学位論文要旨



No 116262
著者(漢字) 松井,貴輝
著者(英字)
著者(カナ) マツイ,タカアキ
標題(和) 肝細胞の成熟にともなう細胞間接着の制御機構
標題(洋)
報告番号 116262
報告番号 甲16262
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2292号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 福井,泰久
 東京大学 教授 加藤,茂明
 分生研 教授 宮島,篤
 東京大学 助教授 吉田,稔
内容要旨 要旨を表示する

序論

 マウスの個体発生において、肝臓の原基は、胎生8.5日目(E8.5)頃、腸管の一部が隆起することによって形成される。この時、腸管上皮細胞が肝芽細胞に分化し、肝細胞に特異的な遺伝子であるα-fetoproteinやalbuminの発現を開始する。E10.5を過ぎると、肝外から血液細胞が流入することによって、肝臓は造血器官としての役割を開始する。胎生中期頃、肝芽細胞は肝細胞と胆管上皮細胞に分化し,それぞれの細胞は増殖しながら段階的に成熟していく.出生後,肝の造血能は低下し、肝細胞はtyrosine amino transferase(TAT)やglucose-6-phosphatase(G6Pase)などの代謝酵素の発現を開始し、成体肝の主要な機能である代謝を行うようになる。その後肝細胞は、オルガネラや細胞間接着を発達させることによって、細胞の極性や細胞集団を形成し、肝小葉さらには肝組織孝構築していく。このように肝細胞は、胎生中期から生後にかけて機能的に,形態的に成熟・分化しており、それらのプロセスには、サイトカインや接着因子などのさまざまな制御因子が関与していると考えられる。

 E14.5由来の肝細胞の初代培養系において、IL-6ファミリーに属するoncostatin M(OSM)は、glucocorticoid(dexamethasone;Dex)存在下で、E14.5では発現していない代謝酵素(TAT,G6Pase)の発現や肝機能の一つであるグリコーゲンの蓄積を誘導し、さらに、成熟した肝細胞に類似した形態変化を促進することが報告された。また、OSMのシグナル受容体であるgp130のknockoutマウス(gp130 KOマウス)の肝臓(El8.5)で、TATの発現やグリコーゲンの蓄積が低下していることが見出された。これらの結果は、gp130を介したOSMのシグナルが、in vitroとin vivoの両方で、肝細胞の機能的・形態的な成熟のプロセスに関与していることを示唆している。しかしながら、OSMがどのような細胞内因子を介して、肝細胞の機能的な成熟を誘導しているのか、また、肝発生における形態形成が、OSMによってどのように調節されているのかは、まだ理解されていない。そこで本研究では、OSMによる肝細胞の成熟・分化の誘導系を利用して、肝細胞の機能的・形態的な成熟プロセスに関与している因子の同定を行い、肝発生の分子機構を解明することを試みた。

結果と考察

STAT3とRasシグナルによる肝細胞の機能的な成熟の制御

 胎生肝細胞の初代培養系において、OSMの刺激によって活性化されるシグナル経路を明らかにするために、OSMによるシグナル伝達分子のリン酸化レベルを解析した。その結果OSMは、JAK1、STAT3、STAT5、SHP-2、MAPK、p70S6Kなどさまざまな因子のリン酸化を亢進することが明らかになった。次に、肝細胞の成熟に必須のシグナル経路を明らかにするために、レトロウイルスベクターを用いてシグナル分子の変異体を肝細胞に導入し、その作用を検討した。dominant negative型のSTAT3(ΔSTAT3)は、OSMによって誘導される分化マーカーの発現やグリコーゲンの蓄積を顕著に抑制したが、ΔSTAT5はこれらに何の影響も与えなかった。他方、dominant negative型のRas(RasN17)、SHP-2(C463A)は、その発現をむしろ増強する作用を示した。これに相関して、活性型Ras(RasV12)は,分化マーカーの発現を強く抑制することがわかった。以上の結果から、代謝酵素の発現などの機能的な成熟のプロセスには、STAT3のシグナルが必須であり、他方Rasの経路は,それを負に制御している可能性が考えられた。

