学位論文要旨



No 116268
著者(漢字) 韓,昌均
著者(英字)
著者(カナ) ハン,チャンギュン
標題(和) バクテリアとイネに存在する転移性遺伝因子の同定と機能の解析
標題(洋) Identification and characterization of transposable elements from bacteria and rice
報告番号 116268
報告番号 甲16268
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2298号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大坪,栄一
 東京大学 助教授 横田,明
 東京大学 助教授 林,浩昭
 東京大学 助教授 田中,寛
 東京大学 助教授 梅田,正明
内容要旨 要旨を表示する

 可動性遺伝因子は、バクテリアから高等植物に至るまで、染色体上に普遍的に見出されるものである。これらの因子は一定の大きさをもつ塩基配列であり、一般にその両端には逆向き配列が存在している。可動性遺伝因子は自身がコードするトランスポゼースの作用により、DNA上の他の部位へ転移する能力を持ち、この転移反応に起因する様々な非相同領域における組み換えを引き起こすため、ゲノムの大規模な再編成に大きな役割を果たしていると考えられている。これらの可動性遺伝因子は、トランスポゼース、末端逆向き配列の相同性などにより、いろいろなファミリーに分けられる。バクテリアには挿入因子(IS)、あるいはトランスポゾン(Tn)といわれる一群の可動性遣伝因子が存在するが、これらは約17種類のファミリーに分けられている。植物のトランスポゾンにも様々な因子が存在するが、それらは三つのファミリー(Ac、En/Spm Mu)に大別されている。各ファミリーのメンバーはそれぞれ固有の構造的特徴を持っている。

 これまでに可動性遺伝因子は遺伝的な方法でゲノム上のある部位から他の部位に転移する因子として見い出されたものである。しかし、1995年以来、Heamophilus influenzaeをはじめとして、実に100種類以上のゲノムの配列が決定されようとしている。その結果、ゲノム上の既知、あるいは、新規のISの正確な位置を知ることのみならず、IS近傍の塩基配列を解析することによってISがゲノムの可塑性にどのように寄与してきたかを推察することが可能になった。

 本研究は、最近決定されたバクテリアのゲノムとそのプラスミドの全配列からISを同定し、これらをゲノム上にマップし、ISの全体像の把握を試みることを目的としたものである。また、本研究中で見い出した病原性大腸菌のプラスミドpB171から同定した新規IS679が特異な構造を持っていたことから、このISが転移可能であることを証明することを目的として研究を行った。さらに、イネにおいて可動性遺伝因子が入れ子構造をとっていることを見い出し、挿入している各因子の構造的特徴を明らかにすることを目的として研究を行ったものであり、以下のように要約される。

1.バクテリアに存在するISエレメント

(1)バクテリアゲノムとプラスミド上のISの同定と機能の解析

1)E.coliK-12ゲノム上に存在するISの全体像

 既知のISの配列との相同性検索によりE.coli K-12ゲノム上に存在する多数のISの配列を抽出し、それらの正確な位置をゲノム上にマップすると共に、構造的特徴を調べた。多コピーで存在するISのメンバーが存在したが、これらの配列をアラインメントした結果、中には変異がないものや、数多く見いだせるものが存在した。見いだされた変異の多くは塩基置換変異であったが、中には内部が欠失したものや、あるいは片側の配列がtruncateしたものが存在した。ほとんどのISは、ゲノム上の異なる位置にそれぞれ独立に存在していたが、中には入れ子構造を取るISがいくつか見つかった。さらに、E.coli K-12の3株(MG1655、W3110、及びJE5519)でのISの位置を互いに比べることによりE.coli K-12株に共通して存在するISを同定した。ゲノム上の大部分のISには標的配列の重複が見られたが、一部のISにはそれが見られなかった。これは、ISの挿入の後におこったISによる欠失反応によりISの隣接領域が失われたことを示唆する。実際、E.coli K-12ゲノム上で標的重複が観察されなかったISに関して、PCR実験によって、E.coli K-12とは別の大腸菌株E.coli CではISは存在せず、その代わりに別の塩基配列が存在することが分かった。これは大腸菌株の変遷において、E.coliCとK-12が分岐した後でこれらのISが挿入し、それに引き続いてISに隣接するゲノムの一部の領域が欠失したという上記の示唆を支持する。

