学位論文要旨



No 116237
著者(漢字) 荒木,潤
著者(英字)
著者(カナ) アラキ,ジュン
標題(和) セルロース微結晶コロイドの流動特性と液晶形成挙動
標題(洋)
報告番号 116237
報告番号 甲16237
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2267号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物材料科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 空閑,重則
 東京大学 教授 尾鍋,史彦
 京都大学 教授 松本,孝芳
 東京大学 教授 小野,拡邦
 東京大学 助教授 磯貝,明
内容要旨 要旨を表示する

 天然セルロースはミクロフィブリルと呼ばれる準結晶性の棒状構造から構成されているが、酸加水分解によりこれらのミクロフィブリルが短く切り出された棒状微結晶の懸濁液を得ることができる。このようなセルロース微結晶およびその懸濁液は、食品添加物や化粧品、薄層クロマトの担体やセルラーゼ基質といった実用への応用がなされる一方で、モデル的な棒状粒子懸濁液として粘性挙動が研究されたりセルロースの結晶構造の解析に用いられたりしてきた。そのような中で近年、このセルロース微結晶懸濁液が他の棒状粒子系と同様に、ある臨界濃度以上で液晶相分離してキラルネマチック(コレステリック)相を形成する事が明らかになったが、キラリティの原因に関しては諸説が提案され未だ解明されていない。また流動特性や液晶形成能は表面電荷の量や種類・導入部位に大きく左右されると考えられるが、それらを幅広く変化させ制御させた研究例は見いだされていない。本研究ではセルロース微結晶の表面電荷の種類および量を変化させる手法を確立するとともに、微結晶懸濁液の流動特性や液晶形成能が表面修飾によってどのように影響を受けるかについて検討した。

 第2章では、表面に荷電基が導入されない塩酸加水分解法により調製した微結晶懸濁液を出発物質として、(1)50%硫酸処理による硫酸エステル基の導入、(2)尿素−リン酸反応によるリン酸エステル基の導入、(3)TEMPO(2,2,6,6,-テトラメチル-1-ピペリジニルオキシラジカル)を用いた一級水酸基の酸化によるカルボキシル基の導入、の3種の手法を用いた。どの手法によっても、微結晶粒子の外見を大きく変化させることなく表面電荷を導入することができたが、導入量を幅広く変化させられること、また導入した荷電基が加水分解によって脱離する心配がないことなどの利点を持つTEMPO酸化が、表面電荷量制御法としてもっとも優れていると思われた。

 第3章では、表面電荷量を制御した微結晶懸濁液の粘性挙動および液晶形成挙動について検討した。未処理の塩酸加水分解懸濁液の場合、セルロース濃度が0.3%以上では強いチキソトロピーを、それ以下では弱いアンチチキソトロピーを示したが、表面電荷を多く持つ硫酸加水分解懸濁液の粘度は経時変化を示さなかった。チキソトロピー/アンチチキソトロピーの程度は綿由来の微結晶よりも木材パルプ由来の微結晶の方が顕著であり、残留ヘミセルロース成分や漂白の際に導入されたわずかなカルボキシル基が影響していると考えられた。木材パルプ由来の微結晶に表面電荷を導入していくと、電荷導入量が少ないときはセルロース濃度に関わらずアンチチキソトロピーを示すようになり、さらに電荷が増えると粘度の経時変化は見られなくなった。綿由来微結晶の場合はごくわずかの表面電荷導入に伴って粘度の経時変化が消失した。これらの粘性挙動の変化は導入した表面電荷の種類によらず同様であったことから、未処理懸濁液中では表面電荷がないために形成された緩い凝集が時間依存粘性を発現していたが、導入された表面電荷量の増加に伴い凝集物が分散して時間依存粘性の消失につながったと考えられた。

