学位論文要旨



No 116227
著者(漢字) 高橋,素光
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,モトミツ
標題(和) カタクチイワシの仔稚魚期における成長・発達様式と資源加入機構
標題(洋)
報告番号 116227
報告番号 甲16227
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2257号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡邊,良朗
 東京大学 教授 川口,弘一
 東京大学 教授 杉本,隆成
 東京大学 教授 青木,一郎
 東京大学 助教授 河村,知彦
内容要旨 要旨を表示する

 カタクチイワシは主として沿岸域に生息する小型浮魚類であるが、資源量水準が高い年代には、仔稚魚の生活領域を三陸・常磐東方の沖合域(黒潮・親潮移行域)に拡大する。仔稚魚の生態に関する研究は、これまで主に日本沿岸のシラス漁場で行われてきたが、資源量水準の高い年代におけるカタクチイワシ仔稚魚の生態を総合的に把握するためには、黒潮・親潮移行域におけるカタクチイワシの分布や成長・発達様式を解明する必要がある。本研究では、資源増大期にあるカタクチイワシについて、1.黒潮・親潮移行域における仔稚魚の分布様式と分布海域の環境特性を明らかにした。2.移行域における仔稚魚の成長・発達様式を耳石日輪情報を用いて明らかにし、環境要因との対応関係を検討した。3.飼育実験の結果に基づいて、移行域で推察された仔稚魚の成長・発達様式と環境要因との対応関係を検討した。4.資源へ加入した成魚と仔稚魚の耳石日輪構造を比較し、どのような成長・発達過程を経た個体が資源へと加入するかを検討した。

1.黒潮・親潮移行域におけるカタクチイワシ仔稚魚の分布と環境要因

 1996年から1999年にかけて水産庁中央水産研究所が実施した但州丸トロール調査において、カタクチイワシ仔稚魚(標準体長<50mm)を採集した。黒潮・親潮移行域における1曳網当たりの仔稚魚採集尾数は、1996-1999年において、それぞれ331、16377、51347、32315尾であった。1997年と1998年の間に起こった仔稚魚の分布密度増加に伴い、分布範囲の東限は172°32'Eから179°43'Eまで拡大した。

範囲の東限は172°32'Eから179°43'Eまで拡大した。

 黒潮・親潮移行域におけるカタクチイワシ仔稚魚の分布域の表面水温は、12.5-19.3℃であった。移行域において仔稚魚の主な餌生物と考えられるカイアシ類の体幅組成には、0.6mm以下と、それ以上の2つの群が存在した。体幅が0.6mm以下の群の分布密度は797-2522 ind./m2で、0.6mm以上の群(184-837 ind./m2)よりも高かった。体長20 mmの仔魚が摂餌可能なカイアシ類の最大体幅は0.6mmであることから、黒潮・親潮移行域の餌環境は、体長20 mm以下の小型の仔魚にとって好適であると推察された。

2.黒潮・親潮移行域におけるカタクチイワシ仔稚魚の成長と発達

 カタクチイワシ仔魚は、発達が進むにつれて体高が増加し、筋節数に対する背・臀鰭位置が前進するシラス型変態を遂げる。カタクチイワシの変態は、標準体長35-40 mmで完了するとされる。鰭の形成や体高の増加に伴う筋肉の発達は、捕食者からの逃避成功率を上昇させる。本研究では変態完了と同調して起こると考えられる腹腔内壁および体表へのグアニン沈着に着目し、カタクチイワシの発達段階を便宜的に3段階に区分して、成長・発達と環境要因との関係を検討した。

 Gu 0:グアニン沈着が全く認められない

 Gu 1:グアニン沈着が腹腔内壁に認められるが、体表には認められない

 Gu 2:グアニン沈着が腹腔内壁と体表に認められる

2-1カタクチイワシ仔稚魚の成長様式と環境要因

 Gu 1全個体の孵化から採集時までの成長速度を、耳石日輪数から求めた日齢と実測体長から算出した結果、平均成長速度には、0.43-0.91 mm d-1の個体差が認められた。そこで、Gu 1個体の成長速度範囲を0.1mm d-1毎に区分して、各成長速度群の分布を調べた。0.7-0.9 mm d-1群が全体に占める割合は、沿岸域(140-155°E海区)において高いのに対し、0.4-0.5 mm d-1群は移行域の38°N以北の海域、及び沖合域(170-175°E海区)において割合が高いことが明らかになった。

