学位論文要旨



No 116279
著者(漢字) 泉屋,吉宏
著者(英字)
著者(カナ) イズミヤ,ヨシヒロ
標題(和) マレック病ウイルスゲノム
標題(洋) The Genome of Marek's Disease Virus
報告番号 116279
報告番号 甲16279
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2309号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,英司
 東京大学 教授 大塚,治城
 東京大学 教授 辻本,元
 東京大学 助教授 遠矢,幸伸
 東京大学 助教授 大野,耕一
内容要旨 要旨を表示する

 マレック病(MD)は1960年頃から多くの国々で養鶏産業に大きな被害を及ぼしている鶏の伝染性悪性Tリンパ腫である。MDの原因となるのが細胞随伴性の増殖を示すマレック病ウイルス(MDV)であり、現在までに各国で数多く分離されている。その後MDVと血清学的に交差するウイルス株が健康な鶏や七面鳥その他の鶉鶏類の鳥から分離され、現在は血清学的に関連のあるこれらのウイルスは、3つの血清型(MDV1,MDV2,MDV3=HVT:七面鳥ヘルペスウイルス)に分類されている。これら血清型による分類はウイルスの腫瘍原性の有無による分類と完全に重なる。すなわち、腫瘍原性のあるウイルス株はすべてMDV1に属する。MDの発症はワクチンによって防御される。現在はワクチンとして、培養細胞で継代し弱毒化したMDV1や非腫瘍原性であるMDV2、またはHVTが単独もしくは混合して用いられている。

MDVは当初、そのT細胞親和性や自然宿主に対してTリンパ腫を引き起こすことから、腫瘍原性をもつヘルペスウイルスの多くが属するgammaherpesvirusに分類された。しかしその後の分子生物学的解析から、MDVは明らかな潰瘍原性は示さないalphaherpesvirusと系統発生学的に近似し、一部の遺伝子を除いてgammaherpesvirusとは類似していないことが示唆された。現在ではMDVは、その遺伝子構造からalphaherpesvirusに分類されている。このことは、腫瘍発生機構を解明するにあたって、遺伝子構造が異なるためgammaherpesvirusを比較対照とすることが難しいことを示している。これゆえMDV1の潰瘍原性を解明する1つの手段として、非腫瘍原性であるMDV2と腫瘍原性であるMDVlを比較解析する方法を着想、した。また、MDVのその特異的生物学的性状についての解析も非常に重要な課題である。MDVの特性に係わる遺伝子としては、3つのMDVに共通して認められ、なお且つ他のalphaherpesvirusには保存されていない遺伝子が関わっている可能性が考えられる。

 本研究はこれら課題を解明することを最終目的として、2部から構成されている。第1部においてはMDV2の全塩基配列を決定し、MDV1の遺伝子及び他のalphaherpesvirusの遺伝子と比較解析を行った。第2部ではMDVに特異的に認められる遺伝子を大腸菌及びバキュロウイルス発現系を用いて発現し、特異抗体を作成後、MDV感染細胞における特異的遺伝子の翻訳産物の同定を行った。

第一部 MDVの遺伝学的研究

 MDVの研究は他のalphaherpesvirusの研究に比べ、その引き起こす病気の重要性を考慮すると非常に遅れていると言えよう。これは、MDVが細胞随伴性の増殖を示すために取り扱いが容易ではないこととその遺伝子情報が部分的にしか明らかになっていないためであると考えられた。そこで著者は、MDV2ゲノム完全長の塩基配列の解析を行い、MDV2の全塩基配列の決定を完了することに成功した。遺伝子解析は以前当研究室で作製したゲノムライブラリーを用いて行った。完全長の塩基配列を決定するため、著者はゲノムライブラリーに欠けていたEcoRI-A(24.8kb)及び-B(18.0kb)断片をコスミド・ベクターにクローニングした。次にサブクローニングを行い、デリーション・クローンを作成後センス及びアンチセンス両方の塩基配列を決定した。断片のつなぎ目となる部分はダイレクトシークエンスにより確認を行った。この結果、MDV2の遺伝子は164,270bpより構成され、そのG+C含量は53.6%であることが明らかとなった。MDV2ゲノムには合計102個の蛋白をコードし得るopen reading frames(ORFs)が認められた。同定された多くのMDV2遺伝子は人単純ヘルペスウイルス(HSV-1)の相同領域に存在する遺伝子と相同性が認められた。そこで、HSV-1の遺伝子に準じてMDV2遺伝子の命名を行った。

