2.7 m深のカジメでは52.6±8.6 cm (以降浅所カジメとよぶ)、約4.5m深のカジメでは72.5±10.3 cm(以降深所カジメとよぶ)と深いほど長い茎部を有していた。

 現場調査では、1.5m深のアラメ、2.7m深および4.5m深のカジメの群落において方形枠(0.25m2)を5区画設置し、1999年6月から2000年10月まで潜水調査により、月ごとの個体の加入、生残、生長を調べた。群落個体の年級群組成は、調査開始時には各群落とも50%以上の個体数を示したのは2齢未満の幼体であったが、16ヶ月後には2齢以上の成体に推移した。1区画あたりの月平均新規加入個体数は、アラメ群落では1年を通じて1個体/0.25m2以上になることはなかったが、浅所カジメ群落では1月、深所カジメ群落では2月に最も多く見られ、それぞれ3.4個体/0.25m2、4.2個体/0.25m2であった。各区画中の個体の生残率は、どの年級群においてもアラメ群落で最も高く、次いで浅所カジメ群落、深所カジメ群落の順であった。2齢以上の成体の茎部の生長速度は、アラメでは1年を通じて大きく変化しなかった。一方、カジメでは夏季よりも冬季で高く、浅所カジメでは3.7倍、深所カジメでは5.0倍の月平均生長速度であった。

 以上のように、各群落の個体の加入、生残、生長は深度に依存しており、このような変化には光や流動環境の違いが影響を及ぼしているものと推察された。

2.光環境とアラメ・カジメの生育

 群落上部の樹冠部に到達する光合成有効放射(PAR)の日積算光量は、各生育深度ともに夏季から秋季にかけて少なくなり、冬季から再び多くなる季節変化を示した。海面下の鉛直下向き放射の減衰率は、冬季で低く夏季で高かった。透明度の高い冬季であっても光量は、海面直下を100%とすると、アラメ群落上部で約83%、下部で約17%、浅所カジメ群落上部で約72%、下部で約11%、深所カジメ群落上部で約57%、下部で約7%にまで減少した。

 このような異なる光環境下に生育するアラメおよびカジメの光合成速度を、室内および現場で測定した。プロダクトメーターを用いた酸素発生量測定法および放射性同位元素14Cを用いた炭素の取り込み速度測定法による室内実験から、アラメよりも深い深度で生育するカジメでは、光一光合成速度曲線の初期勾配(弱光に対する反応速度)はアラメよりも大きく、日補償積算光量(個体が純生産をおこなうために必要な1日あたりの最低光量)はアラメよりも少なかった。また、1齢未満の幼体と2齢以上の成体との光合成速度を比較したところ、室内実験ではアラメ、浅所および深所カジメともに顕著な差はなかった。しかし、Diving-PAM(pulse amplitude modulated fluorometry)を用いた蛍光測定法による現場での直接計測では、光量の少ない群落下部に生育している幼体は暗順応しているため、群落上部に樹冠を形成している成体よりも最大光合成速度は低くなった。

 アラメおよびカジメの等深線に沿った鉛直帯状分布に及ぼす光環境の影響について検討するために、各群落より採取した1齢未満の幼体を、光量が到達しやすいように樹冠を形成する大型個体を取り除いた各群落の裸地へ15個体移植し、それぞれの深度下での個体の生残および光合成特性の変化を調べた。幼体の生残に影響があらわれたのは、4.5m深に移植したアラメ幼体だけで、移植後すぐに葉の上部の細胞が枯死し、10日目には葉全体が枯れて脱落し、すべての幼体が死亡した。光合成特性については、2.7m深に移植したアラメ幼体の最大光合成速度は移植後10日目に低下したが、20日目に実験開始時とほぼ同じになった。1.5m深に移植した浅所カジメでは最大光合成速度が高くなり、4.5m深に移植した浅所カジメでは初期勾配が大きくなった。1.5m深および2.7m深に移植した深所カジメでは最大光合成速度が高くなり、1.5m深では初期勾配が小さくなった。

 アラメの分布深度の上限は春の大潮時に干出し、最大干出時間は約2時間であった。そこで、干出による藻体への影響を調べるために、同一深度に生育するアラメおよびカジメを春の大潮時とほぼ同じ時間帯に干出させた。PARが800μmol/m2/sから1000μmol/m2/sの光条件で干出させ、Diving-PAMにより光合成速度を測定し、葉部の生死を判断した。死亡部位は葉の外縁部から中心に向けて進向した。また、光合成速度は低下しているがかろうじて生存している部位を30分以上海水に戻して測定した生存部位の光合成速度は、アラメおよびカジメともに採取直後とほぼ同じ値を示した。干出実験前の供試個体の葉面積を100%とした干出2時間後に生存している葉部の割合は、アラメでは約23%であったのに対し、カジメでは中央葉以外はほとんど死亡し、約7%と低くなった。

