学位論文要旨



No 116260
著者(漢字) 二井勇人
著者(英字)
著者(カナ) フタイユウジン
標題(和) 酵母カルパイン様プロテアーゼ及びカルシニューリンを介したストレス応答シグナル伝達経路の解析
標題(洋)
報告番号 116260
報告番号 甲16260
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2290号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 前田,達哉
 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 助教授 反町,洋之
内容要旨 要旨を表示する

 カルパインは、哺乳類細胞に普遍的に存在するカルシウム依存性システインプロテアーゼであり、タンパク質を限定分解し、機能修飾あるいはダウンレギュレーションを担うモジュレーター・プロテアーゼであると考えられている。カルシウムによって活性化される事から、重要な細胞内情報伝達経路であるカルシウムシグナリングに果たす役割に関して研究が進められてきたが、哺乳類ではカルパインの生理機能は明確になっていない。

 近年になって、ショウジョウバエ、線虫、真菌などの下等真核生物からのカルパイン様プロテアーゼ(注)の遺伝子クローニングが進んできている。これらの生物においては、哺乳類では不可能な遺伝学的な解析が容易であり、カルパインの生理機能解明に重要な知見が得られることが期待される。

 本研究の対象であるPalBホモログ分子は、もっとも単純な真核生物である真菌類に至るまで保存されたカルパインシステムである。そのプロトタイプであるAspergillus nidulansのPalBは、菌体が外界のアルカリpH環境に応答する際に遺伝子発現を調節するシグナル伝達経路を構成する分子である。遺伝子発現調節を行うのは、Znフィンガー型転写因子PacCであり、アルカリpH環境に応答してPalBを介したプロセシングにより活性化され、転写誘導を行う。私達は、酵母Saccharomyces cerevisiaeのゲノム配列からPalBホモログ分子Cpl1pを同定し、解析を進めてきた。Cpl1pは酵母に存在するカルパイン様プロテアーゼとしては唯一のものである。酵母には、胞子形成初期遺伝子(IME1)を誘導する転写因子Rim101pがPacCホモログ分子として同定されていた。解析の結果、酵母においてもCpl1pとRim101pによるシグナル伝達経路(CPL1-RIM101経路)が存在し、アルカリ環境への適応と胞子形成時の情報伝達に必要であること、Rim101pがPacCと同様にプロセシングにより活性化されることが明らかとなった。

(注)典型的な哺乳類カルパインの持つドメイン構造;プロテアーゼ領域、C2様カルシウム結合領域、カルモジュリン様カルシウム結合領域のうち、カルモジュリン様領域を持たないことから、カルパイン様プロテアーゼと呼ぶ。

 本研究では、CPL1-RIM101経路の新規な構成因子を同定し、本経路のより詳細な制御機構を明らかにすることを目指した。さらに、転写制御される遺伝子群を同定することにより、本経路が塩ストレス応答に重要な機能を果たしていることを明らかにし、これまで解析の進んでいたカルシニューリンを介する塩ストレス応答経路とのクロストークを見出した。

結果

1. CPL1-RIM101シグナル伝達経路について

 まず、プロセシングによるRim101p活性化調節機構に関する知見を得る事を目的とし、CPL1-RIM101経路の新規な構成因子の同定を行った。

 Aspergillus palB-pacC経路分子の酵母でのホモログ分子の候補の中からCPL1-RIM101経路を構成する分子を探索した。候補分子の遺伝子破壊株を解析した結果、cpll及びrim101遺伝子破壊株と同様にアルカリ環境に感受性を示す遺伝子群を見出した。これらの破壊株の感受性はRIM101の活性化型変異(C末端を欠損したプロセス型変異RIM101N531*)により抑圧され、また破壊株中で野生型Rim101pのプロセシングは観察されなかった。CPL1-RIM101経路遺伝子として同定された遺伝子の中には、膜貫通領域を1個もしくは6個持ちセンサー分子ではないかと考えられるRim9pとRim30p(YNL294c)、SH3結合領域を持つRim20p(YOR275c)、Rim8p(YGR045-046w)が含まれていた。さらに、酵母two-hybrid法により、これらの分子の中にRim101pと相互作用するものがないか解析した結果、Rim101pとRim20p間の相互作用を見出した。RIm20pはRim101pのC末端側に結合する。この領域は、プロセシングに際して切除される領域である事から、Rim20pがプロセシングに調節的な役割を果たしていることが示唆された。また、さらなる相互作用因子の探索の結果、Rim20pが、カルパイン型のカルモジュリン様領域をもつFef1pと相互作用する事が明らかとなり、Rim101pのプロセシングにCpl1pとならんでFef1pが積極的役割を果たしていることが示唆された。

