学位論文要旨



No 116228
著者(漢字) 竹内,美緒
著者(英字)
著者(カナ) タケウチ,ミオ
標題(和) 水圏の化学・微生物資源を利用したトリクロロエチレン汚染地質のバイオレメディエーション
標題(洋)
報告番号 116228
報告番号 甲16228
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2258号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古谷,研
 東京大学 教授 大和田,紘一
 東京大学 助教授 福代,康夫
 東京大学 助教授 木暮,一啓
 茨城大学文部教官 教授 楡井,久
内容要旨 要旨を表示する

 従来水圏の水循環では海・湖沼・河川が対象となっており、地下水への関心は低かった。しかし、近年地下水の沿岸への流入量が無視できない事が明らかになってきた。一方、地下水汚染を含む地質汚染は日本各地で顕在化しており、地下水が汚染物質の供給源となり沿岸域に影響を与えている事例も知られてきた。このように、「地下水汚染」は水圏における重要な問題となっている。

 地質汚染物質のうち、トリクロロエチレン(TCE)はかつて脱脂溶剤として金属・電気部品工場で未規制のまま用いられたため、我が国だけでも4000もの汚染箇所があるとされている。TCEによる汚染地下水の浄化法として現在用いられている揚水曝気法では環境基準値以下まで浄化するのに10年前後の時間を要する。そこで浄化期間を短縮する方法としてバイオレメディエーションが研究されてきた。メタン資化細菌はメタンを唯一の炭素源かつエネルギー源とする細菌で、地球上に広い範囲で存在する。メタン資化細菌には、TCEを分解する能力を持つものがあることから、メタンやメタン資化細菌を人工的に添加するバイオレメディエーションが試みられてきた。しかし、我が国では、実用化には至っていない。この主因として、地質中のメタン資化細菌の生態に関する知見がほとんどないことが挙げられる。

 本研究は地質中のメタン資化細菌の生態を解明し、それを基にTCE汚染地質のバイオレメディエーション法を確立することを目的とした。メタン資化細菌およびその基質の分布をボーリング試料及び地下水試料を用いて調べた。その結果、調査地域には3つの透水層が存在し、それぞれ化学・微生物学的性質の異なる地下水を含むことが明らかになった。次に、地下水の化学成分および微生物資源を利用したバイオレメディエーションを新たに着想し、実際の汚染現場で実施した。

1.メタン資化細菌のTCE分解能力

 メタン資化細菌のTCE分解能力は株によって異なる。内在するメタン資化細菌を利用するため、地質中のメタン資化細菌の増殖およびTCE分解の条件を確定した。バイオレメディエーションの候補地であった千葉県千倉町のTCE汚染現場をフィールドとした。第2透水層から地下水を採取し、これにメタン、酸素、硝酸塩およびリン酸塩を添加して培養したところ、40日前後でメタン資化細菌が増殖し、当時の現場濃度の3倍程度である220 ppbのTCEがほとんど分解された。内在するメタン資化細菌は十分なTCE分解能力を持ち、千倉町の現場はバイオレメディエーションを行いうる場であることが示された。

2.メタン資化細菌の分布

 次に地質中のメタン資化細菌の分布を明らかにするため、千倉町の汚染現場で約30mの柱状地層試料を採取し、メタン資化細菌数をMPN法により計数した。地層中の溶存メタン濃度は深度と共に指数関数的に増加したが、メタン資化細菌の細かい分布はそれとは対応せず、特に第2透水層ではメタン資化細菌数は地層の粒度と関係し、粗粒砂層で最も多く、中・細粒砂層になるにつれ減少した。粗粒砂層は地下水の流速が大きいことから基質の供給も多く、メタン資化細菌の数も多いものと考えられた。透水層中の粗粒砂層はバイオレメディエーションにおいて重要な場となると考えられた。

3.メタン資化細菌の季節変動

 地下水は表層水に比較すると安定した水質であると言われているが、微生物の季節的消長についての知見は乏しい。しかし、バイオレメディエーションでは操作が数ヶ月に及ぶ可能性があるため、その間の微生物の自然変動をあらかじめ把握しておく必要がある。このため、観測井から採取した地下水を用いてメタン資化細菌数の季節変動とその要因を分析した。地下水温は約17℃、地下水のpHは6.86-8.16であり、メタン資化細菌の増殖とTCEの分解に適した環境が年間を通じて安定に保たれていた。第1透水層ではメタン資化細菌数は13-37%の変動係数で変動し、その変動は溶存メタン濃度と正の相関を示した。

