学位論文要旨



No 116272
著者(漢字) 西川,義文
著者(英字)
著者(カナ) ニシカワ,ヨシフミ
標題(和) ネオスポラ原虫感染症の発症予防と診断法の分子免疫学的開発研究
標題(洋)
報告番号 116272
報告番号 甲16272
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2302号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大塚,治城
 東京大学 教授 高橋,英司
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 助教授 松本,芳嗣
 東京大学 助教授 松本,安喜
内容要旨 要旨を表示する

 Neospora caninum(N.caninum)は1988年に発見された細胞内寄生性原虫で、それ以前はToxoplasma gondii(T.gondii)と誤診されていた。近年、N.caninumの感染例が世界各地で報告され、獣医学領域で非常に問題視されているN.caninum感染は家畜及び愛玩動物において神経麻痺や死を引き起こす。牛における流産、死産、神経疾患の主な原因の一つとしてN.caninumの感染が挙げられ、畜産関係者にとっては経済的に大きな問題となっている。中間宿主が終宿主の犬から排出されたoocystsの感染をうけることで、N.caninumの生活環が成立する。このため、N.caninumに対するワクチン及び診断法の開発が急務とされる。それらの開発にあたり、N.caninumによる宿主の免疫応答を理解することが重要となる。本研究はN.caninum感染に対する宿主免疫応答の解明、ワクチン開発、診断法の確立を目的とし、4章より構成される。

(1)N.caninum感染に対する宿主免疫応答の解明(第1章)

 病原体感染に対する宿主の防御免疫機構にはサイトカインの働きが重要である。そのなかでもインターフェロン(IFN)の作用が注目されている。IFNがN.caninum感染に及ぼす影響をin vitroとin vivoで解析した。

 3種類のIFN(IFN-α,-β,-γ)をクローニングし、in vitroで宿主細胞内のN.caninumの増殖に与えるIFNの影響を調べた。すべてのIFNで虫体の増殖を抑制し、その中でも特にIFN-γはその活性が高かった。このIFNの作用は宿主細胞側の増殖力の低下に関係していることが判明し、その機構の解明に注目した。

 IFN-γにより増殖力が低下した宿主細胞において核の断片化がみられ、アポトーシスの誘導が確認された。アポトーシスを誘導する割合は、作用させるIFN-γとN.caninumの量に依存した。アポトーシスが誘導される宿主細胞では、カスパーゼ3と8が活性化され、さらにFasとFasLの発現の増加がみられた。アポトーシスに対して抵抗性のToxoplasma gondii(T.gondii)との比較試験により、今回の系でのアポトーシスの誘導にはFasLの発現が重要であることが明かとなった。また、アポトーシス誘導下ではN.caninumの増殖が抑制されたことからも、IFN-γは宿主細胞レベルでN.caninumの増殖を制御していることが示唆された。

 N.caninum感染におけるIFN-γのin vivoでの重要性を調べるために、IFN-γ遺伝子欠損マウス(IFN-γ欠損マウス)の免疫応答を解析した。N.caninummの急性感染に対しBALB/cマウスは抵抗性であるが、IFN-γKOマウスは感受性であった。N.caninumはIFN-γ欠損マウスの全身に感染する一方で、BALB/cマウスでは全身に感染した後に脳に侵入することが判明した。IFN-γをN.caninum感染IFN-γ欠損マウスに投与すると、生存期間の延長がみられた。IFN-γで刺激することで、両マウスの腹腔内マクロファージは原虫殺滅効果と一酸化窒素の産生量を増加させた。N.caninum感染後、BALB/cマウスに比べ、IFN-γ欠損マウス由来腹腔内マクロファージにおけるMHCクラス2の発現量は低いものの、その発現はIFN-γ投与により増加させることができた。さらにIFN-γ欠損マウスでは感染防御に対しT細胞を十分に活性化できなかった。血清中のサイトカイン産生で、BALB/cマウスではIFN-γ、インターロイキン(IL)-12遅れてIL-4が産生したが、IFN-γ欠損マウスではIL-10の産生がみられた。これらのことよりN.caninumの急性感染に対する防御免疫応答には、IFN-γ依存性のMHCクラス2発現の誘導とT細胞の活性化が重要であることが示された。

(2)ウイルスベクターを用いたワクチン開発(第2章)

