学位論文要旨



No 116239
著者(漢字) 加藤,雅人
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,マサト
標題(和) アルミニウム化合物とセルロース系材料の相互作用機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 116239
報告番号 甲16239
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2269号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物材料科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 尾鍋,史彦
 東京大学 教授 空閑,重則
 東京大学 助教授 磯貝,明
 東京大学 助教授 鮫島,正浩
 東京大学 助教授 松本,雄二
内容要旨 要旨を表示する

[1章]緒言

 本研究では製紙における添加薬品の処方の改善、生物材料の機能化を考慮し、短時間の抄紙工程で種々の添加剤を効率よくパルプ繊維に定着させる役割を持つアルミニウム系添加剤の、セルロースへの吸着挙動、作用機構を明らかにすることを第一の目的とし、さらに得られた結果に基づき様々な親水性の生物材料を、水系媒体で効率的に表面改質する手法に適用することを第二の目的とした。

 まず様々な分析手法を用いて各種アルミニウム化合物のセルロース懸濁液中における構造、吸着挙動の解析を行った(第二章)。次に手すき紙を作製してアルミニウム成分(以後Al成分と表記する)の紙中への定着挙動に影響を及ぼす要因の検討を行った(第三章、第四章)。検討を行った項目は、アルミニウム化合物の構造、抄紙pH、パルプ中のカルボキシル基、懸濁液中の各種イオンなどである。第五章では高倍率における走査型電子顕微鏡一エネルギー分散型X線分析(SEM・EDXA)を行い、紙中のパルプ繊維断面におけるAl元素の分布状態を測定し、抄紙におけるAl成分の浸透挙動、および機能発現機構を検討した。さらに、本分析手法をアルミニウム以外の元素に応用し、他の添加剤、および水道水中のイオン物質のパルプへの吸着挙動に関する検討も行った。最後に、第六章では、紙の劣化挙動、紙のpH挙動、親水性の低下挙動などの現象から、Al成分がパルプおよび紙の物性を変化させる機構について検討した。

[2章]アルミニウム化合物とセルロース系繊維の相互作用

 硫酸アルミニウム水溶液と、その水溶液にセルロース系試料(繊維状セルロース粉末:FC、繊維状カルボキシメチルセルロース粉末:FCMC)を添加したルロース懸濁液を27Al-NMRを用いて分析した。硫酸アルミニウム水溶液にFCを添加しても化学シフトおよびピーク強度に変化はないことから、Al成分のFCへの吸着が起きないことが示された(Fig.1.B)。また添加剤の吸着サイトとしてしばしばパルプ繊維のOH基が注目されるが、本実験の条件ではAl成分とセルロースのOH基には相互作用がないことが示された。一方、FCMCを添加し場合、[Al(H20)6]3+および[Al(H20)5SO4]+に由来するピークは完全に消失した(Fig.1.c)。Al成分が固体であるFCMCに吸着した結果としてピークが消失したと考えられる。また高分子量のAl成分もFCMCに吸着すること示された。さらに硫酸アルミニウム処理したFCMCのFT-IR測定から、FCMC中のカルボキシル基がAl塩を形成することが確認された。この様に、カチオン性のAl成分はセルロース中のカルボキシル基に静電的に吸着するという知見が得られた。

 懸濁液にアルミニウム化合物を添加したときのセルロース粉末のζ電位測定を行った結果、低分子量化合物を添加すると、-20mVだったζ電位は急激に上昇するが正にはならかった。一方、高分子量化合物を添加した場合にはζ電位は急激に上昇して正となりカチオン性の高さが証明された。

 また、カルボキシル基が解離度の低いAl塩を形成するため、硫酸アルミニウム処理をしたFCMCの親水性が低下した。

 このように、アルミニウム化合物は、セルロース繊維の荷電特性、親水性などの性質を効率的に変化させることが明らかになった。

[3章]アルミニウム成分の組成および構造が定着挙動に及ぼす影響

 アニオン性のAl成分は紙中に定着しなかった。カチオン性のアルミニウム化合物では分子量により紙中へのAl成分の定着挙動が異なったが対イオンの影響は見られなかった。高分子量化合物を添加した場合の懸濁液pHの特異性、および高いカチオン性による凝集力の高さが定着挙動の異なる原因であると考えられる。

