学位論文要旨



No 116244
著者(漢字) 佐藤,隆史
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,タカシ
標題(和) 男性ホルモン受容体の生体内高次機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 116244
報告番号 甲16244
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2274号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,茂明
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 助教授 佐藤,隆一郎
 東京大学 助教授 加藤,久典
内容要旨 要旨を表示する

1. 目的

 男性ホルモン(アンドロゲン)は雄性生殖器管の形成、発育、維持、脳の性分化など多岐の生理作用発現に必須であることが知られている。これらアンドロゲンの生理作用は一般的には個体の雄性化を導くものと捕らえられている。アンドロゲンの生理作用は特異的核内受容体(AR)を介した標的遺伝子の転写制御により発揮される。概して、核内受容体を介した種々の脂溶性リガンドの作用における研究は、旧来リガンドの欠乏個体や細胞培養系を用いた実験系が主に使われてきた。

 しかしこれらの研究のみでは、生体の恒常性の維持や、行動に現われる機能など個体全体における核内受容体の生理的役割を明確にすることは不可能である。

 AR遺伝子においては、その機能不全を引き起こす遺伝的な変異は精巣性雌性化症(Tfm)に至ることがヒト、マウスにおいて古くから数多くの報告例が知られている。Tfm個体はXY、すなわち遺伝的には雄性の個体であるが、雄性生殖器官が欠失し、外見上雌型を呈する生殖不能の個体である。このように雄性におけるARの機能の一部はTfmの解析から研究されている。しかし、Tfmは点変異やフレームシフトであるためAR遺伝子の欠損はnu11-mutantではなく、部分的もしくは遺伝子上変異の種類が異なるため、各々の変異での表現型の差が大きい。また、病態をもたらす原因がAR遺伝子以外に存在する可能性も否定できない。これらの事実からも、ARの個体での機能解明にはTfmのような自然遺伝子疾患モデルのみでは不十分であり、やはりAR遺伝子欠損(ARKO)マウスの作出と解析は必須であると考えられる。

 しかしながら、AR遺伝子はX染色体上に存在し、雄性ARKOマウスは生殖不能である。そのため、通常の方法では雌性(XX)のAR遺伝子欠損ホモ接合体を得ることは理論上不可能である。そのため、同一のAR遺伝子変異を持つ雌性のAR遺伝子欠損個体は自然界に存在し得ない。このことから、従来の遺伝学的手法では雌性におけるAR機能を真に評価することは不可能である。

 そこで、本研究ではCre-loxp systemの用いることで、まずAR遺伝子上にloxP配列を組み込んだマウス(以下ARfloxマウス)を作成した。次に、このARfloxマウスを用いることで、雌雄のARKOマウスの作出に成功した。これらARKOマウスの解析から、雌雄ににおける新たなAR高次機能の解明を試みた。

2. ARfloxマウスの作成ならびに、雌雄AR遺伝子欠損マウスの作出

 ヒトARcDNAを用い、マウスAR exon1を含む約16.5kbのゲノムDNA断片を取得した。このDNA断片について制限酵素地図を作製し、exon1を2つのloxP配列で挟み、一方にG418耐性遺伝子(NEOr)を繋いだターゲテイングベクターを構築した。構築したターゲテイングベクターをエレクトロポーレーション法により、ES細胞(TT2細胞株)に導入し、G418耐性クローンのサザンブロット解析により相同的組換えを起こした4クローンを単離した。得られたES細胞からアグリゲーション法によりマウス8細胞期胚に導入し、ARfloxキメラマウスを作成した。キメラマウスは全て雄性の個体あるが、WTの雄同様の生殖能力を持ち、雄の生理機能に全く異常はなかった。これらはキメラマウスから交配により得た雄性のARfloxマウスついても同様であり、このことからARfloxマウスにおいてARは正常に機能すると考えられた。ARfloxマウスは全身でCre recombinaseを発現するCMV-Cre遺伝子のトランスジェニック(Tg)マウスと交配させた。これにより得られた仔マウスのうちCMV-Cre遺伝子を持つ雌マウスは全て、loxP配列に挟まれたexon 1 を欠失した欠損型AR遺伝子(AR-/+)のヘテロ接合体であった。これらのヘテロ接合体を更に雄のARfloxマウスとかけ合わせ、得られた仔マウスのARの遺伝子型をサザンブロットにより確認した。さらに雄のAR遺伝子欠損マウスでは外見が雌と同一視されることが予想されるため、Y染色体上に存在するSRY遺伝子のPCR増幅による染色体の雌雄の判別も同時に行った。その結果、(AR-、AR-/-)のみを持つと考えられるマウスが雌雄でそれぞれ得られた。これらを以後ARKOマウスとして解析した。