 組換えワクチンの開発にあたり、その抗原の選定が重要となる。その候補となる抗原を同定するために、N.caninumを認識するモノクローナル抗体(mAb)を作製した。作製したmAbのうち、虫体の表面タンパクであるNcSRS2あるいはNcSAG1を認識する抗体は、虫体の細胞侵入を阻害した。このことから、これらタンパクはN.caninumの細胞侵入に関与することが明かとなった。

 前述の結果を基に、N.caninum感染に対するワクチンを開発するため、NcSRS2あるいはNcSAG1を発現する組換えワクシニアウイルスを作製した。これら組換えタンパクはN.caninum由来のタンパクと類似した構造を維持し、遺伝子挿入によるウイルス力価の減少もみられなかった。

 これら組換えウイルスのN.caninumに対するワクチン効果を評価するために、マウスモデル系を用いPCR法により虫体の感染を調べた。組換えウイルスを接種したマウスにおいて、N.caninumの感染から防御される結果が得られた。しかしながら、感染後期(感染後26日)においては、NcSAG1接種群において虫体の存在が確認された。次に、これら組換えウイルス接種が誘導する免疫反応を解析した。組換えウイルスを接種したマウスの脾臓細胞はN.caninumの抗原刺激に反応し、IFN-γを産生した。NcSAG1接種に比べ、NcSRS2接種は虫体特異的なIgG1抗体を優位に産生し、抗NcSRS2 mAbはin vivoにおいても感染初期の虫体の脳への侵入を阻止した。しかしながら、NcSRS2接種マウスのT細胞を枯渇させた場合、ワクチン効果はみられなかった。この結果、虫体感染の初期には補体依存性のIgG1抗体の働き、感染後期にはIFN-γ産生に関与するT細胞の働きが重要であることが示された。

 N.caninumの重要な感染経路の一つとして垂直感染が挙げられる。組換えワクシニアウイルスがN.caninumの垂直感染を阻止しうるかをマウスモデル系を用いて検討した。NcSRS2接種群では新生マウスの数に減少はみられず、その死亡率、N.caninum感染率も極めて低い成績が得られた。一方、NcSAG1接種では十分な防御効果は得られなかった。前述の結果も考慮すると、NcSRS2はN.caninum感染に対するワクチン開発として有用な抗原であることが明かとなった。ワクシニアウイルスは広範囲の宿主域を持つので、牛、犬を含めたさまざまな自然宿主への応用が期待される。

 N.caninumの終宿主である犬のみを標的にしたワクチンを開発するために、イヌヘルペスウイルス(CHV)をベクターとしてNcSRS2の犬での発現を試みた。組換えCHVで免疫した犬からはN.caninum特異的なIgG抗体が産生された。また、ウイルス接種した犬は臨床症状を示すことはなぐ、感染性ウイルを排出することもなかった。この結果より、組換えCHVベクターは犬におけるネオスポーラ症のワクチンの開発につながることを示唆する。

3)診断法の確立(第3章)

 N.caninum感染の血清診断法として、間接抗体蛍光法(IFAT)、ELISA、抗体凝集検査が報告されている。しかしながら、虫体のホモジネートを抗原として使用する場合、他の原虫(T.gondii)との交差反応とその生産性が問題となる。そこで、T.gondiiと交差反応のみられないNcSRS2をバキュロウイルス発現系を用いて解析し、新しい診断系の開発を試みた。組換えNcSRS2はウイルス感染細胞の膜に発現し、その成熟タンパクは培養上清に分泌した。分泌型タンパクを用いたELISA系で野外牛血清サンプルからN.caninum陽性血清を検出することができた。組換えNcSRS2を用いたELISAは抗原の生産性及び特異性の点からN.caninumの血清診断に有用であると思われる。

4)ウイルスベクターの改良(第4章)

 ウイルスベクターをワクチンとして使用する場合、その安全性が問題となる。イヌIFN-β、-Yを導入した組換えワクシニアウイルスを作製し、性状解析を行ったところ、組換えウイルスは発現したIFNの活性により、その増殖が抑制された。IFN遺伝子の導入とその発現を調整することで、ウイルスベクターの安全性を高められることが示唆される。

 以上の結果はN.caninumだけでなく他の原虫の研究に有用な知見を与えると思われ、今後更なる発展が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 Neospora caninum(N.caninum)は1988年に発見された細胞内寄生性原虫で、近年、その感染例が世界各地で報告さている。N.caninum感染は家畜及び愛玩動物において神経麻痩や死を引き起こす。牛における流産、死産、神経疾患の主な原因の一つとしてN.caninumの感染が挙げられ、畜産関係者にとっては経済的に大きな問題となっている。本研究はN.caninum感染に対する宿主免疫応答の解明、ワクチン開発、診断法の確立を目的としている。

