学位論文要旨



No 116289
著者(漢字) 中村,一哉
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,カズヤ
標題(和) ネコパルボウイルスの遺伝学的・生物学的特性
標題(洋) Genetical and Biological Properties of Feline Parvoviruses
報告番号 116289
報告番号 甲16289
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2319号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,英司
 東京大学 教授 大塚,治城
 東京大学 教授 辻本,元
 東京大学 助教授 遠矢,幸伸
 東京大学 助教授 大野,耕一
内容要旨 要旨を表示する

 新たなる病原体としてのウイルスの突発的な出現は、人間や動物に対して脅威となる可能性を常に秘めており、これら新型ウイルスの変異や進化の過程を詳細に解析することは非常に重要である。これまでにもいくつかの突発出現ウイルスにおいて、その起源や進化の解析が行われてきているが、未知な点が多く残されている。

 1970年代後半にイヌに心筋炎や出血性腸炎を起こす、新型のパルボウイルスが出現し、世界中で多くのイヌを死に至らしめた。このウイルスは後にイヌパルボウイルス2型(CPV-2)と名づけられ、ネコに胃腸炎や白血球減少症を引き起こす猫汎白血球減少症ウイルス(FPLV)と近縁なウイルスであることが明らかとなった。現在ではCPVはFPLVと共に獣医臨床領域において、重要な病原体の一つとして認識されている。CPV-2はその出現以降も変異を繰り返し、現在では新たな抗原型のCPVであるCPV2a型(CPV-2a)および2b型(CPV-2b)がCPV-2に替わって世界各地に分布している。さらに、以前はイヌに対してのみ感染性や病原性を示していたCPVであるが、近年CPV-2aならびにCPV-2bがネコの間に分布を広げつつあるという報告があり、ネコにおけるCPV感染症が獣医臨床領域における新たな問題となり得る可能性が示唆されてきている。このようにCPVは主要な突発出現ウイルスの一つであり、ウイルスの進化様式を検索する上での有効なモデルであると考えられる。本研究は現在のネコにおけるパルボウイルスの分布状況、および 未だ不明な点の多い、CPVのネコに対する感染性や病原性を解析することを目的に行われ、論文の内容は以下の3章より構成される。

第1章 ネコパルボウイルス(総説)

 CPVとFPLVは非常に近縁なウイルスであり、共にネコパルボウイルス(FPV)の亜種として分類されている。FPLVは今世紀初頭からネコに腸炎を起こす致死性伝染病の原因としてその存在が認められていたが、CPVは半世紀以上も遅れて突発的な出現を遂げた。また、FPLVはネコに対してのみ感染性を有し、ネコの細胞でのみ増殖する。これに対して、CPV-2はネコの体内では増殖しないが、培養細胞レベルではイヌ、ネコ両方の細胞で増殖することができる。近年、CPV-2に替わって、CPV-2aやCPV-2bが世界各地に分布しているが、後者2つのタイプのCPVはネコに感染増殖可能であることが報告されてきている。このことは、CPVがイヌに加えて、ネコへと宿主域を広げてきていることを示している。近年、これら様々なタイプのウイルスを材料に遺伝学的、分子生物学的解析が行われ、FPLVとCPVのそれぞれの抗原性や宿主域はカプシド蛋白であるVP2のアミノ酸配列上の数個のアミノ酸によって決定され得ることが報告されている。

 FPLVやCPVは主に経鼻ないし経口で体内に侵入し、主要標的組織であるリンパ組織や骨髄組織に運ばれ、汎白血球減少症(FPLV)、リンパ球減少症(CPV)を起こす。また、ウイルスが腸陰窩細胞に感染し、粘膜上皮が破壊されることで、吸収不良による下痢が引き起こされる。子犬においては増殖期の心筋細胞がウイルスの標的となる場合があり、子犬の心筋炎が惹起される。パルボウイルス感染により引き起こされる病態の程度は個体により様々であり、致死率はネコにおけるFPLV感染で25-75%、イヌにおけるCPV感染で約10%である。一般的には、潜伏期は4-7日であり、その後発熱、食欲不振や嘔吐の症状を認めた後、2,3日で死亡するか、回復に向かう。子犬においては腸炎発症回復後、数週間で心筋炎を起こす場合があり、致死率は50%程である。

 パルボウイルスは伝染性、環境抵抗性が強く、ワクチン未接種動物や移行抗体消失期動物が感染を受ける。感染源には主に3つが考えられ、急性期の感染動物やそれから排泄される糞便、回復後しばらくキャリアーとしてウイルスを保持している動物、そして、感染動物により汚染を受けたケージや食器や餌などである。現在、パルボウイルス感染からの防御には不活化ワクチン、生ワクチンの両方が用いられ、高い効果をあげているものと考えられる。

