学位論文要旨



No 116266
著者(漢字) 米川,徹
著者(英字)
著者(カナ) ヨネカワ,トオル
標題(和) カルシウムによる放線菌の形態分化制御に関する研究
標題(洋)
報告番号 116266
報告番号 甲16266
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2296号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 助教授 吉田,稔
内容要旨 要旨を表示する

 放線菌は原核生物でありながら極めて複雑な形態分化を示す。放線菌のいくつかの種では形態分化が培地中のCa2+濃度に依存しており、培地中に充分な濃度のCa2+が存在するときのみ形態分化を示し、さらにこれらの形態分化はカルモジュリン阻害剤により抑制されるといういくつかの報告がある。真核生物においてCa2+は種々の刺激応答反応による細胞内分子過程を活性化するセカンドメッセンジャーとして機能することがよく知られている。Ca2+による細胞応答反応の分子機構は細胞により様々であるが、どの場合にも共通しているのがCa2+は先ず、Ca2+結合タンパクに結合してその構造変化を引き起こし、それが複雑な反応応答の引き金を引くという点である。このような機能を有するタンパクとして最もよく知られるものとしてカルモジュリンが挙げられる。カルモジュリンはタンパク全体が4つのEF-hand型のCa2+結合モチーフから構成されており、Ca2+と結合しタンパクの構造を変化させることで多数の標的タンパクと結合し、それらの活性を調節したり、局在を限定する機能を持つ細胞内Ca2+センサーとして機能する。真核生物では一般的であるEF-hand型Ca2+結合タンパクは原核生物においては現在までに僅か2つの報告があるのみである。そのうちの1つは放線菌Streptomyces erythraeより単離されたcalerythrinであるが、その機能はほとんど解析されていない。本研究は、放線菌におけるCa2+の形態分化に及ぼす影響をCa2+結合タンパクの面から解析しようとするものである。

1.S.coelicolor A3(2)におけるカルモジュリンホモログCabBの機能解析

 放線菌において過去に原核生物では非常に珍しいEF-handタンパクが放線菌で見つかっていることや、カルモジュリン阻害剤が放線菌の形態分化を抑制するなどの報告から、放線菌にはカルモジュリンに類似したタンパクが存在し、それが真核生物同様、数々の形態形成に関わっているであろうと予想し、S.coelicolorA3(2)ゲノムプロジェクトデータベースを基にカルモジュリンに相同なアミノ酸配列をコードする遺伝子の検索を行った。

CabBのアミノ酸配列

 検索の結果、カルモジュリンのN末側半分とC末側半分それぞれと約40%の相同性を示すタンパクが見つかり、これをCabBと命名した。CabBのサイズはカルモジュリンのほぼ半分であり、2つのEF-handモチーフを含んでいた。カルモジュリンはCabBを2つ連結したようなアミノ酸配列である。CabBはカルモジュリンと高い相同性を持つが、中でもカルモジュリンの活性に重要であると考えられるフェニルアラニンがCabBで高度に保存されているため、その生化学的機能も高く保存されていると考えられた。

CabBの生化学的機能解析

 大腸菌を用いてCabBを発現、精製し、45Ca2+を用いたCa2+結合活性を調べたところ、CabBはCa2+結合能を持つことが確認された。同方法で精製したタンパクを用いてCa2+存在下、非存在下におけるCDスペクトルを測定したところ、Ca2+の添加により大きな構造変化が起こった。これらのことからCabBはCa2+と結合することで、カルモジュリン同様、構造変化を起こし、標的タンパクと結合することでそれらの活性を制御することが示唆された。次に、カルモジュリンとしての機能の保存性を調べるために、CabBのcAMPフォスフォジエステラーゼ(PDE)活性化能(PDEはカルモジュリンにより活性化される)について調べたが、CabBはPDEを活性化しなかった。また、出芽酵母Saccharomyces cerevisiaeではカルモジュリンをN末側とC末側の二つに分断したもの(half-CaM)をカルモジュリン欠損株で過剰に発現させると表現型が親株並みに相補されることが報告されていることから、カルモジュリン機能温度感受性変異株(cmd1-226,228,239,233)へCabBをGAL1プロモーターを用いて過剰に発現させた。しかし、CabBはカルモジュリン機能欠損を相補しなかった。以上の結果から、CabBはアミノ酸配列、Ca2+結合能、Ca2+結合による構造の著しい変化についてはカルモジュリンに類似しているものの、真核生物においてはカルモジュリンとしては機能しえないといえる。

