学位論文要旨



No 116306
著者(漢字) 沼野,利佳
著者(英字)
著者(カナ) ヌマノ,リカ
標題(和) トランスジェニック動物を用いた哺乳類サーカディアン制御機構の解明
標題(洋) Elucidation of Regulatory Mechanism for Mammalian Circadian Rhythms Using Period1 Transgenic Animals
報告番号 116306
報告番号 甲16306
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1701号
研究科 医学系研究科
専攻 分子細胞生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 教授 廣川,信隆
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 助教授 菅野,純夫
 東京大学 講師 原田,彰宏
内容要旨 要旨を表示する

地球上での生物の行動や代謝などには一日を周期とする概日リズムが存在する。げっ歯類の視交叉上核(SCN)を破壊すると行動等すべての概日リズムが消失する。そして、視交叉上核破壊体に野生型のSCNを移植すると概日リズムが回復することから、哺乳類の概日リズムの中枢はSCNに存在することが明らかになった。概日リズムは、SCNから下位への神経連絡、又は神経伝達物質を介して発生し、その位相はSCNへの網膜視細胞からの神経入力により環境の光サイクルに同調する。しかし、哺乳類の概日リズムの分子メカニズムの詳細は、まだ、解明されていない。

 これまでに、哺乳類の概日リズム形成に関与する時計遺伝子はいくつか知られている。その中でPeriod1(Per1)は、明暗及び恒暗条件下でSCNにおいて自律的な転写日周リズムを持ち、網膜への光照射によりSCNで一過的に転写誘導される。また、Per1は末梢組織でも発現日周変動を示し、その位相はSCNにおける位相に比べて数時間遅延している。これらの事実は、Per1発現の日周振動及び光誘導が哺乳類概日リズム形成及び光サイクルへの同調に重要な機能を有することを示唆する。また、SCNを含む複数の組織でPer1発現日周振動が見られることから、Per1発現日周振動を概日時計中枢及び末梢組織の計時機能測定の良い指標として用い得ると考えられる。

本論文では、まず、概日リズム形成機構におけるPer1の機能を解析するために、Per1を強力なプロモーターにより強制発現させた形質導入動物を作製し、Per1発現日周振動の失調が概日リズムに及ぼす影響を個体及び分子レベルで解析した。次に、Per1プロモーターとルシフェラーゼとの融合遺伝子を用いた形質導入動物を構築した。作製したPer1::luc形質導入体の各種組織では、組織特異的な日周振動が観察された。このPer1::luc形質導入体を用いて、光サイクルの位相変化に対する各組織の同調能の違いを明らかにすることができた。

1 Per1強制発現形質導入トランスジェニック(Tg)動物

 Per1発現の日周振動が哺乳類概日リズム形成に機能するのであるならば、それが失われた場合、行動などの概日リズムに必ず影響を及ぼすと考えられる。発現の日周リズムが消失した変異体には、発現を常時抑制した遺伝子破壊体と、高レベルで維持させた強制発現体がまず考えられる。Per1には相同遺伝子としてやはり発現日周振動を示すPer2やPer3があるため、その内の1遺伝子の破壊体では他の野生型遺伝子が相互に補償した結果、表現型が出現しない可能性がある。そこで、Per1強制発現体Tg動物を作製し、この変異体の概日リズムを個体及び分子レベルで解析を行った。

