学位論文要旨



No 116246
著者(漢字) 芳賀,恒其
著者(英字)
著者(カナ) ハガ,コウキ
標題(和) ゲノム情報を用いた枯草菌ストレス応答機構の解析
標題(洋)
報告番号 116246
報告番号 甲16246
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2276号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,秀夫
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 正木,春彦
 東京農大応用生物科学部 教授 吉川,博文
 東京大学 助教授 田中,寛
内容要旨 要旨を表示する

 枯草菌その他のバクテリアは熱・酸化ストレス・栄養饑餓・pH変化・浸透圧変化など、環境中の様々なストレスに迅速に応答して細胞を守る機構を発達させており、その制御は非常に多くの因子が複雑に関与しあって成り立っている。枯草菌のストレス応答機構の研究は、ゲノム生物学の発達及び枯草菌におけるゲノムプロジェクトの進行によって、近年急速な進展を見ているが、個々の遺伝子の機能については大腸菌などにくらべて未だ不明な点が多く残されている。例えば、大腸菌においてよく研究が進められているHsp70及び40のホモログであるDnaK及びDnaJ、Hsp60ホモログGroE等について、発現制御に関する研究は行われているものの、遺伝子産物の特異的機能については、枯草菌においてはほとんど知られていない。

 本研究では、枯草菌におけるストレス応答の分子機序の解明を目的とし、そのために当研究室が参加したゲノム解析計画の結果として得られるゲノム情報およびゲノム解析手法を用いることにした。したがってまず日欧共同プロジェクトの一環として行われた枯草菌ゲノム配列決定と遺伝子破壊株コレクション作製について述べる。そしてこれらの過程で得られた全ゲノム情報を用いて、熱ショック遺伝子dnaK及びdnaJ産物と相互作用する遺伝子産物を検索する目的で酵母two-hybridスクリーニングを行い、同定された相互作用の細胞機能における意味を調べる実験を行った。

1、全ゲノム塩基配列決定と遺伝子破壊株コレクション作製

 日欧共同プロジェクトとして進行している枯草菌ゲノム解析プロジェクトの初期段階として、ゲノム配列決定と遺伝子破壊株作製に参加した。まず染色体360度マップ上の約19°-23°に存在する、連続した45kbの領域の塩基配列を決定した。次に決定配列上に存在するコーディング領域をコンピュータ上で予測し、それらの産物のアミノ酸配列を、データベースに登録されている他の生物の遺伝子産物と比較することによって、その機能を推定した。その結果、申請者が解析を行った領域からは、数多くの膜輸送タンパク質、メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)の薬剤耐性関連遺伝子や、真核生物の間で広く保存されている、がん関連遺伝子(ECA39)などをはじめ、他の生物の遺伝子産物と類似する遺伝子が多数見出された。

 次に、配列決定を行った領域とその上流100kbを合わせた約150kbの領域(当研究室の配列決定領域の全体)上に存在する機能未知遺伝子43個とEUの研究グループの担当領域から選択された48個、合計91個の遺伝子の破壊株を、相同組換え現象を利用した遺伝子分断操作によって作製した。さらに前者43個について、発現時期測定などの解析を行った結果、少なくとも4個の遺伝子が生育に必須であることが分かり、また7個が対数増殖期特異的な発現を示し、7個が定常期への移行期に特異的な発現を示し、3個が定常期特異的な発現を示した。

 これらの結果は、全遺伝子の発現パターン解析として進行中である他の研究グループの結果と合わせて、トランスクリプトーム解析の結果と共に順次データベース上で公開している。ゲノム情報解析から、70にのぼる遺伝子が分子シャペロン及びストレス関連遺伝子であると推測され、その多くが機能未知である。

