学位論文要旨



No 116285
著者(漢字) 奥谷,晶子
著者(英字)
著者(カナ) オクタニ,アキコ
標題(和) マウス病原性大腸菌(MPEC)の病原因子の解析
標題(洋)
報告番号 116285
報告番号 甲16285
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2315号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 伊藤,喜久治
 東京大学 教授 高橋,英司
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 教授 熊谷,進
 東京大学 助教授 松本,芳嗣
内容要旨 要旨を表示する

 Escherichia coli 0115a,c:K(B)(Murine pathogenic E.coli;MPECと略)を起因菌とするマウス腸粘膜肥厚症は Citrobacter freundii biotype 4280(現在 C.rodentiumに再分類)感染症と類似の病変を示す。この二つの菌は、現在異なる菌種に分類されているが、高い類似性からきわめて近縁であると考えられてきた。腸粘膜肥厚症を発症した腸粘膜上皮細胞の組織学的所見では、微絨毛の消失と付着した菌直下の細胞骨格の再構成および腸粘膜上皮細胞への密着がみられ、この特徴的な病変はAttachment and effacement(A/E)lesionと呼ばれている。A/E lesion はヒトの腸管病原性大腸菌(EPEC)や腸管出血性大腸菌(EHEC)あるいはウサギの腸管病原性大腸菌(REPEC)などの腸管性病原細菌に共通にみられる病変であり、これらの菌はA/E bacteriaと総称される。A/E lesionの形成には“the locus of enterocyte effacement(LFE)”とよばれる病原性遺伝子塊にコードされているタンパク質が必須であり、LEFはA/E bacteria間で共通に保持されている。LEEには Salmonella や Yersinia などの病原細菌にもみられる Type III 分泌機構に必要なタンパク質の遺伝子がコードされており、Type III 分泌機構では、20あまりのタンパク質から構築される分泌装置を介して病原因子(エフェクター)が宿主細胞内へ分泌される。LEEにはさらに、付着因子であるintiminや、Type III 分泌機構によって分泌されるintimin のレセプターであるtranslocated intimin receptor(Tir)やエフェクターであるEspA、D、Bなどの遺伝子がコードされている。A/E lesion ではintiminとTirの結合による菌と宿主腸粘膜上皮細胞との密着がみられ、A/E bacteriaによる感染ではintimin のheterogeneityの差により宿主特異的および組織特異的な付着がみられることが報告されている。

 MPECがC.rodentium 同様にA/E bacteria の一つであるのか、また、A/E bacteriaでみられる宿主特異的および組織特異的な付着に際し、付着因子intiminとそのレセプターであるTirが生体内でどのように機能しているかについての詳細は不明である。

 そこで第一章においては、MPECとC.rodentium の類似性を検討するため、16S rDNA の塩基配列の解読とホモロジー検索、DNA-DNAハイブリダイゼーションおよび生物・生化学性状による分類、MPEC感受性および非感受性無菌マウスでの病原性の比較を行った。その結果、16S rDNA 塩基配列は両菌株間で99.6%以上の相同性を示し、DNA-DNA相同性は70%以上であった。生物・生化学性状および無菌マウスへの病原性は、全ての結果で一致した。以上の結果から、両菌は同一の菌種であることが明らかとなった。プライオリティの面からMPECはC.rodentiumとして再分類するのが適当であると考えられた。

 第二章においては、EHEC LEEおよびC.rodentium eae 遺伝子(intiminをコード)由来のプライマーを用いてPCRを行い、MPEC染色体上のLEEの存在を確認した。続いて、MPECの染色体DNAライブラリーを作成し、Tir、Tir のシャペロンである cesT およびintimin を各々コードしている tir、cesT およびeae 遺伝子をクローニングしてその全塩基配列を決定した。その結果、MPECのeae遺伝子とC.rodentiumのeae遺伝子とのアミノ酸相同性は99.0%、tir遺伝子は99.8%であり、cesT遺伝子は100%と高い相同性を示した。このことからMPECはC.rodentium 同様 A/E bacteria の一つであり、さらに、MPECの病原因子をコードするLEEはC.rodentium のLEEと高い相同性があることから、MPECとC.rodenitum は同一菌種であることがさらに強く示唆された。

