学位論文要旨



No 116297
著者(漢字) 魯,禎妍
著者(英字)
著者(カナ) ロウ,ジョンヨン
標題(和) 成長ホルモン遺伝子導入ラットにおける代謝機構の解析
標題(洋)
報告番号 116297
報告番号 甲16297
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2327号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西原,眞杉
 東京大学 教授 東條,英昭
 東京大学 教授 塩田,邦郎
 東京大学 教授 森,裕司
 東京大学 助教授 高橋,伸一郎
内容要旨 要旨を表示する

成長ホルモン(GH)は、成熟前の動物においては字義通り成長の促進が主要な作用であるが、成熟後においても糖・脂質・蛋白質の代謝に重要な役割を果たすなど、多様な作用を発揮している。したがって、GHの分泌異常に起因する病態も、分泌の多寡や発症時期の違いなどにより、極めて多様な症状を呈する。例えば、分泌低下が早期に起これば小人症、成熟後に起これば肥満症、分泌過剰が早期に起これば巨人症、成熟後に起これば末端肥大症などを発症する。また、これらに付随して、多くの場合、インスリン抵抗性などの代謝異常を生じる。近年、インスリン抵抗性やそれに起因する糖尿病は極めて頻度の高い疾患となっており、その発症機序の解明や治療法の開発が急務となっている。とりわけ、加齢に伴うGH分泌低下により誘起される肥満はインスリン抵抗性発現の主要なリスクファクターとなっており、GHとインスリン抵抗性の関係については高い関心が払われている。しかし、インスリンの細胞内シグナル伝達経路は複雑でその全貌が未だ解明されていないことや、インスリン抵抗性を発現する適切なモデル動物がいないことなどが、抵抗性発現機構の解明を困難にしている。

 筆者らの研究室においては、ヒトGH(hGH)遺伝子を導入し、血中に高レベルおよび低レベルのhGHを分泌する2系統のトランスジェニックラットが作出され、継代されている。高レベルのGHを分泌する系統(高hGH系統)では体成長の促進が認められたが、低高レベルのGHを分泌する系統(低hGH)系統では高度の肥満が観察された。両系統とも、自己下垂体からのGHの分泌は抑制されており、低hGH系統ではむしろGH欠乏症を呈していることが明らかとなっている。本研究は、これら2系統のトランスジェニックラットをモデル動物として、GH分泌の不足および過剰に起因するインスリン抵抗性をはじめとする代謝異常の発現機構の解明を試みたものである。

 第1章においては、高hGH系統と低hGH系統、および各系統の同腹正常ラットにおける成長や代謝に関する表現型の推移を比較検討した。すなわち、4週齢、10週齢、17週齢における体重、体長、および血中のhGH、インスリン様成長因子(IGF)-I、インスリン、グルコースの濃度を測定するとともに、各週齢での耐糖能を糖負荷試験により検討した。なお、本研究においては雌雄のラットにおいて解析を行ったが、基本的に雌雄のデータは類似したものであったため、ここでは雄ラットで得られたデータを中心に論じた。まず、高hGH系統では4週齢で既に体重、体長ともに対照群よりも有意に増加しており、週齢とともにその差は拡大した。血中hGH濃度には週齢による差は認められず、約250ng/ml前後で推移した。血中IGF-I濃度は4週齢では対照群と差はなかった。対照群の血中IGF-Iレベルが加齢によっても変化しなかったのに対し、高hGH系統の10週齢では4週齢の2倍以上に上昇し、17週齢では再び4週齢のレベル近くにまで低下したが、依然として対照群よりも有意に高かった。このようなIGF-Iレベルの顕著な上昇が体成長の促進に寄与しているものと考えられるが、17週齢においてhGHレベルが低下しないにもかかわらずIGF-Iレベルが低下しことは、肝臓においてGHに対する感受性の低下、すなわちGH抵抗性が発現していることを示唆している。高hGH系統では血中インスリン濃度も同様に10週齢で大きく上昇した後、17週齢で低下するというパターンを示したにもかかわらず、血中グルコース濃度には週齢による差は見られず、耐糖能もほとんど変化しなかった。血中インスリン濃度をコントロールと比較すると、4週齢、10週齢では高hGH系統の方が有意に高かったが、17週齢では差はなかった。血中グルコース濃度は対照群とほとんど差はなく、むしろ17週齢では対照群よりも低かった。血中インスリンレベルの上昇から、少なくとも17週齢以前においてはGHの過剰分泌に起因するインスリン抵抗性が発現していることが伺われるが、血糖値の上昇や耐糖能の悪化が見られないことから、膵臓のβ細胞の機能が維持されている限りはインスリン抵抗性を十分に補償できるだけのインスリンの過剰分泌が起こるものと考えられた。さらに、17週齢でのインスリンレベルの低下は、上述のように17週齢ではGH抵抗性が発現してインスリン抵抗性が緩和されるためであると考えられた。