 次に、CPL1-RIM101経路の生理機能についての知見を得るために、本経路により転写を制御されるターゲット遺伝子のスクリーニングを行った。

 実際には、ゲノムDNAへのlacZ挿入ライブラリーを用い、活性化型変異体であるRim101N531*pにより活性化される遺伝子を同定した。その結果、これまでに知られていたIME1を含む胞子形成初期遺伝子群に加え、ENA1(Na+などの排出を行うP-type ATPase)、STV1(液胞型H+-ATPase 100kサブユニット)、PHO8(液胞アルカリホスファターゼ)など、細胞内イオン環境の調節もしくは外界のイオン環境への応答に関わる遺伝子群をターゲット遺伝子として見出した。塩ストレス応答に必要なENA1などのターゲット遺伝子の発見を踏まえて、cpl1、rim101遺伝子破壊株の表現形を検討した結果、Na+やLi+などの1価の陽イオンストレスに対する感受性を示す事が明らかとなり、CPL1-RIM101経路が塩ストレス応答時にも機能する事が明らかになった。

2.塩ストレス応答におけるCPL1-RIM101経路とカルシニューリン経路のクロストークについて

 塩ストレス応答におけるCPL1-RIM101経路のターゲット遺伝子としてENA1を見出したが、カルシウム・カルモジュリン依存性プロテインホスファターゼであるカルシニューリンを介した塩ストレス応答経路が、やはりENA1の転写活性化にあずかることが知られていた。カルシニューリンは転写因子Crz1pの脱リン酸化を介してENA1を誘導すると報告されている。これをふまえ、CPL1-RIM101経路とカルシニューリン経路間の関係を調べる事を目的とし、以下の実験を行った。

 酵母には、カルシニューリン触媒サブユニット遺伝子が2個(CNA1,CNA2)、調節サブユニット遺伝子が1個(CNB1)存在する。CNB1遺伝子の破壊によりカルシニューリンの機能が失われることが知られているので、cnb1破壊株を作製し、カルシニューリン破壊株とした。また、ENA1のプロモーター領域にlacZ遺伝子をつないだレポーター遺伝子を作製し、以後の解析に用いた。カルシニューリン破壊株とcpl1、rim101破壊株を比較した結果、いずれもアルカリpH、高Na+やLi+に対して感受性を示し、非常によく似た表現形を持つ事が明らかとなった。また、野性株、cpl1、rim101破壊株での、塩ストレスによるENA1誘導の比較から、誘導のうちRim101p依存的な画分はCpl1p依存的な画分より大きく、Rim101pの制御する画分にはCpl1p非依存的な部分が含まれることが示された。このことから、Cpl1p以外のRim101p活性化因子の存在が予想された。これを踏まえ、塩ストレス下でのRim101pの挙動をウェスタンブロッティングにより検討したところ、プロセシングに加え、脱リン酸化と思われるバンドが出現した。このバンドはカルシニューリン破壊株では見られず、カルシニューリン依存的な脱リン酸化であることが示唆された。in vitroでの実験で、カルシニューリンがRim101pを直接脱リン酸化する可能性を検討したところ、精製カルシニューリンは、免疫沈降により精製したRim101pを、カルシウムとカルモジュリン存在下で脱リン酸化することができた。以上より、Rim101pがカルシニューリンの標的となる事が明らかとなり、Rim101pの活性化機構には、プロセシングと脱リン酸化という2通りが存在する事が示された。

