学位論文要旨



No 116300
著者(漢字) 徐,瓔
著者(英字)
著者(カナ) ジョ,エン
標題(和) キネシンスーパーファミリーKIFC3機能の分子細胞生物学的研究
標題(洋) Functional Analysis of Murine KIFC3 Motor Protein
報告番号 116300
報告番号 甲16300
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1695号
研究科 医学系研究科
専攻 分子細胞生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 飯野,正光
 東京大学 教授 児玉,龍彦
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 講師 永田,昭久
内容要旨 要旨を表示する

 キネシンスーパーファミリーとダイニンスーパーファミリーに属する分子モータータンパクが、細胞内の多様な小器官の必要な位置への配置、細胞形態維持に必要な構造タンパク質の輸送、分泌細胞における分泌タンパク質あるいは膜小胞の輸送、細胞分裂における染色体の輸送などの機能に関わっていることが近年明らかにされてきました。KIFの大部分は微小管の+端に向かって進む順行性のモーターとして知られてきていたが、近年ATPase活性がC末にあり、細胞質ダイニン(以下ダイニンと略)と同じように微小管の一端に進むKIFが発見されている。これら分子群はC末型キネシンスーパーファミリー(KIFCs)として知られており、現在KIFC1,2,3の3種類が同定されている。その特異な性質からダイニンや他のN末型KIFとは異なった機能が推測されていたが、現在までの主にin vitroの系を用いた研究ではその生理的意義並びに細胞生物学的重要性が必ずしも明らかにされて来ているとは言えなかった。今回私は、相同的遺伝子組み換え法を用いてkifC3遺伝子欠失マウスを作製し、個体レベルでのKIFC3の役割、及び細胞内での分子機能を解析した。個体レベルでは、ステロイドホルモン産生細胞でホルモン分泌調節に関係している事が分かった。また、細胞レベルではkifC3がコレステロール欠失時のゴルジ体の形態維持に必須である事を示し、この系を用いてゴルジ体の位置決定及びオルガネラとしての1体性の形成へのkifC3を含むモーター蛋白の役割とそのコレステロールによる制御の分子機構を明らかにした。

1.KIFC3分子とステロイドホルモン分泌調節の関係

 KIFC3分子の個体レベルでの機能を調べるためにKIFC3遺伝子欠失マウスを作成した。これは、KIFC3分子のATP結合領域であるP-looPをマウス遺伝子上で相同遺伝子組み換え法によりIRES-1acZ-neoで置換する事で作成した。得られたKIFC3遺伝子欠失ホモ接合体(以下ホモと称する)は、満期産で正常分娩で出生し、外見上何ら異常を認めなかった。更に以後の成長、行動、生殖は正常で野生型と全く同じ表現型を示した。ジーンターゲティングのベクターに挿入されていたlacZの染色パタンを見てみると、KIFC3分子は精巣、副腎皮質、卵巣、卵黄嚢、レンズなどコレステロールを多く含み、主としてステロイドホルモンを産生する臓器に多く発現している事が分かった。抗KIFC3抗体を用いたWestern Blottingも同様な分布を示し、このモーター分子の機能がコレステロール代謝、ホルモン分泌と関係している事が示唆されたため、まず血中のコレステロール濃度を測定したが、ホモ、野生型間で顕著な差は認められなかった。次に血中のコルチコステロイド濃度を測定すると、午前中でホモにおける濃度が野生型の3倍の高値を示し、統計的にも有意であった。日内変動のリズムはホモで保たれており、ACTHの濃度にも有意な差は認められなかった。しかしながら、ACTHによるコルチコステロイド分泌刺激試験を行うと、ホモでは著しく高い反応性(正常値の10倍位)を示した。これらの結果から、ホルモン分泌異常が副腎原発性のものである事が推測され、以後の実験を副腎皮質初代培養細胞で行う事にした。