2)Bacillus halodurans C-125ゲノム上に存在するISの全体像

 グラム陽性菌であるB.halodurans C-125は生育の至適pHが9より高く、pHが6.5ではほとんど生育しない好アルカリ性細菌である。今までの、アルカリ感受性変異株の分離という遺伝学的手法に頼った研究には限界があるという観点から、アルカリ性適応機構を解明する目的で本菌株の全ゲノムの配列が決定された。全ゲノム(4.25Mb)からISを抽出したところ、全て新規の16種類のISが存在することが分かった。B.haloduransに近い株であるB.sabtilisのゲノムの全配列も決定されているが、これにはISが全く存在しないことを考えると興味深い。標的配列の重複がないものが多数存在することから、B.haloduransにおいてもゲノムの再編成が多数生じているものと考えられる。

3)EHEC O157:H7のゲノムとそのプラスミド上に存在するISの全体像

 大阪の堺で流行した病原性大腸菌E.coli O157:H7のゲノムとそのプラスミドの全塩基配列が最近決定された。O157が生産する毒素は出血性大腸炎とhemolytic uremic syndrome(HUS)を起こすが、それらの遺伝子獲得のメカニズムの詳細はまだ知られていない。また、O157のプラスミド上にも病原性遺伝子が存在していることは、広く知られている事実であった。EHEC O157:H7のゲノム(5.5Mb)とプラスミド(93kb)上のISを同定したところ、ゲノム中に20種類のISが見い出され、その中の7種類が新規ISであることが分かった。特に、E.coli K-12とは異なり、EHECO157:H7ゲノムには入れ子構造のISが多いことが分かった。面白いことに、O157のプラスミドにおいては病原遺伝子を挟む形で多くのISが存在していた。このことはこれらの遺伝子がISを介してプラスミド上に導入されたことを強く示唆する。

4)pB171プラスミドとRtslプラスミド上に存在するISの全体像

 発展途上国での下痢の病原菌enteropathogenic E.coli(EPEC)Bl71株はプラスミドpBl71を持っているが、このプラスミドを除くと病原性が低くなることが知られていた。このプラスミドpB171(69kb)の配列を決定し、ISを同定したところ、13種類のISを見い出した。これらのISの中には新規のISとして後で述べるIS679が含まれていた。IS以外にもShigella flexneriのゲノム上のshe pathogenicity islandに存在するgroup 2 intron(Sf.IntA)を見い出した。これらのISをマップした結果、病原性遺伝子が占めている領域を挟む形で存在することが分かった。これはISが病原性遺伝子をこのプラスミドに組み込んだことを示唆する。

 プラスミドRtslの複製は温度感受性であり、複製の研究材料として古くから使用されているものである。Rtsl(217kb)は他のプラスミドと比べてサイズが大きいにもかかわらず、ISの数が6個極めて少なく、加えて2種類のトランスポゾンを持つことが分かった。同定したISの内、2種類は新規ISであり、全ては完全な構造を持つものであった。同定したトランスポゾンの一つTn6901はTn3ファミリーの遠縁のメンバーであることが分かった。

(2)挿入因子IS679の転移能と必須遺伝子の解析

 病原性大腸菌(E.ooli Bl71)のプラスミドpB171の上で見い出した新規のIS679(2704bp)は末端に25bpの末端逆向き反復配列、内部に同じ向きの三つのORFを持ち、8bpの標的配列を重複するものである。IS679の配列との相同性検索により、このISは既知のIS66;IS866及びIS1311とorf2の配列と高いホモロジーを持つことが分かった。さらに比較的低いホモロジを持つ22個(9個の新規ISを含む)のホモログを見いだした。これらはAgrobacterium、E.coli、Rhizobium、PseudomonasとVibrioに存在することが分かった。これらのISの系統樹を作成した結果、宿主によるグループ分けとは異なる結果が得られた。AgrobacteriumのISは、Tiプラスミドの上に存在するので他のバクテリアに接合伝達により水平移動した可能性が考えられる。同定したホモログ中、10個は内部にフレームシフトを起こす変異を持っていたが、適切な部位に塩基を挿入又は欠失させることにより、三つのORFが存在していることが明らかになった。

