学位論文要旨



No 116278
著者(漢字) 泉,正憲
著者(英字)
著者(カナ) イズミ,マサノリ
標題(和) マウス心室筋の興奮収縮連関とエンドセリン1の作用に関する研究
標題(洋)
報告番号 116278
報告番号 甲16278
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2308号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 唐木,英明
 東京大学 教授 局,博一
 東京大学 教授 塩田,邦雄
 東京大学 助教授 桑原,正貴
 東京大学 教授 尾崎,博
内容要旨 要旨を表示する

 遺伝子の過剰発現やノックアウトといった遺伝子操作を動物個体に適用する技術は個々のタンパク質の役割を知る上で有用であり、心筋の興奮収縮連関、情報伝達、病態についてもこの技術を利用した研究が増加しつつある。これらの遺伝子操作は多くの場合マウスを使って行われる。しかしマウス心筋の興奮収縮連関の基本的な性格や受容体作動薬などによる修飾に関する研究はきわめて乏しい。

 心筋細胞の収縮・弛緩は細胞内Ca2+濃度([Ca2+]i)の増減によって制御される。心筋細胞の興奮、すなわち膜電位の脱分極は電位依存性Ca2+チャネルを介する細胞外からのCa2+流入を引き起こす。そのCa2+よって細胞内Ca2+貯蔵部位である筋小胞体からCa2+放出が起こり、収縮タンパク系が活性化され心筋の収縮は発生する。この過程は各種因子により修飾される。特に交感神経刺激によるβ受容体を介した修飾は詳細に研究されている。エンドセリン1(ET-1)は血管作動性ペプチドとして発見され、血管収縮のみならず内皮細胞からのNO産生、血管平滑筋細胞の増殖など多くの生理機能をはたすことが明らかにされつつある。また、多くの動物種の心筋で陽性変力作用を示すことが明らかにされている。しかし、マウス心筋の収縮に対するET-1の影響に関する詳細な研究は全くなされていない。

<目的>

 本研究は、マウスの心室筋の興奮収縮連関の基本的な性状を明らかにすること、また、ET-1のマウス心室筋興奮収縮連関への影響を明らかにすることを目的とした。

<方法>

 マウス右心室壁の短冊状標本を使用し、収縮張力を測定した。[Ca2+]iは蛍光Ca2+ 指示薬であるfura-2あるいはfura-4Fをランゲンドルフ法により負荷して測定した。単離心筋のCa2+電流、電位依存性全電流、活動電位はホールセルパッチクランプ法により測定した。また、PKC活性、p38MAPキナーゼ活性を測定した。

<結果と考察>

1. マウス心室筋の基本的性状

 マウス心室筋の単収縮時の[Ca2+]iの上昇は一過性であり、モルモットなどで見られる持続相は観察されなかった。また[Ca2+]iトランジェントの持続時間が短いため、それに伴う収縮の持続時間も短かった。リアノジンは筋小胞体を機能的に除去し、Ca2+放出を抑制する薬物である。リアノジンにより[Ca2+]iの上昇、収縮ともにほとんど消失した。従って[Ca2+]iトランジェントの成分のほとんどが筋小胞体からのCa2+放出に依存していることが示唆された。モルモットではリアノジンは【Ca2+]i上昇の3割程度しか抑制せず、ラットでは[Ca2+】iの上昇の60-90%が抑制されることが知られている。従って、マウスの【Ca2+]iトランジェントはラットのそれに類似するものであるが、筋小胞体からのCa2+放出により依存していることが示唆された。

 心筋では刺激頻度を変えることにより単収縮の収縮張力が変化することが知られている。マウス右心室筋では刺激頻度の上昇に伴って単収縮の収縮張力は減少した。これは刺激頻度の増加に伴い筋小胞体に取り込まれるCa2+量が減少するためと考えられる。モルモットやウサギではこれとは逆の現象が観察されており、これもマウスの興奮収縮連関における筋小胞体の重要性を示しているといえる。

