学位論文要旨



No 116234
著者(漢字) 朴,貞任
著者(英字)
著者(カナ) バク,ジョンニイム
標題(和) 魚醤油の呈味成分に関する研究
標題(洋) Studies on the taste-active components in fish sauces
報告番号 116234
報告番号 甲16234
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2264号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 阿部,宏喜
 東京大学 教授 伏谷,伸宏
 東京大学 教授 渡部,終五
 東京学芸大学 教授 福家,眞也
 東京大学 助教授 村上,昌弘
内容要旨 要旨を表示する

 魚醤油は東南アジア料理においては必須の万能調味料であるが、日本では大豆醤油におされ、これまで細々と生き残ってきたにすぎない。しかしながら、近年消費者のグルメ、エスニック志向あるいは本物志向から魚醤油は伝統食品としての価値が見直され、加工食品の隠し味などとして消費が伸び、生産および輸入量は増加している。

 魚醤油は高塩分で独特の臭気を有するものの、深い旨味を有し、古くから研究者の関心を引いてきた。これまでに多くの食文化研究、微生物学的研究および臭気成分に関する化学的研究があるが、味に関する食品化学的研究は比較的少なく、東南アジアあるいは日本、韓国の特定の魚醤油について、遊離アミノ酸や有機酸などの限られた成分の分析が成されてきたにすぎず、独特の強い旨味をかもしだす呈味有効成分は知られていない。

 そこで、本研究においてはまず、魚醤油の成分の特徴を明らかにするため、東南アジアおよび東アジア7ヶ国から合計61種の魚を原料とする液体の魚醤油を集めた。これらについて遊離アミノ酸、有機酸、ヌクレオシド・核酸塩基、糖、クレアチンおよびクレアチニンなどの成分を分析し、比較した。

 また、高晶質のベトナム産魚醤油の分析値に基づいて合成エキスを調製し、三点識別試験法によりオミッションテストおよびアディションテストを行い呈味有効成分を明らかにした。さらに、全窒素の20%を占めるペプチド画分から多数のペプチドを単離、構造決定し、合成標品の味への寄与を調べた。得られた研究成果の概要は以下のとおりである。

1.東南アジアおよび東アジア産魚醤油の化学成分

 タイ(n=10)、ベトナム(n=20)、ミャンマー(n=7)、ラオス(n=2)、中国(n=2)、韓国(n=9)および日本(n=11)産の魚醤油合計61種を集めて化学成分を分析した。魚醤油のpHはミャンマー(6.23)、ラオス(4.90)および中国(6.15)産を除いて5.4から5.8の範囲で、大豆醤油のpH4.0から4.9よりも高かった。塩分は15.7から22.0%であった。全窒素はベトナム産が最も高く、次いで日本、タイ産の順で、ミャンマーおよびラオス産で低く、中国および韓国産は中間の値を示した。アミノ酸総量はベトナム産が9,826mg/100mLで最も高く、日本(7,532mg/100mL)およびタイ(6,732mg/100mL)産魚醤油でも高い値を示した。中国(6,061mg/100mL)および韓国(5,406mg/100mL)産はこれらに次ぎ、ミャンマー(3,335mg/100mL)およびラオス(869mg/100mL)産では著しく低い値であった。ベトナム、日本およびタイ産魚醤油は類似のアミノ酸組成を示し、アスパラギン酸、グルタミン酸、アラニン、バリン、リジンおよびヒスチジン含量が高かった。アミノ酸組成はラオスおよびミャンマー産では大きく異なっていた。

 有機酸組成はアミノ酸ほど国による差は大きくはなく、ピログルタミン酸が最も多く、乳酸および酢酸がこれに次いで多かった。中国およびミャンマー産では他と異なり、乳酸よりも酢酸含量が著しく高く、酢酸発酵が優勢と考えられた。ヌクレオシド・核酸塩基は他の成分と同様にベトナム産が最も高く、日本およびタイ産がこれに次いで高い値を示し、主成分はヒポキサンチンであった。クレアチン含量はベトナム、タイおよび日本産で高く、クレアチニンはクレアチン含量の半分程度であった。また、クレアチニン含量は全窒素,遊離アミノ酸、ヌクレオシド・核酸塩基含量とよい相関を示し、品質管理の簡便な指標になるものと考えられた。

 以上の結果から、これら7ヶ国の魚醤油はその成分含量およびアミノ酸組成によって3つのグループに分けられることが明らかとなった。すなわち、これら成分含量がいずれも高いタイ、ベトナムおよび日本産、また中間の韓国、中国産および低含量のミャンマーおよびラオス産の三つのグループに分けられた。

