学位論文要旨



No 116273
著者(漢字) 降籏,泰史
著者(英字)
著者(カナ) フルハタ,ヤスフミ
標題(和) 成長ホルモンによる脂肪蓄積制御に関する研究
標題(洋)
報告番号 116273
報告番号 甲16273
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2303号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西原,眞杉
 東京大学 教授 東條,英昭
 東京大学 教授 塩田,邦郎
 東京大学 教授 森,裕司
 東京大学 助教授 高橋,伸一郎
内容要旨 要旨を表示する

 肥満は現在、栄養失調や感染症に代わって、多くの国で一般的な健康上の問題となっている。我が国も例外ではなく、高度経済成長とともにその傾向は著しいものとなってきている。肥満は非インスリン依存性糖尿病、高脂血症、心疾患、高血圧などの主要なリスクファクターと認められているが、中でも糖尿病は最も一般的で、かつ危険度の高い疾患の一つである。一般に、糖尿病はインスリン作用の低下に基づく慢性の高血糖状態を主徴とする代謝疾患群と定義される。肥満が社会問題化してきている現在、肥満とそれに付随するインスリン抵抗性・糖尿病の病因解明の必要性は極めて高い。肥満の発現に関与する因子の一つとして近年着目されているものに成長ホルモン(GH)がある。GHは成長期と呼ばれる一時期における成長促進作用だけではなく、成熟後にも代謝制御に関与している。特に、成人発症の成長ホルモン分泌低下症(GHD)の患者にみられる体構成の変化、つまり、体脂肪量の増加と筋肉に代表される活性組織の低下にみられる様に、GHの成熟後の糖脂質代謝に対する影響は大きい。さらに、肥満者や肥満モデル動物のGHの分泌が低下していること、GHの投与が脂肪の蓄積を軽減することなどが報告されており、脂肪蓄積とGHの関係は肥満研究の上で非常に興味深いテーマであると考えられる。

 本研究は、筆者らの研究室で作出、維持されているヒトGH遺伝子を導入したトランスジェニックラット(TG)が、GHの分泌低下を示すとともに肥満並びにインスリン抵抗性を呈することに着目し、本TGをモデル動物としてGHの低下と肥満の成立およびインスリン抵抗性の発現との関係を解明することを試みたものである。本論文は5章から構成され、第1章で上記のような本研究の背景と目的を論じた後、第2章から第4章まで以下のような幾つかのアプローチの実験を行い、第5章において総合的な考察を行った。

 第2章においては、まずTGの肥満がどのような過程で成立するかを解析するために、摂食量や自発運動量などエネルギーバランスに影響を及ぼす因子を成長過程を追って測定した。さらに、脂肪細胞から分泌され、摂食抑制、運動促進などにより抗肥満作用を示すとされているホルモンであるレプチンが、TGにおける肥満の成立にどのように関与しているかについても検討した。その結果、同腹正常ラット(コントロール)と比較して、TGでは4週齢から摂食量の増加が観察され、また7週齢以降には自発運動量の低下が認められたが、体重は13週齢以降コントロールよりも有意に増加した。TGの血中レプチン濃度は、4週齢以降常にコントロールよりも有意に高かった。これらの結果は、TGにおいては離乳直後より行動の変化が起こっており、体重に反映されるよりもかなり以前から脂肪の蓄積が起こっていることを示している。一方、TGにおいては、血中レプチン濃度はコントロールよりも高いにもかかわらず、脳脊髄液中のレプチン濃度にはコントロールとの間に差は認められなかった。さらに、レプチンを腹腔内投与した結果、コントロールでは摂食量、体重の減少を引き起こしたが、TGでは効果がなかった。ところが、レプチンを脳室内に投与すると、コントロール、TGともに摂食量、体重の減少を引き起こした。これらの結果は、TGでは末梢のレプチンレベルが高いにもかかわらずその中枢作用が発現しない所謂レプチン抵抗性が発現しており、さらにその機序として血中レプチンの脳内移行の阻害が考えられた。また、このレプチン抵抗性により摂食の抑制や自発運動の促進が起こらないことが、TGにおける著しい肥満の成立に大きく貢献しているものと考えられた。