 8%硫酸アルミニウム添加シート中のパルプ表面では、フィブリルが明確に観察される部分と粒子状物質に覆われている部分が存在した。これらの部分に対してSEM-EDX分析を行ったところ、粒子状物質に覆われた部分ではフィブリル部分と比較して約2倍量のアルミニウムが検出され、この粒子状物質がアルミニウムの凝集物であることが示された。硫酸アルミニウムを添加後に懸濁液のpHを7に調整した結果、アルミニウム化合物の添加量によらず歩留りが向上し、紙中の繊維表面はほぼ全域にわたり凝集物で覆われた。ただしこのアルミニウム凝集物は物理的なかく拌で除去された。実際の抄紙系ではpHが十分に低い(約4.2)にも関わらず凝集物が生成しており、生成した凝集物は一定の割合で紙中に定着した。

[4章]アルミニウム成分の定着に影響する因子

 カルボキシル基をブロックしたパルプを使用すると紙中Al量が減少した。これは抄紙においても、カチオン性のAl成分がパルプ中のカルボキシル基との相互作用により定着することを示している。ただし、硫酸アルミニウムは酸性であり、またアルミニウム塩は解離度が低いために、元々存在しているカルボキシル基の金属塩はアルミニウムの定着に影響を及ぼさなかった。

 水道水中の様々な物質の影響を検討するために不純物を除去した水を使用して、手すき紙を作製しAl成分の歩留り挙動を検討した。水道水中のノニオン性の不純物に吸着したAl成分はアルミニウムの凝集物と同様にある一定の割合でのみ紙中に定着した。イオン交換水を用いると紙中Al量が劇的に減少したが、イオン強度の影響ではなかった。カチオンであるMg2+はAl成分と、アニオンであるシュウ酸はパルプ中のカルボキシル基と競合するため、これらのイオンの存在はAl成分の紙中への定着を妨げた。一方、Ca2+の添加によりAl成分の定着が促進されたが、水中におけるAl錯体の構造あるいはAl成分の電気二重層への影響によると考えられる。

 3章および4章の結果に基づき、イオン交換水中の炭酸イオンをNaOHを使用し中和してからCaCl2を添加した水を用いて抄紙を行ったところ、水道水を使用して作製した紙とほぼ同等の紙中Al量となった。

[5章]SEM-EDXによる各種元素の分布測定

 SEM・EDXAを使用した紙中のパルプ繊維断面における各種元素の分布状態の測定手法を確立したことにより、添加物等の繊維への吸着挙動および浸透挙動を解析することが可能となった。

 硫酸アルミニウムを0.5-8%添加した紙中の繊維断面では、アルミニウムがほぼ均一に検出されたことから、パルプ懸濁液に添加されたAl成分は速やかに繊維内に浸透したと考えられる。また、高分子量アルミニウム化合物を添加した場合にも、Al成分は繊維内部まで浸透して内部ではほぼ均一に分布していた。

 次に、市販紙についてもSEM・EDX分析を行った。中性紙であるコピー用紙においてもAl成分が内部まで浸透していたが、Al成分の一部に高分子化、凝集が起こったために中心部に到達しなかった(Fig.2)。また水に由来するケイ素およびマグネシウムが検出され、アルミニウムと類似の分布を示した。ケイ素はケイ酸アルミニウム、各種金属のアルミノケイ酸塩として繊維内に定着したと考えられる。マグネシウムはカチオンとしてパルプ中のカルボキシル基に吸着したか、あるいはケイ酸マグネシウムとして定着したと考えられる。それに対して、てん料由来のカルシウムは繊維表面および繊維間にのみ検出された。また新聞紙中にも繊維内でアルミニウムとケイ素が類似の分布を持ち存在していたが、コピー用紙と同様の機構によると考えられる。