 懸濁液の相対粘度の濃度依存性は、粒子軸比を用いてEinsteinの粘度式(ηrel=1+2.5φ)を修正したSimhaの粘性係数によって記述される。硫酸加水分解した微結晶懸濁液はこの粘度式によく従い、粒子の分散性がよいことを示したが、表面電荷を持たない塩酸加水分解微結晶の懸濁液は先に述べたように粒子内凝集を持つため理論値よりも高い粘度を示した。様々な種類の電荷を導入すると、まず電荷量が増加して時間依存粘性が消失するまでは同じ粒子濃度における粘度が低下したが、時間依存粘性が消失した後にさらに電荷量を増加させると電気粘性効果により粘度が上昇した。TEMPO酸化した綿由来微結晶の懸濁液を用いて求めた粘度のデータを、表面電荷により粒子横方向の厚みが増加すると考えてBerry&Russelの粘度式により解析した結果、表面電荷約0.7mol/kgまでの増加が表面電荷の厚み10nmまでの増加に対応する傾向が示された。

 また、液晶形成能も表面電荷導入に伴って変化した。電荷を持たない未処理微結晶は濃縮しても液晶相分離を示さず、約2%以上で強固なゲルを形成した。これに対し、さまざまな表面電荷を導入した微結晶のうち粘度が経時変化を示さなくなったものは2相に分離しキラルネマチック相を形成した。すなわち粘性挙動と相分離挙動が表面電荷の導入に伴い相関して変化した。この挙動は以下のように説明できる。表面電荷による反発がないときにはvan-der-Waals力に由来する粒子間引力が支配的であり、懸濁液内で微結晶は緩い凝集を作りながら安定化するので時間依存粘性を示す。このような懸濁液は濃縮しても相分離せずそのまま凝集してゲルを形成してしまう。一方、電荷導入により粒子間の反発力が大きくなると粒子一本一本が孤立して分散し、凝集構造が解消されるので時間依存粘性は消失する。このような懸濁液は濃縮に際して粒子同士が接近しても反発により再配列できるので液晶秩序を形成する。したがって粘性挙動の変化と液晶形成の有無は相関して変化する。

 前章で、硫酸エステル化を16時間以上行った懸濁液は相分離を示さず、これまでのセルロース微結晶懸濁液には見られない新規な液晶相を形成した。そこで第4章ではこの新規な液晶の特性について検討した。この液晶相は希薄な場合(濃度0.1%以下)は他の微結晶懸濁液と同様に静置状態では光学的に等方的であり流動複屈折は数秒の後に緩和する。しかし濃度2〜3%に濃縮すると、静置状態でも数多くの複屈折ドメインを示す。このドメインは振とうに伴って流動するが振とうをやめると即座に停止し、緩和せずに保持される。しかし懸濁液全体は流動性を維持しておりゲル化しているわけではない。懸濁液の濃度を約7%まで増加させるとゲル化し流動性を失うが、やはり静置状態で複屈折ドメインを示す。この懸濁液を偏光顕微鏡で観察すると得意な交差状模様(crosshatch pattern)を示し、硫酸加水分解懸濁液やTEMPO酸化懸濁液が同じ濃度において示す指紋状模様とは明らかに異なっていた。第4章で記述された新規な液晶の挙動はすべて、棒状酸化アルミニウム粒子懸濁液で観察された“BirefringentGlassy Phase”のそれと同じであった。またこの相の形成は、硫酸エステル化に伴う液内の粒子凝集が原因であり、超音波処理によって凝集が解消されると再びキラルネマチック相分離を起こすことが、電子顕微鏡観察および動的光散乱の結果拡散係数が増大することから示された。