 平均成長速度の地理的差異を引き起こす主要な環境要因として、水温と餌密度が考えられる。平均成長速度と1.で述べた表面水温および体幅0.6 mm以下のカイアシ類の分布密度との対応関係を、南(<37°N)と北(>37°N)の海域に区分して回帰分析によって検討した。平均成長速度は、北の海域において水温および餌密度に対して有意な相関を示さなかったが、南の海域では餌密度に対して有意な正の相関があった。すなわち、北の親潮系冷水域では、カタクチイワシ仔稚魚の成長速度と環境要因との間に明瞭な対応関係はなく、南の黒潮系暖水域では、成長速度は餌密度の影響により沿岸域から沖合域へ向かって低下することが示唆された。

2-2 カタクチイワシ仔稚魚の発達様式と環境要因

 各調査点で採集された仔稚魚から日齢51-60dの個体を選別し、グアニン沈着直前(Gu Oで最大体長、n=62)、グアニン沈着開始期(Gu 1、n=120)、グアニン沈着直後(Gu 2で最小体長、n=56)の3群に区分した。3群の間で平均日齢に有意な差はなかった。Gu 2群の平均体長は、Gu O群、Gu 1群と比べて有意に大きく、したがって平均成長速度も有意に高い値を示した。この結果は、成長が速かった個体は発達も速かったことを意味している。次に、グアニン沈着の開始と環境要因との対応関係を明らかにするために、Gu 1全個体について平均体長、日齢と水温、餌密度との関係を検討した。Gu 1では体長と日齢は共に水温と負の相関にあったが、餌密度との対応はみられなかった。すなわち、移行域に分布するカタクチイワシ仔稚魚では、水温の低い親潮系冷水域に比べると、水温が比較的高い黒潮系暖水域で、より低い日齢、小さい体長でグアニン沈着が始まることがわかった。

3.飼育条件下におけるカタクチイワシの成長と発達

 黒潮・親潮移行域において推察された成長・発達様式と環境要因との対応関係を裏付けるために、水温(13、17、21、25℃)と給餌量(0、30、300、3000 naup.ind.-1d-1)が異なる条件下で、野外採集したGu O個体(1999年:標準体長22.0±1.94 mm、2000年:28.7±3.43 mm)を20日間飼育した。1996-1999年に観測した移行域全域の平均表面水温は16.7℃であったことから、17℃区を移行域の代表水温と想定した。

 生残率は全ての水温区において給餌量が多いほど高かった。給餌量による生残率の差異は水温の上昇に伴い拡大した。17℃区における生残率は、給餌量に関わらず76-100%で最も高かったことから、移行域の平均的な水温環境はカタクチイワシ仔稚魚にとって好適であると考えられた。

 飼育期間中の平均成長速度は、実験終了時の実測体長と開始時における逆算体長との差を飼育日数で除して求めた。成長速度は、17℃以上の実験区において給餌量の増加に伴い0.29±0.04 mmd-1から0.83±0.10 mm d-1まで増加した。13℃区における成長速度は、給餌量に関わらず約0.2 mmd-1であった。13℃:3000 naup.ind.-1d-1給餌区の平均摂餌量は、約540 naup.ind.-1d-1と低かった。