 マウス心室筋の活動電位にはプラトー相が存在せず、持続時間が短かった。電位依存性全電流を測定すると、脱分極刺激に伴い、テトロドトキシン感受性の一過性の内向き電流(Na+電流)とその後に続く4-AP感受性の大きな外向き電流(K+電流)が観察された。この、大きな外向き電流が存在するために、マウス心室筋の活動電位にはプラトー相が存在しなかったものと考えられる。

2. ET-1の作用

1) ET-1の陰性変力作用

 0.5Hzの頻度で電気刺激を行ったマウス右心室筋の単収縮をET-1は濃度依存性に抑制した。この抑制はETA受容体拮抗薬であるBQ-123により拮抗された。また、ET-1は[Ca2+]iトランジェントを抑制した。しかし、ET-1は電位依存性Ca2+チャネルを通る内向きCa2+電流を抑制せず、活動電位にも影響を及ぼさなかった。従って、ET-1はCa2+流入ではなく、筋小胞体からのCa2+放出量を減少させるものと考えられる。

 外液のCa2+濃度を変化させると、それに応じて[Ca2+]iトランジェントの大きさと収縮張力が増減する。こうして得られる[Ca2+]i-収縮張力の関係にET-1は影響しなかった。さらに単収縮の[Ca2+]iと収縮張力の変化の軌跡を、時間経過を追って解析した場合においてもET-1によるCa2+感受性の低下は観察されなかった。従ってET-1による収縮抑制には収縮タンパク質のCa2+感受性の抑制は関係しないと考えられる。

 PKC阻害薬であるビスインドリルマレイミド1(BIS)は収縮張力を増加させた。さらに阻害薬存在下でET-1を投与しても収縮抑制は観察されなかった。また、ET-1は細胞膜分画のPKC量を増加させた。一方、PKC活性化薬であるPDBuは収縮を抑制した。従って、ET-1による収縮抑制はPKCの活性化を介して起こることが示唆された。

 p38MAPK阻害薬であるPD169316もまた収縮張力を増加させた。一方、PD169316はET-1あるいはPDBuによる収縮抑制を阻害した。また、ET-1はp38MAPKのリン酸化を促進した。従って、ET-1はPKCの活性化を経てp38MAPKを活性化し、収縮を抑制するものと考えられる。

 以上の結果より、低頻度刺激時にはET-1はETA受容体を介しPKC、p38MAPKを活性化し、[Ca2+]iトランジェントを抑制することにより収縮を抑制することが示唆された。

2) ET-1の陽性変力作用

 ET-1のマウス心筋単収縮に対する作用は刺激頻度の影響を大きく受けた。すなわち低頻度刺激時(0.5Hz)にはET-1は陰性変力作用を示し、高頻度刺激時(2Hz)では逆に陽性変力作用を示す標本が見られた。この条件下でもPDBuは収縮を抑制したが、その程度は減弱した。一方、BIS存在下ではET-1は収縮張力を顕著に増加させた。従って、高頻度刺激時にもET-1はPKCの活性化を介して収縮を抑制する機構を動かすものの、収縮を増強する別の機構も働くため、全体としては収縮をやや増強するものと考えられる。

 刺激頻度を変化させたときの[Ca2+]iを測定したところ、刺激頻度の増加に伴い、静止時の[Ca2+]iが増加していた。刺激頻度0.5Hzの状態で外液Ca2+濃度を10mMまで上昇させてもなお、静止時の[Ca2+]iの増加が観察された。この条件下では、ET-1は[Ca2+]iトランジェントの大きさを減少させるにもかかわらず収縮張力を増強した。2Hzで刺激した標本ではET-1を投与すると、一部の標本では[Ca2+]iトランジェントは変化せずに収縮張力が増加した。以上の結果はET-1によるCa2+感受性の増加を意味する。刺激頻度2Hz、BIS存在下では、一部の標本では[Ca2+]iトランジェントは変化せずに収縮張力が増加し、一部の標本では[Ca2+]iトランジェントと収縮張力の両者が増加した。従って、静止時の[Ca2+]iが上昇した条件下では、Ca2+感受性の増加以外にも[Ca2+]iトランジェントを増強する機構が働くものと考えられる。しかし、PKCを抑制していない状態では[Ca2+]iトランジェントの抑制という逆の機構も働くため、両者のバランスで【Ca2+】iトランジェントの変化が決定されると考えられる。

