学位論文要旨



No 116232
著者(漢字)
著者(英字) Ocky,Karna,Radjasa
著者(カナ) オッキィ,カルナ,ラジャサ
標題(和) 深海の低温、高水圧に適応した細菌類の16S rDNAによる系統解析
標題(洋) Phylogenetic diversity of low temperature and high pressure adapted bacteria from deep-sea environments assessed based on16S rDNA
報告番号 116232
報告番号 甲16232
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2262号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大和田,紘一
 東京大学 教授 若林,久嗣
 東京大学 教授 古谷,研
 東京大学 助教授 横田,明
 東京大学 助教授 木暮,一啓
内容要旨 要旨を表示する

 世界の海洋の平均水深は3,800mといわれるが、面積にして約60%はそれよりも水深の深い水域である。一般に深海は低温、低栄養、高水圧、暗黒に代表される極限環境の一つであるが、浅海に比べて微生物に関する研究の歴史は浅い。従ってそこに生息する微生物の種類や系統学的位置、生理的性質についてはこれまで限られた知見しか得られていない。しかしながら、近年新たな微生物資源として深海の微生物に注目が集まり、深海には予想以上に多様な微生物が棲息しているのではないかと考えられている。また、海洋の物質循環を理解する上で深海微生物の種類やその活動を明らかにすることが求められている。

 深海の細菌は、環境要因から低温に適応した細菌と高水圧に適応した細菌の2つに大きく分けられる。低温細菌は温度に対する反応により、4℃と20℃で増殖可能な耐冷細菌(psychrotroph)と4℃で増殖するが20℃では増殖できない好冷細菌

 (psychrophile)に分けられる。一方、高水圧に適応した細菌も、常圧でも増殖可能な耐圧細菌(barotolerant type)と常圧では増殖できない好圧細菌(barophilic type)に分けられる。しかしながら、これらの細菌、特に好冷細菌と好圧細菌は分離、培養が難しいため、これまで得られた分離株は少なく系統学的知見はまだ限られている。このような背景のもと、本研究では、異なる海域の深海から好冷細菌と好圧細菌を分離することによりそれら細菌の多様性を明らかにすることをめざし、低温、高水圧へ適応した細菌の系統を明らかにすることを目的とした。

1.低温環境に適応した細菌

1-1北西太平洋海域の表層と深層から分離された低温細菌の16SrDNA解析による特性

 北西太平洋海域の表層水(0-200m)と深層水(1,000-9,671m)から4℃で増殖可能な細菌78株を分離した。増殖可能な温度範囲を調べた結果、この78株はすべて耐冷細菌であった。次に、16S rDNAの制限酵素(Hhal)による切断パターンを解析した結果、表層からは6つの、また深層からは8つの表現型が認められた。それぞれの表現型の代表株について16S rDNA塩基配列を決定し、系統解析をした結果、Pseudoalteromonas属、Photobacterium属 そしてVibrioの各属がともに表層と深層から分離された。表層のみから分離されたのはPseudomonas属とHalomonas属であった。全体としては、Vibrio科細菌が表層、深層ともに優占していることが示唆された。

1-2 南海トラフ深海域から分離された好冷細菌の系統

 南海トラフの深海域(約4,000m)からは堆積物から6株、海水から5株の合計11株の好冷細菌が分離された。これらはすべて好冷細菌であるとともに耐圧細菌でもあり、分離された現場の400気圧下でも増殖が可能であった。16S rDNAの系統解析の結果、分離した11株はすべて、多くの海洋細菌が含まれるγProteobacteriaに属することが分かった。堆積物からの分離株6株のうち、1株がMoritella属である以外はすべてがShewanella属に属していた。一方、海水からの分離株はColwellia属、Moritella属と、海洋から分離された好冷細菌でいまだ正確に同定されていないCPNT-3株に近い系統の株であることが分かった。現在の段階ではCPNT-3はPsychromonas属に仮同定されている。

1-3 南西太平洋堆積物における好冷細菌の存在

 南西太平洋堆積物より20℃では増殖できない細菌57株を分離した。得られた堆積物試料の温度は5℃以下であった。分離株の温度に対する増殖特性を調べた結果、すべての細菌の増殖最高温度は16℃から18℃であり、これらはすべて好冷細菌であることが確かめられた。HhaI,HaeIII,MspI,RsaIの4塩基認識制限酵素を用いたRFLP(Restriction fragment length polymorphism,制限酵素フラグメント多型性)解析の結果、3つの異なった遺伝子型が認められた。それぞれの型の代表株の16S rDNAの系統解析の結果、Moritella属、Shewanella属、Colwellia属に近い系統に属することが明らかになった。