2.ベトナム産魚醤油の呈味有効成分

 典型的な高品質のベトナム産魚醤油を取り上げ、上記各成分を分析した結果、窒素回収率は97.9%となり、ほとんどの成分が明らかになった。これらの分析値に基づいて合成エキスを調製し、食塩を0.3%添加し、pHは5.62に調整して、オミッションおよびアディションテストを実施した。この合成エキスは塩味以外の魚醤油の味をよく再現していた。官能検査の結果、グルタミン酸、アスパラギン酸、スレオニン、アラニン、バリン、ヒスチジン、プロリン、チロシン、シスチン、メチオニンおよびピログルタミン酸の11種の成分が魚醤油の呈味有効成分であることが明らかになった。多くの成分が魚醤油の旨味、酸味および全体的な味に影響を及ぼし、魚醤油らしい味はスレオニン、アラニンおよびヒスチジンを除くと低下することがわかった。クレアチンおよびクレアチニンは有効成分とは認められなかったが、特にクレアチニンは高濃度では明らかにパネルによって識別され、味への寄与が予測された。これら11成分からなる単純合成エキスは魚醤油の味をよく再現しているものの、呈味強度はやや劣り、さらに他の成分も相互作用等により味に寄与しているものと考えられた。

3.ベトナム産魚醤油におけるペプチドの呈味性

 試料としたベトナム産魚醤油は全窒素の20%に達する結合アミノ酸を有し、ペプチドの味への寄与が予測された。そこでこのベトナム産魚醤油をイオン交換クロマトグラフィおよび限外濾過により分画し、中・塩基性画分の分子章500以上とそれ以下および酸性画分の分子量500以上とそれ以下の画分を得た。各画分の高分子量画分を上記11成分からなる単純合成エキスに添加して官能検査を行った。その結果,基本味に対して中・塩基性高分子画分は甘味を強く増大させた。また、酸性高分子画分は甘味をやや低下させたが、酸味を強く増大させた。また、両画分とも旨味も増強することが判明した。風味質に対しては両画分とも広がり、先味および後味を増大させ、ペプチド画分は魚醤油の味と風味に大きな影響を与えることが明らかになった。

 次に、ペプチドの魚醤油の味への影響を詳しく調べるため、これら画分からペプチドを単離して構造決定し、それらを合成して官能検査を行った。その結果、ベトナム産魚醤油から合計17種のペプチドが単離された。中・塩基性高分子画分からはTyr-Pro-Orn、Val-Pro-OrnおよびGly-Pro-Orn-Glyが単離され、前二者は苦味を示し、後一者は無味であった。中・塩基性低分子画分からはAla-Proのみが単離され、このペプチドはわずかな苦味を示した。酸性低分子画分からは10種のジペプチドと3種のトリペプチドが単離された。ジペブチドの味については、従来の報告とやや異なるものもあるものの、苦味(Gly-Phe、Gly-Tyr、Phe-Pro)、甘味(Val-Pro)および酸味(Tyr-Pro、Val-Pro-Glu)を示すペプチドが見いだされ、Asp-Gluは酸味を伴う旨味を呈し、Asp-Met-Proは旨味を示した。これらのペプチドは0.3%の食塩の添加により、ほとんどが先味に甘味を伴う旨味あるいは旨味を伴う甘味を示し、食塩の効果が大であった。魚醤油にはその他多種類のペプチドの存在が予測され、ペプチドは魚醤油の味に大きく寄与しているものと考えられた。

 以上本研究により、東南アジアおよび東アジア産魚醤油の化学成分の特徴が明らかになり、国によって成分組成が大きく異なることが明らかとなった。これらの分析値は今後魚醤油製造および輸入時の品質管理の指標となるものと考えられる。また、発酵食品では初めて魚醤油の呈味有効成分が明らかになり、アジアの多くの人々に愛されている魚醤油の複雑な強い旨味を構成するこれら成分の解明は、発酵調味料生産現場に大きく資するものと考えられる。さらに、魚醤油には極めて多種類の低分子ペプチドが存在し、魚醤油の味に大きく寄与していることが判明した。今後これらの生理機能についても興味がもたれるところである。