 グアニン沈着に関して、13℃区では7.7%の個体がGu 1へ移行したのに対し、17℃以上の実験区では42.1%から100%の個体がGu 1へ移行した。Gu 1個体の最小体長(グアニン沈着開始体長)は、3000 naup.ind.-1d-1給餌区の13、17、21℃区においてそれぞれ37.2、33.6、31.2 mmであった。以上の結果から、カタクチイワシ仔稚魚は、13℃では摂餌量が低下して成長と発達が抑制されるのに対し、17℃以上における成長と発達は餌密度に依存していることがわかった。その結果、野外採集標本で得られた「親潮系冷水域では餌密度に関わらず成長・発達が抑制され、黒潮系暖水域では餌密度と正の相関をもった成長過程を経る」という推察は飼育実験によって裏付けられた。

4.黒潮・親潮移行域における成魚の資源加入機構

 成魚への加入量は、仔魚期から稚魚期にかけての累積的な成長、生残過程によって決まると考えられている。本研究では、「仔稚魚期の成長・発達の速い個体が選択的に生き残り成魚群を形成する」という仮説を立てた。20、40、60日齢時における耳石日輪半径の頻度分布を資源へ加入した成魚(〉80 mm)と仔稚魚(Gu 1)の間でそれぞれ比較し、分布範囲の重なる割合で加入の成否を評価した。

 耳石日輪半径の範囲は、20日齢時には成魚とGu 1とでほぼ一致していたが、40日齢時には成魚(125-550μm)がGu 1 (75-300μm)より大きい側へずれ、60日齢時には成魚(300-900μm)とGu 1 (200-375μm)の分布がほぼ完全に分離した。Gu 1個体のうち、40日齢時において成魚のモード(250-275μm)に相当する日輪半径をもつ個体の平均成長速度は、0.65 mmd-1以上と算出された。60日齢時において成魚の日輪半径範囲からずれていたGu 1個体の成長速度は、0.65 mmd-1以下であった。この結果は、Gu 1までの平均成長速度が0.65 mmd-1以上の個体が、それ以下の個体と比べて生き残る確率が高いことを意味する。

 耳石の日輪間隔は、体成長速度と比例するので、日輪間隔の変化から個体別の成長様式を推定できる。成魚まで生き残った個体の日輪間隔は、約30日齢以降に急速に増加し、50日齢時には全個体で10μmを超える。これに対してGu 1では、約30日齢時までは成魚の日輪間隔と類似するが、50日齢時においてはGu 1全個体の70.5%が10μm以下であった。この結果は、Gu 1個体のうち、30-50日齢の間に日輪間隔が10μm以上に達することができる環境条件に遭遇した個体のみが、生き残って成魚群へ加入することを示し、仔稚魚期の成長・発達が速い個体が選択的に生き残り成魚群を形成するという仮説は実証された。移行域における成魚への加入条件として、仔魚期後半において好適な水温と餌料環境に遭遇して、急速に成長・発達することが、各個体の加入確率を増加させるものと結論された。

 太平洋沿岸域における成魚の産卵域は、資源量水準の高い年代には黒潮流軸付近にまで拡大する。仔稚魚の成長・発達様式から、黒潮・親潮移行域では沿岸域の黒潮系暖水域で加入確率が高いと判断された。したがって、移行域へのカタクチイワシ資源の分布拡大は、黒潮域からの仔魚の移入と、移行域の沿岸域における資源への加入成功とが連続的に起こった結果として生じるものであると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 カタクチイワシEngraulis japonicusは日本の沿岸域を主な生息域とするが、資源量水準が高い年代には分布域を北日本東方沖合に拡大する。本研究は、資源量水準が高かった1990年代後半において、東北日本沖合の黒潮・親潮移行域におけるカタクチイワシ仔稚魚の生態を調査し、本種の資源量変動機構を解明することをねらいとして行われたもので、5章で構成されている。

 第1章の緒言では、日本周辺の沿岸域におけるカタクチイワシ仔稚魚に関する研究と、魚類の資源量変動に関する国際的な研究の動向についてまとめた。

 第2章では、黒潮・親潮移行域における仔稚魚の分布様式と分布域の環境を調べた。1996〜1999年に黒潮・親潮移行域において、網口20×20mの表層トロール網によって調査した結果、カタクチイワシ仔稚魚(標準体長<50mm)の分布密度が年を追って増加し、分布の東限が東経179°43'まで拡大したことを確認した。仔稚魚分布域の表面水温は12.5〜19.3℃の範囲にあり、主な餌生物である体幅0.6 mm以下のカイアシ類の分布密度は800〜2500ind/m2であったことから、黒潮・親潮移行域は体長20 mm以下の仔魚にとって好適な生息環境であると判断された。