 N.caninum感染に対する宿主免疫応答を解明するため、IFNの効果をin vitroとin vivoで解析した。イヌIFN-α,-β,-γはすべてin vitroで虫体の増殖を抑制し、その中でも特にIFN-γはその活性が高かった。マウスの細胞を用いてその機構の解明に注目した。IFN-γにより増殖力が低下した宿主細胞において核の断片化がみられ、アポトーシスの誘導が確認された。アポトーシスが誘導される宿主細胞では、カスパーゼ3と8が活性化され、さらにFasとFasLの発現の増加がみられた。アポトーシス誘導下ではN.caninumの増殖が抑制されたことからも、IFN-γは宿主細胞レベルでN.caninumの増殖を制御していることが示唆された。次にIFN-γ遺伝子欠損マウス(IFN-γ欠損マウス)を用いて、N.caninum感染におけるIFN-γのin vivoでの重要性を調べた。N.caninumの急性感染に対しBALB/cマウスは抵抗性であるが、IFN-γKOマウスは感受性であった。IFN-γをN.caninum感染IFN-γ欠損マウスに投与すると、生存期間の延長がみられた。IFN-γで刺激することで、両マウスの腹腔内マクロファージは原虫殺滅効果と一酸化窒素の産生量を増加させた。虫体感染に対し、IFN-γは腹腔内マクロファージにおけるMHCクラスIIの発現量を誘導し、T細胞を活性化させた。これらのことよりN.caninumの急性感染に対する防御免疫応答には、IFN-γ依存性のMHCクラスII発現の誘導とT細胞の活性化が重要であることが示された。

 N.caninum感染に対するワクチンを開発するため、その表面タンパクNcSRS2あるいはNcSAG1を発現する組換えワクシニアウイルスを作製した。組換えウイルスを接種したマウスにおいて、N.caninumの感染から防御される結果が得られた。しかしながら、感染後期においては、NcSAG1接種群において虫体の存在が確認された。組換えウイルスを接種したマウスの脾臓細胞はN.caninumの抗原刺激に反応し、IFN-γを産生した。NcSAG1接種に比べ、NcSRS2接種は虫体特異的なIgG1抗体を優位に産生し、補体存在下で虫体を中和した。しかしながら、NcSRS2接種マウスのT細胞を枯渇させた場合、ワクチン効果はみられなかった。この結果、虫体感染の初期には補体依存性のIgG1抗体の働き、感染後期にはIFN-γ産生に関与するT細胞の働きが重要であることが示された。さらに、組換えワクシニアウイルスがN.caninumの垂直感染を阻止しうるかをマウスモデル系を用いて検討した。

 NcSRS2接種群では新生マウスの死亡率、N.caninum感染率も極めて低い成績が得られた。一方、NcSAG1接種では十分な防御効果は得られなかった。前述の結果も考慮すると、NcSRS2はN.caninum感染に対するワクチン開発として有用な抗原であることが明かとなった。ワクシニアウイルスは広範囲の宿主域を持つので、牛、犬を含めたさまざまな自然宿主への応用が期待される。N.caninumの終宿主である犬のみを標的にしたワクチンを開発するために、イヌヘルペスウイルス(CHV)をベクターとしてNcSRS2の犬での発現を試みた。組換えCHVで免疫した犬からはn.caninum特異的なIgG抗体が産生された。また、ウイルス接種した犬は臨床症状を示すことはなく、感染性ウイルスを排出することもなかった。この結果は、組換えCHVベクターは犬におけるネオスポーラ症のワクチンの開発につながることを示唆する。

 バキュロウイルス発現系を用いてN.caninum感染の新たな血清診断法の確立を試みた。C末端疎水領域を欠損させた組換えNcSRS2は培養上清に分泌した。分泌型タンパクを用いたELISA系で野外牛血清サンプルからN.caninum陽性血清を検出することができた。組換えNcSRS2を用いたELISAは抗原の生産性及び特異性の点からN.caninumの血清診断に有用であると思われる。

 以上の結果はN.caninumだけでなく他の原虫の研究に有用な知見を与えると思われ、今後更なる発展が期待される。

 よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

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