学位論文要旨



No 116281
著者(漢字) 今村,拓也
著者(英字)
著者(カナ) イマムラ,タクヤ
標題(和) 脳の発達とDNAメチル化:スフィンゴシンキナーゼの発現制御
標題(洋)
報告番号 116281
報告番号 甲16281
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2311号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塩田,邦郎
 東京大学 教授 唐木,英明
 東京大学 教授 西原,眞杉
 東京大学 助教授 高橋,伸一郎
 東京大学 助教授 田中,智
内容要旨 要旨を表示する

序論

 ジーンサイレンシングの中心的分子機構であるゲノムDNAのメチル化が細胞の分化に重要であることは、マウスのメチル基転移酵素の欠損動物が致死することに支持される。哺乳類では、メチル化の主な標的であるCpG配列は有意に少ない。原因として、進化の過程において、DNAメチル化が変異原として機能したことが考えられている。興味深いことに、哺乳類においてCpG 配列の失われ方はランダムではなく、局所的には理論値通りに存在している。その特徴的な領域はCpGアイランドと呼ばれ、遺伝子の近傍、特に5'上流によくみられる。即ち、CpGアイランドは、メチル化の標的となりうる、且つ、発現調節に重要な領域と考えられる。ところが、CpGアイランドは、その保存性の高さから、変異原であるメチル化機構から逃れてきた領域であり、近傍の遺伝子の発現へのメチル化の関与については意見が分かれていた。CpGアイランドは、プロモーターとして機能する他、細胞分裂時のDNA複製開始点としての機能も示唆されている。即ち、CpGアイランドは多機能であり、新たな機能がこれからも発見されていく可能性がある。

 近年、DNAメチル化に関連した分子であるDNMT3BとMECP2の変異が、ヒトICF症候群、Rett症候群の各々に密接に関連していることが明らかになった。これらの遺伝性疾患は、いずれも精神遅滞を含む神経疾患が主症状の一つであり、脳におけるDNAメチル化の重要性を示唆している。脳におけるDNAメチル化パターンを解析することは、脳の高次機能に関連した分子機構の解明に重要な意味を持つものである。

 以上を背景に、本研究では、脳の発達におけるCpGアイランドのメチル化・脱メチル化に焦点をあて、解析を試みた。

結果

第一章

 DNAメチル化は、分化全能性を有する内部細胞塊から、外胚葉、内胚葉、中胚葉へと細胞の運命が決定するときに必須である。では、脳を含む各器官の前駆細胞から最終分化に至るまでの段階ではDNAメチル化はどのような意義を有するのであろうか。本章では、脳の発達・成熟・老化に伴うCpGアイランドのDNAメチル化多型を、Restriction Landmark Genomic Scanning法(RLGS)により解析した。

 RLGSにより、ラットゲノムDNAの合計1051座位を検出した。そのうちの95.8%(1007座位)のメチル化状態は、組織、発達、老化に拘わらず変化が認められなかった一方で、4.2%(44座位)において、組織特異的、時期特異的、あるいは老化特異的にメチル化の変化を伴うことが明らかとなった。その内訳は、雌雄間でメチル化状態の違うスポットが1個、成体脳にあり心臓にないスポットが6個、胎児脳と成体脳間でメチル化状態の違うスポット群が6個、老化にしたがった変化のあるスポットが4個であり、残りのスポットは脳では検出されないが、他の組織で検出されたものであった。DNA断片のクローニングの結果、メチル化の変化のあったスポットは確かに遺伝子に近接していたことから、CpGアイランドを有する遺伝子も、発達段階にしたがったメチル化の変化を受容していることが示唆された。