 第三章においては、MPEC感染初期におけるマウス腸粘膜上皮細胞への付着と、組織特異的付着の解析を行うため、無菌CF1マウスにMPECを投与し、MPEC monoassociated マウスを作出した。菌投与2日後、4日後および6日後の回腸、盲腸先端および直腸を採取し、腸粘膜上皮と粘液層を走査型電子顕微鏡で観察した。その結果、MPEC投与2日後に直腸微絨毛に接した菌の凝集塊がみられた。投与4日後には直腸上皮細胞への付着と微絨毛の消失がみられた。また、菌の凝集塊の形成において上皮細胞ごとに付着がみられるもの、みられないものがあり、細胞表面のレセプターによる付着特異性の関与が示唆された。盲腸先端では直腸でみられたような菌の凝集塊や付着は投与6日後まで認められなかった。以上の結果から、MPECは感染初期の直腸への付着が重要と考えられ、その付着は細胞特異的なものであることが示唆された。

 第四章においては、同じ菌種由来のTirとintiminの結合を保持した系を用いてA/E bacteriaによる宿主および組織特異的な付着の機構を解析するため、MPEC のtir-eae遺伝子領域欠失変異株を作製し、この欠失変異株にMPEC、EHECおよびEPEC由来のtir-eae遺伝子領域を各々導入した株を作製した。これらの株は、培養細胞を用いたin vitro実験系でTirとintiminの機能の回復を確認するため、まず、ヒト結腸由来Caco-2 細胞とマウス結腸由来CMT-93細胞への感染実験を行った。その結果、各遺伝子導入株はいずれも野生株同様にCaco-2およびCMT-93上でマイクロコロニーの形成がみられ、細胞種による差はみられなかった。MPEC由来遺伝子導入株のマイクロコロニー形成能はEHEC由来、EPEC由来遺伝子導入株と比較して最も高かったが有意な差は認められなかった。そこで、無菌マウスへの投与実験を行い、上皮細胞への付着の有無と肥厚病変を比較して、Tirとintiminの由来の差による付着特異性および病原性を検討した。その結果、菌投与8日後において欠失変異株を投与したマウスでは野生株投与の際にみられるような付着、肥厚病変とも認められなかった。MPEC由来遺伝子導入株を投与したマウスでは、盲腸先端の上皮細胞への菌の付着と上皮細胞の過形成がみられた。これらの症状は野生株と比較すると限局的なものであったが、この株を対照とすることで各遺伝子導入株間との比較が可能となった。EHEC由来遺伝子導入株では肥厚病変はみられたが、上皮細胞への菌の付着は認められなかった。EHEC由来遺伝子導入株では腸粘膜上皮に付着した菌がすでに剥離してしまったものか、付着によらない機構で上皮細胞の過形成が起こったのかは今後の検討が必要である。EPEC由来遺伝子導入株では細胞への付着および肥厚病変ともにみられず、付着および細胞の過形成を発症するのに十分な量のTirおよびintiminタンパク質がマウス生体内で発現していない可能性が示唆された。以上の結果をまとめると、マウス腸粘膜上皮細胞への特異的な付着と病原性の発現にはMPEC由来のTirとintiminの結合およびintiminによる細胞の過形成が必須であることが示唆された。

 続いて、マウス腸粘膜上皮細胞に付着することができないEHECよりtir-eae遺伝子領域欠失変異株を作製し、その欠失変異株にMPEC由来tir-eae遺伝子を導入することでマウス腸粘膜上皮細胞への付着および肥厚病変がみられるかを検討した。その結果、上皮細胞への菌の付着や肥厚病変は全くみられなかった。以上の結果から、マウス腸粘膜上皮細胞への特異的な付着および病変形成にはMPEC由来のTirとintiminに加えて、Tirとintimin以外のMPEC特異的な因子が初期付着の段階で必要であることが示唆された。さらに、培養細胞を用いたin vitroの感染実験系では宿主特異的な付着性や病原性の解析は困難であることが示唆された。

 本研究の結果から、MPECはC.rodentiumと同一菌種であり、C.rodentium同様、マウス病原性のA/E bacteriaであることが明らかとなった。さらに、MPEC感染初期において直腸上皮細胞への付着が重要と考えられた。また、マウス腸粘膜上皮細胞への特異的な付着にはMPEC由来のTirとintiminが必要であることと、MPEC由来のTirとintiminに加えてMPEC特異的な因子がさらに必要であることも示唆された。本研究において作出したMPEC感染マウスモデルによるA/E bacteriaの特異的な付着の機構の解析から、生体での影響を容易にみることができないEPECやEHECの病原性の解析する際にもきわめて有用性の高い知見を得ることが可能となると考えられた。さらに今回のような感染実験系は、Tir、intiminだけでなく、付着してから発症にいたるまでの機構に必要と思われる遺伝子特異的な機能の解析にも有効であると思われる。本研究は、A/E bacteriaの病原性を生体レベルで解析する際のモデル系を提供できたものと考える。