2、酵母two-hybridスクリーニングによる、DnaK/J分子シャペロンと相互作用する遺伝子産物の探索

 熱ショックタンパク質の中でもよく研究が進んでいるDnaK/J(Hsp70/40)シャペロンマシーンの枯草菌における特異的機能を調べる手掛かりを得るため、これらの分子シャペロンと相互作用するタンパク質を酵母two-hybrid systemを用いて、フランスINRA研究所の持つ枯草菌ゲノムライブラリーからスクリーニングを行った。5.4x107のクローンをスクリーニングした結果、DnaJとの相互作用のスクリーニングからDnaJ自身の部分タンパク質をコードする5種類のクローンを単離した。これらクローンのアラインメントから、DnaJタンパクのホモ多量体形成はC末端領域を介していることが強く示唆された。

 さらにこれらのdna7クローンを、いくつかのストレス関連タンパク質との組み合わせで酵母two-hybrid検定したところ、ストレスシグマ因子SigBとの弱い相互作用が検出された。SigBと相互作用したDnaJ部分断片のアラインメントから、相互作用部位はN末端近くのGly/Phe-rich領域であることが示唆された。

 また、大腸菌におけるDnaK-DnaJ間の相互作用は良く知られているにも関わらずtwo-hybrid systemでは検出されないことが見い出されているが、枯草菌においては検出することが出来た。

3、SigB依存的(class II)ストレス応答におけるDnaK/J分子シャペロンの役割

 枯草菌のストレス応答レギュロンは、その発現制御メカニズムによって現在4つのクラスに分類されている。

 Class I:主要シグマ因子SigAによって転写され、リプレッサーHrcAの活性によって転写調節されるもの。dnaKオペロン・groESLオペロンの2つのみがこれに属する。熱ショックによって誘導される。

 Class II:ストレスシグマ因子SigBの活性によって転写調節されるもの。枯草菌が持つ大部分のストレス関連遺伝子はこのレギュロンに属する。熱ショック・栄養飢餓ストレス・酸ストレス・浸透圧ショック・エタノールストレスなど、様々なストレスによって誘導される。

 Class III:リプレッサーCtsRの活性によって転写調節されるもの。ATP依存性プロテアーゼClpC、ClpE、ClpX、ClpP、LonAなどがこれに属する。熱ショックその他のストレスによって誘導される。

 ClassIV:上記の他、制御メカニズムが不明なもの、Hsp90ホモログHtpGなどがこれに含まれる。

 この中で、dnaK-J(class I)とsigB(class II)はそれぞれ異なるレギュロンを構成しており、それらは独立していると今まで考えられてきたが、前項の結果によって、この2つのクラスのストレス応答機構のネットワークの間に関連性のあることが示唆された。そこで、SigB依存的ストレス応答におけるDnaK/J分子シャペロンの関与を調べるために、ストレスによるsigBレギュロンの発現誘導へのDnaKまたはDnaJ欠損の影響を解析した。sigBpromoter-lacZレポーター融合遺伝子を用いたβ-ガラクトシダーゼアッセイを行った結果、それぞれ別の経路からSigBレギュロンを誘導すると考えられている2種類のストレス、すなわちエタノールストレス及び栄養飢餓ストレスのどちらの場合においても、SigBの活性化にDnaK及びDnaJが重要な役割を果たしていることを明らかにした。

考察

 sigBの転写活性調節は、通常状態でアンチシグマ因子RsbWと結合しているSigBを、ストレスシグナルによって活性化されたアンチ・アンチシグマRsbVが解離して転写を誘導するメカニズムとして知られている。RsbVの活性化は、飢餓ストレスの場合はYvfP、その他のストレスではRsbUの、いずれかのフォスファターゼによる脱リン酸によることから、ストレスを感知する経路はこの2つのフォスファターゼを介していると現在は考えられている。

 本研究の結果は、このようなSigB活性の調節機構の中で、DnaK/JシャペロンシステムがsigB/Rsbw/Rsbvの間の結合・解離の仲介、あるいはsigBとの直接的な相互作用による、新規の調節経路を構成していることを示唆する。