 各透水層の地下水はそれぞれ異なる特徴を示した。汚染透水層である第2透水層では溶存酸素・硝酸イオン濃度は比較的高いが、溶存メタン・リン酸イオン濃度は低かった。一方、第3透水層では溶存酸素・硝酸イオン濃度は低いが、溶存メタン・リン酸イオン濃度は高かった。また第3透水層の地下水にはメタン資化細菌が3.9x103-3.0x104MPNml-1と年間を通じて安定して存在していた。そこで高濃度のメタンとリン酸イオンおよびメタン資化細菌を含む、天然の化学・微生物資源といえる第3透水層の地下水を第2透水層に注入することでメタン資化細菌に必要な基質が揃うため、メタン資化細菌が増殖し、TCEは分解されうるのではないかと考えた。

4.水圏の化学・微生物資源を利用したバイオレメディエーション(千倉法)

 以上の結果を基に、実際に千倉町の汚染現場で第3透水層の地下水を用いたバイオレメディエーションを行った。この現場ではTCEの多くは嫌気的分解によりジクロロエチレン(DCE)になっていたが、メタン資化細菌はDCEも分解できるため、DCEをモニタリングの対象にした。第3透水層の地下水を被圧透水層である第2透水層に、注入井より注入した。コントロールとしてメタンとリン酸イオン濃度の低い第1透水層の地下水を注入した。注入井から2m下流に観測井1.4m下流に観測井2を設置し、観測井2から揚水して水流を作った。地下水流速は、およそ50 cm day-1であった。注入井内は循環ポンプにより常時撹拌し、注入井および観測井1で観測した。観測井1ではDCE濃度はコントロール期間にはあまり変化せず平均34ppbだったが第3透水層の地下水を注入すると次第に減少し、最高48%まで分解された。地下水をろ過してフィルター上に集めた菌体を用いてメタン酸化のVmaxを求めた。コントロール期間には注入井および観測井ではそれぞれ21-38、5-22μmolh-1L-1だったが、第3透水層の地下水注入後にはそれぞれ最高93および95μmolh-1L-1まで増加し、注入井付近で増殖したメタン資化細菌群集が観測井1に出現したことが示された。

5.水圏の化学・微生物資源を利用したバイレメディエーション応用篇(茂原法)

 高濃度のメタンを含む地下水が存在しない地域でも、存在する地域から地下水を運搬することでバイオレメディエーションが可能かどうかを検討した。メタンガス田の中心地である茂原市ではごく表層の地下水でも高濃度のメタンを含んでいる。そこでこの地下水を運搬し、千葉県我孫子市のTCE汚染現場に注入した。長さ10mの溝(ピット)を設置し、注入した。コントロールとして汚染のない近隣の工場の消火用水を注入し、その後茂原の地下水を注入した。ピットから2m下流にある観測井B7他で観測した。2m下流の観測井B7ではコントロール水到達期間に平均90ppbだった汚染濃度が茂原地下水到達期間には検出限界以下になり、TCE分解効果が認められた。我孫子と茂原それぞれの地下水を用いた培養実験の結果から、茂原の地下水中のメタン資化細菌がピットなどで酸素が供給され好条件となったために増殖し、汚染を分解したと考えられた。

6.水圏の化学・微生物資源を利用したバイオレメディエーションのコスト

 今回開発した千倉法および茂原法と従来の人工的なメタン添加法とについてコスト計算を行った。汚染機構解明が終了し、井戸が設置されていることを前提とし、同じ水量を注入するとして比較した。高濃度のメタンを含む地下水が存在する場合、電気代程度しかかからない千倉法が、処理期間に関わらずコストは最も低かった。そのような地下水が存在しない場合、短期間の処理(数週間)の場合は運搬費用が主である茂原法がコストが低かった。人工添加法は初期設備費用が必要になるが、その後のランニングコストは運搬費用より安く、長期にわたる処理の場合は茂原法よりもコストが低かった。

7.まとめ

 本研究は、初めて地質中のメタン資化細菌の分布を明らかにし、また地層構造に基づく分析により、各透水層が性質の異なる地下水を含むことを明らかにした。こうした基礎的な知見を基に、高濃度のメタンを含む地下水をTCEによる地質汚染の浄化に利用することに成功した。この方法と従来の揚水曝気法を組み合わせることで、より低コストで短期間に汚染を浄化できると考えられる。このような浄化法の実用化は我が国における地質汚染の浄化を加速し、安全な地下水の保全に役立つことが期待される。本研究はまた、バイオレメディエーションの観点から水圏に存在する化学成分・微生物群集を新たな資源と見なすことができることを提示するものである。