 次に遺伝子の領域毎に詳細な解析を行った。MDV2ゲノムのUnique Short 領域は12,109bpで構成され、12個の蛋白をコードし得るORFが認められた。これらのうち7つはHSV-1の遺伝子と相同性が認められたが、残り5つには認められなかった。また、鳥類のヘルペスウイルスに特異的に保存されている遺伝子(SORF3)がMDV2においても認められた。さらに、転写産物の解析により2つの遺伝子を除くすべてのこの領域の遺伝子がmRNAに転写されていることが明らかとなった。

 MDV2のUnique Long 領域は109,933bpよりなり、68個の蛋白をコードすると考えられるORFが存在した。これら領域のG+C含量は50.3%であった。68個のORFのうち60個が他のalphaherpesvirusと相同性が認められ、5つのORFがMDVにのみ共通して保存されていた。今後MDVの特異的生物学的性状との関係について、これらの遺伝子のさらなる解析が必要であると思われた。さらに、この領域の転写産物の解析を行った結果、UL21、UL41 相同遺伝子以外のすべての遺伝子が、uniqueもしくは 3'末端を共有するmRNAに転写されている事が明らかとなった。

 Terminal Repeat Long及びInternal Repeat Long 領域はともに11,825bpよりなりそれらのG+C含量は62.2%であった。これらの領域にはDNA複製起点が存在し、UL9蛋白が認識すると考えられるCGTTCGCACモチーフが保存されていた。また他の、鳥類のヘルペスウイルスと同様にICPO相同遺伝子は保存されていなかった。このことから、鳥類のヘルペスウイルスの再活性化には哺乳類のヘルペスウイルスとは異なった機構が存在する可能性が示唆された。また、これらの領域には9つのORF様配列が存在していたが、それらのORFの配置は他のすべてのヘルペスウイルスと全く異なり、その推定アミノ酸配列についても他のヘルペスウイルス蛋白との相同性は認められなかった。また、これらの領域においてはUL及びUS領域と異なり、MDV1と全く相同性が存在せず、さらに潰瘍の原因と考えられているmeqの相同体も保存されていなかった。このことは、なぜMDV2が非腫瘍原性であるのかを示唆するものである。

 Terminal Repeat Short及びInternal Repeat Short 領域はそれぞれ9,481bp 及び9,098bpより構成され、それら領域にはICP4相同遺伝子が保存されていた。MDV2のICP4遺伝子は最初の開始コドンから翻訳されていると仮定した場合、6,099bpとすべてのヘルペスウイルスの中で最も大きく、MDV1 ICP4蛋白との相同性は47.3%であった。MDVlGA株のICP4蛋白とは810番目のメチオニンから相同性が認められる事から、今後の課題として実際の翻訳開始部位を決定する必要があると思われた。

 ヘルペスウイルスにはゲノムの末端にゲノムのcleavage及びpackaghg signalとして共通したモチーフが存在する。しかし、MDV2には他のalphaherpesvirusとは異なり、他のリンパ球指向性ヘルペスウイルスと類似してテロメア配列がこのモチーフ内に存在していた。このテロメア配列のウイルスの複製や細胞指向性との関係については未だ明らかではないが、リンパ球指向性ヘルペスウイルスに共通して存在する事からDNA複製や宿主細胞のゲノムヘの組み込みなどの重要な役割があるのではないかと推定された。さらに、この繰り返しの数はMDV1のそれとは大きく異なり、またクローンによってもその数は異なることから、非常に多様性のある領域であることが示唆された。