CabBの遺伝学的機能解析

 放線菌におけるCabBの機能解析を行うために、S.coelicolorA3(2)でcabB遺伝子破壊を行った。遺伝子破壊株は通常用いる栄養源が豊富な培地で良好な生育を示し、気中菌糸・胞子形成にも異常は見られなかった。ところが、最少培地に高濃度のCaCl2(30mM以上)を添加した培地上でのみ、cabB遺伝子破壊株の生育は親株に比べ、1〜2日遅れた。次に、cabBを多コピーベクターを用いてS.coelicolorA3(2)へ導入し、その表現型を観察したところ、最少培地、栄養源が豊富な培地それぞれに高濃度のCaCl2を添加したときにコロニー形成率の低下が観察された。これらの現象は同濃度のMg2+を添加した条件では起こらないことから、Ca2+特異的であると考えられる。cabB遺伝子破壊株は高濃度CaCl2存在下で生育の遅れをみせるという理由で、CabBが生体内でCa2+バッファーとして機能するとは簡単には言えない。単純にバッファーとして機能するならば、過剰発現させたときには高濃度Ca2+存在下で生育に有利に働くはずだが、実際にはコロニー形成率の低下という不利な現象が起こり、また、形成されたコロニーの生育については親株とほとんど違いがみられなかった。真核生物でカルモジュリンは細胞内Ca2+濃度を低く保つ役割を持つCa2+ポンプを活性化することが解っており、カルモジュリンと相同性の高いCabBが放線菌の菌体内で、上記のようなCa2+ホメオスタシスに関わるメンバーの一員である可能性も考えられる。

2.S.ambofaciensにおけるEF-handタンパクCabAの機能解析

 上記のS.elythraeより単離されたcalerythrinはカルモジュリン同様、EF-handモチーフを4つ持つが、アミノ酸配列を見てみるとカルモジュリンよりもむしろ、Ca2+に結合することで細胞内Ca2+濃度を一定に保つためのバッファーとして機能するCa2+結合タンパクに類似している。しかし、calerythrinについて現在まで遺伝子破壊の報告がないためその生物学的機能がほとんど解っていない。そこで、形態分化がCa2+により誘導される株であるS.ambofaciensIFO12651からcalerythrin相同タンパクをコードする遺伝子をクローニングし、遺伝子破壊株を作製することで他の株では観察できないような親株との表現型の違いがみられると考えた。

cabAのクローニング

 同種のCa2+結合タンパク間でCa2+結合に必須なEF-handモチーフは高度に保存されていると考え、calerythrinのEF-handを基に設計したプライマーを用いてS.ambofaciensIFO12651のクロモソームDNAを鋳型にPCRを行った。その結果、calerythrinに相同なタンパクをコードすると考えられるDNA断片が増幅された。このDNA断片をプローブとしてコロニーハイブリダイゼーションを行ったところ、calerythrinと約60%の相同性を示すタンパクをコードする遺伝子を取得し、これをcabAと命名した。その後、cabAを大腸菌を用いて発現、精製し、45Ca2+によるCa2+結合アッセイを行い、Ca2+結合能があることを確認した。

cabAの遺伝子破壊および過剰発現

 cabAの遺伝子破壊株を作製し、様々な濃度のCaCl2,EGTAを添加した培地上で野生株との表現型の違いを観察した。cabAを多コピーベクターを用いて導入した株についても同様に観察した。しかし、これらの条件下で野生株、cabA遺伝子破壊株、過剰発現株の間で生育、形態分化能についての違いは全く観察されなかった。cabA自身がうまく発現されていない可能性を考慮してS1マッピングによりその転写量を調べたが、基底菌糸から胞子形成初期の間、充分な転写が行われていた。今回行った実験の条件下では、細胞内に侵入したCa2+はCabAがバッファーとして有効に機能する前に速やかに細胞外に排出されてしまうのかもしれない。

3.まとめ

 多くの生物でセカンドメッセンジャーとして機能するCa2+の効果を、原核生物である放線菌において検証すべく、Ca2+結合タンパクを2種類(CabA,CabB)同定した。両者ともCa2+結合能を示し、とくにCabBはCa2+結合に伴ってその構造が大きく変化した。両者の遺伝子破壊、過剰発現の結果から、CabAでは生育、形態分化に目立った変化は観察されなかったが、CabBでは培地条件によって高濃度Ca2+による生育阻害、コロニー形成率低下が見られた。したがって、CabA,CabBは放線菌の生育には必須ではないものの、おそらく菌体内遊離Ca2+濃度を変化させ、生理状態に影響を及ぼしているといえる。