 第4章までで述べてきた懸濁液はすべて表面電荷由来の静電反発力によって安定化している。これに対して第5章では粒子表面高分子鎖の立体障害による安定化、すなわち立体安定化を試みた。本研究で試みたのは立体安定化の中でも直鎖高分子の片末端が粒子表面に強く結合した、いわゆるポリマーブラシとよばれるものである。手法としては第2章で調製したTEMPO酸化微結晶の表面カルボキシル基と、末端アミノ基を持つポリエチレングリコール(PEG-NH2,MW=1,000)とを、水溶性カルボジイミド(EDC)によりアミド結合させる方法を用いた。その結果、結合反応後の重量増加、カルボキシル基の消費、熱重量(TG)測定での昇温過程における2段階重量減少、熱分解ガスクロマトグラフィー/マススペクトル分析(Py-GC/MS)などからPEGの結合が示されると同時に、PEGが結合した微結晶の懸濁液は高いイオン強度(2MNaCl)や有機溶媒(クロロホルム)中でも沈殿せず安定に分散することがわかった。しかし表面に結合したPEG鎖は片末端が固定されているために結晶化できず、X線測定ならびにFT-IR測定で検知する事はできなかった。また、カルボジイミドのみの添加ではアミド化はほとんど起こらず副反応(アシル尿素誘導体の不可逆的生成)が支配的であり、求めるアミド形成にはカルボキシル基活性化剤のN-ヒドロキシこはく酸イミド(NHS)の添加が不可欠であること、さらに反応に供する試薬(カルボキシル基・アミン・EDC・NHS)の添加順序によって結合量(形成されるアミドの量)に顕著な違いが現れることがわかった。PEG結合微結晶の液晶形成に関しても検討した結果、やはりキラルネマチック液晶を形成することがわかったが、表面電荷の減少によりキラルネマチックピッチは減少した。

 以上の結果より、第6章ではセルロース微結晶がキラルネマチック液晶を形成するメカニズムに関して検討した。分子に比べ巨大な棒状粒子であるセルロース微結晶がキラリティを示す理由としては、粒子上の荷電基配列がらせん状であるとする説と、粒子そのものが荷電雲を含めてねじれた形状をとっているためとする説が提案されている。しかし硫酸エステル化およびTEMPO酸化によって調製した懸濁液は、電荷の種類・入る位置・量が全く異なるにも関わらずほぼ同様の外観を示すキラルネマチック液晶を形成した。さらにTEMPO酸化微結晶のカルボキシル基をPEGでブロックした微結晶もキラルネマチック秩序を形成した。らせん状の荷電配列がキラルネマチック秩序の原因だとすればこれらの微結晶上で荷電基がすべて同様のらせん状配列をとっていることになるが、このような状況は非常に考えにくい。加えて、他の研究者グループにより無極性溶媒中で立体安定化したセルロース微結晶がキラルネマチック配列となる例が報告されたことは、セルロース上の荷電基配列様式はキラルネマチック相形成と完全に無関係であることを示している。以上の例から考え、微結晶がねじれているためにキラルネマチック相を形成するというメカニズムが示唆された。複屈折ガラス状相の形成においても、長時間のエステル化により懸濁液内に凝集体が形成されたために、粒子の見かけ形状がねじれた棒でなくなったことが原因であると考えられる。

 最近発見したセルロース微結晶で初のネマチック液晶形成もこのメカニズムによって説明できた。バクテリアセルロースの65%硫酸加水分解によって調製した微結晶懸濁液は塩を加えない状態では複屈折ガラス状相に似た状態を経て2相分離し、ネマチック液晶を形成した。しかし1mMまでの範囲でNaClを添加すると分離した光学的異方相はキラルネマチック相であった。この現象は、よく脱塩した条件下では表面電荷の反発力が遠くまで及ぶために粒子のねじれ形状が包み隠され、見かけ上通直な粒子と見なされるためにネマチック液晶となるが、系に電解質を添加するとしゃへい効果により電荷反発力のおよぶ範囲が短くなり、見かけの粒子形状がねじれた棒と見なされることから生じていると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は豊富な生物材料資源であるセルロースの結晶性に基づく特異挙動を解明し、新しい材料への展開を図るための基礎研究である。論文は第1〜7章からなる。

 第1章は序論であり、セルロース徴結晶とその懸潤液に関わる研究の経緯を整理した。その中で硫酸加水分解により得られる微結晶セルロースの液晶形成の発見と他の棒状コロイド系の挙動を対比させつつ、前者についての未解決の問題を整理し、本研究の問題意識を呈示した。