 第一部で得られた結果は、今後のMDVの研究に大いに役立つことが期待でき、特に、腫瘍発生機構の解明やMDVの特異的生物学的性状を理解する上で有用であると考えられた。

第二部 MDV 特異的遺伝子産物の同定

 第1部で得られた結果から、MDVには少なくとも5つの特異的な遺伝子が保存されている事が明らかとなった。これら遺伝子のうち、MDV20RF873遺伝子の機能解析を行うために、まず、ORF873遺伝子を部分的にクローニングし、大腸菌で組換え蛋白を発現させた。精製した組換え発現蛋白をマウスに免疫し、特異的な血清と1つのモノクローナル抗体を作出した。また、バキュロウイルス発現系を用いたORF873組換え蛋白も作製した。この蛋白は先の特異抗体によって108kDaの蛋白として発現していることが確認されるとともに、特異抗体の有用性が確認された。次にバキュロウイルスによって発現された組換え蛋白を用いて、この蛋白の免疫原性について検討した。この結果、この蛋白は3つの血清型のいずれの感染血清とも反応せず、少なくとも以前の研究で明らかとされたglycoprotein I, Eやpp38蛋白に比べて免疫原性が低いことが示唆された。次にマウスで作製した特異抗体を用いたイムノブロット解析によって、MDV特異的蛋白が感染細胞中で発現されているかを検討した。その結果、このMDV特異蛋白はMDV2感染細胞中で108kDaの蛋白として発現されていることが確認された。推定アミノ酸配列から、これらの蛋白には糖鎖付加可能部位及び、疎水性の高い膜貫通領域と考えられる領域が存在し膜糖蛋白であると考えられたが、推定アミノ酸配列より計算した分子量と同じであったことと、ツニカマイシンによって糖鎖付加を抑制しても分子量の減少が認められなかったことから、糖蛋白ではないことが明らかとなった。発現部位については作成したモノクローナル抗体を用いて間接蛍光抗体法で解析したところ、これらの蛋白は細胞質内で発現している可能性が示唆された。さらに、この蛋白は細胞骨格にそって検出され、アクチンもしくはチューブリンなどの宿主因子と相互作用しているのではないかと考えられた。

 MDV2の全塩基配列を決定することによって、MDV2にはMDVlにおいて腫瘍発生の原因印遺伝子であると考えられているmeq遺伝子が認められなかった。この結果はMDV1の潰瘍を引き起こす原因がmeqである可能性を強く示唆するものである。また、MDVには血清型間に共通して保存されている特異的遺伝子が少なくとも5つ存在することが今回初めて明らかとなった。今後はこれらの遺伝子の機能についての研究が重要である。

 本研究はMDVて最初に全塩基配列が明らかにするものであったが、この基礎的研究成果は、今後のMDVの分子生物学的研究に大きく貢献するものであると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 マレツク病(MD)は1960年頃から多くの国々で養鶏産業に大きな被害を及ぼしている鶏の伝染性悪性Tリンパ腫である。MDの原因となるのがマレック病ウイルス(MDV)であり、現在までに各国で数多く分離されている。その後MDVと血清学的に交差するウイルス株が健康な鶏や七面鳥その他の鶉鶏類の鳥から分離され、3つの血清型(MDV1,MDV2,MDV3=HVT:七面鳥ヘルペスウイルス)に分類されている。現在はワクチンとして、培養細胞で継代し弱毒化したMDV1や非腫瘍原性であるMDV2、またはHVTが単独もしくは混合して用いられている。