 培養副腎皮質細胞を光学顕微鏡、並びに電子顕微鏡で観察すると良く発達した油滴が細胞質内に充満している像がホモと野生型で同様に観察され、両者の間に大きな形態学的差異を認めなかった培養液中にACTHを投与しステロイドホルモンの分泌刺激を行うと、ホモでは油滴のサイズと細胞質中に占める面積率が著しく低下し野生型の約50%の値を示した。この結果はナイルレッドを用いた染色でも再現され、kifC3遺伝子欠失マウスでは分泌刺激後の油滴貯蔵量の回復に何らかの障害があうということが明らかになった。では、このような異常をもたらした原因は一体なんであろうか?可能性としては、(1)ACTHに対する反応性力亢進している為、正常な脂質輸送の能力を上回った消費が起こったということ、(2)KIFC3分子の欠失が十分な脂質供給をサポートすることが出来なかったということ、の2点が考えられる。これらの可能性の鑑別診断を行うためコルチコステロイドの合成を抑える試薬cycloheximide存在下でACTH刺激を行い油滴のサイズがどうなるかを検討した。この条件下では、細胞内の油滴サイズはホモにおいても野生型と大きな違いはなく、余力容量限界を越えた著しいステロイド分泌がホモでの油滴の縮小をもたらしたと推測された。換言すれば、KIFC3遺伝子欠失マウスはhouse-keepingに必要な量の脂質を供給する事は可能であるが、ACTHに対する細胞の反応性が異常に亢進した結果ステロイドホルモンの分泌が高まり、油滴のサイズが小さくなったという事ができる。この点を更に支持する実験として次に、受容体介在型のエンドサイトーシスを調べた。DiIやNBDなどの蛍光色素で標識したLDL,HDLを培養液中にいれ、その取込みを蛍光顕微鏡で観察してみるといずれの脂質複合体の取込みもホモ・野生型間で大差はなく、kifC3遺伝子の欠損がエンドサイトーシスの低下を引き起こしこれが引き金となって油滴サイズの縮小が起こった事を否定する結果を得た。

 では上述した現象の細胞内機構はどう説明できるであろうか。そこで細胞内での遺伝子の動きを見るために、KIFC3のホモと野生型でDNA microarrayを用いた解析を行い野生型に比べてmRNAの量が増えている遺伝子、減っている遺伝子をまとめた。6,500種類の遺伝子に関して調査したところ、25個の遺伝子がup-regulationされており、47個の遺伝子がdown-regulationされていた。この中でプロテインキナーゼA(PKA)の転写産物は野生型の約4倍に増えており、Ga,Giのそれは著しく低下していた。これらの結果からホモでの副腎皮質細胞の刺激に対する反応性力亢進することにより、kifC3遺伝子欠失マウスがprimary corticosteronismの病態生理を呈している事が明らかとなった。KlFC3分子自体がこれらの細胞内情報伝達系にどこまで直接的に関係しているかはこれからの検討課題であるが、抑制からの解放が斯かる病態を招来したことが推測される。脂質の取込みがホモで正常であった実験事実を考え合わせると、細胞内情報伝達系の抑制機構にKIFC3分子が深く関与していると考えられ、KIFCファミリーの重要な機能の一端を明らかにしたといえる。

2.KIFC3とコレステロールはゴルジ体の位置と一体性を決める

 次に、培養副腎皮質細胞を用いて油滴以外の細胞小器官の分布、動態を解析した。通常、ゴルジ体は細胞内の微小管が作る放射状のネットワークの中心、微小管形成中心(MTOC)付近にある。微小管には細胞周縁を+端、MTOCを一端とする極性があり、微小管を破壊すると、ゴルジ体が細胞質全体にちらばることから、その位置や形態に微小管が重要であることか分かっていた。培養副腎皮質細胞のゴルジ体はウシ胎仔血清(FCS)を10%添加した培地で正常細胞とKIFC3欠失細胞を培養すると、両者は形態的に区別できずMTOC近傍に集積したゴルジ体構造を示した。しかしコレステロールを欠損させた培地(liPoprotein depleted serum,LPDS)でこれを培養すると、KIFC3失細胞のゴルジ体は層状構造を保ちながらも大きな断片に分かれ、集積しなかった。断片どうしが互いに連絡していないことは蛍光消退回復法(FRAP)による解析で確かめられた。この変化は可逆的で、コレステロールを培地に加えることで元の形態に戻った。細胞内のコレステロール含量をコレステロールを標識する薬剤フィリピンを用いて調べると、ゴルジ体が断片化する条件下では確かに細胞内でも減っていた。さらに細胞の生存率を測ったところ、コレステロール欠乏時にはKIFC3欠失細胞の生存率は野生型細胞より有意に低かった。以上の結果からkifC3はコレステロール欠乏状態においてゴルジ装置の位置決定と、1体化のために必要であることが分かった。