<総合考察>

 マウス心室筋のCa2+ホメオスタシスは筋小胞体によるところが大きいことが明らかとなった。マウス心筋の活動電位は持続時間が短いため、このことがin vivoでの高い心拍数を可能にしているといえる。しかし、それに伴う細胞外からのCa2+流入量の減少を補うために筋小胞体が発達したものと考えられる。

 マウス右心室筋の収縮に対して、ET-1は正反対の作用も持つことが明らかとなった。すなわち、ET-1はPKC-p38MAPK系を介して[Ca2+]iトランジェントおよび収縮を抑制する。一方、静止時の[Ca2+]iが高いときは、ca2+ 感受性の増加と[Ca2+]iトランジェントの増強に陽性変力作用が発現することが示唆された。マウス心室筋においてこれらの作用の強さが実験条件によって異なっており、そのバランスがET-1の作用を決定づけているものと考えられる。

 ウサギやモルモットでは、ET-1による陽性変力作用が観察されており、その機構としてCa2+感受性の増加と[Ca2+]iトランジェントの増強の両者が考えられている。一方、これらの動物種ではET-1による陰性変力作用はET-1投与直後にしか見られない。この陰性変力作用のメカニズムが、マウス心室筋におけるET-1の収縮抑制と同様であるか否かは今後の検討を要するが、ET-1がすべての動物種において、収縮に対して興奮と抑制という正反対の作用を及ぼす機構を活性化するものの、そのバランスが動物種や実験条件によって変わってくるために、結果的に観察される現象が異なってくることは想像に難くない。マウス心室筋においては[Ca2+]iトランジェントの大部分が筋小胞体からのCa2+放出に依存している。従って、ET-1によりこのCa2+放出量が減少した場合、マウスでは[Ca2+]iトランジェントに対する影響が強く表れ、陰性変力作用の成分が大きくなるのであろう。

審査要旨 要旨を表示する

 心筋の興奮収縮連関、情報伝達、病態についても遺伝子操作を利用した研究が増加しつつある。これらは多くの場合マウスを使って行われる。しかしマウス心筋の興奮収縮連関の基本的な性格や受容体作動薬などによる修飾に関する研究はきわめて乏しい。本研究の内容は2部に大別される。第1部は、マウスの心室筋の興奮収縮連関の基本的な性状を明らかにすること、また第2部では、近年心血管系で各種の病態と関連すると考えられているエンドセリン−1(ET-1)のマウス心室筋興奮収縮連関への影響を明らかにすることを目的としており、実験結果は以下の通りである。

 第1部 マウス心室筋の基本的性状

 マウス心室筋の単収縮時の[Ca2+]iの上昇は一過性であり、モルモットなどで見られる持続相は観察されなかった。またそのために収縮の持続時間も短かった。リアノジンにより[Ca2+]iの上昇、収縮ともにほとんど消失した。従って[Ca2+]iトランジェントの成分のほとんどが筋小胞体からのCa2+放出に依存していることが示唆された。

 ところで、心筋では刺激頻度を変えることにより単収縮の収縮張力が変化する。マウス右心室筋では刺激頻度の上昇に伴って単収縮の収縮張力は減少した。これは刺激頻度の増加に伴い筋小胞体に取り込まれるCa2+量が減少するためと考えられた。

 一方、マウス心室筋の活動電位にはプラトー相が存在せず、持続時間が短かった。電位依存性全電流を測定すると、脱分極刺激に伴い、テトロドトキシン感受性の一過性の内向き電流(Na+電流)とその後に続く4-AP感受性の大きな外向き電流(K+電流)が観察された。この大きな外向き電流が存在するために、マウス心室筋の活動電位にはプラトー相がないものと考えられた。