 次に、カルシウム・カルモジュリン非依存的に活性を示す活性化型カルシニューリン変異体、CNA2ΔC(C末端欠損変異体)を用いた解析を行った。CNA2ΔCによるENA1の誘導は、rim101破壊株中においては低下したが、一方、cpl1破壊株中では誘導の低下はほとんど見られなかった。また、カルシニューリン破壊株とcpl1破壊株においては、塩ストレス下でそれぞれRim101pのプロセシング、脱リン酸化のみが観察された。以上より、プロセシングと脱リン酸化は独立して起こり、別々にRim101pを制御しているとの結論を得た。Rim101pのリン酸化部位については、N末端のSerに富んだ領域中に含まれることを示唆する結果を得ている。この領域は、哺乳類におけるカルシニューリンの基質であるNFATcと相同性を有していた。

 最後に、Rim101pの細胞内局在について、GFP融合タンパク質を用いた解析を行った。RIm101pは、非ストレス下で細胞質及び核に一様に局在し、塩ストレス条件下でも劇的な局在の変化は検出されなかったが、プロセス型RIm101p(RIm101N531*p)では核への蓄積が観察されることから、活性化時には核への移行が起こっていると考えている。

3.哺乳類におけるCpl1p相同分子、PalBHについて

 Cpl1pをはじめとしたPalBホモログ分子では、カルパインのカルモジュリン様領域の代りに特徴的なC末端領域(PBH領域)が存在する。CPL1-RIM101相同経路の哺乳類での解析に向け、哺乳類におけるPalBホモログ分子を探索し、以下の結果を得た。

 はじめに、PBH領域のアミノ酸配列を用いてESTデータベースを探索し、哺乳類におけるPalBホモログ分子をコードすると考えられるヒトおよびマウスESTを同定した。さらに、この配列をもとに、RACE法により、全長cDNAをクローニングし、それぞれhPalBH、mPalBH(human and mouse PalB homologues)と命名した。PalBH mRNAは組織普遍的に発現しており、PalBHが細胞における基本的かつ必須の機能に関与することを示唆している。また、hPa1BH遺伝子は、Moyamoya diseaseなどとの連鎖が知られている第3染色体上の3p24領域に存在する事を明らかにした。COS細胞中に発現したPalBHが核に局在することから、PalBHの核内での機能が示唆される。

考察

 本研究により、CPL1-RIM101経路が塩ストレス応答に重要な機能を果たし、これまで解析の進んでいたカルシニューリンを介する塩ストレス応答経路とクロストークすることを明らかにした。Rim101pのプロセシングと脱リン酸化によるクロストークの意義については、両経路がRim101pを独立に活性化できることから、それぞれの経路が異なる入力シグナルに応答して機能していることが考えられる。実際にアルカリ環境でのRim101p活性化においては、塩ストレス下とは違いRim101pのプロセシングだけが観察され、脱リン酸化は検出されない。さらに、プロセス型および脱リン酸化型Rim101pにより誘導される遺伝子のレパートリーに違いがある可能性も残されている。また、Rim101pのリン酸化に必要な領域が哺乳類でのカルシニューリン基質NFATcとの間に相同性を有していたことから、NFATcの場合と同様に脱リン酸化されたこの領域が核移行への機能を担うことが考えられ、カルシニューリンによる転写因子制御の普遍性を示唆している。

 一方、Rim101pのプロセシングによる制御機構については、新たに同定したFef1p-Rim20p-Rim101p間の相互作用とプロセシングとの関連が考えられる。特にカルパイン型カルモジュリン様領域を持つFef1pが、カルパイン様プロテアーゼであるCpl1pの機能制御を行うことが考えられる。Cpl1pが他のカルパインシステムと同じくカルシウムにより制御されるか、現在解析中である。また、哺乳類におけるCpl1p相同分子PalBHの発見から、酵母での知見を哺乳類に外挿し、経路構成分子の同定が可能であると考えている。これらの解析を通じて、哺乳類でのCPL1-RIM101相同経路の生理機能についても明らかにしたい。