 以上より、CpGアイランドのメチル化状態は、発達・成熟・老化に伴い厳密に変化し、その変化が、脳を特徴づけるのに重要な要因であると考えられた。

第二章

 RLGSのスポット#5に相当するCpGアイランドを解析し、近傍に位置するラットスフィンゴシンキナーゼ(rSPHK1)遺伝子の発現とDNAメチル化状態との関連を調べた。

 rSPHK1CpGアイランドは約3.7kbに及んでいた。中には、少なくとも6つのエクソン1が包含されており、SPHK1のサブタイプ群(SPHK1a-f)の生成に関与していた。これらのmRNA発現は時期特異的、且つ組織特異的なパターンを示していた。CpGアイランドのうち、5'末端の200bpの領域のみが組織特異的メチル化可変領域(T-DMR)であり、脳では低メチル化状態であるのに対し、心臓では高メチル化状態にあった。また、T-DMRの下流にはSPHKlaがあり、SPHKlaの発現の減少とT-DMRのメチル化に正の相関性があった。

 以上より、rSPHK1CpGアイランドにはメチル化が誘導されうること、及び複数の5'非翻訳エクソンの使い分けが発現機構に柔軟性を供与していること、が明らかとなった。

第三章

 前章より、rSPHK1の発現に重要なシスエレメントは、多岐にわたる可能性が考えられた。本章では、まず、近年著しく充実してきたヒトゲノムのデータベースを用いて、ヒトSPHK1(hSPHK1)遺伝子のゲノム構造をin silicoで同定した。

 hSPHK1遺伝子の5'末端はrSPHK1同様、CpGアイランドを形成していることが明らかとなった。その大きさは約4.1kbであり、rSPHK1遺伝子のそれより約400bp大きかった。DNAメチル化は、進化の過程において変異原として機能してきたと考えられていることから、T-DMRは強い淘汰圧の下にある可能性があった。しかし、rSPHK1CpGアイランドのT-DMRのうち、5'末端に位置する38bpが、hSPHK1でも高く保存されていた。この領域は、rSPHK1CpGアイランドの5'末端(-3222〜-3185;翻訳開始点を+1とした)に存在しているが、hSPHK1遺伝子のそれでも 5'末端(-3262〜-3225)に存在していた。即ち、SPHK1遺伝子のCpGアイランドの末端部分は、DNAメチル化を含む淘汰圧に抗してきたことが分かった。T-DMRやタンパク質をコードする領域以外にも保存度の高い部分が存在し、ラットでは、SPHK1aのエクソン1/イントロン1境界領域、エクソン1と上流域、SPHK1cのイントロン1と上流域、SPHK1eのエクソン1、SPHK1fのエクソン1に相当していた。

 以上より、hSPHK1CpGアイランド内には、rSPHK1遺伝子のそれと共通性の高い領域がいくつも存在することが明らかとなった。それらの領域は偶然保存されてきたとは考え難く、したがって、協調的に働くことにより遺伝子発現に関与していると考えられた。

 第四章

 一般にプロモーターには方向性があると考えられているのに対し、CpGアイランドがプロモーターとして機能する場合、遺伝子の反対方向にも転写活性があることがin vitroで示されている。本章では、in vivoで、SPHK1CpGアイランドからアンチセンスRNAが転写されていることを発見した。

 SPHK1遺伝子座のアンチセンスRNAは非常に大きな非翻訳配列を有し、翻訳可能領域が小さかったことから、non-coding RNAとして機能することが示唆された。このRNAの発現はSPHK1サブタイプの発現との相関性が見出されず、腎で多かった他、心臓、胎盤、脾、肺で検出できた。一方、CpGアイランドが低メチル化状態にある脳での発現は少なかった。ラット腎繊維芽細胞株・NRKを用いて、センス・アンチセンスRNAの発現を解析したところ、両者は同時には発現していなかった。細胞の生存・増殖と各RNAの発現を関係を調べたところ、センスRNAは生存・増殖条件のいずれが乱されても発現量が減少し、またDNA複製後に発現することが分かった。一方、アンチセンスRNAの発現は増殖条件には無関係であった。更に、DNA脱メチル化誘導剤で細胞を処理すると、SPHK1aの発現は上昇し、二章で示したin vivoでのSPHK1aの抑制とメチル化の正の相関性に一致した。DNAメチル化の変化は、他のサブタイプRNAの発現にも影響を与えるようであった。ところが、アンチセンスRNAは脱メチル化誘導剤の影響を受けなかった。アンチセンスRNAの発現にはメチル化との相関性、センスRNAの発現との無相関性が認められることを考えると、アンチセンスRNAはセンスRNAとは異なり、メチル化の上位で遺伝子発現制御がなされている可能性も考えられた。