 以上のことから、3.0 m深以深では光量が少なくなるために強光適応型のアラメは生育できず、弱光にも強光にも順応できるカジメのみが分布し、春季の大潮時に葉部が干出するような1.0 mから1.5 m深では、干出に耐性を持つアラメのみが分布するものと考えられる。

3.流動環境とアラメ・カジメの生残

 アラメおよびカジメ群落において、流動環境を指標する時間平均流を石膏球の溶解量から求めた。その結果、時間平均流は水深が浅くなると大きくなり、最も浅いアラメ群落の時間平均流は浅所および深所カジメ群落の2倍以上であった。藻体を卓越する波向方向に引き剥がして求めた基部の固着力は、成体になるまでは指数関数的に増加し、その後ばらつきをもつが一定の幅に収束した。1齢未満、1から2齢未満の幼体および2齢以上の成体のいずれの生長段階でも、アラメ、浅所カジメ、深所カジメの間で固着力に有意差は見られなかった。藻体の基部の剥離状況を調べると、どの場合もほぼ仮根部が基質表面ごと引き剥がされていた。このことから、藻体の基部の固着力は基部が接している基質の強度あるいは基質表面の状態

(石灰藻に覆われているかなど)に大きく依存していることが示された。

 藻体に作用する流体力を、模型ではなく実際の藻体を用い、水槽内に一方向流および振動流を発生させて計測した。アラメおよびカジメともに、1齢未満の幼体に作用する流体力は、茎部が未発達であるため葉面積に依存する抗力のみが卓越した。一方、1から2齢未満の幼体、2齢以上の成体ともに、葉部はその面積に依存した抗力のみが卓越するが、幼体とは異なり茎部は円柱形状とほぼ同様の流体力特性を有していることが明らかとなった。このことは、形態が変化する1から2齢未満の生長段階を境に、茎部が顕著に発達してくる(アラメでは茎部が2叉に分岐し枝部を形成する)ためと考えられる。このような藻体の流体力特性を考慮して、生長段階ごとに藻体に作用する流体力のモデル化をし、当該海域に来襲する1年確率最大波の沖波条件をもとに藻体に作用する最大流体力を算出した。この結果を現場で測定された藻体の基部の固着力と比較したところ、いずれの生長段階においても基部の固着力は予想される年最大作用流体力をほぼ上回っていた。成体に作用する流体力が固着力の最大値と同じになる茎部の長さをモデルを用いて求めたところ、アラメでは65 cm、浅所カジメでは75cm、深所カジメでは95cmとなった。この場合、年最大作用流体力が基部の固着力の最大実測値を上回ることが推算された。

 したがって、アラメおよびカジメの生残には、いずれの生長段階でも基部が接している基質あるいは基質表面の状態に大きく左右され、波浪にともなう流体力が固着力を上回ると脱落する。その結果、深度が浅くなるほど藻体に作用する流体力が増加するため、大型の個体は少なくなる。このようにして、アラメおよびカジメ群落では、等深線に沿った小型と大型の個体の鉛直帯状分布が形成されるものと考えられる。

 以上これまでの結果を要約すると、光環境からは、強光適応型であるアラメは光量の少ない3.0 m深以深では生育できないのに対して、弱光にも強光にも順応できるカジメは4.5m深まで生育可能である。カジメの千出に対する耐性は弱いのに対してアラメは強く、大潮で千出する1.0 mから1.5m深の水深帯にも生育が可能である。このようにして、両種間の鉛直帯状分布が形成されると推察される。樹冠が形成された群落内への新規加入後の幼体は、光量が十分でなく生残率が低くなる。一方、流動環境からは、水深が浅くなるとまた藻体の葉面積と茎長が増大すると波浪による作用流体力は増加し、藻体の固着力を上回る作用流体力を受ける大型個体は引き剥がされるため、水深が浅い場所に分布する個体は小型になる。流体力はこのような間引き効果を果たすことで、水深にともなうサイズ分布に大きな影響を及ぼしているものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 日本の太平洋から日本海の沿岸の岩礁域には大型多年生褐藻のアラメ・カジメが広く分布している。藻場とよばれるこれらの群落はウニ、アワビ、サザエなどの餌料として、魚類の産卵場や幼稚仔の保護育成場として、水産資源学上重要な役割を果たしている。近年、沿岸域の開発に伴う埋め立てなどにより藻場が著しく減少したため、藻場造成が進められているが、生態学的知見が乏しいために必ずしも成功しているとは言えない。本研究は,アラメ・カジメの分布や生長、生残に及ぼす光および波浪などの流動環境の影響を明らかにすることを目的としたもので、5章からなる。

