学位論文要旨



No 116292
著者(漢字) 水野,拓也
著者(英字)
著者(カナ) ミズノ,タクヤ
標題(和) 猫におけるアポトーシス機構とFIV感染症の病態に関する研究
標題(洋) Studies on Apoptosis and its Association with Feline Immunodeficiency Virus Infection in Cats
報告番号 116292
報告番号 甲16292
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2322号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 辻本,元
 東京大学 教授 高橋,英司
 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 助教授 大野,耕一
内容要旨 要旨を表示する

 アポトーシスは、ネクローシスとは異なる細胞死として発見され、さまざまな遺伝子の発現によって制御される細胞死として注目されている。さらに近年、Fas/Fasリガンドおよび、Tumor necrosis factor(TNF)/TNF receptor(TNFR)を介するアポトーシスについては、その異常が免疫不全、自己免疫疾患および腫瘍などの各種疾患の病理発生と密接に関連している可能性が示唆されている。しかしながら、猫の疾患においてはアポトーシスとの関連性についての研究は始まったばかりであり、その研究基盤も整っていない。

 猫における疾患のうち、ネコ免疫不全ウイルス(FIV)感染症は、致死的な疾患を引き起こすことから、獣医臨床上重要な疾患の一つであると同時に、ヒトのAIDS の動物モデルとしても注目されている。FIV感染症においては免疫不全の発生がその病態の中心であり、リンパ球の減少によって免疫不全が引き起こされる。そのリンパ球減少の機構に関しては、FIV 感染が直接および間接的にリンパ球にアポトーシスを誘導することが示されているが、その分子機構についてはよく解っていない。

 本論文は、猫におけるアポトーシス研究の基盤を築き、さらにFIV 感染症におけるアポトーシス機構を解明することを目的として行った一連の研究から構成されている。第1章から第IV章においては、Fas/Fas リガンド系に焦点を当て、その遺伝子の構造および機能解析を行った上で、FIV感染によって誘導されるアポトーシスにおいてFas/Fasリガンドの役割を検討した。第V章および第VI章においては、TNF/TNFR系に着目し、TNFRの構造および機能解析を行うとともに、FIV感染によって誘導されるアポトーシスにおいてTNFRのシグナル伝達について検討した。

 第I章 猫のFasおよびFasリガンドのcDNAクローニング:FasはTNFレセプタースーパーファミリーに属する1型膜貫通型タンパクであり、そのリガンドであるFasリガンドと結合することによりアポトーシスを誘導する。Fasは、さまざまなヒトの疾患におけるアポトーシスの異常と密接に関連していることがこれまで報告されている。本章においては、猫のFasおよびFasリガンドの全翻訳領域を含むcDNAクローンを単離し、それらの全塩基配列を決定した。これらのcDNAがコードするアミノ酸配列の比較では、猫のFasおよびFasリガンドは他種のものと高い相同性を有しており、その機能に重要なドメインがよく保存されていることが明らかとなった。これらcDNAクローンを用いることにより、猫におけるアポトーシスに関して、FasおよびFasリガンドの発現を解析することが可能となった。

 第II章 猫のFas遺伝子のゲノミッククローニングおよびその選択的スプライシング:正常猫脾臓由来DNAからPCRによって猫のFas遺伝子のゲノミッククローニングを行い、そのエクソン・イントロン構造を明らかにした。次に、5種類の猫のリンパ腫細胞株RNAを鋳型に用い、Fas mRNAを増幅するRT-PCRを行ったところ、全ての細胞株において通常のFas mRNAに由来するバンドの他に4〜5本の短いバンドが認められ、その塩基配列の解析によりこれらが選択的スプライシング由来産物であることが明らかとなった。正常猫由来Concanavalin A(ConA)刺激末梢血単核球(PBMC)においても同様の選択的スプライシング産物が認められた。次に、猫のリンパ腫症例から採取した腫瘍組織を用い、RT-PCR解析を行ったところ、リンパ腫由来細胞株で認められたものと同様のFas mRNAの選択的スプライシング産物が検出され、とくに通常のFas mRNAが検出されず、特定の選択的スプライシング産物のみしか認められない症例も存在した。これらの選択的スプライシング産物では、いずれも膜貫通領域の欠損またはフレームシフトによる早期終止コドンによる膜貫通領域の欠失が認められたため、膜貫通領域を欠いた可溶性Fasタンパクが生成されていることが予想され、それらがリンパ腫の病態に関与している可能性が示唆された。