 次にこの表現型の分子メカニズムを明らかにするため、このゴルジ体の断片化が微小管に沿った一端方向の輸送の障害によるものかどうかを検討した。まず、KIFC3欠失細胞においても微小管の走向が正常に保たれていることを抗チュブリン抗体を用いて蛍光抗体法で確認した。次にゴルジ体の輸送を観察するために2つの方法を利用した。ノコダゾールとBrefeldin A(BFA)処理である。ノコダゾール処理では、KIFC3欠失細胞では微小管の再生する過程は正常だったがゴルジ体断片の再集合に遅れが認められた。そこでこの断片の運動を詳しく解析したところ、正常な細胞でも常に細胞の周縁部からMTOCに向かう(-方向)だけではなく時々止まりたり逆行(+方向)していることがわかったが、KIFC3欠失細胞では-方向に動いている運動の割合が減少(wt40.6%、K0 22.8%)していた。-方向・+方向に動いているそれぞれの瞬間の速さには有意差がなかった。BFA処理では、BFA添加時のゴルジ体の断片化の様子には正常細胞もKIFC3欠失細胞も差がなかった。BFAを除去すると正常細胞では数分後まず多数の小さなゴルジ体断片が現れ、それが融合して大きくなりながら中心方向に移動してゴルジ体の形態を回復した。KIFC3欠失細胞では同様のゴルジ体断片が現れるものの、+方向、−方向の動きが均衡した振動にとどまり中心には集まらなかった。これらの実験から(1)ゴルジ体の位置と形態統合性は単純に微小管の一端方向の輸送のみによって達成されているのではなく+端方向と−端方向の複数のモーター分子輸送の平衡の上に成り立っていること及び(2)KIFC3欠失細胞の異常は-方向の輸送が大きく減少しこの平衡力乱されたためであることが示された。

小胞体(ER)で産生された蛋白は活発な小胞輸送によってゴルジ体に運ばれる。この輸送も微小管依存性一方向の輸送であるため、これらのER-Golgi間の小胞輸送の結果としてゴルジ体はMTOC附近に形成されるという可能性と、小胞輸送とは独立のゴルジ体の位置決めのメカニズムが存在する可能性とが考えられる。この点を明らかにするため、GFP標識したVSV-Gタンパク質を使い小胞体からゴルジ体への輸送を観察した。39.5℃では小胞体に留まる温度感受性のGFP-VSV-Gタンパク質は、温度を下げると正常細胞でもKIFC3欠失細胞でも3〜6分でゴルジ体に移動し、その様子に特に差は認められなかった。一方、ノコダゾールで微小管を脱重合するとGFP-VSV-Gタンパク質は完全に細胞質全体に広がり、分散した点状となって現れるKIFC3欠失細胞のパターンとは明らかに異なっていた。つまり小胞体(ER)からゴルジ体への小胞輸送は微小管に依存しているがKIFC3を必要とするゴルジ体の集積およびインテグレーションの機構とは独立であることがわかった。

 ところで、コレステロールが存在するときはKIFC3がなくてもゴルジ体は集合することができる。するとKIFC3は何故コレステロール欠乏時には必要なのだろうか。また、ゴルジ体については一方向のモーターである細胞質ダイニンをノックアウトした細胞でも断片化が起こることが報告されている。そこで、コレステロール、ダイニンとKIFC3の関係を調べた。副腎由来のY1細胞株においてダイニンの分布を蛍光抗体法で調べると、FCS添加時には細胞質内に点状に分布するのに対し、コレステロール欠乏下では均一になっていた。この細胞のゴルジ体分画にβ-COP(ゴルジ体マーカー)・ダイニン・KIFC3が結合していることを確認した後、ダイニンとKIFC3が細胞質プールと膜結合成分のどちらに存在するかを調べた。すると、ダイニンがコレステロール欠乏時には膜結合成分から細胞質プールに移動したのに対し、KIFC3の分布は培養条件により変化しなかった。つまり、KIFC3欠失細胞の異常がコレステロール欠乏下においてのみ顕在化するのは、通常その機能を補償しているダイニンの膜小胞へのコレステロールによる係留が解除されるからであると考えられる。このことは、例えば血中コレステロール濃度が飢餓などにより低下した場合等に、ゴルジ体の統合性を保つのにダイニンに代ってKIFC3がその役割を担っていることを示唆する。そしてこれは通常の実験室環境では必ずしも顕著ではなかったノックアウトマウスの個体の表現型とは裏腹に、この分子が生命維持或いは種の保存の為に用意された高度なストラテジーの一つである可能性を示している。以上の結果から、ゴルジ体の位置決定と、一体化のメカニズムについて以下の点が明らかになった。

1. ゴルジ体の位置決定には、ERからゴルジ体への小胞輸送とは独立の機構が存在し、KIFC3は後者にのみ関与する。

2. ゴルジ体の位置決定とそれに続く1体化はKIFC3を含む少なくとも2個以上の一方向のモーター分子と、1つ以上の+方向のモーター分子というによって決定される。

3. ダイニンの膜への結合はコレステロールによって制御されており、コレステロール量が減少すると膜からダイニンが解離するため、kifC3がゴルジ体の一方向への集積に必須となると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は細胞内物質輸送や細胞分裂において膜状小胞、染色体や細胞内小器官の輸送をになうキネシン類似蛋白群分子(KIFC3)について、