肝細胞の形態的成熟におけるOMSの役割

 OSMはDex存在下(Dex/OSM)で、細胞間の接着が強固になった形態的な変化を誘導する。このような形態的特徴は、Dex単独で処理した細胞では認められないことから、OSMが肝細胞の形態形成を促進している可能性が示唆された。そこでOSMが、どのように肝細胞の形態を制御しているのかを明らかにするために、OSMの刺激前後で肝細胞の微細構造の解析を行った。Dex/OSMで処理した細胞では、細胞と細胞の接触部位にdesmosome様の構造やアクチンの組織化が認められ、発達した接着装置が形成されていることが明らかになった。他方、Dex単独で処理した細胞では、OSMで刺激した時に観察される接着装置の形成はほとんど見られなかった。したがって、OSMの刺激は、接着装置の形成を促進し、肝細胞の形態形成を制御している可能性が示唆された。

OSMによる細胞間接着因子の動態の制御

 成熟した肝細胞は、junctional complex(JC)と呼ばれる接着装置によって細胞同士が相互作用することが知られている。JCは、tight junction(TJ)、adherens junction (AJ)、desmosome(Des)で構成されており、細胞の極性や細胞集団の形成に重要な役割を果たしている。そこで、OSMの刺激によって形成される接着装置を同定するために、OSM刺激前後での各接着装置の形成を解析した。まずTJの形成を調べるために、その構成因子であるZO-1の細胞内局在性を調べたところ、ZO-1はDex単独で処理した細胞ですでに接着部位に局在化し、OSMを添加してもその局在は変化しなかった。よって、TJの形成はDexの刺激に依存しており、OSMによる形態変化とは関連しないことがわかった。次に、AJの構成因子であるE-cadherin、β-cateninの細胞内分布を解析したところ、Dex単独で処理した細胞では、それらが細胞内に分散して存在しているのに対して、Dex/OSMで処理した細胞では、細胞間接着部位に強く濃縮することを見出した。また、E-cadherinなどのAJの構成因子の蛋白質量はOSMの刺激で変化せず、発現量はむしろDexによって調節されていることが明らかになった。さらに、in vivoの肝発生過程でのAJの形成を解析したところ、肝小様が形成されていないE14.5や新生児期(neonatal)の肝臓では、E-cadherinやβ-cateninの接着部位への濃縮はあまり認められなかったが、成熟が完了したadultの肝臓では、完全に細胞間の接着部位に局在化し、肝細胞の集団が形成されていた。この結果は、胎生中期から生後にかけての肝臓で、E-cadherinなどの構成因子は発現していているにもかかわらず、明確なAJの構造が形成されていないことを示している。したがって、肝発生におけるAJの形成は,接着因子の発現,およびその局在レベルによって規定されており、この両者は異なるメカニズムによって制御されていることが示唆された。以上の結果から、glucocorticoidとOSMのシグナルは、それぞれ接着因子の発現、局在を調節している可能性が考えられた。

Ras経路に依存したE-cadherinの接着部位への局在化

 gp130 KOマウスは、肝小葉構造が構築される前に死亡するため、E-cadherinの局在に関与するかどうかは明らかになっていなかった。そこで、OSM-gp130シグナルがAJの形成に関与するかを解析するために、El4.5のgp130 KOマウスの肝臓を摘出し、single embryo cultureを行った。そのin vitro培養で、E-cadherinの局在を解析したところ、gp130 KOマウス由来の肝細胞では、OSMの刺激に依存したE-cadherinの接着部位への濃縮はまったく認められなかった。そこで次に、gp130の下流で機能するシグナルを明らかにするために、レトロウイルスベクターを用いてdominant negative型のSTAT3、Rasを肝細胞に導入し、OSMによるE-cadherinの局在化に対する影響を検討した。その結果、分化マーカーの発現を阻害する作用を示すΔSTAT3を発現した細胞では、発現していない細胞と同様にOSMによるE-cadherinの接着部位への濃縮が認められた。ところが、分化マーカーの発現を増強する作用を持つRasN17を発現させると、その接着部位への濃縮は顕著に抑制されることが明らかになった。したがって、肝発生過程で起こるE-cadherinの接着部位への局在化は、gp130を介して活性化されたRasシグナルが重要であることが示唆された。

肝発生の分子メカニズム

 E14.5から出生前後までの肝発生のプロセスには、OSMによって活性化される二つのシグナル分子が異なるな役割を果たすことが明らかになった。すなわち、STAT3は肝分化マーカーの発現やグリコーゲンの蓄積を誘導し、RasはE-cadherinなどの接着因子の細胞内局在を制御することが明らかになった。以上の結果から、個々の細胞が機能的に成熟していくプロセスに関しては、STAT3のシグナルが必須であり、他方、細胞同士が相互作用し、細胞社会を形成していく過程には、Rasを介したシグナル経路が関与していることが考えられた。したがって、肝発生のプロセスには、STAT3とRasの異なるシグナル経路がバランスよく活性化される必要があることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

