学位論文要旨



No 116256
著者(漢字) 志賀,康幸
著者(英字)
著者(カナ) シガ,ヤスユキ
標題(和) 挿入因子IS1の転移中間体としての環状IS1分子と宿主因子H-NSの役割
標題(洋)
報告番号 116256
報告番号 甲16256
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2286号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大坪,栄一
 東京大学 教授 高橋,秀夫
 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 教授 正木,春彦
 東京大学 助教授 田中,寛
内容要旨 要旨を表示する

 挿入因子ISは、原核生物の染色体あるいはそのプラスミド上に存在し、挿入、逆位、欠失などの様々なDNA組み換え反応を引き起こし、ゲノムの変異や再編成の主要な原因となる因子の一つと考えられている。腸内細菌のゲノム上に存在している代表的な挿入因子であるIS1(768bp)は、両端に逆向き反復配列(IR)を、内部にout-of-frameの2つのオープンリーディングフレーム(insA,B'-insB)を持つ。IS1は転移産物として、標的に単純に挿入した分子(単純挿入体)とIS1を運ぶレプリコンと標的レプリコンとの融合体を与える。IS1の転移を司るトランスポゼースは、insAのアデニンクラスターにおいてinsAの翻訳が-1方向にフレームシフトすることによりInsA-B'-InsB融合タンパク質の形で産生される。翻訳フレームシフトがおこらなかった場合はInsAタンパク質が産生され、これはIS1の転移を抑制することが分かっている。アデニンクラスター内にアデニンを1塩基挿入することにより2つのフレームのずれを解消し、フレームシフトを介さずにトランスポゼースを産生するようになった変異体IS1を運ぶプラスミドからは、IS1の分子内転移反応による欠失を有するミニプラスミドと共に、両IRの間に5-9bpの介在配列を挟み込んだ形でIS1が環状に切り出された分子(環状IS1分子)が生じることが明らかにされている。これまでにいくつかの転移性遺伝因子においてその転移に様々な宿主因子が関わっていることが報告されているが、IS1の転移反応に関与する宿主因子は明らかにされていなかった。本研究は、IS1の転移反応における環状IS1分子の役割を明らかにすること、IS1の転移に必要な宿主因子を検索し、その結果、必須因子として同定されたH-NSのIS1の転移における役割を明らかにすることを目的に行ったものであり、その結果は以下のように要約できる。

1. IS1の転移における環状IS1分子の役割

(1) 環状IS1分子の転移

 環状IS1分子の転移能を調べるために、環状IS1分子の分子間転移頻度を定量的に測定できる次のような系を構築した。1)アラビノースによって発現誘導可能なトランスポゼース遺伝子を運ぶプラスミドと内部にクロラムフェニコール耐性遺伝子をもつ環状IS1分子をクローニングしたプラスミドを作成し、これらとIS1の転移の標的となるプラスミドを大腸菌内に共存させる。2)この大腸菌の培養液からプラスミドDNAを調製し、これらをテスター大腸菌に導入しクロラムフェニコールで選択することにより、環状IS1分子を受け取った標的プラスミドの生成頻度を測定する。この系を用いた結果、環状IS1分子は非常に高い頻度で転移し、生じた転移産物は全て環状IS1分子が標的プラスミドに単純挿入したものであることが分かった。一方、環状IS1分子中で2つのIRに挟まれる介在配列が通常の5-9bpとは異なり31または39bpと長いものではそれが9bp以下の環状IS1分子に比べて著しく転移頻度が低いことが分かった。この結果は、環状IS1分子がトランスポゼースによる切断を受けやすい構造であり、切断後に効率よく転移することを示唆する。実際、大腸菌のSOS応答誘導活性を指標にIS1のトランスポゼースのIRにおけるDNA鎖切断活性を調べたところ、環状IS1分子を運ぶプラスミドの保持菌の方が通常のIS1を運ぶプラスミドの保持菌よりもSOS誘導の程度が高かったことから、上記の示唆は支持される。

(2) 環状IS1分子の生成におけるIR末端配列の役目

 一般に転移性遺伝因子においてIRの配列はその末端でのトランスポゼースによるDNAの切断に重要であることが知られている。そこで環状IS1分子の生成におけるIR末端配列の重要性を知るために、IS1を運ぶプラスミドのIRL(左側のIR)末端、IRR(の右側のIR)末端、或いは両末端の2塩基対に変異を導入したものを作製した。これらのプラスミドからの環状IS1分子の生成量を調べた。その結果、どちらか一方のIRに変異を導入した場合に環状IS1分子の生成量が顕著に減少することが分かった。この結果は、環状IS1分子の形成にIRの末端配列が重要であることを示す。