 そこで、IS679が実際に転移するのか、また、転移に三つのORFが必要なのかどうが調べるために、まず、完全なIS679とIS679のIRRを含む断片でカナマイシン耐性遺伝子(Kmr)をはさんだ構造を持つプラスミドを構築し、IS679-Kmr-IRRが一つのユニット(Tn679と命名)として標的プラスミドに転移するかどうかmating assayによって調べた。その結果、Tn679が標的プラスミドに転移し、単純挿入体を形成すること、転移に際して標的となった8bpの配列を重複することが分かった。次に、IS679の三つのorfのそれぞれに欠失を入れた変異体を構築し転移実験を行った結果、それぞれの変異体は転移しないことが分かった。この結果はIS679の内部にある三つのORFの全てが転移に必須であることを示す。これらの結果から、IS66ファミリーの全てのメンバーも転移において三つのORFが必要であると示唆される。

2.イネの新規可動性遺伝因子の発見及び構造解析

 Tnr1(235bp)はイネ Oryza glaberrimaのWx遺伝子で見つかった転移性遺伝因子で、両端に長いIR(75bp)を持つ。Tnr1はその大きさから非自律的因子と考えられるが今のところ自律性因子は見つかっていない。Tnr1の自律性Tnr1を同定するためにTnr1のIRにハイブリダイズするプライマー作成し、イネゲノムDNAを鋳型としてPCRを行ったところ、いろいろな大きさのDNA断片が増幅されることが分かった。これらのDNA断片をクローニングし、塩基配列を決定したところ、それらはTnr1の自律性因子ではなく、Tnr1の内部に他の転移性遺伝因子(Tnr4,Tnr5,Tnr11,Tnr12,Tnr13とRIRE9と命名)が挿入したものであることが分かった。Tnr4(1767bp)は不完全な64bpの末端逆向き反復配列を持ち、9bpの標的配列を重複していた。Tnr5(209bp)は不完全な46bpの末端逆向き反復配列を持ち、TTAの標的配列を重複していたことから、Touristファミリーに屬するものと考えられた。Tnr11(811bp)は73bpの末端逆向き反復配列を持ち、Tnr1とは有意義なホモロジーがあり、TA配列を重複することが分かった。Tnr12(2426bp)は3bpの標的配列を重複しており、5'-CACTA・・の配列で始まる9bpのIR(inverted repeat)を持っていた。また、サブターミナル領域には、TTAACGAPu配列が24コピー順向き、及び、逆向きに存在した。これらの構造的特徴はEn/Spmファミリーのものと同じである。Tnr13(347bp)は不完全な31bpの末端逆向き反復配列を持ち、8bpの標的配列を重複していた。Tnr13は既知のCrackleと部分的にホモロジーがあることが分かった。Tnr1に挿入した因子として同定した上記の全て因子はトランスポゼースをコードするほどの大きさではないことから、非自律因子と考えられる。一方、RIRE9(3852bp)は、末端5'-TG・・・・CA-3'配列を持つレトロトランスポゾンのsolo LTRであることが分かった。

 以上、本研究において、幾つかのバクテリアのゲノムとプラスミド上の全てのISを同定し、正確な位置にマップすること、挿入部位を解析することにより、ISの多くがゲノムの再編成に深く関与することを明らかにした。また、新規IS679の転移系の確立し、内部の三つの遺伝子が転移に必要であることを証明した。さらに、イネのTnr1に挿入している新規トランスポゾンを多数見出し、構造の特徴を明らかにしたが、これらの可動性遺伝因子も、それらの転移能力によりイネゲノムのダイナミクスに寄与している可能性が考えられる。

Reference

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Makino K,Ishii K,Yasunaga T,Hattori M,Yokoyama K,Yutsudo CH,Kubota Y,Yamaichi Y,IidaT,Yamamoto K,Honda T,HanCG,Ohtsubo E,Kasamatsu M,Hayashi T,Kuhara S,Shinagawa H(1998) Complete nucleotide sequences Of 93-kb and 3.3-kb plasmids of an enterohemorrhagic Escherichia coli O157:H7 derived from Sakai outbreak.DNA Res.5:1-9.