A Novel Ion Stress Response Pathway in Yeast

審査要旨 要旨を表示する

 カルパインは、哺乳類細胞に普遍的に存在するカルシウム依存性システインプロテアーゼで、タンパク質を限定分解し機能修飾するモジュレーター・プロテアーゼであると考えられているが、その生理機能はこれまで明確になっていない。本論文は、酵母Saccharomyces cerevisiaeのカルパイン様プロテアーゼCpl1pとZnフィンガー型転写因子Rim101pからなるシグナル伝達経路(CPL1-RIM101経路)の生理機能に関する解析を行った成果をまとめたものである。

 第1章では、研究の背景としてこれまでに明らかになっているCPL1-RIM101経路の概要について述べている。すなわち、Rim101pがアルカリ環境に応答してCpl1依存的にプロセシングを受け活性化され、アルカリ適応反応を引き起こすというものである。

 第2章では、はじめに、糸状菌Aspergillus nidulansの相同経路に関する知見をもとに、CPL1-RIM101経路の新規な構成因子の同定について述べている。アルカリ環境への感受性、Rim101pのプロセシング不能、活性化型変異RIM101N531*(C末端を欠損したプロセス型変異体)によるアルカリ感受性の抑圧の3つを指標に、Rim8p(YGR045-046w)、Rim9p、Rim20p(YOR275c)、Rim30p(YNL294c)がCPL1-RIM101経路の構成因子であることを示した。さらに、酵母two-hybrid法によりRim101pとRim20pの相互作用を見出し、さらにこの相互作用がプロセシングに直接的な役割を果たすことを示唆する結果を示している。

 次にCPL1-RIM101経路により転写を制御されるターゲット遺伝子のスクリーニングを行りている。ゲノムDNAへのlacZ挿入ライブラリーを用い、活性化型変異体Rim101N531*pにより誘導される遺伝子を検索した結果、ENA1(Na+などの排出を行うP-type ATPase)、STV1(液胞型H+-ATPase 100kサブユニット)、PHO8(液胞アルカリホスファターゼ)など、細胞内イオン環境の調節もしくは外部イオン環境への応答に関わる遺伝子群を見出した。塩ストレス応答に重要なENA1などがターゲット遺伝子に含まれることから、cpl1、rim101遺伝子破壊株の表現型を再検討し、Na+やLi+などの1価の陽イオンストレスに対して感受性を示す事を明らかにした。これによりCPL1-RIM101経路が塩ストレス適応時にも機能する事が明らかになった。

 第3章では、カルシニューリン経路と(CPL1-RIM101経路との関連を解析している。酵母の塩ストレス応答にカルシニューリン(カルシウム・カルモジュリン依存性プロテインホスファターゼ)を介した経路が重要な働きをしていることが知られている。塩ストレス下でのRim101pの活性化状態をウェスタンブロッティングにより検討し、プロセシングに加えて脱リン酸化を検出した。この脱リン酸化はカルシニューリン破壊株では見られず、さらにin vitroでカルシニューリンがRim101pを脱リン酸化することを示し、この脱リン酸化がカルシニューリンによるものであることを明らかにした。また、活性化型カルシニューリン変異体を用いた解析から、この脱リン酸化は単独でRim101pの活性化を引き起こすことを示した。これらの結果から、プロセシングと脱リン酸化は独立して起こり、別々にRim101pを活性化するという結論を得ている。さらに、GFP融合タンパク質を用いた解析から、プロセシングがRim101pの核への移行を引き起こす事を示した。

 第4章では、哺乳類におけるCPL1-RIM101相同経路の解明に向けたCpl1pの哺乳類ホモログ分子の同定について述べている。ESTデータベースから見出した部分配列からホモログ分子の全長cDNAをクローニングし、PalBH(PalB homologue)と命名した。PalBH mRNAは組織普遍的に発現しており、PalBHが細胞における基本的かつ必須の機能に関与することが示唆された。また、COS細胞に発現したPalBHが核に局在することから、核における機能を持つことが示唆された。

 以上、本論文は、酵母のストレス応答経路であるCPL1-RIM101経路の構成因子、標的遺伝子の同定を通じて、本経路の塩ストレス応答における重要性、さらにはカルシニューリン経路とのクロストークを明らかにし、加えて哺乳類Pa1BHを同定することでその成果を哺乳類にまで展開する道を開いたもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

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