3. ARKOマウスの解析

 Cre-loxP systemにより作出したARKOマウスは、雌雄ともにメンデルの法則による期待値とほぼ同等の数で誕生した。このことから、ARは個体の発生、生存には必須な因子でないと考えられた。ARKOマウスの解析ではアンドロゲンの作用のうちTfmにおいても詳細に研究されて報告の多い、生殖器官におけるARの役割と、作用機序が明確にされていない骨形成・代謝作用に着目し、雌雄ARKOマウスをそれぞれの解析を行った。

3-1. 雄ARKOマウスの解析

 雄性生殖器官は胎児期に形成され、性成熟の段階で発育し生殖能を獲得する。したがって、雄性生殖器官の解析はその機能を観察できる性成熟期、すなわち7週齢において行った。その結果、雄ARKOマウスでは輸精管や精巣上体、前立腺、陰茎などの雄性生殖器官の形成が全く確認されず、精巣は腹腔内に形成されていた。また、子宮、卵管、膣上部などの雌性内生殖器官の形成は確認されなかったことから、雄において完全にAR遺伝子を欠損してもミューラー管の退縮は正常に起こるものと考えられた。更に、腹腔内に形成された精巣は野生型(WT)と比較し著しく小さく、精子の形成は全く確認されなかった。また、Leidig細胞が肥大化しており、形態はWTのLeidig細胞と大きく異なるものであった。そこで内分泌系における異常を調べたところ、Tの産生を誘導する性腺刺激ホルモンの血中濃度はWTに比べ4〜5倍の高値を示すのに対し、Tの血中濃度は逆に低下しており、WTの雌の血中濃度に近い値であった。これらの解析結果はTfmマウスの解析における報告とは矛盾しないものであった。更に、骨形成・代謝作用における変異を観察するため、骨量や骨密度を解析したところ、ARKOマウスでは皮質骨と海綿骨の双方で顕著に低下していた。

3-2. 雌ARKOマウスの解析

 雌ARKOマウスでは、まず雄ARKOマウスの表現型からは最も予測不可能な雌性生殖器官における表現型に最も興味がもたれた。そこで、生後4〜7週齢の雌ARKOマウスにおける雌性生殖器官を解析した結果、雌性における子宮、卵巣はじめとした主要雌性生殖器官の形成に異常は観察されなかった。さらに、生後7週を経過した雌ARKOマウスはWTの雄と交配させ、妊娠や出産など雌ARKOマウスの生殖能を検討したところ、交配させた雌ARKOマウスはWTの雌と同様に交配、妊娠し、仔マウスを出産した。従ってARは、雌の生殖能には必須ではないと考えられた。また、雌ARKOマウスついても骨格形成における表現型を7週齢の骨量、骨密度にて観察したところ、WTとの差異は認められなかった。しかしながら、ARKOマウス7週齢を超えるものがいないため、今後は性成熟期を超えた時期に観られる異常や、形態形成や組織に現われない変異を解析する予定である。

4. 考察

 雄ARKOマウスの解析から、雄性生殖器官においてTfmマウスとほぼ一致する変異が観察された。すなわち、雄ARKOマウスは極めて重篤な雌性化の表現型を呈し、雄性特有の生命現象の多くに障害をもたらすものであった。このように、雄性生殖器官形成におけるARの機能の必須性が明確に出来た。本研究では人為的な手法で雄ARKOマウスの作出解析することで、多様な自発的遺伝子疾患であるTfmの主要な表現型が実験的なAR遺伝子の完全欠損によっても同様に確認されたことで意義のあるものと言える。また、骨形成・代謝作用においてもアンドロゲンの関与が指摘されているものの、その作用機序については不明であった。しかし、雄ARKOマウスで観察された骨量、骨密度の低下から、骨組織におけるARの機能を明確にすることが出来た。この機能が如何なる骨細胞種に於けるものかを明確にするために、ARfloxマウスを用いた骨細胞種特異的なAR欠損を試みる予定である。

 一方、雌ARKOマウスの作出は、Tfm個体や従来のジーンターゲティング法では作出不可能であった。本研究ではCre loxP systemを用いることで初めて雌のAR遺伝子欠損ホモ接合体の作出を可能にした。雌ARKOマウスの解析においては、生殖器官の形成や骨代謝における変異は7週齢まで観察されなかった。しかしながら、高齢に伴う変異や行動における異常など、今後の詳細な解析により変異が見い出される可能性は極めて高い。このような詳細な解析により、現在まで全く予想不可能であった雌性におけるARの生理的役割が明らかになるものと期待される。

 作成した雄のARfloxマウスは挿入外来遺伝子(NEOr)がAR遺伝子のイントロン上に存在するにも関わらず、雄において雌性化などの異常が全く観察なかったことから、このマウスでは正常にARが発現し機能すると考えられる。したがって、今後組織特異的にCre recombinaseを発現するTgマウスと交配し、組織特異的ARKOマウスの作出が可能である。これらマウスを用いることで、本研究では明らかに出来なかった各標的器官におけるARの直接的な機能の解明が期待される。

 以上、本研究ではCre-loxp system応用することにより、雌雄のARKOマウスを作出に成功した。これらを解析することで、今まで不明であった雌雄の個体におけるARの生理的役割の一端を明らかにするとともに、行動を始めとした生体内高次機能におけるAR機能解析の基礎的基盤を築いた。

