学位論文要旨



No 116253
著者(漢字) 小山,亮
著者(英字)
著者(カナ) コヤマ,リョウ
標題(和) 癌抑制遺伝子APCによるユビキチンシステムの制御
標題(洋)
報告番号 116253
報告番号 甲16253
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2283号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 福井,泰久
 東京大学 教授 加藤,茂明
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 助教授 吉田,稔
内容要旨 要旨を表示する

 APC(adenomatous polyposis coli)遺伝子は家族性大腸腺腫症(FAP)の原因遺伝子として単離された癌抑制遺伝子である。APC遺伝子の変異はFAPのみにとどまらず、非遺伝性の大腸腺腫や大腸癌の発生にも寄与していることが示されている。APC遺伝子産物はβ-cateninやAxin等と結合することによりβ-cateninのユビキチンープロテアソーム依存的分解を誘導し、形態形成や発癌機構に重要な役割を果たすことで知られているWnt/Winglessシグナル伝達経路を負に制御することが明らかとなっている。しかし、APC遺伝子産物は人から線虫まで最も高度に保存されたアルマジロモチーフを有しており、この領域が生物学的に大変重要な機能を担っている可能性があると考えられている。そこで本研究室において、APCのアミノ酸453〜767に存在する7回反復型アルマジロモチーフをベイトとして用いたyeast two-hybrid screeningを行った。その結果、ヒト成人脳ライブラリーからリングフィンガーモチーフを有し、ゴルジ体と小胞体の膜上に局在することが示されていた細胞内蛋白質Neurodap1を、ヒト胎児脳ライブラリーからゴルジ体の層板構造を維持するのに必須とされている細胞内蛋白質Giantinを取得した。したがって現在までに全く報告がなかったが、APCがゴルジ体や小胞体においても機能していることが示唆された。

 ユビキチンシステムはE1,E2,E3と呼ばれる3種類の酵素群の働きによって蛋白質のリシン側鎖にユビキチン分子が付加される反応である。時期を得てかつ選択的にユビキチンを付加された基質蛋白質は、プロテアソームによってATP依存的に分解される。その反応系の中で最も重要と考えられているのは標的蛋白質にユビキチンを結合させる反応を触媒する酵素E3、ユビキチンプロテインライゲースである。最近の知見から大部分のE3複合体はリングフィンガーモチーフを有する蛋白質を複合体の一部として含むことが明らかとなってきているが、その中には単独でE3として機能するリングフィンガータイプのユビキチンライゲースも存在する。前述のAPC結合蛋白質Neurodap1もこのタイプに属するユビキチンライゲースであると判断してこの分子の解析を進めた。

 本研究においてはリングフィンガーモチーフ自体がその基質に親和性を持ち、基質特異性を決定しているという仮説を元にその基質を探索した。その結果、前述のAPC結合蛋白質であるゴルジ体の構造蛋白質Giantinを基質候補として取得した。

 Giantinは主としてゴルジ体に局在する1回膜貫通蛋白質でコイルドコイル構造に富み、ロッド上に伸びた細胞質ドメインを大きく細胞質側に突き出している。ゴルジ体と小胞体とを結んでいるCOP I小胞にも局在していることが確認され、ゴルジ体と小胞体間の小胞輸送に関与していることが既に示されていた分子である。現在までにGiantinのユビキチン化の報告はなかったが、実際にNeurodap1のリングフィンガー依存的にユビキチン化され、プロテアソームによって分解されることを示した。また、Neurodap1とGiantinは共に生体内においてAPCと複合体を形成していることが判明し、APC-Neurodap1-Giantinの三者複合体を形成することを示した。加えてAPCのアルマジロモチーフに結合したNeurodap1は細胞内において自己ユビキチン化が抑制され、安定化することが判明した。したがってNeurodap1-Giantin ユビキチン反応系において、APCはそれを促進する効果があると結論した。

1)APCと直接結合するリングフィンガータイプのユビキチンライゲース Neurodap1

 APCとNeurodap1との直接結合を示すためにGST pull-down assayを行ったところ、両者の直接結合が確認できた。続いてin vitro ubiquitination assay系を用いてNeurodap1のユビキチンライゲース活性を評価した結果、E2であるユビキチン結合酵素UbcH5C依存的にその活性を示すことが判明した。またそのライゲース活性はリングフィンガーのコンセンサス配列を点変異で破壊した変異体においては観察されなかった。また、Neurodap1を293T細胞において強制発現させたところ、細胞が接着能を失いシャーレから剥がれていく現象が観察された。この現象は前述の変異体では観察されなかったことから、Neurodap1のユビキチン化の標的基質は細胞接着分子、またはそれを輸送する蛋白質であると推測した。Neurodap1の局在はゴルジ体と小胞体が主であるという報告と合わせて判断すると、後者の可能性が高いと考えられた。