 一方、低hGH系統においては、体重は4週齢、10週齢では対照群と差は認められなかったが、17週齢では有意に増加し、顕著な肥満を呈した。体長には終始対照群との間に違いは見られなかった。血中hGH濃度は、測定した全ての週齢で20ng/mI以下の低いレベルで推移した。血中IGF-I濃度は全ての週齢で対照群と差はなかった。これらの結果は、低hGH系統における低いGHレベルでも肝臓からのIGF-1分泌を維持して骨を正常に成長させることはできるが、脂肪蓄積は抑制できないことを示しており、肝臓と脂肪組織ではGH作用の閾値が異なることが示唆された。血中のインスリン、およびグルコース濃度は、4週齢、10週齢では対照群よりも高かったが、17週齢では差はなかった。また、血中インスリン濃度には高hGH系統と同様10週齢で一過的に上昇するというパターンが認められたが、そのレベルは高hGH系統の1/2以下のであった。耐糖能では、10週齢、17週齢で、若干の悪化が見られた。このように肥満、高血糖、高インスリン血症、耐糖能の低下など、低hGH系統はインスリン非依存型糖尿病と極めて類似した病態を発現していることが示された。低hGH系統は過食を示すことも明らかにされており、本系統におけるインスリン抵抗性は高hGH系統とは異なり、摂取エネルギーの過剰や過度の脂肪蓄積に起因するものと考えられた。

 第2章においては、前章において高hGH系統、低hGH系統ともにインスリン抵抗性を発現していることが示唆されたので、10週齢、および17週齢時の肝細胞と脂肪細胞のインスリン感受性をインビトロで検討した。まず、それぞれの臓器から初代培養細胞を調整してインスリン刺激によるグルコースの取り込みを調べるとともに、肝細胞についてはグリコーゲン合成酵素活性も調べた。さらに、肝細胞におけるインスリン受容体の量、およびインスリン刺激によるリン酸化を解析するとともに、GH受容体の発現についても検討を行った。その結果、まず高hGH系統では肝細胞におけるインスリン刺激によるグルコースの取り込みは、10週齢、17週齢ともに対照群よりもむしろ有意に亢進していた。しかし、いずれの週齢においても、グリコーゲン合成酵素活性はインスリン投与によっても上昇しなかった。脂肪細胞におけるグルコースの取り込みは、10週齢、17週齢ともに対照群の1/2以下に低下していた。高hGH系統の肝細胞におけるインスリン受容体量は、10週齢ではコントロールと差はなかったが17週齢では低下しており、インスリン刺激による自己リン酸化は、10週齢、17週齢ともに低下していた。このように、脂肪細胞はインスリン抵抗性を発現しているものの、肝細胞ではインスリン感受性が亢進しており、この肝細胞の糖処理能力の向上が高hGH系統における正常な血糖値の維持に大きな役割を果たしていることが示唆された。肝細胞におけるインスリン受容体の量やリン酸化はむしろ低下していたが、その下流のシグナル伝達の効率が向上しているものと思われる。また、肝細胞においてはグリコーゲン合成ではなく脂肪合成へと代謝がシフトしていることが示唆された。なお、肝細胞におけるGH受容体は高hGH系統では低下していることも明らかとなり、第1章において示されたGH抵抗性の少なくとも一部は、GH受容体の低下によるものと考えられた。

 一方、低hGH系統においては、肝細胞におけるインスリン刺激によるグルコースの取り込みは、対照群と比較して10週齢では低下し、17週齢では上昇していたが、その差はどちらも比較的小さかった。また、いずれの週齢においても、グリコーゲン合成酵素活性はインスリン投与によって影響を受けず、やはり脂肪合成が亢進していることが示唆された。脂肪細胞におけるグルコースの取り込みは、10週齢、17週齢ともに対照群よりも低下しており、低hGH系統においても脂肪細胞にインスリン抵抗性が発現していることが示唆された。肝細胞におけるインスリン受容体量は、10週齢では対照群よりも低下していたが17週齢では差はなく、またインスリン刺激による自己リン酸化はいずれの週齢においても差は認められず、このことは低hGH系統におけるインスリンレベルが比較的低いことを反映しているものと思われる。さらに、GH受容体は低hGH系統においても低下しており、GH感受性は低下していることが示唆された。