 以上より、SPHK1CpGアイランドは両鎖を有効に利用しており、遺伝子発現を複雑に調節しうることが明らかになった。

考察

 本研究において、i)脳において、特異的なCpGアイランドのメチル化パターンが存在し、更に、それは発達・老化に伴って変化すること、ii)脳特異的低メチル化座位であるSPHK1遺伝子の5'末端は、ラット・ヒト共にCpGアイランドを形成していること、iii)CpGアイランドは、複数のmRNA(SPHK1a-f、アンチセンスRNA)の産生の場であり、遺伝子発現に多様性を持たせるために重要な領域であること、が明らかとなった。

 核移植クローン動物の研究からも、エピジェネティックな修飾は、条件によっては可塑的であることは明らかであり、したがって、DNAメチル化機構は脳の可塑性とも関連している可能性がある。脳のDNAメチル化パターンが老化に伴っても変化することは、高次機能に対するDNAメチル化の役割を支持している。脳の正常な発達におけるDNAメチル化の標的遺伝子の同定、T-DMRの発見により、新たなメチル基転移酵素や脱メチル化酵素の発見、細胞特異的に発現するメチル化・脱メチル化に関連するアダプター分子の同定に貢献していくものと考えられ、エピジェネティクスの理解に一助となるであろう。

 本研究により、遺伝子発現に対するCpGアイランドのメチル化の貢献について、議論する材料が増えた。ここで留意すべきは、SPHK1遺伝子座のセンスRNAとアンチセンスRNAは二本鎖を形成しうることである。二本鎖RNAは相同な遺伝子の発現抑制を引き起こすことが発見されている。更に、植物において、二本鎖RNAがde novoのDNAメチル化を誘導していることも考え合わせると、脳以外の組織では発達のある時期に両鎖のRNAを一過性に発現して、T-DMRのメチル化を誘導しているのかもしれない。今回示さなかったが、RLGSスポット#4に相当するFrizzled5遺伝子座においても、SPHK1同様、アンチセンスRNAが発現していることから、SPHK1、Frizzled5の遺伝子座位で起こっている現象の共通性を解析していくことが、新たな概念を構築する上で、有効であろう。

審査要旨 要旨を表示する

 哺乳類のゲノムDNAにはCpG配列が局所的に多く存在する領域が存在し、CpGアイランドと呼ばれている。CpGアイランドは通常、遺伝子の5'上流あるいはそれらの近傍に認められ、転写調節領域として機能する他にDNA複製開始点としての機能もあることが示されている。DNAのメチル化は遺伝子の不活性化の分子機構として注目されている。本論文は、組織特異的なメチル化可変領域を持つCpGアイランドのゲノムスキャンニングによるメチル化領域を中心に解析したもので、特に脳特異的な非メチル部位を含むCpGアイランドがスフィンゴシンキナーゼ1遺伝子発現を調節していること、および同CpGアイランドからアンチセンスRNAが発現していることが記されている。4章より構成され、要約すると以下のようになる。

