学位論文要旨



No 116280
著者(漢字) 市丸,徹
著者(英字)
著者(カナ) イチマル,トオル
標題(和) 反芻動物における生殖中枢の制御機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 116280
報告番号 甲16280
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2310号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森,裕司
 東京大学 教授 澤崎,徹
 東京大学 教授 局,博一
 東京大学 教授 西原,眞杉
 東京大学 助教授 武内,ゆかり
内容要旨 要旨を表示する

 哺乳類では生殖に関わる生理機能が個体の置かれた状況に合わせて促進、あるいは抑制されるよう調節されている。例えば栄養状態の悪化や疾病罹患ストレス下ではエネルギー消費が個体維持の方向にシフトされ、性腺の活動は抑制される。逆に繁殖季節に入れば休息していた性腺は活動を再開し、性行動の発現が誘起される。こうした性腺機能や行動の変化は、生殖系における脳からの唯一の出力ともいえる、性腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)の間欠的分泌パターンの変化に起因している。すなわち視床下部−下垂体−性腺軸による制御系の最上位に「GnRHパルスジェネレーター」という神経機構が想定されており、さまざまな外的、内的環境の情報はこの神経機構の活動、とりわけパルス頻度を修飾することで全身の生殖活動に影響を及ぼすと考えられている。現在のところGnRHパルスジェネレーターについてはその本体を構成する神経細胞(群)をはじめ、存在部位、修飾因子、制御機構などに関し未だ不明な点が多い。しかしその活動様式や修飾因子の作用について直裁的に解析できれば、哺乳類の生殖活動に対する基本的な理解をより深めることが可能となるはずである。そこで本研究では視床下部 GnRH パルスジェネレーターの活動を電気生理学的手法により直接モニターし、特に栄養状態による生殖機能の制御という問題を中心に、生殖中枢に影響を及ぼす現象の作用様式を詳細に解析した。またそれらの情報を担う因子についても検討した。実験には中枢活動と他の複数の要因の同時解析が可能であり、また複胃による独自の代謝系を進化させた反芻家畜のモデルともなるシバヤギを供試した。

 本論文は5章から構成され、第1章では哺乳類の生殖活動の制御機構に関するこれまでの知見を概観し、本研究の目的を述べた。また視床下部への記録電極留置によりGnRHパルスジェネレーターの活動が、黄体形成ホルモン(LH)パルスに同期する特異的な神経興奮パターン(MUAボレー)として観察されること、そのリズム性を反映するボレー間隔あるいは頻度の変化が、生殖中枢の活動性を代表するものであることを説明した。

 第2章では栄養状態の低下による生殖中枢の活動抑制という現象について検討した。まず第1節では低栄養ストレスの実験モデルとして4〜5日間の短期絶食を行いその影響を解析した。卵巣摘除(OVX)したヤギでは短期絶食によるMUAボレー間隔の変化はほとんど観察されなかった。しかしエストロゲン処置(OVX+E2)を施したヤギでは絶食の開始後ボレー間隔が延長し始め、日を追うごとに抑制効果が増強されて最終的には給餌日の約140%にまで延長された。ボレー間隔は再給餌の開始当日から短縮し始め、絶食期間とほぼ同じ日数をかけてなだらかに回復した。以上により短期絶食は生殖中枢を抑制する低栄養状態の良いモデルとなり、その効果はエストロゲン依存性に現れることが示された。また採血を行った別のOVXヤギでは短期絶食にともなって血糖値の低下と遊離脂肪酸の上昇が観察され、これらの代謝系因子の血中濃度の変化が栄養状態を担う末梢情報としてモニターされている可能性が示された。

 そこで第2節では血糖に着目し、OVX+E2ヤギを供試してインスリン誘起の低血糖状態が生殖中枢へ及ぼす影響を観察した。低用量投与区では血糖値は絶食時(約50mg/dl)よりも低下した(約38mg/dl)ものの、ボレー間隔にはほとんど影響がみられなかった。一方、中用量では血糖値が約25mg/dlまで下がるとともにボレー間隔も延長する傾向がみられ、高用量投与区では血糖値は約21mg/dlとなりボレー頻度の有意な低下が確認された。また高用量インスリンに加えてグルコース溶液を持続投与し血糖値を正常範囲まで吊り上げたところ、MUAボレー間隔の延長は解除された。以上より、ヤギにおいても血糖レベルが生殖中枢の重要な修飾要因であることが示された。また実際の低栄養時には、血糖低下の検知感度が何らかの機構により上昇している可能性が考察された。