 第2章では、発達したアラメ・カジメ藻場を有する神奈川県三浦半島油壷地先を調査海域とし、それら個体群の生育と生残について検討した。平均水深1-3m深にアラメが、1.5-4.5m深にカジメが群落を形成しており、これらの2種の間では等深線に沿った帯状分布が認められた。平均水深1.5m深のアラメ、2.7m深のカジメ(浅所カジメ)、4.5m深のカジメ(深所カジメ)の個体群を対象として研究を進めた。3深度の個体群の3齢以上の成体の茎部長の平均値はそれぞれ39.4cm、52.6cm、72.5cmと深度とともに大きくなった。3深度に永久方形枠(0.25m2)を各5区画設置し、枠内のすべての個体の識別を行い、加入、生残、生長を調べた結果、各個体群の加入、生残、生長の違いは深度に依存することが明らかとなり、光などの環境の違いが影響を及ぼしていることが推察された。

 第3章では、光環境とアラメ・カジメの生育の関係について調べた。光一光合成速度曲線の初期勾配は、各個体群の分布深度に従って大きくなった。Pulse Amplitude Modulated Fluorometryを用いた現場での光一光合成速度の計測では、林床に生育している幼体は暗順応しているため、樹冠を形成している成体よりも最大光合成速度は低く、水深が深くなると低くなった。このような特性をもつアラメおよびカジメの1齢未満の幼体を各個体群より採取し、3深度の裸地へ移植し、個体の生残と光合成特性の変化を調べた。4.5m深に移植したアラメ幼体だけに生残の影響があらわれ、移植後10日目にすべて死亡した。それ以外の幼体では、移植した深度下の光環境への順応を示す初期勾配と最大光合成速度をもつ光一光合成速度曲線が得られた。アラメ分布域の最上部は春の大潮時に約2時間干出する。そこで、干出による藻体への影響を調べるために、同一深度に生育するアラメとカジメを干出させた。実験前の葉面積を100%とした2時間干出後の葉部の生存域は、アラメの約26%に対しカジメでは約6%と低くなり、アラメの干出に対する耐性はカジメよりも大きいことが示された。

 第4章では、流動環境がアラメ・カジメの生残に及ぼす影響を藻体に作用する流体力と基部の固着力との関係から検討した。藻体を卓越する波向方向に引き剥がして求めた基部の固着力は、いずれの生長段階でも、3深度の各個体群間の固着力の平均値には有意差はなかった。藻体の仮根部は基質表面ごと引き剥がされており、固着力は基質の強度や基質表面の状態に大きく依存していた。振動流を発生できる大型水槽を用いて藻体に作用する流体力を、実際の藻体を用いて計測し、得られた流体力学的特性から各生長段階ごとに作用流体力をモデル化した。このモデルを用いて当該海域の1年確率最大波の沖波条件をもとに藻体に作用する最大流体力を求めたところ、いずれの生長段階においても基部の固着力は年最大作用流体力をほぼ上回った。成体の最大の固着力と最大作用流体力が等しくなる茎部の長さをモデルを用いて求めたところ、アラメでは50cm、浅所カジメでは75cm、深所カジメでは95cmとなり、現場で観察された最大の茎部長を少し上回ることが示された。

 第5章では、本研究の結果をもとに総合的な考察を行っている。強光適応型であるアラメは光量の少ない3m以深では生育できないが、干出に耐性があり、大潮で干出する1-5m深まで生育できる。カジメは強光環境でも弱光環境でも生育でき、4.5m深まで分布するが、干出する水深帯に生育できない。このようにして、光環境により両種間の帯状分布が形成される。そして、水深が浅くなると、また、藻体の葉面積と茎部長が増大すると波浪による作用流体力は増加し、基部固着力を上回る作用流体力を受けると大型個体は引き剥がされる。その結果、3深度のアラメ・カジメ成体の茎部長の測定値に示されたように、水深が浅い場所の成体は小型で、深度が増すにつれて大型になる。このように流動環境は水深にともなうサイズ分布に影響を及ぼすと考えられた。

 以上、本論文は光および流動環境がアラメ・カジメの生育に及ぼす影響を実証的に解析したもので、学術上、応用上貢献することが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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