学位論文要旨



No 116283
著者(漢字) 大塚,亮一
著者(英字)
著者(カナ) オオツカ,リョウイチ
標題(和) 環境化学物質およびアレルゲンに対するラットの呼吸器系の反応に関する研究
標題(洋) Studies on the responses of the rat respiratory system to environmental chemicals and allergens
報告番号 116283
報告番号 甲16283
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2313号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 熊谷,進
 東京大学 助教授 九郎丸,正道
 東京大学 助教授 中山,裕之
内容要旨 要旨を表示する

 近年問題となっているシックハウス症候群(SHS)は、気密性の高い住宅に住むことによって様々な体調の悪化が引き起こされる疾患で、ダニやカビなどの生物由来の因子、建材や家具に含まれる化学物質由来の因子など数多くの環境物質が原因になるといわれている。そのなかで、ホルムアルデヒド(HCHO)は最も重要なSHS誘発物質と考えられ、喘息を引き起こしたり増悪させたりするといった報告から、アレルギーとの関連も強く疑われている。ところで、Brown Norway(BN)ラットは、アレルゲン感作に対するIgEの高産生能やアレルゲン吸入曝露に伴うアレルギー性気道平滑筋収縮反応の強さ、気道過敏性の獲得、遅発型喘息反応の発現、肺の反応におけるロイコトリエンの関与および気道への好酸球やリンパ球などの炎症細胞浸潤といったヒトの気管支喘息との類似性が証明され、アレルギー性喘息に関する研究に多く用いられている。しかし、HCHOのような化学物質の吸入に対する反応に関する報告はない。そこで、本研究では、BNラットにSHS関連物質であるHCHOやアレルゲンを吸入曝露した際の呼吸器系の反応を明らかにする目的で、一般毒性試験に繁用されているFischgr 344(F344)ラットを対照に、種々の検索を行った。本論文は3章から成るが、以下に各章の要旨を記載する。

第1章:呼吸器系の組織学的特性

 BNラットの呼吸器系の組織学的特性について、組織中のサイトカインの発現とあわせて検索した。BNラットでは、気管上部から下部に至るまで、気管腺がF344ラットに比べて顕著に発達していた。ただし、気管腺から産生される粘液の性状には両系統ラット間で差は認められなかった。また、鼻粘膜および肺におけるサイトカイン(IFN-γ、IL-2、IL-4およびIL-5)のmRNAの発現について検索したところ、肺では、有意ではないが、BNラットでTh2サイトカイン(IL-4および5)、特にIL-4の発現が強く、F344ラットではThlサイトカイン(IFN-γおよびIL-2)、特にIFN-γの発現が強い傾向がみられ、鼻粘膜ではBNラットの方がF344ラットよりもIL-2およびIL-4の発現が高い傾向が認められた。

 BNラットの肺では好酸球やマクロファージを主体とする肉芽腫病変が高い頻度で認められたが、F344ラットではそのような病変はまったく認められなかった。BNラットの肺で認められた肉芽腫病変については、床敷に用いている木屑に由来する粉塵がその原因ではないかと考え、飼育条件を変えて加齢に伴う病変の発現頻度を検索した。その結果、飼育環境の違いに関係なく、加齢に伴い肺肉芽腫病変の発現頻度の増加が認められた。また、本病変は帝王切開で取り出した胎児をSPFないし無菌状態下で飼育したBNラットの肺でも認められたとの報告がある。こうしたことから、BNラットにおける自然発生性の肺の肉芽腫病変は、内因性の要因によるものであることが示唆された。

第2章:ホルムアルデヒド吸入に対する呼吸器系の反応

 1%HCHO水溶液を1日3時間、週5日の条件で、2週間吸入させ、呼吸器系の反応を検索した。鼻腔では、両系統で、本来呼吸上皮の存在する鼻腔前部の中隔で扁平上皮化生がみられ、F344ラットでは角化層が明瞭に認められた。同様に呼吸上皮が存在する頭蓋腔側では、BNラットでは明らかな変化がみられなかったのに対し、F344ラットでは線毛を失った丈の低い上皮細胞が重層化して認められた。鼻腔前部と同様に呼吸上皮が通常認められる鼻腔中部の中隔でも、両系統ラットで粘膜上皮の重層化や扁平上皮化生が認められたが、BNラットでは病変は中隔の比較的下部に限られていたのに対し、F344ラットではほぼ全域で病変が認められた。嗅上皮が存在する頭蓋腔側では、BNラットではほぼ正常であったのに対し、F344ラットでは上皮の変性、壊死および剥離像が認められた。鼻腔後部の本来呼吸上皮がみられる下部でも、BNラットでは正常であったが、F344ラットでは上皮の重層化ないしは軽度の扁平上皮化生が認められた。気管については、BNラットでは粘膜上皮は多列線毛上皮の形態を維持していたのに対し、F344ラットでは上皮の線毛は消失し、扁平上皮化生への移行過程を思わせる丈の低い上皮の重層化がみられた。肺ではF344ラットの気管支で粘膜上皮の変性、重層化が認められたが、BNラットの気管支は正常であった。また、BNラットの肺では、第1章で述べたと同様な肉芽腫病変が認められたが、その出現頻度および強度はHCHO吸入によって何ら影響を受けなかった。