実際には、組織特異性のない強力なEF1 α (Elongation factor 1 α) Promoterと、神経特異的に発現するNSE(Neuron specific enolase) PromoterをPer1に連結させた形質導入体を作製した。いくつかのEF1 α :: Per1及びNSE :: Per1 Tgラット系統において、恒暗条件で輪回し行動リズム、体温リズム、日周活動量リズムの周期が野生型に比べて1時間長くなった系統や、無リズムになった系統が得られた。また、体温リズム、日周活動量リズム周期では明暗条件下で相対的協調が観察されることから、これらのTg動物の概日時計は、光同調機能も低下していることが判明した。これらPer1強制発現Tgラットでは、時計の中枢機構が存在するSCN及び眼球においてPer1遺伝子の転写量が常時、高いレベル(野生型の転写量ピークの2から7倍)に維持されていることを確認した。さらに、SCN及び眼球での内在性Per1、Per2の転写振動の振幅が減少し、常時、発現が抑制されていた。これらの結果により、哺乳類の概日リズムの形成にはPer1の約24時間周期の自律的な発現振動が不可欠であること、また、概日リズムの光同調には、Per1のSCNにおける一過的な発現が機能することが明らかとなった。Per1の強制発現により内在性Per1やPer2といった相同遺伝子の転写振動の振幅が野生型に比べて抑制され、常時低くなっていることから、Per1は直接または間接的にPer1、Per2の発現を抑制することが明らかになった。また、Per1形質導入体では、Per1の光による一過的な発現誘導がPer1強制発現により相殺されたために、明暗条件下でも自由継続リズムが観察されたと推論した。神経特異的なPer1発現が確認されたNSE::Per1 Tgラットが、EF1 α ::Per1 Tgラットと同様な表現型を示すことから、少なくともPer1の神経特異的な強制発現により概日リズム異常を誘導することが可能であることが示唆された。

2 Per1::luc Tg動物

 マウスPer1(mPer1)プロモーター依存的にルシフェラーゼ遺伝子を発現するPer1::iuc Tgマウスとラットを構築した。このTgラットのSCNスライス培養では、約24時間周期のルシフェラーゼ発現振動が観察され、それは32日間維持された。一方、培養した肝臓、肺、骨格筋でもin vivoと同様、SCNに比べ約711時間遅れた約24時間周期のルシフェラーゼ発現振動を示した。しかし、この発現日周振動はSCNと違い26サイクルで減衰した。末梢組織における振動減衰は培養細胞の死滅によるものではない。なぜならば、振動が減衰した培養肝臓、肺組織の培地交換や骨格筋への血清添加により、やはり、26サイクルで減衰する再振動を誘導することができるからである。この結果は、末梢組織のPer1::luc発現日周リズムは、SCNからの神経連絡か未知の液性因子により維持されていることを示唆する。これに対し、SCNのPer1::luc発現日周リズムは自律的で、他の組織非依存的に安定に維持される。

 上で得られた結果は、Per1::luc動物を用いてSCN中枢及び末梢組織の計時機能を同時に、しかも同じ方法で測定可能であることを意味する。そこで、SCNと末梢組織の外界光サイクル変化に対する反応をPer1::luc動物を用いて解析した。Per1::luc Tgラットの飼育光サイクル(明:暗=12時間:12時間)を6時間位相前進または位相後退させ、移行期の長さ(新たな光サイクルに同調するまでに要する期間)を行動リズム及び各組織のPer1::luc発現日周リズムを指標に測定した。

 まず、行動リズム解析の位相同調に要する期間は位相前進では約6日、位相後退では約2日であった。一方、SCNのPer1::luc発現リズムは、6時間の位相前進と位相後退に対して1日後には位相が移行していることが判明した。ところが、各末梢組織は組織間で違いは見られるがものの、位相前進又は後退ともに1日後では再同調が完了せず、2から6日を要した。即ち、いわゆる時差ボケの現象は、SCNと他の末梢組織の概日リズムが脱同調した状態であると考えられる。

3 結論

 本研究では、哺乳類概日リズムの形成や光同調機能にはPer1の日周発現が必要であることをPer1強制発現Tg動物の解析により明らかにした。また、Per1の強制発現によりPer1、Per2日周発現リズムにも影響を及ぼすことを示した。次に、Per1の発現振動を指標にした解析により、SCNは光環境変化に即座に反応する自律的な概日リズムオシレーターを有し、末梢のシグナル伝達系を介して末梢組織の概日リズムオシレーター日周発振を維持することがわかった。また、このシステムを用いて中枢と末梢組織の位相シフト能を同じ範疇で比較検討することにより、時差ボケをひきおこす原因を示唆した。