 第一章ではラット(胎児、成熟、老齢)の脳を含む様々な組織由来のゲノムDNAのメチル化状況を、メチル化感受性酵素Not Iを用いたRestriction Landmark Genomic Scanning法(RLGS)により解析している。その結果、合計1051座位がRLGSスポットとして検出された。興味深いことに、雌雄間でメチル化状態の違うスポットが1個、成体脳にあり心臓にないスポットが6個、胎児脳と成体脳間でメチル化状態の違うスポット群が6個、老化にしたがった変化のあるスポットが複数検出された。合計44座位(全スポットの4.2%)においてメチル化状況が異なっていることが明らかにされた。RLGSスポットからDNAをクローニングした結果、メチル化の変化があった部位はCpGアイランドとしての特徴を備えていた。これらの結果は、組織特異的にメチル化されるCpGアイランドが存在することを示している。

 第二章では第一章で明らかになったRLGSスポットの一つが、ラットスフィンゴシンキナーゼ(rSPHK1)遺伝子の5'上流と転写開始部位をカバーするかたちで存在することを見出している。塩基配列の決定から、rSPHK1CpGアイランドは約3.7kbに及んでおり、少なくとも6つのエクソン1が同領域に存在し、SPHK1のサブタイプ群(SPHK1a-f)がコードされていることが明らかにされた。これらのサブタイプmRNA発現は時期特異的、且つ組織特異的なパターンを示していた。また、同CpGアイランドのメチル化状況を解析した結果、組織特異的メチル化可変領域(T-DMR、200bp)は同CpGアイランドの5'末端に位置していることも明らかになった。T-DMRは脳では低メチル化状態であるのに対し、心臓では高メチル化状態にあった。これらより、rSPHK1遺伝子のCpGアイランドは複数のエクソン使い分け機構を制御していることが示された。

 第三章では、第二章で発見されたT-DMRとrSPHK1遺伝子情報を基にヒトSPHK1(hSPHK1)遺伝子のゲノムクローニングが試みられ、hSPHK1遺伝子の5'末端にも約4.1kbのCpGアイランドが存在することが明らかにされた。しかも、ラットゲノムDNAで発見されたT-DMRに高い相同性を有する領域がhSPHK1のCpGアイランドにも存在していた。即ち、SPHK1遺伝子のT-DMRは進化の淘汰圧に抗してきたことが推測され、その機能の重要性が示唆された。

 第四章ではT-DMRを含むCpGアイランドからアンチセンスRNAが発現することを発見し、センスRNAの発現とT-DMRのメチル化との関係が研究されている。一般にプロモーターには方向性があると考えられているのに対し、CpGアイランドがプロモーターとして機能する場合、遺伝子の反対方向にも転写活性があることがin vitro実験で示されている。本章では、in vivoで、SPHK1CpGアイランドからアンチセンスRNAが転写されていることが発見された。このアンチセンスRNAの発現は、腎で最も高く、心臓、胎盤、脾、肺でも検出された。CpGアイランドが低メチル化状態にある脳での発現は少なかった。ラット腎繊維芽細胞株NRK細胞を用いて、RNA-FISH法でセンス・アンチセンスRNAの発現を解析したところ、センスRNAを発現している細胞ではアンチセンスRNAは検出されず、アンチセンスRNAを発現している細胞ではセンスRNAは発現しないことが観察され、つまり両者が同時に発現している像は認められなかった。発生途上のラット組織やNRK細胞の解析から、アンチセンスRNAの発現とT-DMRのメチル化成立と関係が考察されている。これらの結果より、CpGアイランドはアンチセンスRNAの発現とも関連していることが示唆された。

 以上、組織特異的にメチル化状況の異なる領域(T-DMR)を含むCpGアイランドが存在すること、脳特異的に低メチル化状態にあるT-DMRを有するCpGアイランドがSPHK1遺伝子の5'末端に存在すること、そのCpGアイランドは複数のmRNA(SPHK1a-f、アンチセンスRNA)の転写開始領域として機能していること、T-DMRのメチル化はSPHK1遺伝子の発現制御に関わっていることが明らかされた。これらの発見はDNAメチル化による脳発生のエピジェネテックス機構として重要で、獣医学領域に貢献しているところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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