以上、GH遺伝子導入ラットを用いた本研究により、GH分泌の亢進によりインスリン抵抗性が発現するが、インスリンの過剰分泌と肝臓の糖処理能力の向上が起こり、膵臓と肝臓がそれぞれの機能を維持できる限り血糖値や耐糖能を正常に保つことができることが明らかとなり、糖恒常性の維持における肝臓の重要性が改めて示された。また、IGF-Iレベルを維持できる程度のGHの分泌低下によっても正常な糖脂質代謝は維持できず、顕著な脂肪蓄積とインスリン抵抗性が発現することが示唆された。これらの成果は、GHの生物学的な意義に対する理解を深めるとともに、その分泌異常に起因するヒトや動物の病態の解明にも貢献するものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 成長ホルモン(GH)は、成長の促進ばかりではなく、代謝制御にも重要な役割を果たすなど、多様な作用を発揮している。したがって、GHの分泌異常に起因する病態も、分泌の多寡や発症時期の違いなどにより、極めて多様な症状を呈するとともに、多くの場合、インスリン抵抗性などの代謝異常を生じる。近年、インスリン抵抗性やそれに起因する糖尿病は極めて頻度の高い疾患となっており、その発症機序の解明や治療法の開発が急務となっている。本研究は、ヒトGH(hGH)遺伝子の導入により血中に高レベルおよび低レベルのhGHを分泌する2系統のトランスジェニックラットを用い、GH分泌の過剰および不足に起因するインスリン抵抗性をはじめとする代謝異常の発現機構の解明を試みたものである。

 第1章においては、高レベルのGHを分泌する系統(高hGH系統)と低レベルのGHを分泌する系統(低hGH)系統、および各系統の同腹正常ラット(コントロール)における成長や代謝に関する表現型の推移を比較検討した。その結果、高hGH系統では4週齢で既に体重、体長ともにコントロールよりも有意に増加しており、週齢とともにその差は拡大した。血中hGH濃度には週齢による差は認められなかったが、血中IGF-1濃度は10週齢では4週齢の2倍以上に上昇し、17週齢では再び4週齢のレベル近くにまで低下した。血中インスリン濃度も同様に10週齢で大きく上昇した後、17週齢で低下するというパターンを示したにもかかわらず、血中グルコース濃度には週齢による差は見られず、耐糖能もほとんど変化しなかった。血中インスリンレベルの上昇からGHの過剰分泌に起因するインスリン抵抗性が発現していることが示唆されるが、血糖値の上昇や耐糖能の悪化が見られないことから、インスリン抵抗性を十分に補償できるだけのインスリンの過剰分泌を維持できているものと考えられた。一方、低hGH系統においては、体重は4週齢、10週齢ではコントロールと差は認められなかったが、17週齢では有意に増加し、顕著な肥満を呈した。血中hGH濃度は、全ての週齢で20ng/mI以下の低いレベルで推移した。血中IGF-I濃度は全ての週齢でコントロールと差はなかった。血中のインスリン、およびグルコース濃度は、4週齢、10週齢ではコントロールよりも高く、耐糖能も10週齢、17週齢で若干の悪化が見られた。このように、低hGH系統はインスリン非依存型糖尿病と極めて類似した病態を発現していることが示され、本系統におけるインスリン抵抗性は過度の脂肪蓄積に起因するものと考えられた。

 第2章においては、10週齢、および17週齢時の肝細胞と脂肪細胞のインスリン感受性をインビトロで検討した。その結果、まず高hGH系統では肝細胞におけるインスリン刺激によるグルコースの取り込みは、10週齢、17週齢ともにコントロールよりも有意に亢進していたが、脂肪細胞におけるグルコースの取り込みは、10週齢、17週齢ともにコントロールの1/2以下に低下していた。このように、脂肪細胞はインスリン抵抗性を発現しているものの、肝細胞ではインスリン感受性が亢進しており、この肝細胞の糖処理能力の向上が高hGH系統における正常な血糖値の維持に大きな役割を果たしていることが示唆された。一方、低hGH系統においては、肝細胞におけるインスリン刺激によるグルコースの取り込みは、コントロールと比較して10週齢では低下し、17週齢では上昇していたが、その差はどちらも比較的小さかった。脂肪細胞におけるグルコースの取り込みは、10週齢、17週齢ともにコントロールよりも低下しており、低hGH系統においても脂肪細胞にインスリン抵抗性が発現していることが示唆された。本系統ではオーバーフローした糖を肝臓のインスリン感受性が低下して糖取り込み能が低下しているために処理できず、血糖値の上昇や耐糖能の悪化が生じることが示唆された。

 以上、GH遺伝子導入ラットを用いた本研究により、GH分泌の異常によりインスリン抵抗性が発現するが、インスリンの過剰分泌と肝臓の糖処理能力の向上が起こり、膵臓と肝臓がそれぞれの機能を維持できる限り血糖値や耐糖能を正常に保つことができることが明らかとなり、糖恒常性の維持における肝臓の重要性が改めて示された。これらの成果は、GHの生物学的な意義に対する理解を深めるとともに、その分泌異常に起因するヒトや動物の病態の解明にも貢献するものと考えられ、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものとして認めた。

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