 第2章では表面電荷をもたない微結晶懸濁液を出発物質として、(1)50%硫酸処理による硫酸基の導入、(2)尿素-リン酸反応によるリン酸基の導入、(3)TEMPO(2,2,6,6-テトラメチル-1-ピペリジニルオキシラジカル)を用いた一級水酸基の酸化によるカルボキシル基の導入、により微結晶セルロースを調製し、生成物を比較検討した。どの手法によっても微結晶粒子の外見を大きく変化させることなく表面電荷を導入することができたが、導入量を幅広く変化させられること、また導入した荷電基が加水分解によって脱離する心配がないことなどの利点を待つTEMPO酸化が、表面電荷量制御法としてもっとも優れていると結論した。

 第3章では徴結晶セルロース懸濁液の粘性挙動および液晶形成挙動について検討した。電荷のない微結晶懸濁液は、セルロース濃度0.3%以上では強いチキソトロピーを、それ以下では弱いアンチチキソトロピーを示したが、表面電荷を多く持つ硫酸加水分解懸濁液の粘度は経時変化を示さなかった。木材パルプ由来および綿由来微結晶の挙動の比較から、粘度の時間依存粘性は電荷反発がない場合の緩い凝集によるものと結論した。

 液晶形成能も表面電荷導人に伴って変化した。電荷を待たない末処理微結晶は濃縮しても液晶相分離を示さず、約2%以上で強固なゲルを形成した。表面電荷を導入した微結晶のうち粘度が経時変化を示さなくなったものは2相分離しキラルネマチック相を形成することを見出した。そしてこれらの挙動を表面電荷による反発とvan-der-Waals力に由来する粒子間引力の作用で説明している。

 第4章では、硫酸エステル化を16時間以上行なった試料が従来知られていないタイプの液晶を作ることから、その特性について検討した。この液晶相は懸濁液濃度が2-3%になると静置状態で複屈折ドメインを示し、7%まで濃縮するとゲル化し流動性を失った。後者を偏光顕微鏡で観察すると特異な交差状模様を示し、従来知られている液晶相が示す指紋状模様とは異なっていた。これらの挙動は棒状酸化アルミニウム粒子懸濁液で観察された“Birefringent Glassy Phase”のそれと同じであったので、同じ概念を適用することを提案した。この相の形成は、硫酸エステル化に伴う粒子の凝集が原因であり、超音波処理によって凝集が解消されると再びキラルネマチック相分離を起こす、という仮説を提示した。

 以上の徴結晶セルロース試料は表面電荷由来の静電反発力によって安定化されたものである。これに対し第5章では高分子鎖の立体障害による分散安定化を行なった。その方法はTEMPO酸化微結晶のカルボキシル基と末端アミノ基を待つポリエチレングリコールを水溶性カルボジイミド(EDC)によりアミド結合させるというものである。PEG結合徴結晶の懸濁液は高いイオン強度(2MNaC1)や有機溶媒(クロロホルム)中でも沈殿せず安定に分散した。そして懸濁液を濃縮したときに生じる液晶はキラルネマチック型であった。

 第6章では、以上の結果に基づきセルロース微結晶がキラルネマチック液晶を形成する理由を検討した。硫酸エステル化およびTEMPO酸化によって調製した懸濁液がキラルネマチック液晶を形成したこと、およびTEMPO酸化徴結晶のカルボキシル基をPEGでブロックした徴結晶もキラルネマチックであったことから、粒子形態のねじれがキラルネマチック相形成の原因であるという考えを呈示した。

 第7章では、バクテリアセルロースから調製した微結晶懸濁液が、他のものと異なりネマチック液晶を形成することを見出した。この懸濁液は塩を加えない状態ではネマチック液晶になるが、微量の電解質を加えるとキラルネマチック液晶を作った。そしてこの現象は表面電荷に対する電解質の遮蔽効果で説明できるという興味深い結論を得た。

 以上を総合して本論文は微結晶セルロースの荷電制御および立体安定化の手法を確立し、それらを用いて懸濁液の粘性挙動と相分離・液晶形成挙動の未解決問題に取組み、多くの重要な知見を得たものであり、学位授与の要件を満たすと判定される。本論文内容の大部分は既に専門学術誌に発表されている。したがって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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