審査要旨 要旨を表示する

 様々な有害物質による地質汚染が世界各地で顕在化し、その影響は飲料水をはじめとした地下水利用にとどまらず、地下水の流入による沿岸域への汚染拡大が懸念されている。なかでも発癌性のあるトリクロロエチレン(TCE)は最も広範囲の地下水汚染をもたらしている。その浄化法として揚水曝気法が主に採用されているが、環境基準値以下への浄化に10年前後の長時間を要し、空中拡散という原因物質の分解を伴わない応急的な処置に留まっている。このため短い浄化期間にTCEそのものを分解するバイオレメディエーション法の開発が必要とされている。本研究はメタンを基質として利用するメタン資化細菌がTCE分解能を持つことに注目して、メタン資化細菌を利用したバイオレメディエーション法を確立することを目的として行われた。

 これまでにもメタンやメタン資化細菌を人工的に添加する試みはあったが、分解効率が悪いため実用化に至っていなかった。本研究では、その原因がメタン資化細菌の生態が不明であったことに注目して、まず地質中のメタン資化細菌の生態解明に重点を置いた。フィールドとして千葉県千倉町のTCE汚染現場を選んだ。約30mの柱状地層試料を採取し、メタン資化細菌の分布を最確法により明らかにした。汚染透水層ではメタン資化細菌は地層の粒度と良い相関を示し、粗粒砂層で最も多く中・細粒砂層になるにつれ減少したのに対してメタン濃度そのものとの関連が低いことを明らかにした。これは粗粒砂層での地下水流速が速く基質供給量が多いためと解釈され、粗粒砂層がバイオレメディエーションの重要な場となると考えた。

 次に、観測井から地下水を得てメタン資化細菌数の季節変動と環境要因の関係を明らかにした。各透水層の地下水は異なる特徴を示し、汚染透水層では溶存酸素と硝酸塩濃度が高く、一方、その下の透水層では溶存メタンとリン酸塩濃度が高く、メタン資化細菌も年間を通じて安定して存在することを見いだした。この結果から汚染透水層にその下の地下水を注入すれば、メタン資化細菌に必要な基質が揃うためメタン資化細菌が増殖し、TCEの分解が促進される可能性が示された。

 この可能性を実証試験により検証した。汚染透水層にその下層の地下水を注入し、汚染物質の変化を調べた。試験時、現場ではTCEの殆どが嫌気的分解により有害なジクロロエチレン(DCE)に変化していたが、DCEはメタン資化細菌の分解を受けるため、DCEを汚染除去モニタリングの対象にした。コントロールとして汚染透水層より上層の地下水を注入した。注入井から2m下流の観測井ではコントロール期間中DCE濃度が平均34ppbであったのに対して、本試験ではDCE濃度が48%に減少した。メタン資化細菌数の変化およびメタンの取込みのVmaxの変化から、DCE濃度の減少はメタン資化細菌による分解であるとの結論を得た。

 次に、千倉町のようにメタンを含む地下水が存在しない地域におけるバイオレメディエーション法を検討した。そのために南関東ガス田の中心である茂原市の高濃度メタン含有地下水の利用を検討対象とした。フィールドとして千葉県我孫子市のTCE汚染現場を選んだ。現場に長さ10mの溝(ピット)を掘り、ここから茂原の地下水を注入した。コントロールとして無汚染の消火用水を用いた。ピットから2m下流の観測井ではコントロール水到達期間に平均90ppbだったTCE濃度が茂原地下水到達期間には検出限界以下に減少し、高いTCE分解効果が認められた。バッチ培養実験から茂原の地下水中に含まれるメタン資化細菌による分解であることが明らかになった。

 本研究で開発した千倉での方法ならびに茂原地下水を利用した方法と、従来の人工的な基質添加法についてコスト計算を行った。この結果、千倉での方法が処理期間に関わらず最もコストが低く、次に、1ヶ月程度の短期間処理では茂原水の利用、それ以上の長期処理では人工添加法のコストが低いとの見積を示した。

 本研究が開発したメタン含有地下水を利用したTCE汚染地質のバイオレメディエーション法は類例が全くない新しい方法であり、実証試験の結果から実用性が高いことが示され、地下水の資源的な価値を新たに付与するものである。また、それに先立ち解明された地層中におけるメタン資化細菌の分布と環境要因との関係、メタン消費活性およびTCE分解能に関する知見は微生物生態学における新たな研究分野を開拓する学術的価値の極めて高いものである。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文としてふさわしいものと認めた。

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