 MDVは当初、そのT細胞親和性や自然宿主に対してTリンパ腫を引き起こすことから、腫瘍原性をもつヘルペスウイルスの多くが属するgammaherpesvirusに分類された。しかしその後の分子生物学的解析から、MDVは明らかな腫瘍原性は示さないalphaherpesvirusと系統発生学的に近似し、一部の遺伝子を除いてgammaherpesvirusとは類似していないことが示唆された。現在ではMDVは、その遺伝子構造からalphaherpesvirusに分類されている。このことは、腫瘍発生機構を解明するにあたって、遺伝子構造が異なるためgammaherpesvirusを比較対照とすることが難しいことを示している。これゆえMDV1の腫瘍原性を解明する1つの手段として、非腫瘍原性であるMDV2と腫瘍原性であるMDV1を比較解析する方法を着想した。本研究はこれら課題を解明することを最終目的として、2部から構成されている。

第一部 MDVの遺伝学的研究

 MDVの研究は他のalphaherpesvirusの研究に比べ、その引き起こす病気の重要性を考慮すると非常に遅れていると言えよう。これは、その遺伝子情報が部分的にしか明らかになっていないためであると考えられた。そこで著者は、MDV2ゲノム完全長の塩基配列の解析を行い、MDV2の全塩基配列の決定を完了することに成功した。MDV2の遺伝子は164,270bpより構成され、そのG+C含量は53.6%であることが明らかとなった。MDV2ゲノムには合計102個の蛋白をコードし得るopen reading frames(ORFs)が認められた。このうち69個の遺伝子は人単純ヘルペスウイルス(HSV-1)の相同領域に存在する遺伝子と相同性が認められた。そこで、これらの遺伝子はHSV-1の遺伝子に準じて命名を行った。また、MDVに特異的な5つの遺伝子が保存されていた。興味深い領域として、Repeat long 領域には9つのORF様配列が存在していたが、それらのORFの配置は他のすべてのヘルペスウイルスと全く異なり、その推定アミノ酸配列についても相同性は認められなかった。さらに、この領域だけはMDV1と全く相同性が認められず、MDV1において腫瘍の原因と考えられているmeqの相同体も保存されていなかった。このことは、なぜMDV2が非腫瘍原性であるのかを示唆するものであった。

 第一部で得られた結果は、今後のMDVの研究に大いに役立つことが期待でき、特に、腫瘍発生機構の解明やMDVの特異的生物学的性状を理解する上で有用であると考えられた。

第二部 MDV特異的遺伝子産物の同定

 第1部で得られた結果から、MDVには少なくとも5つの特異的な遺伝子が保存されている事が明らかとなった。これら遺伝子のうち、MDV2 0RF873 遺伝子の機能解析を行うために、まず、ORF873遺伝子を部分的にクローニングし、大腸菌で組換え蛋白を発現させた。精製した組換え発現蛋白をマウスに免疫し、特異的な血清と1つのモノクローナル抗体を作出した。また、バキュロウイルス発現系を用いたORF873組換え蛋白も作製した。この蛋白は先の特異母体によって108kDaの蛋白として発現していることが確認されるとともに、特異抗体の有用性を確認した。次にマウスで作製した特異母体を用いたイムノブロット解析によって、このMDV特異蛋白はMDV2感染細胞中で108kDaの蛋白として発現していることが確認された。発現部位については作成したモノクローナル抗体を用いて間接蛍光抗体法で解析したところ、これらの蛋白は細胞質内で発現している可能性が示唆された。

 MDV2の全塩基配列を決定することによって、MDV2にはMDV1において腫瘍発生の原因遺伝子であると考えられているmeq遺伝子が認められなかった。この結果はMDV1の腫瘍を引き起こす原因がmeqである可能性を強く示唆するものである。また、MDVには血清型間に共通して保存されている特異的遺伝子が少なくとも5つ存在することが今回初めて明らかとなった。今後はこれらの遺伝子の機能とMDVに共通する特異的生物学的性状との関係についての研究が重要である。

 以上本論文はMDVで最初に全塩基配列を明らかにしたもので、この基礎的研究成果は、今後のMDVの分子生物学的研究に大きく貢献するものであると考えられる。よって審査委員一同は、本論文が博士(獣医学)論文として価値あるものと認めた。

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