審査要旨 要旨を表示する

 男性ホルモン(アンドロゲン)は雄性生殖器管の形成、発育、維持、脳の性分化など多岐の生理作用発現に必須であることが知られている。アンドロゲンの作用は雄性個体における作用のみが研究の対照とされてきた。雌性個体の生理機能におけるアンドロゲンの生理作用は不明のままである。アンドロゲンの生理作用は特異的核内受容体(AR)を介した標的遺伝子の転写制御により発揮される。近年核内受容体を介した種々の脂溶性ホルモンの作用における研究は、核内受容体の遺伝子欠損マウス(KOマウス)を作出し、その表現型を解析することが有効な手段となっている。そこで、雌雄の個体におけるアンドロゲンの生理的役割を明確にするためにはAR遺伝子欠損マウス(ARKO)マウスの作出と解析が必須と考えた。しかしながら、AR遺伝子はX染色体上に存在し、単一のマウスは生殖不能である。そのため、通常の方法では雌性(XX)のAR遺伝子欠損ホモ接合体を得ることは理論上不可能である。そのため、両X染色体上に同一のAR遺伝子変異を持つ雌性のホモ接合体は自然界に存在しない。このことから、従来の遺伝学的手法では雌性におけるAR機能を真に評価することは不可能である。そこで、本研究ではCre-loxp systemの用いることで、まずAR遺伝子上にloxP配列を組み込んだマウス(ARfloxマウス)を作成した。次に、このARfloxマウスを用いることで、雌雄のARKOマウスの作出に成功した。これらARKOマウスの表現型の解析から、雌雄における新たなAR高次機能の解明を試みた。本文は4章より構成されている。

 第1章は本研究の背景および目的と意義について述べた序論から構成される。

 第2章では、Cre-loxP systemを用いた雌雄のARKOマウスの作出の経緯について述べている。雌雄のARKOマウスの作出には、まずAR遺伝子座上にloxP配列を組み込んだマウス(ARfloxマウス)の作成が必要である。そこで本章の前半では、AR遺伝子座にloxP配列を組み込んだベクターの構築、相同組み替えES細胞クローンの取得、キメラマウスの作製、を経たARfloxマウス系統の確立を述べている。章の後半においては、Creリコンビナーゼの遺伝子を発現するマウスとARfloxマウスを交配させることにより、次世代で雌雄のARKOマウスが理論通り得られたことからARKOマウスの作出を実際に可能にしたことを証明している。

 第3章は、作出した雌雄ARKOマウスの表現系の解析について述べている。表現系の解析は雄ARKOマウスと雌ARKOマウスのそれぞれにおいて行った結果を述べている。雄ARKOマウスの表現型は、雄性生殖器官、精巣、内分泌、骨組織の四者について変異を解析した。その結果、雄ARKOマウスでは雄性生殖器官の形成が全く確認されず、精巣は腹腔内に形成されていた。更に、腹腔内に形成された精巣は野生型(WT)と比較し著しく小さく、精子の形成は全く確認されなかった。内分泌系における変異を調べたところ、テストステロンの産生を誘導する性腺刺激ホルモンの血中濃度はWTに比べ4〜5倍の高値を示すのに対し、Tの血中濃度は逆に低下しており、WTの雌の血中濃度に近い値であった。更に、骨形成・代謝作用における変異を観察するため、骨量や骨密度を解析した。その結果、雄ARKOマウスでは皮質骨と海綿骨の双方で大幅に骨密度が低下していた。このことから、骨組織におけるアンドロゲンの作用の重要性を強く示唆された。

 雌ARKOマウスの表現型は、雌性生殖器官の形成、生殖能、骨組織、の三者について変異を解析してた。雌ARKOマウスにおける雌性生殖器宮を解析した結果、雌性における子宮、卵巣はじめとした主要雌性生殖器官の形成に異常は観察されなかった。さらに、雌ARKOマウスをWTの雄と交配させ、妊娠や出産など雌ARKOマウスの生殖能を検討したところ、交配や妊娠に異常はなく、仔マウスを出産した。しかしながら、雌ARKOマウスでは産仔数の低下や、仔マウスの共食いなどが観察された。このように、AR遺伝子欠損は雌性特有の生理機能にも幾つかの変異をもたらす可能性を示唆することが出来た。また、雌ARKOマウスついても骨組織における表現型を雄同様に解析したが、WTとの差異は認められなかった。

 第4章の総合討論では論文全体を総括し、雌雄の個体におけるARの役割と今後の展望について考察されている。

 以上、本論文はCre-loxp systemによるマウス系統を確立し、これを用いることで従来作出不可能であった雌ARKOマウスの作出に成功した。

 そして、この雌雄のARKOマウスの表現型から、ARを介したアンドロゲンの生理作用の一端を明確にしたものである。これらの知見は、学術上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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