 上記と同様の条件で3日、5日および5日間曝露後3日目の呼吸器系を組織学的に検索した結果、鼻粘膜においてはF344ラットで3日目から著しい炎症反応が認められたのに対し、BNラットではより軽度の炎症が遅れて発現することが示された。また、サイトカインの産生量について検索したところ、吸入期間が延びるに従ってBNラットの鼻粘膜でIL-4のmRNAのレベルが減少した。このように、HCHOの吸入曝露に対しては、BNラットよりもF344ラットの呼吸器系の反応の方が強かった。

第3章 アレルゲンの感作・吸入に対する呼吸器系の反応とホルムアルデヒド吸入の影響

 アレルギー研究に多用されている卵白アルブミン(OVA)l1mgを水酸化アルミニウムゲル4mgとともにlmlの生理食塩水に溶解した溶液を、2週間おきに2回背部皮下に1m1/匹投与して感作し、2回目の感作の2週間後に1%OA生理食塩溶液を30分間吸入曝露した。吸入曝露は、超音波式ネブライザで生成された噴霧質を、エアポンプによって1 1/minの流量で約101のチャンバーに送り込んで全身的に行った。その結果、BNラットでは6時間後には比較的大きな巣状出血が散在性に認められ、その周囲に好酸球、マクロファージを主体とする細胞浸潤がみられた。F344ラットではBNラットでみられたような出血巣は認められず、血管や気管支周囲に軽度の好酸球、リンパ球等の集簇がみられるのみであった。吸入曝露12時間後の肺では、BNラットでは出血巣は縮小し、-方で肉芽腫様病変の形成が認められた。それに対し、F344ラットでは顕著な病変は認められなかった。24時間後になると、BNラットでは出血巣はほとんど消失し、肉芽腫様病巣の形成がより顕著になった。-方、F344ラットでは、病変はごく軽微となった。また、24時間後までのサイトカイン・ケモカイン(IFN-γ、IL-2、IL4、IL-5、eotaxinおよびMCP-1)の発現の動態を検索した結果、両系統ラットともにサイトカイン・ケモカインの発現が亢進したが、BNラットではとくにIFN-γの値が曝露後24時間目まで高値を維持していた。また、BNラットの対照群(非感作・アレルゲン曝露)で肉芽腫が認められた1例では、IFN-γが対照群の中で最も高値を示した。

 ついで、BNおよびF344ラットにHCHOとOVAを組み合わせて曝露し、それに対する反応について検索した。すなわち、0.1%HCHO水溶液または蒸留水イオン交換水を1日3時間の条件で5日間吸入曝露し、HCHOあるいはイオン交換水曝露5日目の直後およびその2週間後に、両群に0.5%OVA生理食塩水溶液を鼻部曝露して感作し、さらに1週間後に1%OVAを鼻部曝露し、その3日後に腹大静脈から採血して血清を得るとともに、肺を採材した。肺の組織学的検索の結果、F344ラットでは顕著な変化はみられなかった。一方、BNラットでは、上記のOVAのみの曝露実験と同様の肺病変が認められたが、HCHO群と水曝露群の間には顕著な差は認められなかった。また、ELISAを用いた抗体産生反応に関する解析の結果、F344ラットのHCHO曝露群で血清中の総IgEレベルが水曝露群に比べて有意に上昇していた。-方、実験1と同様のサイトカインに関する解析の結果、BNラットでIL-2が有意に高値を示したのをはじめ、Thl/Th2サイトカインの値がHCHO群で水曝露群よりも高い傾向がみられた。このように、OVA曝露に対してはBNラットがF344ラットよりも高い反応性を示し、IgE抗体産生に関してはF344ラットがHCHO曝露の影響をより受けやすいことが示唆された。

 以上、本研究の結果から、BNラットはF344ラットとは異なり、呼吸器系に直接的な傷害作用を持つHCHOに対しては抵抗性を示すが、OVAのようなアレルゲンに対しては強い反応性を示すことが示唆された。その原因としては、BNラットの呼吸器系でIL-4が高度に発現していることが影響している可能性が示唆された。また、BNラットの肺の自然発生性肉芽腫病変に関しては、HCHOのような化学物質によっては誘発されることも影響を受けることもなく、OVAの感作・曝露により増強されることから、本来内因性の要因によって惹起される病変がアレルゲンの吸入によって増強されること、および、その病変の形成過程にIFN-が関与していることが示唆された。