 繊維表面に存在している少量のアルミニウム成分が効率的に機能し、サイズ剤などを定着させている。また繊維内部に存在しているアルミニウム成分は、ケイ酸のようにスケール、ピッチなどの製紙上の問題の原因となるアニオン成分を繊維内に定着させるという点では有用である。

[6章]アルミニウム化合物の添加による繊維、紙の性質への影響

 多量に硫酸アルミニウムを添加した紙が劣化する機構は、酸性抄紙の際に添加された硫酸アルミニウム中の硫酸イオンによるものであるという説があった。本研究においても確かにアルミニウム化合物の添加により紙中のイオウ成分も増加したが、塩化アルミニウムを添加した場合にも同量のイオウ成分が検出されたことから、イオウ元素は添加剤由来ではなく水道水由来であること示された。

 アルミニウム化合物を様々な量で添加した紙の、紙中のAl量と表面pHとの関係から、Al成分の構造が表面pHに影響していることが明らかとなった。Al成分は水と反応し、OHによって架橋され高分子化(olation)する際H+を放出する。つまり、高分子化が予めある程度進行している高分子量化合物、および硫酸イオンが配位している硫酸アルミニウムではolationが抑制されるためにH+の放出が少なく、pHの低下も抑制されることが示された。

 劣化による耐折強度の低下は、Al成分の構造および組成に影響を受けないことが示された。また、白色度の低下に関しては、硫酸イオン濃度の高い懸濁液から調製した手すき紙において低下が速く進行したが、最終的に平衡に達した白色度の値は紙中のAl成分の有無に依存しなかった。

 手すき紙でもアルミニウム化合物を添加することにより親水性が低下した。アルミニウム化合物添加により、(1)微細繊維分の歩留りが向上、繊維間結合の促進し、紙構造が密になったこと、(2)Al成分がパルプ繊維に定着して繊維自体の親水性が低下したことが原因である。さらに、経時、加熱によりAl成分の高分子化が進み紙中のAl成分自身の親水性が低下した。

[7章]総括

 Al成分の紙中への定着は、(1)カチオン性のAl成分がパルプ中のカルボキシル基と静電的相互作用によるパルプ繊維内部および表面への吸着、および(2)凝集物のろ過作用による繊維表面への吸着、の同時進行である。

 アルミニウム化合物の機能としては、サイズ剤のエマルションなどを繊維表面に効率的に定着させると同時に、サイズの小さなアニオン成分を繊維内部に定着させることである。

 Al成分の定着により、セルロース系材料であるパルプ繊維および紙の性質が変化する。

Fig.1 27Al-nuclear magnetic resonance spectra of aluminum sulfate solutions, to which fibrous cellulosic powders were added.

A: 0.1% aluminum sulfate solution.

B: A+fibrous cellulose powder

C: A+fibrous CMC powder

Fig.2 Distributions of elements determined by EDX line analysis of a crosssection of pulp fiber in office paper

審査要旨 要旨を表示する

 アルミニウム系添加剤は製紙工程において微細繊維や各種の添加物の定着性の向上および工程水のpH制御の目的で、洋紙の生産が始まった19世紀初期から用いられてきたが、その作用機構は現在においても未知な部分が多い。環境問題の深刻化の中で製紙工場の排水のクローズド化が進み、水質の低下傾向の中で省資源の面からもパルプ繊維や添加物の定着性を向上させなければならない厳しい状況にあるが、それには基本的な問題としてアルミニウム系添加剤のセルロースヘの吸着挙動や作用機構を原点に立ち返り明らかにしなければならない。