 DnaK/Jとの相互作用によるシグマ因子の活性調節の例は、大腸菌において、非ストレス条件下でDnaK/Jがsigma32に結合して不安定化させるメカニズムが良く知られているが、本研究により示した、枯草菌におけるDnaK/JとSigBとの相互作用は、明らかにこれとは異なった調節機構であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 バクテリアは、生息環境における栄養源や浸透圧、あるいは熱やpH等の変化に迅速に応答して細胞機能を保護するためのさまざまな機構を発達させている。耐熱性の内生胞子を形成する枯草菌(Bacillus subtlis 168株)における細胞のストレス応答機構の研究は、近年におけるゲノム解析の進展に伴い、急速な進展を見せている。

 本論文は日欧共同プロジェクトの一環として枯草菌ゲノム解析計画に参画し、担当領域における塩基配列の決定と遺伝子破壊株作成によって機能解析を行った結果を述べるとともに、得られたゲノム情報を背景とした枯草菌におけるストレス応答の分子機序の解析を行った結果を述べたものであり、本文5章及び序章と総合討論よりなる。

 序章で枯草菌ゲノムプロジェクトの概略と意義、枯草菌におけるストレス応答に関する分子遺伝学的研究の現状について総括した後、第一章では枯草菌の360°マップ上の19°〜23°にわたる分担領域45kbの塩基配列の決定について述べている。本領域には45個のオープンリーディングフレーム(orf)が同定され、平均1kbに1個の遺伝子が存在することが明らかとなった。当該領域で確認されたorfの約半数が機能未知と判定されたが、この割合は枯草菌全ゲノムにおける機能未知遺伝子の出現割合とほぼ同じであった。当該領域における既知機能の遺伝子としては、転写調節因子やトランスポーターの遺伝子の存在が明らかとなった。

 第二章では、塩基配列を決定した領域45kbとその上流100kbを合わせた約150kbの領域(研究室担当領域全体)上に存在する機能未知の遺伝子43個と別の研究グループより選択された48個、計91個の遺伝子について、相同組換えを利用した破壊株を作成し、表現型と遺伝子の発現解析を行った結果を述べている。その結果、生育に必須な遺伝子、対数増殖期や定常期への移行期に特異的な発現を行う遺伝子群の存在が明らかにされた。

 第三章では酵母two-hybridスクリーニング系を用いて、熱ショックシャペロンの中でも比較的研究の進んでいるDnaK/DnaJ(Hsp70/40)分子シャペロンと相互作用を行う遺伝子産物を探索した結果を述べている。フランスINRA研究所によって作成された遺伝子ライブラリーについてスクリーニングを行って得られたクローンを解析した結果、DnaJ蛋白質間の多量体形成にC末端領域が関与することが示された。また、DnaJと相互作用する蛋白質としてストレスσ因子SigBが同定された。この相互作用にはDnaJ蛋白質のN一末端近傍のGly/Phe-richな領域が関わることが明らかにされた。

 第四章では、two-hybridスクリーニングのための新たな枯草菌ゲノムライブラリーの構築を行い、その有効性を検討した結果について述べている。

 第五章は、SigB依存的なストレス応答(クラスH)におけるDnaK/J分子シャペロンの役割について解析を行った結果について述べている。枯草菌におけるストレス応答は、DnaK/J系統(クラス1),SigB系統(クラスII)など4系統の制御機構があると考えられているが、dnaKまたはdnaJ欠損株を用いて、SigB応答系(レギュロン)への影響について調べた結果、SigBレギュロンは、従来から知られている経路とは別のDnaK/DnaJの関与した経路によっても誘導されるという新知見を得た。

 終章は総合討論にあてられている。

 以上要するに本論文は、枯草菌におけるゲノム計画の一翼を担って塩基配列の決定と機能解析を行ったことを述べるとともに、DnaK/DnaJ分子シャペロンとSigBレギュロンとの関係を明らかにしたものであり、学術上・応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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