 このように、BNラットは従来から指摘されている気道過敏症の動物モデルとしてのみならず、肉芽腫性肺炎の成因を解明する上でも非常に有用な動物モデルであることが示された。今後は、BNラットの自然発生性の肺肉芽腫病変の病理発生を解明し、併せて、アレルゲンとして作用する各種環境物質の呼吸器系、特に肺の肉芽腫病変、への影響を検索していきたい。

審査要旨 要旨を表示する

 近年問題となっているシックハウス症候群(SHS)の原因物質のなかで、ホルムアルデヒド(HCHO)は最も重要な誘発物質と考えられ、喘息の誘発、増悪に関係している。−方、Brown Norway(BN)ラットは、IgEの産生能が高く、アレルギー性喘息の研究に多用されている。しかし、BNラットの化学物質吸入に対する反応についてはこれまで報告がない。申請者は、BNラットにSHS関連物質であるHCHOやアレルゲンを吸入曝露した際の呼吸器系の反応を明らかにするために種々の検索を行った。

1)BNラット呼吸器系の特性

 BNラットの呼吸器系の組織学的特性および組織中のサイトカインの発現を検索し、F344ラットと比較した。BNラットの肺で好酸球性の肉芽腫結節が認められた以外、鼻と肺の組織で両系統に差は認められなかった。この肉芽腫は飼育環境には関係なく発生し、加齢に伴って発現頻度は増加したが、病変の強さは変わらなかった。BNラットではF344ラットに比べて気管上部から下部に至る気管腺が顕著に発達していた。ただし、気管腺から産生される粘液の性状に差は認められなかった。また、サイトカインのmRNA発現について検索したところ、肺では、BNラットでTh2サイトカイン(IL-4および5)のレベルが高く、F344ラットではTh1サイトカイン(IFN−γおよびIL-2)のレベルが高い傾向がみられた。鼻粘膜ではIL-2およびIL-4 mRNAのレベルがBNラットでより高い傾向がみられた。

2)ホルムアルデヒド吸入に対する呼吸器系の反応

 1%HCHO水溶液を1日3時間、週5日の条件で両系統のラットに吸入させたところ、くしゃみや異常呼吸といった症状がF344ラットにおいてより高頻度に認められた。体重はF344ラットのHCHO群で対照群に比べ有意に減少したが、BNラットでは有意な減少は認められなかった。光顕観察の結果、粘膜上皮における扁平上皮化生、重層化、剥離、変性といった変化が、F344ラットのHCHO群で鼻粘膜から肺内気管支粘膜に到るまで広範に認められたが、BNラットではHCHO投与による同様の病変が鼻粘膜に限局して軽度に認められた。また、BNラットの肺で観察される肉芽腫病変の出現頻度および強度はHCHO吸入によって何ら影響を受けなかった。また、サイトカインの発現量はHCHO吸入によって低下、もしくは影響を受けなかった。これらの結果より、HCHOの吸入曝露に対する呼吸器系の反応は、F344ラットがBNラットよりも強いことが示された。

3)アレルゲンの感作・吸入に対する呼吸器系の反応とHCHO吸入の影響

 アレルギー研究に多用されている卵白アルブミン(OVA)で両系統ラットを2回感作し、2週間後にOVA溶液を30分間吸入させた。その結果、BNラットの肺で、巣状出血が散在性に認められ、その周囲に好酸球、マクロファージを主体とする細胞浸潤がみられた。出血巣はその後縮小し、広範な肉芽腫病変が形成された。これに対し、F344ラットでは出血巣は認められず、肺胞壁の軽度肥厚と血管や気管支周囲への好酸球の浸潤がみられた。また、OVA暴露24時間後までのサイトカイン(IFN−γ、IL-2、IL-4およびIL-5)およびケモカイン(eotaxinおよびMCP-1)の発現動態を検索した結果、両系統ラットともにサイトカイン・ケモカインのmRNA発現が亢進したが、そのレベルはBNラットがF344ラットより高かった。次に、OV暴露したラットにおけるHCHO曝露の影響をしらべた。前述した肺の病変は両系統ともにHCHOによって修飾されなかった。また、F344ラットのHCHO曝露群で血清中のIgEレベルが水曝露群に比べて有意に上昇した。さらに検索したほとんどのサイトカイン・ケモカインのmRNAレベルが両系統ともにHCHO群で水曝露群よりも高い傾向がみられた。このように、OVA曝露に対してはBNラットがF344ラットよりも高い反応性を示した。

 本研究の結果から、呼吸器系に直接的な傷害作用を持つHCHOに対してはF344ラットがBNラットより強い感受性を示すのに対し、OVAのようなアレルゲンに対してはBNラットが強い反応性を示すことが示された。また、各種サイトカインの発現はHCHO吸入によって抑制され、OVA吸入によって促進されることが明らかにされた。本研究の成果は、SHSのメカニズム解明に極めて有用であると考えられた。したがって、審査委員−同は申請者が博士(獣医学)の学位を授与されるにふさわしいと判断した。

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