 以上の結果より、環状IS1分子はIS1が単純挿入体を与える転移経路において転移中間体として機能することが示された(図参照)。また、環状IS1分子の形成にトランスポゼースによる両IR末端でのDNAの切断が必要であることが示唆された。

2. IS1の転移における宿主因子H-NSの役割

(1) H-NS欠損株中でのIS1の転移

 IS1の転移反応に必要な宿主因子を明らかにすることを目的として、種々のヒストン様蛋白質の欠損株にIS1を運ぶプラスミドを導入し、分子内転移の産物であるミニプラスミドが生じるかどうかを調べたところ、HU、IHF、StpAの欠損株ではミニプラスミドは生じたが、H-NS欠損株ではミニプラスミドが生成しなことが分かった。この結果はIS1の分子内転移にH-NSが必須であることを示す。これまでにHUとIHFがIS1とは異なるIS10の転移に影響を与えることは知られていたが、H-NSがISの転移に必要とされる例は知られていない。その点でこの結果は大変興味深い。

 H-NS欠損株は変異を蓄積しやすいことが報告されている。H-NS欠損株でIS1の転移しないのは、H-NSが欠損しているがゆえに二次的に起こった他の遺伝子の変異に起因するという可能性が考えられた。そこでhns遺伝子を運ぶプラスミドを作製し、IS1を運ぶプラスミドを保持するH-NS欠損株に共存させたところ、ミニプラスミドが生じるようになった。この結果はプラスミド上のhns遺伝子が染色体上の変異hns遺伝子を相補したことを示し、他の遺伝子の変異がIS1が転移しない原因ではないことを示す。

 次にIS1の分子間転移におけるH-NSの役割を前述の分子間転移頻度測定系を用いて調べたところ、H-NS欠損株中では転移産物は得られないことが分かった(野生株中での転移頻度の1/100以下)。この結果は、H-NSはIS1の分子間の転移にも必須であることを示す。しかし、興味あることに、この分子間転移頻度測定系において転移の基質として環状IS1分子を用いた場合には、転移産物が得られた(野生株中の転移頻度の1/5ほど)。このことは、通常のIS1の分子間転移にはH-NSを必要とするのに対して、環状IS1分子の分子間転移にはH-NSを必要としないことを示す。また、H-NS欠損株中でのIS1トランスポゼースによるSOS応答誘導を調べたところ、通常のIS1を保持する大腸菌ではSOS応答は誘導されなかったが、環状IS1分子を保持する大腸菌ではSOS応答が誘導された。この結果はトランスポゼースによる環状IS1分子のIR末端でのDNA切断にH-NSは必要ないが、通常のIS1での切断にはH-NSが必要であることを示す。

(2) H-NSとトランスポゼースとの相互作用

 H-NSはDNA結合活性を有していることから、DNA結合活性がIS1の転移に重要であると考え、ゲルシフトアッセイによりIS1を運ぶプラスミドのH-NSが結合しやすい領域を調べたところ、IS1内にはH-NSが結合しやすい領域は無かったが、IS1のIRRの近傍に結合しやすい領域があった。しかし、このIRRの近傍領域を欠失させた場合もミニプラスミドは生じることから、IS1の転移にはIRの近傍にH-NSが結合することは重要ではないことが示された。

 IS1内にはH-NSが結合しやすい領域は無かったので、H-NSはIS1のトランスポゼースと協調してIRに結合する可能性が考えられる。そこで、精製したIS1のトランスポゼースとH-NSを用いてIR DNA断片への結合をゲルシフトアッセイにより調べた。その結果、H-NSとIS1のトランスポゼースの両方を加えた場合に、それらをそれぞれ単独で加えた場合には観察されない泳動度の遅れたバンドが生じることが分かった。この結果はH-NSがトランスポゼースと何らかの形で相互作用していることを示唆する。

(3) IS1の転移に必要なH-NSの機能ドメインの解析

 H-NSは種々の遺伝子の転写抑制に働くN末部分、ダイマー/マルチマー形成に働く中央部分、DNA結合に働くC末部分の3つの機能ドメインから成ることが知られている。IS1の転移にどの機能ドメインが必要であるかを調べるために、N末、中央、C末それぞれに変異を持つH-NSを産生する大腸菌内でIS1を運ぶプラスミドからのミニプラスミドの生成を調べたところ、N末、C末変異の場合はミニプラスミドは生じるが、中央部に変異をもつ場合は生じないことが分かった。この結果は、IS1の転移には、H-NSのDNA結合活性は必要でなく、ダイマー/マルチマー形成能が必要であることを示す。