 第3章においては、TGにおける肥満や高インスリン血症に、本ラットで見られる過食と低GHがそれぞれどのように貢献しているかを個別に評価することを試みた。まず、TGの摂食量を5週齢より12週齢までコントロールのそれと同量に制限した結果、体重は減少したが脂肪重量には変化は認められなかった。また、TGでは血中インスリン、トリグリセリド、遊離脂肪酸、レプチン濃度がコントロールよりも有意に高いが、制限給餌により遊離脂肪酸以外はコントロールと差のないレベルにまで低下した。これらのことから、TGにおける摂食量の増大は脂肪蓄積や肥満を悪化させているだけでなく、血中インスリンやトリグリセリド濃度の上昇を誘起し、インスリン抵抗性を引き起こす原因となっていることが示唆された。一方、4週齢より12週齢までGH徐放製剤の投与により血中GHレベルを高く維持した場合には、体重には変化はなかったが、脂肪重量は有意に低下した。また、この処置により血中レプチン濃度は低下したが、インスリン、トリグリセリド、遊離脂肪酸濃度には変化は見られなかった。すなわち、GHの低下がTGにおける脂肪蓄積の主要な原因となっているが、GHを上昇させても過食が続いているかぎり代謝の異常は改善されないことが示された。以上、本章の実験を総合すると、TGにおける脂肪蓄積はGHレベルの低下のみでも誘起され、それに摂食量の増大が加わることにより脂肪蓄積が助長されるとともに、高インスリン血症や高脂血症が誘起されることが示唆された。

 第4章では、TGで生じているインスリン抵抗性の成立機序を明らかにするために、肝臓におけるインスリンシグナル伝達系の解析を行った。TGでは空腹時血糖およびインスリン濃度が上昇しており、さらに糖負荷試験の結果でも耐糖能の悪化を認め、この動物でインスリン抵抗性が起こっていることが確認された。TGの肝臓におけるインスリン受容体をウエスタンブロッティングにより検討した結果、その量が低下していることが分かった。外来性のインスリン投与によるインスリン受容体のチロシンリン酸化にも低下が見られた。さらに、その下流にあるシグナル分子であるインスリン受容体基質(IRS)一1/2の量、およびインスリン刺激によるIRS-1/2両者のチロシンリン酸化も低下していた。また、IRS-1/2に結合しているphosphatidilinositol(PI)3-kinase活性も低下していた。PI3-kinaseの活性化は肝臓におけるインスリンによる糖代謝の冗進に必須であることを考えると、これらの結果は肝臓においてインスリンの感受性が低下している、つまりインスリン抵抗性が発現していることを示している。さらに、このPI3-kinase活性の低下の原因究明のため、リン酸化チロシンとPI3-kinase p85subunitとの結合を調べた結果、インスリン刺激によるその結合の上昇がTGにおいてはコントロールと比較して有意に減少していた。すなわち、TGではIRS-1/2とp85subunitとの結合の障害が起こっており、それが、PI3-kinaseの活性低下を誘起していることが示唆された。このような肝臓におけるインスリンシグナルの伝達阻害の原因の一部は血中の高インスリンに帰せられるものと思われるが、筆者はTGにおけるGHの低下が大きく貢献しているものと考えており、両ホルモンのシグナルのクロストークという観点から、今後追究してゆきたいと考えている。

 以上、本研究により、TGの肥満成立には摂食量の増大と運動量の低下によるエネルギーバランスの不均衡、並びに低GHレベルの両方が貢献していることが明らかとなった。さらに、エネルギーバランスの不均衡にはレプチン抵抗性が関与していること、またこのレプチン抵抗性は血中レプチンの脳内への移行が阻害されることにより起こっていることが示唆された。また、摂食量の増大は、高インスリン血症を引き起こす原因となり、肝臓のインスリンシグナル伝達系に影響を及ぼし、耐糖能の悪化を引き起こしている可能性があることが明らかとなった。一方、GHの低下はエネルギーの流れを脂肪へとシフトさせ、脂肪蓄積を誘起していることが考えられた。本研究で得られた知見は、TGにおける脂肪蓄積とインスリン抵抗性の発現機序ばかりではなく、ヒトのGHDにおける病態の発現機構にも一般化できるものと考えられ、その予防法や治療法の開発にも貢献できるものと考えている。