 第3章では、移行域におけるカタクチイワシの成長・変態と環境要因との関係を検討した。孵化から変態完了までの平均成長速度には0.43-0.91 mm/dの個体差が認められ、沿岸側海域(140-155°E海区)では成長が速い個体(0.7mm/d<)が占める割合が高いのに対し、北緯38°以北および東経170°以東の沖合海域では、成長が遅い個体の割合が高いことがわかった。また、成長速度と表面水温および体幅0.6mm以下のカイアシ類の分布密度との対応関係を検討したところ、北緯37°以南では表面水温および餌密度が高いほど成長が速いという関係が見られたが、北緯37°以北では成長速度と表面水温、餌密度との間に有意な関係がなかった。

 同じ日齢範囲で(51-60d)変態完了前と完了後の群を比較すると、完了後の群の成長速度が有意に高く、成長が速かった個体が変態の進行も速いことがわかった。変態完了後の稚魚の体長と日齢は共に水温と負相関にあり、水温が高い黒潮系暖水域では、カタクチイワシの変態がより若齢小型で起こることがわかった。

 移行域において観察された成長・発達と環境要因との対応関係を確認するために、飼育実験を行った。

13〜25℃範囲に4段階の水温区、0〜3000 nauplius/fish/dの範囲に4段階の餌量密度区を設定し、岩手県の大槌湾で採集した変態完了前の仔魚を20日間飼育した。飼育期間中の成長速度は、17℃以上の実験区において給餌量の増加に伴い0.29±0.04 mm/dから0.83±0.10 mm/dまで増加した。13℃区における成長速度は給餌量に関わらず約0.2 mm/dであった。13℃区では7.7%の個体しか変態完了しなかったが、17℃以上では水温と餌量密度の増加につれて変態完了個体の割合が増加した。また、変態完了個体の体長は水温上昇に伴って小型化した。七以上から、カタクチイワシ仔稚魚は、低水温下で成長と発達が抑制されるのに対し、17℃以上における成長と発達は餌密度に依存していることが明らかとなり、移行域における観察結果が飼育実験によって確認できた。

 第4章では、資源へ加入した成魚(>80mm)と変態完了した稚魚の間でふ化後の耳石日輪間隔の変化傾向を比較することによって、「仔稚魚期の成長・発達の速い個体が選択的に生き残り成魚群を形成する」という本研究の仮説の検証を試みた。耳石日輪半径の範囲は20日齢時には成魚と稚魚で一致したが、その後は日齢とともに成魚が稚魚より大きい側へずれた。40日齢時の成魚モードに相当する日輪半径をもつ稚魚の平均成長速度は0.65 mm/dと算出された。成魚群はこれ以上の速度で成長した個体で占められていることから、上記の仮説が確認された。

 第5章では、移行域のカタクチイワシの生育場としての評価を行い、移行域へのカタクチイワシ資源の分布拡大は、黒潮域からの仔魚の移入と、移行域の沿岸側暖水海域における急速な成長・変態によって支えられる、と結論した。

 以上のように本論文は、野外観察と室内実験の組み合わせによって、カタクチイワシ仔稚魚の成長・発達過程と環境要因との対応を明らかにした上で、黒潮・親潮移行域内の沿岸側南部の暖水域における仔魚期の急速な成長と変態の完了が、本種資源の新規加入に重要であることを明らかにしたものである。この結果は、本種の資源変動機構、あるいは本種資源とマイワシ資源との魚種交代のしくみを解明する具体的な手がかりを与えるものであり、魚類資源の新規加入量変動機構に関する研究への貢献が顕著である。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文としてふさわしいものと認めた。

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