学位論文要旨



No 116231
著者(漢字) 脇本,敏幸
著者(英字)
著者(カナ) ワキモト,トシユキ
標題(和) 新規カリクリン誘導体に関する研究
標題(洋) Studies on New Calyculin Derivatives
報告番号 116231
報告番号 甲16231
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2261号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伏谷,伸宏
 東京大学 教授 阿部,宏喜
 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授(理学系) 橘,和夫
 東京大学 助教授 松永,茂樹
内容要旨 要旨を表示する

 タンパク質脱リン酸化酵素1および2Aは真核生物に共通に存在する、セリンおよびスレオニン残基のリン酸エステル基を加水分解する酵素で、タンパク質の機能調節に関わる重要な働きをしている。その阻害剤として、海綿から得られたokadaic acid、calyculinAをはじめ、藍藻類の産生するmicrocystin類、および放線菌の産生するtautomycinなどが知られている。これら阻害剤はそれぞれ非常に異なる化学構造を有するにも関わらず、同じ酵素に対して競合阻害することから、その酵素に対する結合様式の解明は非常に興味深い問題である。しかしながら、これまでにcalyculin類の酵素に対する阻害機構に関する知見はほとんど得られていない。そこで本研究では、新しいcalyculin誘導体の検索、およびcalyculin Aを化学修飾した誘導体を調製しcalyculin類の構造−活性相関を調べ、酵素との結合に関与する構造要因を明らかにした。

1.単離

 伊豆半島産Discodermia calyx(1.7kg)をエタノールで抽出後、溶媒分画、シリカゲルおよびODSのフラッシュクロマトグラフィーで分画後、ODS-HPLCで繰り返し精製した。その結果、calyculin J(2)、calyculinamide A(3)およびcalyculinamide F(4)と命名した3つの新規誘導体を得た。さらにD.calyx(4.0 kg)を同様に処理してdes-N-methyl-calyculin A(5)、およびdephosphonocalyculin A(6)と命名した新規誘導体を得た。また、式根島産D.calyx(10kg)を分画し得られたフラクションをDAD-HPLCにより分析したところ、230nmの吸収を示さない新規誘導体を検出した。このピークを含むフラクションをさらにODS HPLCによって精製したところhemicalyculinA(8)を得た。

2.構造決定

 CalyculinJの分子式は、高分解能FABMSからC50H80BrN4O15Pと決定した。次に、各種2次元NMRスペクトルデータをもとに平面構造を解析した結果、9位に臭素が付加し、8位と11位がエーテル結合を介してテトラヒドロフラン環を形成した構造を有し、それ以外の部分構造は1と同一であることが明らかになった。さらにNOESYの解析によりテトラヒドロフラン環周辺の相対立体化学を明らかにした。その他の不斉炭素の立体化学に関しては1を化学変換してcalyculinJに導いて全構造の証明を行った。

 Calyculinamide A(3)、calyculinamide F(4)、des-N-methyl-calyculin A(5)についてもスペクトルデータの解析から平面構造を決定した。なお、calyculinamide Aは収量が0.1mgと微量であったが、スペクトルデータを詳細に検討することにより、1のニトリルに水が付加した構造をもつものと推定した。さらに、1のニトリルを加水分解すると、3が得られたことから立体化学を含めた構造を確定できた。

 Dephosphonocalyculin A(6)の分子量は928で、calyculin Aより80マスユニット小さかった。各種2次元NMRスペクトルを解析したところ、炭素骨格は1と同一であることがわかった。分子量を考慮すると、17位のリン酸基が欠落した構造を持つものと推定される。しかし、6において17位から離れた部分の1Hと13Cのケミカルシフト値は1のそれらとは大きく異なっていた。したがって複数の不斉炭素における立体化学が相違している可能性が否定できなかった。そこで化学変換により構造の証明を行うことにした。Calyculin Aのリン酸エステルだけを選択的に除去することが困難だったが、1をアセトナイド化後、pyridine/dioxaneによる加溶媒分解を行ったところ、7を得ることができた。一方、dephosphonocalyculin Aをアセトナイド化すると、同一の化合物が得られたことから、6の構造を確認することができた。

 Hemicalyculin Aの分子式は高分解能FABMSおよび1H NMRスペクトルよりC36H55N2O10Pと決定した。また、1H NMRスペクトルにおいてO-メチル、5本のシングレットのC-メチル、3本のダブレットC-メチル等のcalyculin類に特徴的なシグナルが認められた。しかしながら、オキサゾールおよびN-メチルに由来するシグナルは認められなかった。COSYおよびHMQCスペクトルの解析の結果、1位から26位の部分構造はcalyculin Aと同一であることがわかり、HMBCスペクトルにおいて25位および26位のプロトンから118.8ppmの炭素への相関が得られたことにより末端はニトリルであることが明らかとなった。