 そこで本研究では各種の先端的な分析手法を用いて多面的に相互作用の解析を行い、多様な問題点を明らかにした。全体は7章からなる。

 第1章は緒言であり、アルミニウム化合物とそのセルロースとの相互作用に関する既往の研究を総括し、本研究の問題提起を行い、研究の意義を述べている。

 第2章から第6章までは本論文の中心であり、5章より構成されている。

 第2章はアルミニウム(Al)化合物とセルロース系繊維の相互作用について記述している。硫酸アルミニウム水溶液に各種のセルロース系試料を添加したセルロース懸濁液をNMRで分析した結果、カチオン性のAl成分は非イオン性のセルロース表面やOH基とは反応せず、セルロース中のカルボキシル基と静電的に反応することが示された。またアルミニウム化合物はセルロース繊維の荷電特性や親水性を効率的に変動させることが明らかとなった。

 第3章はアルミニウム成分の組成および構造が定着挙動に及ぼす影響について記述している。アニオン性のAl成分は紙中に定着せず、カチオン性のアルミニウム化合物では分子量により定着挙動が異なったが対イオンの影響は見られなかった。また高分子量化合物では懸濁液のpHで凝集に特異性が現れ、凝集のレベルも異なる。硫酸アルミニウム添加シート中のパルプ表面ではフィブリル形成部分と粒子状物質に被覆された部分が存在し、SEM-EDX分析の結果粒子状物質の部分はアルミニウムの凝集体であり、pHの制御により繊維全表面に広がることが認められたが、物理的な撹拌で除去される。しかし実際の抄紙系では凝集物が均一に定着するようなpH条件下にある。

 第4章はアルミニウム成分の定着に影響する因子について記述している。実際の製紙工程では多様なイオン種が共存し、アルミニウム成分の定着に影響する。パルプの側ではカルボキシル基をブロックすると紙中のAl量が減少したことから相互作用の吸着サイトとしてカルボキシル基の量は特に重要である。またカチオンであるMgはAl成分と、アニオンであるシュウ酸はパルプ中のカルボキシル基と競合するためAl成分の紙中への定着を妨げることが明らかになった。Caイオンの添加によりAl成分の定着が促進されたが、水中におけるAl錯体の形成や電気二重層への影響が原因と考えられる。

 第5章はSEM-EDXによる各種元素の分布測定を記述している。本方法により紙中のパルプ繊維断面における各種元素の分布状態の測定データから、添加物の繊維への吸着挙動および浸透挙動の解析が可能となった。硫酸アルミニウムや高分子量アルミニウム化合物の添加において、Al成分は速やかに繊維内に浸透し内部では均一に分布する。またコピー用紙や新聞用紙に応用した結果、各種元素の繊維表面および内部における分布状態が定量的に求められることが示され、微量のAl成分の各種添加剤の定着の促進や阻害における役割が明らかとなった。

 第6章はアルミニウム化合物の添加による繊維、紙の性質への影響について記述している。酸性紙の劣化機構に関して従来は添加剤としての硫酸アルミニウム中の硫酸イオンが劣化を促進するという説が有力であったが、本研究では塩化アルミニウムの添加後の紙中の硫黄成分の分析結果から、水道水中の硫黄元素が劣化の主要因であるとの説を提起した。アルミニウム化合物を異なった量で添加した紙中のAl量と表面pHとの関係から、Al成分の構造が表面pHに影響していることが明らかとなり、その機構を硫酸アルミニウムのolationが関与しているものとした。また紙の物性に関してはAl成分により定着促進、繊維間結合の促進、紙層構造の緻密化などの結果として親水性が低下することが示唆された。

 第7章は全体を総括しており、Al成分の紙中への定着においてはカチオン性のAl成分のカルボキシル基との静電的相互作用により繊維内への浸透と吸着が生じ、またAl成分の凝集物のろ過作用が同時に進行することを示した。さらにアルミニウム化合物のサイズ剤の定着における多様な役割を明らかにし、Al成分によるセルロース系材料の改質の可能性を示唆した。

 以上、本論文は多様な条件下でのアルミニウム化合物とセルロース系材料の相互作用を解析し、従来未解明であったAl成分の繊維や各種添加剤の定着における機能と役割を詳細に明らかにした。従って本論文は環境と調和した次世代の新たなAl系添加剤などの製紙薬品の開発のための基礎的な問題を明らかにし、実用性も高い。

 よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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