第2章 ワクチン未接種ネコ群における特徴的なFPVの分布および、新抗原型FPVの出現

 著者はワクチン接種による影響を受けない自然な状況でのネコにおけるFPV感染状況を調査するために、ネコにワクチン接種をする習慣がほとんどないベトナムを選び、間接蛍光抗体法と中和試験による抗体保有状況の調査ならびにウイルス分離を行った。ハノイ市のイエネコは69頭中37頭(53.6%)、ベンガルヤマネコは9頭中7頭がFPVに対する抗体を保有し、ホーチミン市ではイエネコは50頭中22頭(44%)、ベンガルヤマネコは4頭中3頭が抗体を保有しており、どちらの地域においても比較的高いFPV感染率が確認された。一般にFPVの分離は感染急性期の個体の糞便サンプルを材料に行われるが、今回試験した個体は一見健康であり、高い中和抗体価を認めたことから、糞便中へのウイルス排泄は期待されず、著者らは、末梢血単核球を分離し、そこに含まれるリンパ球からのウイルス分離を試み、成功した。新しく分離されたウイルス株の性状を生物学的、遺伝学的に解析した結果、多くの分離株がCPV-2aもしくは2bであり、ベトナムのネコの間で分布を広げているFPVはCPVが支配的であることが明らかとなった。さらに、ヤマネコから分離された株のうち3株は従来のモノクローナル抗体と反応性に乏しい新抗原型であった。VP2蛋白について塩基配列を解析した結果、新抗原型である3株はアミノ酸300番目にこれまでのCPVと異なるGly→Aspの変異が共通して認められ、このアミノ酸置換がこれら3株に新しい抗原性を付与しているものと推定された。著者はこの新抗原型CPVをCPV-2cと命名した。近年、ネコにおけるCPV感染がいくつかの地域で報告されているが、本実験により、ワクチンの影響を受けない自然状況下では、本来ネコを宿主としていたFPLVよりも最近のCPVの方がネコの間に広まりやすい可能性が示された。また今回報告した新抗原型CPVである、CPV-2cの存在はCPVが現在もなお自然環境化で進化を続けている証拠と考えられた。

第3章 イヌパルボウイルス2a型および2c型のネコに対する病原性

 最近野外に分布しているCPVの宿主域はネコにまで広がってきている。第2章では、ワクチン未接種のネコ群ではFPLVよりもCPVの方が支配的に分布し、また、新抗原型CPVであるCPV-2cの存在を明らかにした。しかし、これらCPVのネコに対する病原性については、これまでのところほとんど明らかとなっていない。第3章では、ベトナムのネコ群から分離されたCPV-2aとCPV-2cそれぞれをネコに実験的に接種することで、その感染性や病原性を検討した。CPV-2aのV154株接種群、CPV-2cのV203株接種群および発症対照として、FPLV感染急性期のネコから分離されたFPLV No.311株接種群の3群(3頭/群)を設定し、それぞれのウイルスを経口的に接種した。また飼育環境対照として、ウイルス未接種ネコ1頭をウイルス接種群と同様の条件下で飼育した。ウイルス接種後、体重、体温、血球数測定などの臨床観察を毎日行い、ウイルス感染による兆候が観察された個体については、一定の判定基準に基づくスコアを算出し、その病原性の評価に用いた。発症対照群では、ウイルス接種後に全ての個体において、発育遅延、白血球減少、下痢および糞便中へのウイルス排泄が確認され、接種後9日で1頭が死亡した。V154株接種群では、3頭中1頭において、発育遅延、白血球減少、下痢が認められたが、他2頭については発症を認めなかった。糞便中へのウイルス排泄は3頭中2頭で確認されたが1頭については感染が成立していないものと考えられた。V203株接種群では全頭において、パルボウイルス感染による症状が確認されたが、その程度は発症対照群のものに比べ軽微であった。

 一方、不活化FPLVワクチン接種により誘導される中和抗体のCPV-2a、2b、2cに対する反応性を検討したところ、比較的低い交差性が観察された。

 以上から、最近野外に存在しているCPV-2aならびにCPV-2cはネコに感染増殖可能で、ネコに対して病気を引き起こす可能性があることが明らかとなった。また、現在のFPLV不活化ワクチンではこれらCPVの感染を十分に防御できない可能性も示唆された。