審査要旨 要旨を表示する

Escherchia coli 0115a,c:K(B)(Murine pathogenic E.coli;MPECと略)を起因菌とするマウス腸粘膜肥厚症はCitrobacter rodentiumによる感染と類似の病変を示す。これらは、現在異なる菌種に分類されているが、類似性はきわめて高い。C.rodentium の感染したマウス腸管上皮において、Attachment and effacement(A/E)lesionとよばれる腸粘膜上皮糸細胞への菌の密着と微絨毛の消失、付着した菌直下の細胞骨格の再構成がみられる。A/E lesion の形成には染色体上の“the locus of enterocyte effacement(LEE)”とよばれる病原性遺伝子塊にコードされている付着因子intiminやそのレセプターであるTirなどのタンパク質が必須であることが明らかとなっている。

 MPECとC.rodentium の類似性と、上皮細胞への宿主特異的および組織特異的な付着に際し付着因子intiminとそのレセプターであるTirがどのように機能しているかを明らかにする目的で以下の解析を行った。

 第一章においては、MPECとC.rodentiumの16S rDNAの塩基配列の比較、DNA-DNA ハイブリダイゼーションおよび生物・生化学性状による分類、MPEC感受性および非感受性無菌マウスでの病原性の比較を行った。その結果、両菌は同一の菌種であり、マウスヘの病原性も同一であることが明らかとなった。

 第二章においては、MPEC染色体上のLEE領域のtir、cesTおよびeae遺伝子の全塩基配列を決定した。その結果、MPECとC.rodentiumのcesT およびeae遺伝子は同一の配列であり、MPECとC.rodentiumは病原性因子も同一のものを保持していることが明らかとなった。

 第三章においては、病変の形成がみられる以前のMPEC投与2日後から病変形成がみられる投与6目後までのマウス腸粘膜上皮細胞への付着様式を走査型電子顕微鏡で観察した。その結果、MPEC感染初期には直腸が重要な付着部位であると考えられた。

 第四章においては、MPEC感染における宿主および組織特異的な付着の機構を、同じ菌種由来のTirとintiminの結合を保持した実験系により解析した。MPECのTir-eae遺伝子領域欠失変異株と、この欠失変異株にMPEC、EHECおよびEPEC由来の同遺伝子領域を各々導入した株を作製した。ヒト結腸由来Caco-2細胞とマウス結腸由来CMT-93細胞を用いたin vitroの感染実験では、各遺伝子導入株はいずれも野生株同様に培養細胞上でTirとintiminが機能していることが明らかとなった。しかし、in vitroの感染実験では、導入した遺伝子の差による付着特異性はみられなかったことから、病原性への関与も含めてさらに検討するため無菌マウスへの投与実験を行った。その結果、菌投与8日後においてMPEC由来遺伝子導入株を投与したマウスでのみ、盲腸先端に限局した上皮細胞の過形成と上皮糸細胞への菌の付着がみられた。EHEC由来遺伝子導入株では肥厚病変はみられたが、上皮細胞への菌の付着はみられなかった。EPEC由来遺伝子導入株では細胞への付着および肥厚病変ともにみられなかった。以上の結果をまとめると、マウス腸粘膜上皮細胞への特異的な付着と病原性の発現にはMPEC由来のTirとintiminの結合が必須であることが示唆された。

 続いて、マウスに感染できないEHECのTirとintiminをMPEC由来のTirとintiminと置き換えた株を作製して無菌マウスに投与したところ、病原性はみられなかった。このことから、マウス腸粘膜上皮糸細胞への特異的な付着および病変形成にはMPEC由来のTirとintiminに加えて、Tirとintimin以外のMPEC特異的な因子が初期付着の段階で必要であることが示唆された。

 以上本研究は、MPECとC.rodentiumが同一菌種であり、病原性因子も同一であることを示し、さらに、自然宿主を用いた感染実験系が細菌の病原性因子の遺伝的解析にきわめて重要であることを示したもので、学術上、応用上貢献するものである。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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