審査要旨 要旨を表示する

 魚醤油は東南アジアにおいては必須の万能調味料であるが、日本では大豆醤油におされ、これまで細々と生き残ってきたにすぎない。しかしながら、近年消費者のグルメ・エスニック志向あるいは本物志向から魚醤油の価値が見直され、加工食品の隠し味などとして消費が伸び、生産および輸入量は増加している。魚醤油は高塩分で独特の臭気を有するものの、深い旨味をもち、古くから研究者の関心を引いてきたが、味に関する食品化学的研究は比較的少なく、東南アジアあるいは日本、韓国の特定の魚醤油について、限られた成分の分析が成されてきたにすぎず、独特の強い旨味をかもしだす呈味有効成分は知られていない。このような背景の下、本研究は東南アジアおよび東アジア産の魚を原料とする液体の魚醤油を集め、これらについて化学成分を分析、比較すると共に、ベトナム産魚醤油の呈味有効成分を明らかにし、さらに魚醤油の低分子ペプチドの味への寄与を明らかにしたものである。

 第一章では、タイ(n=10)、ベトナム(n=20)、ミャンマー(n=7)、ラオス(n=2)、中国(n=2)、韓国(n=9)および日本(n=11)産の魚醤油合計61種を集めて化学成分を分析し、pH、塩分、全窒素、遊離アミノ酸、有機酸、ヌクレオシド・核酸塩基含量の国別の特徴を明らかにしている。全窒素および遊離アミノ酸総量はベトナム産が最も高く、次いで日本、タイ産の順で、ミャンマーおよびラオス産で低く、中国および韓国産は中間の値を示した。ベトナム、日本およびタイ産魚醤油は類似のアミノ酸組成を示し、アスパラギン酸、グルタミン酸、アラニン、バリン、リシンおよびヒスチジン含量が高かった。アミノ酸組成はラオスおよびミャンマー産では大きく異なっていた。有機酸組成はアミノ酸ほど国による差は大きくはなく、ピログルタミン酸が最も多く、乳酸および酢酸がこれに次いで多がった。中国およびミャンマー産では他と異なり、乳酸よりも酢酸含量が著しく高く、酢酸発酵が優勢と考えられた。クレアチニン含量はクレアチン含量の半分程度であり、上記各成分含量とよい相関を示し、品質管理の簡便な指標になるものと考えられた。これら7ヶ国の魚醤油はその成分含量およびアミノ酸組成によって3つのグループ、すなわちこれら成分含量がいずれも高いタイ、ベトナムおよび日本産、また中間の韓国、中国産および低含量のミャンマーおよびラオス産に分けられることが明らかにされている。

 第二章では、上記各成分の窒素回収率が97.9%と高い典型的なベトナム産魚醤油を取り上げ、呈味有効成分を明らかにしている。すなわち、これらの分析値に基づいて合成エキスを調製し、オミッションおよびアディションテストを実施し、グルタミン酸、アスパラギン酸、スレオニン、アラニン、バリン、ヒスチジン、プロリン、チロシン、シスチン、メチオニンおよびピログルタミン酸の11成分が魚醤油の呈味有効成分であることを明らかにしている。これら11成分からなる単純合成エキスは、呈味強度はやや劣るものの、魚醤油の味をほぼ再現していた。

 第三章では、全窒素の20%に達する低分子ペプチドの味への寄与を検討している。すなわち、べトナム産魚醤油からペプチドを分画し、分子量500以上の画分を上記11成分からなる単純合成エキスに添加して官能検査を行い、中・塩基性画分は甘味を強く増大させ、酸性画分は酸味を増大させること、また両画分とも旨味も増強することを明らかにしている。さらに、両画分とも広がり、先味および後味を増大させ、ペプチド画分は魚醤油の味と風味に大きな影響を与えることを明らかにした。次に、これら画分から合計17種のペプチドを単離して構造決定し、それらを合成して官能検査を行っている。これらは主として苦味(Tyr-Pro-Orn、Val-Pro-Orn、Gly-Phe、Gly-Tyr、Phe-Pro)、甘味(Val-Pro)および酸味(Tyr-Pro、Val-Pro-Glu)ペプチドに分類され、Asp-Gluは酸味を伴う旨味を呈し、Asp-Met-Proは旨味を示した。これらのペプチドは0.3%の食塩の添加により、ほとんどが先味に甘味を伴う旨味あるいは旨味を伴う甘味を示し、食塩の効果が大であった。

 以上本研究により、東南アジアおよび東アジア産魚醤油の化学成分の特徴が明らかになり、発酵食品では初めて呈味有効成分が解明された。さらに、魚醤油には極めて多種類の低分子ペプチドが存在し、魚醤油の味に大きく寄与していることが判明した。これらの成果は学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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