 本研究により最近のFPVの進化のパターンを示し、異宿主間伝播の可能性を明らかにした。これらの結果は、今後のFPVの進化の方向や未だ明確となっていないCPVの起源を推定していく上で、またイヌやネコをFPV感染から防御していく上で有用な知見である。

審査要旨 要旨を表示する

 イヌパルボウイルス2型(CPV-2)は1970年代に突発的に出現し、世界中で多くのイヌを死に至らしめた。CPV-2はその出現以降も変異を繰り返し、現在では新たな抗原型のCPVであるCPV2a型(CPV-2a)および2b型(CPV-2b)がCPV-2に替わって世界各地に分布している。以前はイヌに対してのみ感染性や病原性を示していたCPVであるが、近年ネコにおけるCPV感染の報告がいくつかあり、獣医臨床領域における新たな問題となり得る可能性が示唆されてきている。CPVは主要な突発出現ウイルスの一つと考えられ、ウイルスの進化様式を検索する上での有効なモデルとなり得る。本研究は現在のネコにおけるパルボウイルスの分布状況、および未だ不明な点の多い、CPVのネコに対する感染牲や病原性を解析することを目的に行われ、論文の内容は以下の3章より構成される。

第1章 ネコパルボウイルス(総説)

 CPVとネコ汎白血球減少症ウイルス(FPLV)は非常に近縁なウイルスであり、共にネコパルボウイルス(FPV)の亜種として分類されている。FPLVはネコに対してのみ感染性を有し、CPV-2はイヌの体内でのみ増殖可能である。近年、CPV-2に替わって、CPV2aやCPV-2bが世界各地に分布しているが、後者2つのタイプのCPVはネコに感染増殖可能であることが報告されてきており、CPVの宿主域がイヌに加えて、ネコにまで広がってきていることを示している。

 FPLVやCPVの主要標的組織はリンパ組織や腸管上皮であり、感染個体に汎白血球減少症(FPLV)、リンパ球減少症(CPV)や下痢等の消化管症状を引き起こす。子犬においては致死的な心筋炎が観察される場合もある。FPVは伝染牲、環境抵抗性が強く、ワクチン未接種動物や移行抗体消失期動物が感染を受けるが、現在、パルボウイルス感染からの防御には不活化ワクチン、生ワクチンの両方が用いられ、高い効果をあげているものと考えられる。

第2章 ワクチン未接種ネコ群における特徴的なFPVの分布および、新抗原型FPVの出現

 著者はワクチン接種による影響を受けない自然な状況でのネコにおけるFPV感染状況を調査するために、ネコにワクチン接種をする習慣がほとんどないベトナムを選び、抗体保有状況の調査ならびにウイルス分離を行った。ベトナムのネコ群においては比較的高いFPV感染率が確認された。著者は、末梢血単核球からのウイルス分離を今回初めて試み、成功した。新しく分離されたウイルス株の性状を解析した結果、多くの分離株がCPV-2aもしくは2bであり、ベトナムのネコの間ではCPVが支配的に分布していることが明らかとなった。さらに、新分離株のうち3株は新しい抗原型のCPVであり、これをCPV-2cと命名した。近年、ネコにおけるCPV感染がいくつかの地域で報告されているが、本実験により、ワクチンの影響を受けない自然状況下では、FPLVよりもCPVの方がネコの間に広まりやすい可能性が示された。また今回報告した新抗原型CPVである、CPV-2cの存在はCPVが現在もなお自然環境下で進化を続けている証拠と考えられた。

第3章 イヌパルボウイルス2a型および2c型のネコに対する病原性

 最近野外に分布しているCPVの宿主域はネコにまで広がってきている。しかし、これらCPVのネコに対する病原性については、これまでのところほとんど明らかとなっていない。第3章では、CPV-2aとCPV-2c型のウイルスをネコに実験的に接種することで、その感染性や病原性を検討した。発症対照群では、全ての個体において、パルボウイルス感染に起因すると思われる症状が観察された。CPV-2a接種群では、3頭中1頭において、発症が認められたが、他2頭は無症状であった。CPV-2C接種群では全頭において、パルボウイルス感染による症状が確認されたが、その程度は発症対照群のものに比べ軽微であった。

 一方、不活化FPLVワクチン接種により誘導された中和抗体のCPV-2a、2b、2cに対する低い交差性が示された。

 以上から、CPV-2aならびにCPV-2cはネコに感染増殖し、病気を引き起こす可能性があることが明らかとなり、現行のFPLV不活化ワクチンではこれらCPVの感染を十分に防御できない可能性も示唆された。

 以上本論文は、最近のFPVの進化様式や異宿主間伝播の可能性を考察したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)論文として価値あるものと認めた。

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