審査要旨 要旨を表示する

 肥満は非インスリン依存性糖尿病、高脂血症、高血圧などの主要なリスクファクターであり、肥満が社会問題化してきている現在、肥満とそれに付随する疾患の病因解明の必要性は極めて高い。肥満の発現に関与する因子の一つとして近年着目されているものに成長ホルモン(GH)がある。肥満者や肥満モデル動物のGHの分泌が低下していること、GHの投与が脂肪の蓄積を軽減することなどが報告されており、脂肪蓄積とGHの関係は肥満研究の上で非常に重要なテーマとなっている。本研究は、申請者らの研究室で作出されたヒトGH遺伝子を導入したトランスジェニックラット(TG)が、GHの分泌低下を示すとともに肥満並びに高インスリン血症を呈することに着目し、本TGをモデル動物としてGHの低下と肥満の成立およびインスリン抵抗性の発現との関係を解明することを目的としたものである。

 本論文は5章から構成され、第1章で本研究の背景と目的を論じた後、第2章から第4章まで以下のような幾つかのアプローチの実験を行い、第5章において総合的な考察を行っている。

 第2章においては、まず摂食量や自発運動量などエネルギーバランスに影響を及ぼす因子を解析した結果、同腹正常ラット(コントロール)と比較して、TGでは4週齢から摂食量の増加が観察され、また7週齢以降には自発運動量の低下が認められた。次に、脂肪細胞から分泌され、抗肥満作用を示すホルモンであるレプチンについて検討したところ、TGにおいては血中レプチン濃度はコントロールよりも高いにもかかわらず、脳脊髄液中のレプチン濃度にはコントロールとの間に差は認められなかった。さらに、レプチンを腹腔内投与した結果、コントロールでは摂食量、体重の減少を引き起こしたが、TGでは効果がなかった。ところが、レプチンを脳室内に投与すると、コントロール、TGともに摂食量、体重の減少を引き起こした。これらの結果より、TGではレプチン抵抗性が発現していることが示唆され、さらにその機序として血中レプチンの脳内移行の阻害が考えられた。また、このTGにおけるレプチン抵抗性が、著しい肥満の成立に大きく貢献しているものと考えられた。

 第3章においては、TGにおける肥満や高インスリン血症に、過食と低GHがどのように貢献しているかを個別に評価することを試みた。まず、TGの摂食量を5週齢より12週齢までコントロールのそれと同量に制限した結果、体重は減少したが脂肪重量には変化は認められなかった。また、TGでは血中インスリン、レプチン濃度がコントロールよりも有意に高いが、制限給餌によりともにコントロールと差のないレベルにまで低下した。これらのことから、TGにおいては摂食量の増大がインスリン抵抗性を引き起こす原因となっていることが示唆された。一方、GH徐放製剤の投与により血中GHレベルを高く維持した場合には、体重には変化はなかったが、脂肪重量は有意に低下した。また、この処置により血中レプチン濃度は低下したが、インスリン濃度には変化は見られなかった。以上、TGにおける脂肪蓄積はGHレベルの低下のみでも誘起され、それに摂食量の増大が加わることにより脂肪蓄積が助長されるとともに、インスリン抵抗性が誘起されることが示唆された。

 第4章では、TGで生じているインスリン抵抗性の成立機序を明らかにするために、肝臓におけるインスリンシグナル伝達系の解析を行った。その結果、TGではインスリン受容体重、およびインスリン投与によるインスリン受容体のチロシンリン酸化に低下が見られた。さらに、インスリン受容体基質(IRS)-1/2の量、およびインスリン刺激によるIRS-1/2両者のチロシンリン酸化も低下していた。また、IRS-1/2に結合しているphosphatidilinositol(PI)3-kinase活性も低下しており、これはIRS-1/2とp85subunitとの結合の障害によることが示唆された。このような肝臓におけるインスリンシグナルの伝達阻害の原因の一部は血中の高インスリンに帰せられるものと思われるが、TGにおけるGHの低下も大きく貢献しているものと考えられた。

 以上のような結果をもとに第5章において総合考察を行い、GHの低下はエネルギーの流れを脂肪へとシフトさせ、脂肪蓄積を誘起すると結論している。本研究で得られた知見は、TGにおける脂肪蓄積とインスリン抵抗性ばかりではなく、ヒトのGH分泌低下症における病態の発現機構にも一般化でき、その予防法や治療法の開発にも貢献できるものと考えられ、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものとして認めた

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