 第III章 FIV感染によって誘導されるリンパ系細胞のアポトーシスにおけるFasおよびFasリガンドの発現:FIVの接種によってアポトーシスが誘導された猫のTリンパ芽球様細胞株からRNAを抽出し、real-time PCRシステムを用いたRT-PCR法によりFasおよびFasリガンドのmRNA量を定量したところ、感染6日後からFasおよびFasリガンドの顕著な発現増強が認められた。しかし、Con Aで刺激した猫のPBMCにFIVを感染させてアポトーシスを誘導し、同様の方法によってFasおよびFasリガンドmRNAの発現を定量したところ、FIV感染による発現の変化は認められなかった。次に、FIV感染猫由来PBMCが短時間の培養によりアポトーシスを起こす機構を解析するために、10頭のFIV自然感染猫からPBMCを採取し、FasおよびFasリガンドmRNAの発現を定量した。その結果、FIV感染猫のPBMCにおいては、非感染猫のPBMCに比べ、FasおよびFasリガンドmRNAの発現が増強しており、とくにFasリガンドの発現増強が顕著であった。以上の結果より、FIV感染症において認められるリンパ球減少のメカニズムにはFasおよびFasリガンドの発現増強によるアポトーシスが関与している可能性が示唆された。

 第IV章 猫のFasリガンド遺伝子のゲノミッククローニングおよびその転写調節領域の解析:第III章でFIV感染において明らかなFasリガンドの発現増強が認められたため、本章では、その発現増強機構を明らかにする目的で、猫のFasリガンド遺伝子のゲノミッククローニングおよびその転写調節領域の解析を行った。第1章で得られた猫FasリガンドcDNAをプローブに用い、猫のゲノミックライブラリーをスクリーニングしたところ、4つのエクソンおよび5kbの5'非翻訳領域を含む17kbのFasリガンド遺伝子クローンが得られた。その5'非翻訳領域をルシフェラーゼ遺伝子をリポーター遺伝子として利用したプラスミドに組み込み、10種類の5'末端欠損変異体を作成した。その欠損変異体をヒトおよび猫のTリンパ系細胞株にトランスフェクトし、それらの転写活性を測定したところ、開始コドンの上流の172番目の塩基から459番目の塩基の領域に転写調節領域が存在することが明らかとなり、その領域にTCF-1,NF-ATなどの転写因子結合モチーフが同定された。

 第V章 猫のTNFR IのcDNAクローニングおよびTNFRI/TNFR II遺伝子の発現解析:TNFはTNFR I およびTNFR II の二種類のレセプターと結合することが知られているが、両レセプターの間でTNFが結合した後のシグナル伝達機構が異なることが明らかとなっている。猫のTNFR II 遺伝子の塩基配列はすでに報告されいるため、本章では猫のTNFR 1 のcDNAクローニングを行った。次に、猫由来細胞におけるこれら遺伝子の発現をRT-PCRによって解析した結果、TNFR 1およびTNFR II のいずれも、Con A 刺激によって猫のPBMCにその発現が誘導され、また猫リンパ腫細胞株においてその発現が増強していることが示された。また、FIV感染猫から採取したPBMCでは正常猫より得たPBMCに比べてTNFR 1の発現が増強していることが示された。

 第VI章 TNF-αによって誘導されるFIV感染細胞の細胞死におけるカスペースの活性化:FIV持続感染線維芽細胞(CRFK/FIV)において認められるTNF-α誘導性アポトーシスの分子機構を明らかにするため、そのシグナル伝達に関する検討を行った。はじめに、CRFKおよびCRFK/FIV細胞におけるTNFR IおよびTNFR II mRNAの発現をRT-PCRを用いて検討したところ、いずれのレセプターも非感染細胞と感染細胞において同程度に発現していることが示された。TNFR 1を介するシグナル伝達にはカスペースおよびNF-kBを介する経路があることが知られているため、それぞれの活性化について解析した。NF-kBの活性化をelectrophoretic mobility shifi assay によって検討したところ、感染細胞と非感染細胞の両方において同程度のNF-kBの活性化が認められた。次に、種々のカスペース阻害剤で処理したところ、CRFK/FIV細胞におけるTNF-α誘導性アポトーシスが著しく阻害された。またカスペース3の核内基質であるpoly(ADP-ribose)polymerase(PARP)は、FIV感染細胞においてのみ89kDおよび24kDの2つのタンパクに分解されていたことから、CRFK/FIVにおけるTNF-α誘導性アポトーシスはカスペースの活性化によって引き起こされていることが示唆された。

 以上のように本論文は、猫におけるアポトーシス解析のために主要な各遺伝子の構造および機能解析を主体としており、近年、急速にその研究が進展しているアポトーシスに関する分子基盤の獣医学領域への応用を可能としたものである。さらに、本論文によって、FIV感染症においてその病理発生に深く関与しているアポトーシスの分子機構の各ステップにおける多くの新しい知見を見出すことができた。猫におけるアポトーシス機構とFIV感染症の病態に関する本論文は、生物が本来持っている細胞死の機構が異常に誘導されることによって病気が発生することを明らかにしたものである。