 第3節では去勢雄ヤギを供試し、4日間の絶食およびインスリン投与により活動が冗進される脳内部位を特定する目的で免疫組織化学的に検討した。絶食により視床下部第3脳室の周囲、特に弓状核、背内側核、脳室周囲核でのFos活性が上昇し、さらに弓状核ではニューロペプチドY(NPY)陽性細胞の増加と、その一部でFosとの共存が観察された。またインスリン投与では視床下部の室傍核、視索上核、弓状核の他に延髄の孤束核などでFosの発現がみられ、弓状核ではNPY陽性細胞との共存が確認された。以上より、低栄養状態の情報伝達経路に中枢NPYニューロンが関与している可能性が示唆された。

 第3章では視点を中枢レベルでの制御機構に移し、とくに摂食制御に関わるとされる脳内因子が生殖中枢の活動に及ぼす影響を検討した。まず第1節では、前章で注目されたNPYの脳室内投与を行った。NPYは摂食促進因子として知られるが、生殖中枢に対する効果は動物種や対象動物の生理状態により異なる報告がされているため、本実験では反易動物における向生殖中枢作用の検討を目的とした。リアルタイムな観察が可能なMUA記録法の利点を活かし、MUAボレー出現の15分後に側脳室内にNPYを投与した。OVXヤギではNPY各用量(0,2,5,20μg)の脳室内投与により、直後のMUAボレー出現が用量依存的に遅延された。このボレー間隔延長効果(それぞれ約35,40,50,110分)は投与直後のMUAボレーにのみ観察された。OVX+E2ヤギでも同様の投与を行ったが、やはり用量依存的に同程度の生殖中枢抑制効果が観察された。続いてOVXヤギを供試し側脳室内へのNPY持続投与(60μg/6h)を行った際の効果を検討した。MUAボレーは投与開始後1〜2回出現したあと投与終了の約1時間後に復帰するまで完全に消失した。以上の結果から、ヤギでは脳室内に投与されたNPYは視床下部GnRHパルスジェネレーターの活動を用量依存的に、かつE2の有無にかかわらず抑制することが示された。

 第2節ではコレシストキニン(CCK)が生殖中枢におよぼす影響を検討した。CCKはNPYとは逆に満腹感を司り、強力な摂食抑制作用を持つとされる脳内ペプチドである。しかし生殖活動との関係についてはほとんど未解明であるため、本実験で基礎的な知見を求めた。OVXヤギを供試し、MUAボレーの15分後にタイミングをあわせてCCK各用量(0,0,1,1,10,100,2000pmol)を側脳室内に投与したところ、10pmol以上の投与により約5分以内にMUAボレーが誘起された。IOO,2000pmolの投与では続くボレー間隔も用量依存的に短縮された。またCCKの持続投与(9000pmol/3h)では、ボレー間隔が持続的に短縮された。次にOVX+E2ヤギに同様の投与を行い性ステロイド処置の影響をみたところ、投与直後のボレー誘起に必要なCCK用量の閾値が上昇し、lOpmolでは無効であった。高用量の投与でもボレー間隔の有意な短縮は投与直後に限られ、さらに持続投与でもボレー間隔は短縮傾向を示したものの有意差を生じるには至らなかった。一方、摂食抑制効果は高用量の投与時にのみ、E2の有無に関わらず観察された。以上よりヤギでは外因性CCKの中枢投与によりGnRHパルスジェネレーターの活動が強く促進されることが示された。また内因性CCKが、おそらく摂食抑制とは別の機構を介してエストロゲンレベルによる調節を受けながら生殖中枢の働きを促進させている可能性が推察された。

 第4章ではこれまでの内的環境要因に加えて外的要因についても検討する目的で、生殖中枢に対する促進的な環境因子であるフェロモンの影響を観察した。ヒツジやヤギでは雄の匂いが非繁殖期の雌を発情させる「雄効果」という現象が知られている。OVXヤギを供試し、光周期の長日化とE2処置により非繁殖期の外的、内的環境を模倣した状態で、フェロモンの持続呈示による中枢作用を検討した。雌ヤギの吻部にマスクを8時間装着し、後半の4時間に雄ヤギ被毛2gをセットしたところ、匂い呈示によりボレー間隔の平均値は約90%に短縮した。以上からシバヤギにおいて、雄由来のフェロモン刺激が雌の視床下部GnRHパルスジェネレーターの活動を持続的に促進させうることが示された。