 以上の結果より、IS1の転移反応の過程において、IRRとIRLに結合したトランスポゼース同士が会合することによって両IRが空間的に近接した構造をとることが必要であると考えられるが、H-NSはタンパク質-タンパク質相互作用を介してIR-トランスポゼース複合体を形成するのに必須の因子として機能しているということが予想される。環状IS1分子は元々両IRが近接した構造となっているためH-NSの助けなしで、活性のあるIR-トランスポゼース複合体を形成できるためH-NS欠損株中でも転移できると考えられる(図参照)。

図 IS1の転移

審査要旨 要旨を表示する

 挿入因子ISは、転移DNA組み換え反応により原核生物ゲノムの再編成を促す可動性遺伝因子である。挿入因子IS1(768bp)は、両端に逆向き反復配列(IR)を、内部に自身の転移を司るトランスポゼースをコードする遺伝子を持つ。トランスポゼースを効率良く産生するような変異体IS1は高頻度で分子間転移するが、この変異体IS1を運ぶプラスミドからは、IS1の分子内転移反応による欠失を有するミニプラスミドと共に、両IRの間に5-9bpの介在配列を挟み込んだ形の環状IS1分子が生じる。これまでにいくつかの可動性遺伝因子の転移に様々な宿主因子が関わっていることが明らかにされているが、IS1の転移に関る宿主因子は不明であった。本研究は、IS1の転移反応における環状IS1分子の役割と、IS1の転移に必要な宿主因子を検索した結果同定されたH-NSの役割を明らかにすることを目的に行ったものである。

 第1章で研究の背景を概説した後、第2章ではIS1の転移における環状IS1分子の役割について述べている。先ず、通常の5-9bpの介在配列を有する環状IS1分子は通常のIS1より非常に高い頻度で標的プラスミドに単純挿入するという結果から、環状IS1分子がトランスポゼースの作用により容易に切断されることによって効率良く転移すると推測した。実際、IS1のトランスポゼースの存在下で、DNA鎖切断により引き起こされる大腸菌のSOS応答の誘導の程度が環状IS1分子を運ぶプラスミドの保持菌の方が通常のIS1を運ぶプラスミドの保持菌よりも高いことから、上記の推測が正しいことを確認した。この結果と、環状IS1分子の形成にはIS1の両方のIRの末端配列が重要であるという結果から、環状IS1分子がIS1転移の中間体として機能すると結論した。

 第3章では、IS1の転移における宿主因子H-NSの役割とIS1の転移に必要なH-NSの機能ドメインの解析について述べている。先ず、種々のヒストン様蛋白質の欠損株にIS1を運ぶプラスミドを導入することによって、HU、IHF、F1S、StpAの欠損株ではミニプラスミドを生成するが、H-NS欠損株では生成しないこと示した。次に、H-NS欠損株にhns遺伝子を運ぶプラスミドを導入し、ミニプラスミドが生成することを示すことによって、IS1の分子内転移にH-NSが必須であることを明らかにした。

 また、H-NS欠損株中では、通常のIS1は分子間で転移せずトランスポゼースによるSOS応答も誘導しないが、環状IS1分子は転移しトランスポゼースによるSOS応答を誘導することを示すことによって、IS1の転移反応には、両末端のIRにそれぞれ結合したトランスポゼース同士の会合によって両IRが空間的に近接した複合体を形成することが必要であり、H-NSはその複合体の形成に必須の因子として機能するが、環状IS1分子は元々両IRが近接した構造をとっていて活性のあるIR-トランスポゼース複合体を形成し易いため必須の因子として機能する必要はないと結論した。

 一方、H-NSはIS1内のIR領域には結合しないこと、また、精製したIS1のトランスポゼースはIR領域に結合し複合体を形成するが、H-NSの存在下でその形成能が強化されることを示し、H-NSがIS1のIRに直接結合するのではなく、トランスポゼースと相互作用し機能することを示唆した。H-NSは種々の遺伝子の転写抑制に働くN末部分、ダイマー/マルチマー形成に働く中央部分、DNA結合に働くC末部分の3つの機能ドメインから成るが、中央部に変異をもつ場合にのみミニプラスミドを生成しないことを示すことによって、IS1の転移にH-NSのダイマー/マルチマー形成能が必要であり、トランスポゼースと相互作用し機能するという上記の示唆を確認した。

 以上、本論文は、挿入因子IS1の転移反応における環状IS1分子の転移中間体としての役割を明らかにすると共に、IS1の転移に必要な宿主因子としてH-NSを同定し、そのIS1の転移における役割を明らかにしたもので、学術上寄与することが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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