1)相同的遺伝子組み換え法を用いてkifC3遺伝子欠失マウスを作製しました。

2)個体レベルでのKIFC3の役割、及び細胞内での分子機能を解析しました。その結果、下記の新しい事実が判明した。

1.KIFC3分子とステロイドホルモン分泌調節の関係

 KIFC3分子は精巣、副腎皮質、卵巣、卵黄嚢、レンズなどコレステロールを多く含み、主としてステロイドホルモンを産生する臓器に多く発現している事が分かった。KifC3遺伝子欠失マウスが、コルチコステロイド濃度を測定すると午前中でホモにおける濃度が野生型の3倍の高値を示し統計的にも有意であった。日内変動のリズムはホモで保たれており、ACTHの濃度にも有意な差は認められなかった。しかしながら、ACTHによるコルチコステロイド分泌刺激試験を行うと、ホモでは著しく高い反応性(正常値の10倍位)を示した。そこで細胞内機構はどう説明できるであろうか。KIFC3のホモと野生型でDNA microarrayを用いた解析を行い野生型に比べてmRNAの量が増えている遺伝子、減っている遺伝子をまとめた。この中でプロテインキナーゼA(PKA)の転写産物は野生型の約2.4倍に増えており、Giのそれは著しく低下していた。さらに、PKAの活性も有意な差は認められました。脂質の取込みがホモで正常であった実験事実を考え合わせると、細胞内情報伝達系にKIFC3分子が深く関与していると考えられ、KIFCファミリーの重要な機能の一端を明らかにしたといえる。

2.KIFC3とコレステロールはゴルジ体の位置と一体性を決める

 通常,ゴルジ体は細胞内の微小管が作る放射状のネットワークの中心,微小管形成中心(MTOC)付近にある。培養副腎皮質細胞のゴルジ体はウシ胎仔血清(FCS)を10%添加した培地で正常細胞とKIFC3欠失細胞を培養すると,両者は形態的に区別できずMTOC近傍に集積したゴルジ体構造を示した。しかしコレステロールを欠損させた培地(lipoprotein depleted serum,LPDS)でこれを培養すると、KIFC3欠失細胞のゴルジ体は層状構造を保ちながらも大きな断片に分かれ、集積しなかった。断片どうしが互いに連絡していないことは蛍光消退回復法(FRAP)による解析で確かめられた。この変化は可逆的で、コレステロールを培地に加えることで元の形態に戻った。以上の結果からkifC3はコレステロール欠乏状態においてゴルジ装置の位置決定と、1体化のために必要であることが分かった。次にこの表現型の分子メカニズムを明らかにするため、このゴルジ体の断片化が微小管に沿った一端方向の輸送の障害によるものかどうかを検討したところ、(1)ゴルジ体の位置と形態統合性は単純に微小管の一端方向の輸送のみによって達成されているのではなく+端方向と−端方向の複数のモーター分子輸送の平衡の上に成り立っていること及び(2)KIFC3欠失細胞の異常は一方向の輸送が大きく減少しこの平衡が乱されたためであることが示された。ところで、コレステロールが存在するときはKIFC3がなくてもゴルジ体は集合することができる。するとKIFC3は何故コレステロール欠乏時には必要なのだろうか。また、ゴルジ体については一方向のモーターである細胞質ダイニンをノックアウトした細胞でも断片化が起こることが報告されている。そこで、コレステロール、ダイニンとKIFC3の関係を調べた。ダイニンがコレステロール欠乏時には膜結合成分から細胞質プールに移動したのに対し、KIFC3の分布は培養条件により変化しなかった。つまり、KIFC3欠失細胞の異常がコレステロール欠乏下においてのみ顕在化するのは、通常その機能を補償しているダイニンの膜小胞へのコレステロールによる係留が解除されるからであると考えられる。以上の結果から、ゴルジ体の位置決定と、一体化のメカニズムについて以下の点が明らかになった。

1.ゴルジ体の位置決定には、ERからゴルジ体への小胞輸送とは独立の機構が存在し、KIFC3は後者にのみ関与する。

2.ゴルジ体の位置決定とそれに続く1体化はKIFC3を含む少なくとも2個以上の-方向のモーター分子と、1つ以上の+方向のモーター分子というによって決定される。

3.ダイニンの膜への結合はコレステロールによって制御されており、コレステロール量が減少すると膜からダイニンが解離するため、kifC3がゴルジ体の-方向への集積に必須となると考えられる。

以上、本論文は細胞内物質輸送や細胞分裂の機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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