 第5章では総合考察を展開した。本研究の結果から、まず反芻動物においても栄養状態に応じて血糖値が変化し、生殖中枢の活動を修飾する有力な末梢因子として、他の因子と協調的に作用している可能性が示された。低栄養の末梢情報はおそらく延髄を経由して視床下部に送られ、NPYの放出という形で出力されて摂食を促すと同時に、生殖中枢の活動を抑制して個体維持に関与しないエネルギー消費を抑えるという合理的なシステムが備わっているのであろうと考えられた。またCCKが生殖中枢の活動を修飾する脳内物質として強い促進効果を発揮することがはじめて明確に示された。CCKの生理的役割は現段階では不明だが、作用様式の類似からフェロモン刺激の情報伝達を仲介している可能性が推察された。以上のように本研究では、GnRHパルスジェネレーターの活動調節に関与する神経機構について新たな知見が得られたが、こうした知見を採用することによって、動物が環境や生理的状況の変化に応じて個体維持モードと種保存(繁殖)モードを巧妙に切り替えるための脳のメカニズムについて、これまでよりもさらに深く考察を展開することが可能になったと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 哺乳類では生殖に関わる生理機能が個体の置かれた状況に合わせて促進あるいは抑制されるよう調節されている。例えば栄養状態の悪化や疾病罹患ストレス下ではエネルギー消費が個体維持の方向にシフトされ、性腺の活動は抑制される。逆に繁殖季節に入れば休息していた性腺は活動を再開し、性行動の発現が誘起される。こうした性腺機能や行動の変化は、生殖系における脳からの唯一の出力ともいえる性腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)の間欠的分泌パターンの変化に起因している。本研究は視床下部GnRHパルスジェネレーターの活動を電気生理学的手法により直接モニターし、特に栄養状態による生殖機能の制御という問題を中心に生殖中枢に影響を及ぼす現象の作用様式を詳細に解析したものであり、以下のように5章から構成される。

 第1章は総合緒言であり、哺乳類の生殖活動の制御機構に関するこれまでの知見が慨観され、シバヤギを用いて行った本研究の目的が述べられている。

 第2章では、栄養状態の低下による生殖中枢の活動抑制という現象が検討された。まず4〜5日間の短期絶食が生殖中枢を抑制する低栄養状態の良いモデルとなり、その効果はエストロゲン依存性に現れることが示された。また血糖値の低下や遊離脂肪酸の上昇といった代謝系因子の血中濃度の変化が栄養状態を担う末梢情報としてモニターされている可能性が示された。次に、インスリン誘起の低血糖状態が生殖中枢へ及ぼす影響が検討され、低用量投与区ではボレー間隔にはほとんど影響がみられないものの中高用量投与区ではボレー頻度の有意な低下が観察された。また高用量インスリン投与に加えてグルコース溶液を持統投与し、血糖値を正常範囲まで吊り上げた(グルコースクランプ実験)ところMUAボレー間隔の延長は解除され、血糖レベルが生殖中枢にとっての重要な修飾要因であることが示された。また免疫組織化学的な検討から、絶食やインスリン投与により視床下部第3脳室の周囲、特に弓状核、背内側核、脳室周囲核などにおいてFos活性が上昇し、さらに弓状核ではニューロペプチドY(NPY)陽性細胞の増加と、その一部におけるFosとの共存が観察され、低栄養状態の情報伝達経路に中枢性NPYニューロンが関与する可能性が示唆されている。

 第3章では、摂食制御に関わる脳内因子が生殖中枢の活動に及ぼす影響について検討されている。まず摂食促進因子として知られるNPYを、リアルタイムな観察が可能なMUA記録法の利点を活かし、MUAボレー出現の15分後に側脳室内に投与したところ、直後のMUAボレー出現が用量依存的に遅延されることが明らかとなった。また側脳室内へのNPY持続投与によりMUAボレーは投与終了の約1時間後まで完全に消失することが示された。さらに、NPYとは逆に強力な摂食抑制作用を持つコレシストキニン(CCK)が生殖中枢におよぼす影響について検討が行われた結果、ヤギでは外因性CCKの中枢投与によりGnRHパルスジェネレーターの活動が強く促進されることが示され、内因性CCKがおそらく摂食抑制とは別の機構を介してエストロゲンレベルによる調節を受けながら生殖中枢の働きを促進させている可能性が考察されている。

 第4章では、生殖中枢に対する促進的環境因子であるフェロモンの影響について検討が行われ、雌ヤギの吻部にマスクを装着しフェロモン持続呈示の中枢作用が解析された結果、雄由来のフェロモン刺激が雌の視床下部GnRHパルスジェネレーターの活動を持続的に促進させうることが明らかにされてた。

 第5章は総合考察であり、本研究で得られた結果を中心に、既報の様々を知見を援用しながら、栄養因子による生殖内分泌系の調節機構についての考察が展開されている。

 以上、要するに本研究は、反芻動物における生殖中枢の制御機構について検討を行ったものであるが、得られた研究成果は、動物が環境や生理的状況の変化に応じて個体維持モードと種保存モードを巧妙に切り替える際の中枢神経系の機能的変化を理解するための基盤的情報となりうるものであり、学術上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は申請者に対して博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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