2)Neurodap1の標的蛋白質Giantinの同定

 リングフィンガーモチーフは近年E2結合部位として認識されてきているが、リングフィンガーのキメラ実験の報告や構造学的な知見から私はリングフィンガー自体がその基質に親和性を有すると仮説をたて、Neurodap1のリングフィンガー領域71アミノ酸をベイトとしたyeast two-hybrid screeningを行った。その結果、ヒト胎児脳ライブラリーからGiantinをコードするcDNA断片を取得した。これは前述のAPCのアルマジロモチーフ結合蛋白質として取得されていた遺伝子と同一であるが異なる領域をコードしていた。GST pull-down assayを行ったところ両者の直接結合を確認できた。続いて293丁細胞を用いた両者の免疫沈降実験により細胞内における両者の結合も確認した。さらに、Neurodap1の基質であることを示すためにin vitro ubiquitination assayを行った結果、Giantinの効率的なユビキチン化を確認することができた。また、リングフィンガーの変異体ではそのライゲース活性を失っていた。加えてHA標識したユビキチン発現ベクターを用いた実験の結果、293T細胞内在性のGiantinもNeurodap1のリングフィンガー依存的にユビキチン化されることを示した。同様に293T細胞にNeurodap1を強制発現させると細胞のGiantinが速やかに分解されることを免疫染色法にて示した。よってNeurodap1は細胞内においてGiantinを標的とするユビキチンライゲースとして機能し、ゴルジ体近傍の分泌を調節していることが示唆された。前述のNeurodap1強制発現時に細胞が剥がれてしまう現象も、細胞内においてGiantinが過剰に分解されて細胞接着分子の輸送に異常が生じたことの結果であると推測した。

3)APCと直接結合するゴルジ蛋白質Giantin

 Neurodap1の標的蛋白質がGiantinであることが判明したので、APCとGiantinの直接結合が重要である可能性が高いと判断した。APCとGiantinのGST pull-down assayを行った結果、両者の直接結合が確認できた。さらにGiantinの特異的抗体を作製してラット胎児脳を用いた免疫沈降実験を行った結果、両者の共沈が確認できた。この免疫沈降実験において大変明瞭な結果を得たことから、APCとGiantinは生体内において安定な複合体に含まれることが示唆された。加えてGiantinは膜貫通領域を持つゴルジ体蛋白質なので、APCがゴルジ体の膜上にも局在することを示す最初の報告となった。

4)Neurodap1-Giantin分解系におけるAPCの機能

 APCがNeurodap1とGiantinの両者に直接結合することから、APCがNeurodap1-Giantinユビキチン反応系の制御に関与していると推測した。また、リングフィンガータイプのユビキチンライゲースは自己ユビキチン化による不安定化によってその存在量が調節されていることが報告されていたので、Neurodap1においても同様の制御を受けている可能性があると考えた。COS7細胞にNeurodap1とその変異体を強制発現させて経時変化を観察した結果、野生型は速やかに発現が消失していくが変異体は変化しないことがわかった。in vitro ubiquitination assayにおいてもNeurodap1はそのリングフィンガー依存的に自己ユビキチン化することが判明していたので、Neurodap1は自己ユビキチン化の増減によって制御されていると判断した。そこでNeurodap1野生型とAPCアルマジロモチーフを共発現させたところ、Neurodap1の自己ユビキチン化が抑制されて半減期が顕著に長くなることが明らかとなった。したがって生体内においてAPCはNeurodap1の自己ユビキチン化を抑制することによってNeurodap1を安定化し、Giantinのユビキチン化を促進していると結論した。これはGiantinにAPCが結合していることに矛盾しない仮説である。下に概念図を示す。