 当研究で明らかになった哺乳類概日リズムの新知見は、中枢及び末梢での概日リズム形成とその同調機構の解明に利用できる。そして、現在、社会問題となっている精神疾患も含めて多くのリズム異常を伴う疾患、リズム障害や躁鬱病などの原因解明、診断、治療法の開発にも有効だと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究の目的は、2点である。まず、Per1遺伝子発現の日周リズムを失調させたPer1強制発現トランスジェニック動物を作製し、Peiod1(Per1)発現日周振動が概目リズム形成において果たす機能を解析した。次に、Per1プロモーターとルシフェラーゼとの融合遺伝子を用いたトランスジェニック動物を作製し、Per1::luc発現日周振動を指標に光サイクルの位相変化に対する各組織の光同調能の違いを明らかにした。これらにより、以下の結果を得ている。

1. 組織特異性のないEF1 a(Elongation factor 1 a) Promoterと、神経特異的に発現するNSE(Neuron specific enolase) PromoterをmousePer1(mPer1)に連結させたトランスジェニックラットを作製した。その結果、輪回し行動リズム、活動量リズム、体温リズムの周期が野生型に比べて約1時間長くなる、または無リズムになる計3系統が得られた。さらに、活動量リズム、体温リズムは明暗条件下で相対的協調を示すことから、これらのトランスジェニック動物の概日時計は、光同調機能が欠如していることが判明した。以上の結果から、哺乳類の概日リズムの形成にはPer1の約24時間周期の自律的な発現振動が重要であること、概日リズムの光同調にはPer1の視交叉上核(SCN)における一過的な発現誘導が機能することが示された。

2. 作製したPer1強制発現トランスジェニック動物では、概日リズムの中枢であるSCNと眼球においてPer1遺伝子の転写量が常時、高レベル(野生型の転写量ピークの2倍から7倍)に維持されていることを確認した。また、内在性Per1やPer2の転写レベルがSCNと眼球、双方で野生型に比べて振幅が減少し、且つ常時抑制されていた。これらの結果から、Per1は直接または間接的にPer1とPer2の発現を負に制御していることが示された。

3. mPer1のエクソン2までの約6.7kbプロモーター領域に、ルシフェラーゼレポーターを連結させた融合遺伝子Per1::lucを導入したトランスジェニックマウスとラットを作製した。作製したトランスジェニック動物のSCNや末梢組織のmPer1の発現を測定することでSCNと末梢組織のリズムを同一手法で測れるin vitro実験系を構築した。

4. 構築したPer1::lucトランスジェニックラットのSCNスライス培養では、約24時間周期のルシフェラーゼ発現振動が約32日間維持された。一方、培養した肝臓、肺、骨格筋でもin vivoと同様、SCNに比べ約7時間から11時間遅れた約24時間周期のルシフェラーゼ発現振動を示した。しかし、この発現日周振動はSCNと違い2から6サイクルで減衰した。即ち、培養SCNでは自律的なPer1::luc発現日周リズムは安定に維持されること、また、生体では、未知の因子が末梢組織のPer1::luc発現日周リズムの維持に必要であることが示唆された。

5. Per1::lucトランスジェニックラットの飼育光サイクル(明:暗=12時間:12時間)を6時間位相前進または位相後退させ、移行期の長さ(新たな光サイクルに同調するまでに要する期間)を行動リズム及び各組織のPer1::luc発現日周リズムを指標に測定した。SCNでは位相前進と位相後退両方において光環境の変化後1日で位相修正ができるのに対して、行動リズムの位相同調は前進では約6日、後退では約2日要する。また、末梢組織のPer1発現日周リズムは位相修正に2日から6日間を要することが判明した。この結果から、SCNは光環境変化に即座に反応する概日リズムオシレーターを有し、末梢組織と行動リズムは、新たな概日リズムへ移行するのにSCNよりも時間を要することが示された。即ち、光環境が大きく変化したときに生じる、いわゆる時差ボケにおいて、SCNとその他の組織の概日リズムが脱同調していることが明らかになった。

以上、本論文は、哺乳類概日リズム形成ではPer1の日周発現や光による転写誘導が必要であることを示した。さらに、SCNは光環境変化に即座に反応する自律的な概日リズムオシレーターを有し、末梢組織はSCNの制御を受けて概日リズムを維持すること、このSCNとその他の組織の概日リズムの脱同調が時差ボケをひきおこす原因であることを解明した。本研究はこれまで不明な哺乳類サーカディアン制御機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値すると考えられる。

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