審査要旨 要旨を表示する

 アポトーシスは、様々な分子によって制御される細胞死であり、なかでもFas/FasリガンドおよびTumor necrosis factor(TNF)/TNF receptor (TNFR)を介するアポトーシスの異常が免疫不全、自己免疫疾患および腫瘍などの病態と関連している可能性が示唆されている。獣医臨床上重要な疾患の一つであるネコ免疫不全ウイルス(FIV)感染症においては、リンパ球の減少による免疫不全の進行が病態の中心であるが、そのリンパ球減少の機構に関してはよく解っていない。本論文は、猫におけるアポトーシス研究の基盤を築き、さらにFIV感染症におけるアポトーシス機構を解明することを目的とした一連の研究から構成されている。

 第1章では、猫のFasおよびFasリガンドの全翻訳領域を含むcDNAクローンを単離し、これらを用いることにより、猫におけるアポトーシスに関して、FasおよびFasリガンドの発現を解析することが可能となった。

 第II章では、猫のFas遺伝子のゲノミッククローニングを行い、そのエクソン・イントロン構造を明らかにした。RT-PCRにより、5種類の猫のリンパ腫細胞株において野生型Fas mRNA以外に5種類の選択的スプライシング産物が存在することが明らかとなった。また、猫のリンパ腫症例から採取した腫瘍組織においても、同様のFas mRNAの選択的スプライシング産物が検出された。これらの選択的スプライシング産物では、膜貫通領域の欠損またはフレームシフトによる早期終止コドンによる膜貫通領域の欠失が認められたため、膜貫通領域を欠く可溶性Fas蛋白が生成されていることが予想され、それらがリンパ腫の発生に関与している可能性が示唆された。

 第III章では、FIV感染によって誘導されるリンパ系細胞のアポトーシスにおけるFasおよびFasリガンドmRNAの発現を解析した。FIVの接種によってアポトーシスが誘導された猫のTリンパ芽球様細胞株では、感染後、FasおよびFasリガンドの顕著な発現増強が認められた。また、10頭のFIV自然感染猫由来PBMCにおいては、FasおよびFasリガンドmRNAの発現が増強していた。これらのことから、FIV感染症におけるリンパ球減少にはFasおよびFasリガンドの発現増強によるアポトーシスが関与している可能性が示唆された。

 第IV章では、Fasリガンドの発現増強機構を明らかにする目的で、猫のFasリガンド遺伝子のゲノミッククローニング行い、さらにその転写調節領域の解析を行った。Fasリガンドの5'非翻訳領域に関して10種類の5'末端欠損変異体を作成し、それらのTリンパ系細胞株における転写活性を測定したところ、開始コドンの上流の172〜459番目の塩基の領域に転写調節領域が存在することが明らかとなり、その領域にTCF-1,NF-ATなどの転写因子結合モチーフが同定された。この結果は、FIV感染症等における Fasリガンドの発現上昇の機構の解析に有用であると考えられる。

 第V章では、猫のTNFR I の遺伝子クローニングを行い、全翻訳領域を含むcDNAクローンを得た。次に、RT-PCRによって解析した結果、TNFR IおよびTNFR II のいずれも、Con A刺激によって猫のPBMCにその発現が誘導され、また猫リンパ腫細胞株においてその発現が増強していることが示された。また、FIV感染猫から採取したPBMCではTNFR Iの発現が増強していることが示された。

 第VI章では、FIV持続感染線維芽細胞(CRFK/FIV)において認められるTNF-α誘導性アポトーシスの分子機構を明らかにするため、そのシグナル伝達に関する検討を行った。CRFK細胞およびCRFK/FIV細胞のいずれにおいてもTNFR IおよびTNFR II mRNA は同程度に発現していることが示された。また、TNFR I を介するシグナル伝達におけるNF-κBの活性化をelectrophoretic mobilityshift assayによって検討したところ、感染細胞と非感染細胞の両方において同程度のNF-κBの活性化が認められた。一方、CRFK/FIV細胞において、種々のカスペース阻害剤によるTNF-α誘導性アポトーシスの阻害およびカスペース3の核内基質であるpoly(ADP-ribose)polymeraseの分解から、TNF-α誘導性アポトーシスはカスペースの活性化によって引き起こされていることが示唆された。

 以上、猫の免疫学的疾患におけるアボトーシス機構の解析に関する本論文は、学問的および応用上価値ある論文であり、審査委員-同は博士(獣医学)の学位論文に値するものと認めた。

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