審査要旨 要旨を表示する

 放線菌は原核生物でありながら複雑な形態分化を示す。放線菌のいくつかの種では形態分化がCa2+依存的であり、さらにこれらの形態分化はカルモジュリン阻害剤により抑制される。真核生物においてCa2+はセカンドメッセンジャーとして機能するが、その細胞応答反応はたいていCa2+がEF-hand型のCa2+結合タンパクと結合してその構造変化を引き起こし、それが複雑な反応応答の引き金を引く。EF-handモチーフを持つタンパクは原核生物では現在までに僅か2例の報告があるのみであり、そのうちの一つが放線菌Streptomyces erythraeより単離されたcalerythrinであるがその機能はほとんど解析されていない。本研究は放線菌におけるCa2+の形態分化に及ぼす影響をCa2+結合タンパクの面から解析したものである。

1.S.coelicolor A3(2)におけるカルモジュリンホモログCabBの機能解析

 S.coelicolor A3(2)ゲノムプロジェクトデータベースを基にカルモジュリンに相同なアミノ酸配列をコードする遺伝子の検索を行った結果、カルモジュリンのN末側半分とC末側半分それぞれと約40%の相同性を示すタンパクが見出された。これをコードする遺伝子をクローニングし、cadBと命名し、機能解析を行った。大腸菌を用いて発現、精製したCabBについて45Ca結合アッセイを行った結果、CabBはCa2+結合能を持つことが確認された。同方法で精製したタンパクについてCa2+との結合により、大きな構造変化が起こることもCDスペクトラムにより確認された。次にCabBのカルモジュリンとしての機能の有無を判断するためにcAMP PDE活性化能、出芽酵母カルモジュリン温度感受性変異株に対する相補能を調べた。しかし、これらの結果はいずれもCabBがカルモジュリンとして機能し得ないという結果になった。

 放線菌におけるCabBの機能解析を行うために、S.coelicolor A3(2)でcadB遺伝子破壊株を作製した。遺伝子破壊株は最少培地に高濃度Ca2+を添加した時のみ親株に比べ、生育の遅れを示した。このことからCabBは菌体内のCa2+濃度を低く保つために必要なCa2+ポンプを活性化する機能を持つことが示唆された。次にcadBを多コピーベクターを用いて親株に導入し、その表現型を観察したところ、最少培地、栄養源が豊富に含まれる培地において高濃度のCa2+を添加した時にコロニー形成率の低下が観察された。

 以上のように細胞内でのCabBの増減により全く異なる表現型が見られ、このことからCabBは多機能タンパクであることが示唆された。

2.S.ambofaciensにおけるEF-handタンパクCabAの機能解析

 上記のcalerythrinはアミノ酸配列上、カルモジュリンよりもむしろ細胞内Ca2+バッファーとして機能するCa2+結合タンパクに類似している。また、calerythrinについて遺伝学的機能解析はほとんど行われていない。そこで、Ca2+依存的形態分化を示すS.ambofaciens IFO12651よりcalerythrin相同タンパクをコードする遺伝子をクローニングし、遺伝子破壊、過剰発現を行うことで他の株では観察することのできないような親株との表現型の違いが見られると考えられた。calerythrinのEF-handモチーフを基に設計したプライマーを用いてambofaciens IFO12651の染色体DNAを鋳型としてPCRを行い、増幅したDNA断片をプローブとしてコロニーハイブリダイゼーションを行ったところ、calerythrinと約60%の相同性を示すタンパクをコードする遺伝子を取得した。この遺伝子をcabAと命名し、45Caを用いたCa2+結合アッセイを行い、CabAがCa2+結合能を持つことを確認した。Ca2+濃度を変化させた様々な培地上でcabA遺伝子破壊株およびcabA過剰発現株の表現型を野生株と比較したが、試験した条件下では全ての株の表現型に違いは観られなかった。cabaの転写を調べたところ、基底菌糸から胞子形成初期の間、充分な転写が行われており、CabAは菌体内で発現され、機能している可能性が高い。そのためCabAは今回行った実験の条件下では観察する事ができないような菌体内の微妙なCa2+濃度の変化を調節するバッファーとして機能している可能性が高いと考えられる。

 以上、本論文は放線菌の形態分化におけるカルシウムの役割を明らかにすべく、カルシウム結合タンパクの面から研究を行い、2種のカルシウム結合タンパクの単離、解析を通じてカルシウムの重要性を示したものである。よって審査委員一同は、本論文が、博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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