 以上、本研究ではAPCがリングフィンガータイプのユビキチンライゲースとその標的基質の両者に結合して、そのユビキチン化を直接的に制御していることを証明した。また、その作用点はゴルジ体の膜上であり、APCがゴルジ体機能の制御にも関与している可能性を示した。両者とも極めて新規性の高い知見であり、APCの生物学的な機能の解析と発癌機構の解明に大きく貢献するものと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 APCPC(adenomatous polyposis coli)遺伝子は家族性大腸腺腫症(FAP)の原因遺伝子として単離された癌抑制遺伝子で、大腸癌の70-80%の症例で変異が見出される。APC遺伝子産物はβ-cateninやAxin等と結合することによりβ-cateninのユビキチンープロテアソーム依存的分解を誘導し、形態形成や発癌機構に重要な役割を果たすことで知られているWnt/Winglessシグナル伝達経路を負に制御することが明らかとなっている。しかし、APC遺伝子産物はヒトから線虫まで最も高度に保存されたアルマジロモチーフを有しており、この領域が生物学的に大変重要な機能を担っている可能性があると考えられている。本論文は、APCがアルマジロリピートを介してユビキチンライゲースNeurodap1およびゴルジ体の層板構造を維持するのに必須とされている細胞内蛋白質Giantinと複合体を形成していることを明らかにし、APCのゴルジ体や小胞体における機能を明らかにしたものである。

 第1章では、APCがリングフィンガータイプのユビキチンライゲースNeurodap1と直接相互作用することをin vitroおよびin vivoのpull-down assayによって示した。続いてin vitro ubiquitination assay系を用いてNeurodap1のユビキチンライゲース活性を評価した結果、E2であるユビキチン結合酵素UbcH5C依存的にその活性を示すことが判明した。またそのライゲース活性はリングフィンガーのコンセンサス配列を点変異で破壊した変異体においては観察されなかった。また、Neurodap1を293T細胞において強制発現させたところ、細胞が接着能を失いシャーレから剥がれていく現象が観察された。この現象は前述の変異体では観察されなかったことから、Neurodap1のユビキチン化の標的基質は細胞接着分子、またはそれを輸送する蛋白質であると推測した。Neurodap1の局在はゴルジ体と小胞体が主であるという報告と合わせて判断すると、後者の可能性が高いと考えられた。

 第2章では、Neurodap1の標的蛋白質をyeast two-hybrid systemを用いて検索しGiantinが基質であることを明らかにした。まずin vitroおよびin vivoのpull-down assayによってNeurodap1とGiantinが直接相互作用することを示した。さらに、Neurodap1の基質であることを示すためにin vitro ubiquitination assayを行った結果、Giantinの効率的なユビキチン化を確認することができた。また、リングフィンガーの変異体はそのライゲース活性を失っていた。加えてHA標識したユビキチン発現ベクターを用いた実験の結果、293T細胞内在性のGiantinもNeurodap1のリングフィンガー依存的にユビキチン化されることが示された。同様に293T細胞にNeurodap1を強制発現させると細胞のGiantinが速やかに分解されることを免疫染色法にて示した。よってNeurodap1は細胞内においてGiantinを標的とするユビキチンライゲースとして機能し、ゴルジ体近傍の分泌を調節していることが示唆された。

 第3章では、ゴルジ蛋白質GiantinがAPCと直接結合することをやはりin vitroおよびin vivoのpull-down assayによって示した。

 第4章では、Neurodap1-Giantin分解系におけるAPCの機能を解析した。リングフィンガータイプのユビキチンライゲースは自己ユビキチン化による不安定化によってその存在量が調節されていることが報告されていたので、Neurodap1においても同様の制御を受けている可能性があると考え、COS7細胞にNeurodap1とその変異体を強制発現させて経時変化を観察した結果、野生型は速やかに発現が消失していくが変異体は変化しないことが明らかとなった。in vitro ubiquitination assayにおいてもNeurodap1はそのリングフィンガー依存的に自己ユビキチン化することが判明していたので、Neurodap1は自己ユビキチン化の増減によって制御されていると判断した。そこでNeurodap1野生型とAPCアルマジロモチーフを共発現させたところ、Neurodap1の自己ユビキチン化が抑制されて半減期が顕著に長くなることが明らかとなった。したがって生体内においてAPCはNeurodap1の自己ユビキチン化を抑制することによってNeurodap1を安定化し、Giantinのユビキチン化を促進していると結論した。

 以上、本論文ではAPCがリングフィンガータイプのユビキチンライゲースとその標的基質の両者に結合して、そのユビキチン化を直接的に制御していることを証明したもので、学術上・応用上貢献することが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の単位論文として価値あるものと認めた。

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