2.高水圧に適応した細菌

2-1 マリアナ海溝の深海域から分離された好圧細菌

 世界最深として知られるマリアナ海溝は好圧細菌の研究に最適な環境であり、現在までにいくつかの好圧細菌株が分離され研究されている。白鳳丸KH-98-2の研究航海において、マリアナ海溝の水深約10,500mより細菌を分離した。ニスキンバタフライ無菌採水器で海水を採取し、孔径0.2umのヌクレポアフィルターでろ過後、1/5/ZoBell/2216E液体培地を用いて、4℃で採水現場の圧力である1,000気圧下で培養した。培養後、菌液を段階希釈し、2%低融点アガロースを含む1/5/ZoBell/2216E固形培地に接種した。

1,000気圧下で増殖したコロニーを切り出し、再び液体培地に接種し、1,000気圧下で培養した。この過程を3回以上繰り返すことにより細菌を純粋分離した。

 1,000気圧で増殖するが、常圧では増殖しない偏性好圧細菌19株について研究を行った。HhaI,HaeIII,MspI,RsaIの4塩基認識制限酵素を用いたRFLP解析の結果、2つの異なった遺伝子型が認められた。この2つの型の代表株について16S rDNAの系統解析の結果、一つの遺伝子型の代表株MTW-1は、好圧細菌Shewanella benthicaに近い系統を持つことが分かった。もう一方の遺伝子型の代表株MTW-13の塩基配列は、これまで培養された細菌では報告はなく、海水、堆積物より直接抽出されたDNAをクローニングして得られるクローンと近縁であることが分かった。このクローンNB1-dは、圧力保持型採泥器を用いて採取された日本海溝の堆積物から得られたものである。MTW-13はクローンNB1-dとは独立した系統を形成し、現在までに報告された好冷、好圧細菌株とは全く異なることが明らかになり、新属、新種の可能性をもつことを強く示唆している。今後、この株の新属、新種としての提案も視野に入れ分類学的特性について研究を進める予定である。

2-2 日本海溝深海水より分離された好圧細菌の系統

 海水から分離された好圧細菌の研究例は堆積物と比較して少ない。日本海溝に関しては海水からの分離株の報告はあるが、系統的な研究はいまだに行われていない。

 淡青丸KT-00-9の研究航海において、日本海溝約5,500mと6,000mより細菌を分離した。ニスキンバタフライ無菌採水器で海水を採取し、孔径0.2umのヌクレポアフィルターでろ過後、1/5ZoBell2216E液体培地を用いて、4℃で現場の圧力である600気圧下で培養した。純粋分離された6株の好圧細菌のHhaI,haeIII MspI,RsaIの4塩基認識制限酵素を用いたRFLP解析の結果、2つの異なった遺伝子型が認められた。この2つの型の代表株の16S rDNA塩基配列による系統解析の結果、一つの遺伝子型の代表株JTW-863は、マリアナ海溝より分された好圧細菌Moritella yayanosiiに近い系統を持つことが明らかになった。

 これまでの一連の研究によって、低温、高水圧の環境に適応して生息する微生物が広範な海洋から得られ、その系統関係についても明らかにすることが出来た。今後はこれらの細菌株の微生物学的性状をさらに明らかにすると同時に、これら細菌の現場での活性や生産速度など定量的な検討を進める必要がある。

審査要旨 要旨を表示する

 世界の海洋の平均水深は3,800mといわれるが、面積にしても約60%はそれよりも水深の深い水域である。深海は低温、低栄養、高水圧、暗黒に代表される極限環境の一つであるが、浅海に比べて微生物に関する研究の歴史は浅い。従ってそこに生息する微生物の種類や系統学的位置、生理的性質についてはこれまで限られた知見しか得られていない。しかしながら、近年新たな微生物資源として深海の細菌に注目が集まり、深海には予想以上に多様な細菌が棲息している可能性が示されている。また、海洋の物質循環を理解する上で深海微生物の種類やその活動を明らかにすることも求められている。このような背景のもと、本研究では、異なる海域の深海から好冷細菌と好圧細菌を分離することでそれらの細菌の多様性を調べ、低温、高圧に適応した細菌の系統を明らかにしようとしたものである。