審査要旨 要旨を表示する

 転移性遺伝因子は、自身がコードするトランスポゼースの作用により、ある部位からの他の部位へ転移可能なエレメントであり、転移に際して標的部位の数塩基対配列を重複する。転移性遺伝因子は、非相同領域における組み換えを起こすため、ゲノムの大規模な再編成に大きな役割を果たしていると考えられている。バクテリアには挿入因子(IS)と呼ばれる多様な転移性遺伝因子が存在するが、これらは構造の類似性により、約19種類のファミリーに分けられている。植物の転移性遺伝因子にも様々な因子が存在するが、それらもいくつかの植物に特異なファミリーに分けられている。

 本研究は、最近決定された種々のバクテリアのゲノムとプラスミド上のISを同定することによって、ISによるゲノムの可塑性を明らかにすることを目的としたものである。また、本研究中で見い出した特異な構造を持つ新規IS679因子が転移可能であることを証明し、その転移に必須の遺伝子を明らかにする研究も行った。さらに、イネにおいて入れ子構造をとる可動性遺伝因子を見い出し、挿入している各因子の構造的特徴を明らかにした。

 第1章で本論文の背景を概説した後、第2章では各種バクテリアのゲノム及びプラスミド上に存在するISを見い出し、それらのゲノム再編への役割を述べている。先ず、大腸菌K-12株ゲノム上で見い出した多数のISの内のいくつかのISに隣接する領域が欠失しており、この欠失がISによる転移組み換え反応により生じたことを明らかにした。また、最近決定された好アルカリ性細菌Bacillus halodurans C-125の全ゲノムの配列を解析し、見い出した16種類のISが全て新規であることを明らかにした。また、B.haloduransにおいてもいくつかのISに隣接する領域で欠失が生じていることを指摘した。

 また、最近全塩基配列が決定された病原性大腸菌(EHEC) O157:H7のゲノムとそのプラスミドに存在するISとゲノム再編への役割について述べている。O157のゲノムとプラスミド上に、新規の7個を含む20種類のISを見い出した。O157のゲノムには、K-12とは異なり、入れ子構造をとるISが多い,ことを示した。また、プラスミドにおいては、多くのISが病原遺伝子を挟む形で存在しており、病原遺伝子がISを介してプラスミド上に導入されたと推測した。

 さらに、全塩基配列が決定された病原性大腸菌(EPEC)B171のプラスミドpB171に新規のIS679を含む13種類のISを見い出した。これらのISは、病原遺伝子が占めている領域を挟む形で存在したことから、これらがISを介してプラスミド上に導入されたと推測した。新規のIS679に関して、相同性検索によりDNAデータベースから22個のホモログ(9個の新規ISを含む)を見いだした。これらのホモログは、グラム陰性菌に広く分布するものであり、IS679と同様、3つのorfを持つことを確認したが、その半数は内部に変異を持つものであることを示した。また、IS679が、実際に転移能を持ち、内部の3つのorf全てが転移に必須であることを明らかにした。

 第3章で、イネの新規転移性遺伝因子の発見及び構造解析について述べている。イネの転移性遺伝因子dTnr1(235 bp)は長い末端逆向き配列TIRを持つが、その大きさから非自律的因子と考えられた。そこで、その自律性因子Tnr1を同定するために、TIRにハイブリダイズするプライマーを使用しPCRを行ったところ、いろいろな大きさのDNA断片が増幅されたが、これらは自律性因子Tnr1由来のものではなく、6個の転移性遺伝因子がdTnr1の異なる部位に挿入したものであることを示した。これらの内3つは既知の転移性遺伝因子とは遠縁のもの、2つは全く新規のものであり、それらの大きさから、全て非自律性因子と考えられた。もう1つの挿入配列は、特異な末端配列を持つ新規のレトロトランスポゾンであることを明らかにした。

 以上、本論文は、全配列が決定された幾つかのバクテリアのゲノムとプラスミド上のISを同定し、挿入部位配列を解析することにより、ISの多くがゲノムの再編成に深く関与すること、また、見い出された新規IS679が転移能を持ち、内部の3つの遺伝子が転移に必要であることを示すと共に、イネの新規転移性遺伝因子を多数見い出し、構造の特徴を明らかにしたもので、学術上、応用上寄与することが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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