 第2部 ET-1のマウス心室筋興奮収縮連関への影響

 1) ET-1の陰性変力作用

 0.5Hzの頻度で電気刺激を行ったマウス右心室筋の単収縮をET-1は濃度依存性に抑制した。この抑制はETA受容体拮抗薬であるBQ-123により拮抗された。また、ET-1は[Ca2+]iトランジェントを抑制した。しかし、ET-1は内向きCa2+電流を抑制せず、活動電位にも影響を及ぼさなかった。従って、ET-1はCa2+流入ではなく、筋小胞体からのCa2+放出量を減少させるものと考えられた。

 外液のCa2+濃度を変化させると、それに応じて[Ca2+]iトランジェントの大きさと収縮張力が増減する。こうして得られる[Ca2+]i収縮張力の関係にET-1は影響しなかった。従ってET-1による収縮抑制には収縮タンパク質のCa2+感受性の抑制は関係しないと考えられた。

 PKC阻害薬であるビスインドリルマレイミドIは収縮張力を増加させた。さらに阻害薬存在下でET

1を投与しても収縮抑制は観察されなかった。また、ET-1は細胞膜分画のPKC量を増加させた。一方、PKC活性化薬であるPDBuは収縮を抑制した。従って、ET-1による収縮抑制はPKCの活性化を介して起こることが示唆された。

 p38阻害薬であるPD169316もまた収縮張力を増加させた。一方、PD169316はET-1あるいはPDBuによる収縮抑制を阻害した。また、ET-1はp38のリン酸化を促進した。従って、ET-1はPKCの活性化を経てp38を活性化し、収縮を抑制するものと考えられる。

 以上の結果より、低頻度刺激時にはET-1はETA受容体を介しPKC、p38を活性化し、[Ca2+]iトランジェントを抑制することにより収縮を抑制することが示唆された。

 2) ET-1の陽性変力作用

 高頻度刺激時(2Hz)にはET-1による陽性変力作用が見られた。一方、ビスインドリルマレイミドI存在下ではET-1は収縮張力を顕著に増加させた。従って、高頻度刺激時にもET-1はPKCの活性化を介して収縮を抑制する機構を動かすものの、収縮を増強する別の機構も働くため、全体としては収縮をやや増強するものと考えられた。

 刺激頻度の増加に伴い、静止時の[Ca2+]iが増加していた。刺激頻度0.5HZの状態で外液Ca2+濃度を10mMまで上昇させてもなお、静止時の[Ca2+]iの増加が観察された。この条件下では、ET-1は[Ca2+]iトランジェントの大きさを減少させるにもかかわらず収縮張力を増強した。2Hzで刺激した標本ではET-1を投与すると、一部の標本では[Ca2+]iトランジェントは変化せずに収縮張力が増加した。以上の結果はET-1によるCa2+感受性の増加を意味する。刺激頻度2Hz、ビスインドリルマレイミドI存在下では、一部の標本では[Ca2+]iトランジェントと収縮張力の両者が増加した。従って、静止時の[Ca2+]iが上昇した条件下では、Ca2+感受性の増加以外にも[Ca2+]iトランジェントを増強する機構が働くものと考えられた。しかし、PKCを抑制しない状態では[Ca2+]iトランジェントの抑制という逆の機構も働くため、両者のバランスで[Ca2+]iトランジェントの変化が決定されると考えられた。

 以上、本論文はマウスの心室筋の興奮収縮連関の性状ならびに、各種の病態と関連すると考えられているET-1のマウス心室筋興奮収縮連関への影響を明らかにしたものである。これらの知見の学術上の重要性はいうに及ばないが、今後ますます多くの医学生物学分野で広く用いられるようになるであろうマウスの生物学、薬理学の確立の先駆けともいえる研究であり、ゲノム創薬という範疇の中で病態の解明や治療法の開発にも役立つ応用性の高い研究と考えられる。よって、審査委員一同は本論文が博士く獣医学)の論文として価値あるものと認めた。

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