1.低温に適応した細菌

 北西太平洋海域の表層水(0-200m)と深層水(1,000-9,671m)から4℃で増殖する78株の耐冷細菌を分離し、16S rDNAの制限酵素(HhaI)による切断パターンを解析した。その結果、表層からは6つの、また深層からは8つの表現型が認められ、Pseudoalteromonas属、Photobacterium属そしてVibrioの各属が表層と深層からともに分離されたことが分かった。表層のみから分離された属はPseudomonas属とHalomonas属であった。全体としては、Vibrio科細菌が表層、深層ともに優占していることが示唆された。

 次に、南海トラフの深海域(約4,000m)より分離された海水から5株、堆積物から6株、合計11株の好冷細菌は、耐圧細菌でもあり、40MPaの水圧でも増殖することが分かった。16S rDNAによる系統解析の結果、11株は全てγProteobacteriaに属し、堆積物からの6株のうち、1株がMoritella属である以外は全てがShewanella属であった。一方、海水からの分離株はColwellia属、Moritella属と、現段階では仮同定としてPsychromonas属とされている3属が認められた。

 南西太平洋サンゴ海の深海堆積物より合計57株の好冷細菌を分離した。HhaI,HaeIII,MspI,RsaIの4塩基認識制限酵素を用いたRFLP(Restriction fragment length polymorphism,制限酵素フラグメント多型性)解析の結果、3つの異なった遺伝子型が認められた。それぞれの型の代表株の16SrDNAの系統解析の結果、Moritlla属、Shewanella属、Colwellia属に近い系統を持つことが分かった。

2.高圧に適応した細菌

 世界最深として知られるマリアナ海溝は好圧細菌の研究に最適な環境である。現在までにマリアナ海溝からはいくつかの好圧細菌が分離され研究されている。白鳳丸KH-98-2の研究航海において、マリアナ海溝約10,500mより細菌を分離した。ニスキンバタフライ採水器で海水を採取し、孔径0,2μmのヌクレポアフィルターでろ過後、1/5/ZoBell/2216E液体培地、4℃、採水現場の圧力である100MPaで培養した。培養後、菌液を段階希釈し、2%低融点アガロースを用いた1/5ZoBell2216E培地に接種した。100MPaで増殖したコロニーを切り出し、再び液体培地に接種し、同じ圧力下で培養し、この過程を3回以上繰り返すことにより細菌を純粋分離した。100MPaで増殖するが、常圧では増殖しない偏性好圧細菌19株について研究を行った。HhaI,HaeIII,MspI,RsaIの4塩基認識制限酵素を用いたRFLP解析の結果、2つの異なった遺伝子型が認識された。この2つの型の代表株の16S rDNAの系統解析の結果、一つの遺伝子型の代表株MTW-1株は好圧細菌Shewanella benthicaに近い系統を持ち、もう一方の遺伝子型の代表株MTW-13株は培養される細菌では報告はなく、海水、堆積物より直接抽出したDNAをクローニングして得られるクローンと近縁であることが分かった。このクローンNB-1dは、圧力保持型採泥器を用いて採取された日本海溝の堆積物からのクローンである。MTW-13株はクローンNB1-dと独立した系統を形成し、現在までに報告のある培養可能な好冷、好圧細菌とは全く異なることが示された。このことは今回分離されたMTW-13株が、今までに分離されていない好圧細菌であり、新属、新種の可能性をもつことを強く示唆する。今後、この株の所属、新種としての提案も視野に入れ分類学的特性について研究を進める予定である。

 海水から分離された好圧細菌の研究は堆積物と比較して少ない。淡青丸KT-00-9航海の際、伊豆・小笠原海溝約5,500m、6,000mより細菌を分離した。60MPaで純粋分離された6株の好圧細菌のHhaI,HaeIII,MspI,RsaIの4塩基認識制限酵素を用いたRFLP解析の結果、2つの異なった遺伝子型が認められた。この2つの型の代表株の16S rDNA塩基配列による系統解析の結果、一つの遺伝子型の代表株JTW-863は、マリアナ海溝より分離された好圧細菌伽がMoritella yayanosiiに近い系統を持つことが明らかになった。

 これまで一連の研究によって、低温、高水圧の環境に適応して棲息する微生物が広範な海洋から得られ、その系統関係が多様であることを明らかしており、学術上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値があるものと認めた。

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