 肝細胞は胎生中期から生後にかけて機能的、形態的に成熟・分化するが、そのプロセスにはサイトカインや接着因子などのさまざまな制御因子が関与していると考えられる。事実、E14.5由来肝細胞初代培養系を用いた実験結果からgp130を介したOSMのシグナルが、in vitroとin vivoの両方で肝細胞の機能的・形態的な成熟のプロセスに関与していることが示唆されている。しかしながら、OSMがどのような細胞内因子を介して、肝細胞の機能的な成熟を誘導しているのか、また肝発生における形態形成がOSMによってどのように調節されているのかはまだ理解されていない。本論文は、OSMによる肝細胞の成熟・分化の誘導系を利用して、肝細胞の機能的・形態的な成熟プロセスに関与している因子の同定を行い肝発生の分子機構を解明することを試みたものである。

 まず、胎生肝細胞の初代培養系において、OSMの刺激によって活性化されるシグナル経路を明らかにするために、レトロウイルスベクターを用いてdominant negative型のSTAT3(ΔSTAT3)を発現したところOSMによって誘導される分化マーカーの発現やグリコーゲンの蓄積を顕著に抑制したがΔSTAT5はこれらに何の影響も与えなかった。一方、dominant negative型のRas(RasN17)、SHP-2(C463A)は、その発現をむしろ増強する作用を示した。これに相関して、活性型Ras(RasV12)は分化マーカーの発現を強く抑制することがわかった。以上の結果から、代謝酵素の発現などの機能的な成熟のプロセスにはSTAT3のシグナルが必須であり、他方Rasの経路はそれを負に制御している可能性が考えられた。

 次に、OSMがどのように肝細胞の形態を制御しているのかを明らかにするために、OSM刺激前後での各接着装置の形成を解析した。まずTJの形成を調べるために、その構成因子であるZO-1の細胞内局在性を調べたところ、ZO-1はDex単独で処理した細胞ですでに接着部位に局在化しOSMを添加してもその局在は変化しなかった。次に、AJの構成因子であるE-cadherin、β-cateninの細胞内分布を解析したところ、Dex単独で処理した細胞ではそれらが細胞内に分散して存在しているのに対してDex/OSMで処理した細胞では細胞間接着部位に強く濃縮することを見出した。また、E-cadherinなどのAJの構成因子の蛋白質量はOSMの刺激で変化せず発現量はむしろDexによって調節されていることが明らかになった。さらに、in vivoの肝発生過程でのAJの形成を解析したところ、肝小葉が形成されていないE14.5や新生児期(neonatal)の肝臓では、E-cadherinやβ-cateninの接着部位への濃縮はあまり認められなかったが、成熟が完了したadultの肝臓では完全に細胞間接着部位に局在化し肝細胞の集団が形成されていた。この結果は、胎生中期から生後にかけての肝臓でE-cadherinなどの構成因子は発現していているにもかかわらず、明確なAJの構造が形成されていないことを示している。以上の結果から、glucocorticoidとOSMのシグナルは、それぞれ接着因子の発現、局在を調節している可能性が考えられた。

 OSM-gp130シグナルがAJの形成に関与するかを解析するために、レトロウイルスベクターを用いてdominant negative型のSTAT3、Rasを肝細胞に導入しOSMによるE-cadherinの局在化に対する影響を検討した。その結果、分化マーカーの発現を阻害する作用を示すΔSTAT3を発現した細胞では、発現していない細胞と同様にOSMによるE-cadherinの接着部位への濃縮が認められた。ところが、分化マーカーの発現を増強する作用を持つRasN17を発現させると、その接着部位への濃縮は顕著に抑制されることが明らかになった。したがって、肝発生過程で起こるE-cadherinの接着部位への局在化はgp130を介して活性化されたRasシグナルが重要であることが示唆された。

 以上、本論文はE14.5から出生前後までの肝発生のプロセスにOSMによって活性化される二つのシグナル分子STAT3およびRasが異なる役割を果たすことを明らかにしたもので、学術上、応用上貢献することが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の単位論文として価値あるものと認めた。

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