 Hemicalyculin Aの立体化学についてNOESYおよびプロトン間の結合定数を用いて検討をした結果、1位から8位、および15位から25位に至る部分構造の相対立体化学はcalyculin Aと同一だった。しかしながら、9位から13位の立体化学についてはNMRデータからは明らかにすることが出来なかった。そこで、両化合物に共通するすべての不斉中心を含む二重結合で挟まれた部分構造を得ることにより、その絶対立体化学を含めた全構造を決定することを試みた。まず、calyculin Aの11位、13位の1,3-ジオールをアセトナイドで保護し、34位と35位の1,2-ジオールをNaIO4により開裂し、ジメチルアミノ基含む末端ユニットを取り除いた。さらにp-bromobenzylbromideを用いてリン酸基を保護し、得られた生成物をオゾン酸化した後に還元的に処理をし立体化学を保持したフラグメント(9)を30%の収率で得ることができた。一方、hemicalyculin Aも同様に処理した結果、50%の収率でフラグメント(9)を得ることが出来た。両者の1H NMRスペクトルおよび旋光度が一致したことにより、hemicalyculin Aの全構造を決定することが出来た。また、hemicalyculin Aは一重項酸素によるオキサゾールの開裂を経て、calyculin Aより生成することを明らかにした。

3.構造-活性相関

 calyculin Aの構造−活性相関を検討するために、上記の海綿由来の誘導体の他に、calyculin Aを化学修飾した誘導体を調整した。すなわち、NaIO4による1,2-ジオールの開裂によって得られたNalO4product(10)、および9の保護基を脱保護したspiroketal fragment(11)を調整した。以上の化合物について酵素阻害活性を入念に検討した。この結果、calyculin Aのリン酸エステル基、テトラエン、および1,3一ジオールが酵素に対する阻害活性に重要であることがわかった。また、hemicalyculin Aのタンパク質脱リン酸化酵素1γおよび2Aに対する阻害のIC50値はそれぞれ14nMおよび1.0nMであった。一方、calyculin AのIC50値は8.2nMおよび1.0nMであり、hemicalyculin Aはcalyculin Aに匹敵する酵素阻害活性を示すことが明らかとなった。したがって、calyculin Aの2つγ-アミノ酸ユニットは酵素阻害活性に関与しないことが明らかになった。一方、P388マウス白血病細胞に対するIC50値はhemicalyculin Aが450ng/mL、calyculin Aが170pg/mLであり、hemicalyculin Aの細胞毒性はcalyculin Aに対して大きく低下していることが認められた。したがって、ジメチルアミノ基を含む末端の部分構造はcalyculin Aの高い細胞膜透過性に寄与していることが示唆された。

 本研究によって、calyculin Aの酵素阻害活性および細胞毒性に関与する部分構造が明らかになった。これらの知見は、タンパク質脱リン酸化酵素1および2Aに対する選択的阻害物質の開発のみならず、カルシニューリン等の他のセリン・スレオニンホスファターゼに対する阻害物質の開発に寄与するものと考えられる。

表1 Calyculin誘導体の酵素阻害活性と細胞毒性

図1 Calyculin誘導体の構造

審査要旨 要旨を表示する

 Calyculin類は、高度に修飾されたC28脂肪酸と2つのγ-アミノ酸からなる特異な化合物である。最初に抗腫瘍物質として発見されたが、後にタンパク質脱リン酸化酵素1および2Aを低濃度で、かつ特異的に阻害することが分かり、細胞内情報伝達系の研究など生命科学分野の研究において重要な“道具”となっている。このように、Calyculin類は、抗がん剤のリード化合物や研究試薬として重要になってきたにもかかわらず、その酵素に対する阻害機構に関する知見はほとんどなかった。そこで本研究では、新しいcalyculin誘導体の検索を行うとともに、calyculin Aから化学的に誘導した化合物を調製してcalyculin類の構造−活性相関を検討することにより、酵素との結合に関わる構造要因を明らかにすることを試みたところ、いくつかの重要な知見が得られた。その概要は以下の通りである。

 まず、伊豆半島産海綿Discodermia calyxをエタノールで抽出後、溶媒分画、シリカゲルおよびODSのフラッシュクロマトグラフィーで分画後、ODS-HPLCで繰り返し精製した結果、calyculin J(2)、calyculinamide A(3)、calyculinamide F(4)、des-N-methyl-calyculin A(5)、およびdephosphonocalyculin A(6)と命名した5つの新規誘導体を分離することができた。これらの化学構造は、二次元NMRを中心とした機器分析と化学変換により決定されたが、いずれもcalyculin A(1)と同じ立体構造をもつことが明らかとなった。一方、式根島産の同種海綿からは、約半分の大きさのhemicalyculin A(7)が得られた。なお、本物質は、一重項酸素によりcalyculin Aのオキサゾール環が開裂して生成することを証明できた。

 さらに多くの誘導体を得るために、calyculin Aの化学修飾を試みた。すなわち、イソプロピリデン化、オゾン酸化、過ヨウ素酸酸化などにより、4つの誘導体8〜11を得ることができた。これらの天然および半合成誘導体についてタンパク質脱リン酸化酵素1γおよび2Aに対する阻害活性を詳細に調べたところ、リン酸エステル、テトラエン、および11,13-ジオールが活性に重要なことがわかった。また、hemicalyculin Aがcalyculin Aと同等な活性を示すことから、2つγ-アミノ酸部分は活性に関与しないと考えられた。一方、hemicalyculin Aの細胞毒性は、calyculin Aより著しく弱いので、ジメチルアミノ基を含む末端部分は、calyculin Aの高い細胞膜透過性に寄与していることが示唆された。

 以上、本研究は、抗腫瘍物質およびタンパク質脱リン酸化酵素阻害剤として重要なcalyculin類の構造−活性相関、ならびに酵素阻害に関わる構造要因について重要な知見を得たもので、学術上、応用上寄与するところは大きい。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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