学位論文要旨



No 116311
著者(漢字) 富岡,正典
著者(英字)
著者(カナ) トミオカ,マサノリ
標題(和) In vivo実験システムを用いた興奮性アミノ酸誘発神経細胞死におけるカスパーゼの役割の解明
標題(洋) In vivo role of caspases in excitotoxic neuronaldeath : generation and analysis of transgenic mice expressing baculoviral caspase inhibitor, p35,in postnatal neurons.
報告番号 116311
報告番号 甲16311
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1706号
研究科 医学系研究科
専攻 分子細胞生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 金澤,一郎
 東京大学 助教授 大海,忍
 東京大学 助教授 Saffen,David Wayne
 東京大学 助教授 横溝,岳彦
 東京大学 講師 永田,昭久
内容要旨 要旨を表示する

研究目的

 アルツハイマー病やハンチントン舞踏病などの神経変性疾患及び脳卒中や虚血性脳機能障害はいずれも神経細胞死により引き起こされる。一度失われた神経細胞を再生することは非常に困難であることから、神経細胞死を理解し予防することがこれらの疾病に対する治療方法確立のための最重要課題の一つであると考えられる。

 神経細胞死の主要原因の一つとして興奮性アミノ酸の過剰放出による神経毒性があげられる。実験動物を用いた脳虚血モデルでは、興奮性アミノ酸の重篤な関与が示されている。興奮性アミノ酸の擬態物質であるカイニン酸により誘発される神経細胞死は、その形態的特徴からネクローシスと言うよりは、むしろ分子レベルで制御された細胞の自殺機構として知られるアポトーシスであることが示唆されている。しかし、現在まで、このような成体の脳における神経細胞死が、厳密な意味でのアポトーシスであるかどうかについての議論は決着がついていない。さらに、アポトーシスの実行プロテアーゼ、即ちカスパーゼが、in vivoにおける神経細胞死にどのように関与しているかも明らかになっていない。そこで本研究ではin vivo実験システムを用いて、興奮性アミノ酸により誘発される神経細胞死におけるカスパーゼの役割を解明することを目的とした。

 カスパーゼは最初線虫のプログラム細胞死に必須な遺伝子の一つであるced-3のほ乳類相同タンパク質として同定された。現在、14種類のカスパーゼファミリーが同定され、種々の刺激により誘導されるアポトーシスに共通の実行因子として機能していることが明らかにされた。神経細胞においても、in vitroで興奮性アミノ酸により誘導される細胞死や、アルツハイマー病などの病理脳においてもその関与が示唆されてきている。一方、マウスにカスパーゼ遺伝子を人為的に欠損させると致死的になるか、発生は正常に行われたとしても、期待されるアポトーシスの抑制が部位限定的にしか起こらないことが報告され、カスパーゼがファミリー内で相補的に働く可能性が示唆されている。

 また、カスパーゼの役割を解明する目的でペプチド型阻害剤が広く利用されてきたが、一度に多種類のカスパーゼを阻害できる一方で、ペプチドであるために生体内ではすみやかに分解され持続性が乏しいことが指摘されている。さらに、in vivoのパラダイムでは、組織全体に投与することになるので、たとえば脳を対象とした場合は、ニューロンとグリアを標的として区別することが出来ない。このため、たとえ神経細胞死を抑制したとしてもこれがニューロン内の細胞死実行因子の阻害によるのか、それとも、グリア細胞における炎症応答を抑制したことによるのかの判定が難しい。しかも、局所的濃度のコントロールとモニターが困難であるので、高濃度で使用した場合、非特異的あるいは間接的作用を検出する危険性がある。

 本研究では、上記のノックアウトあるいは阻害剤を用いた戦略の問題点を克服するために、カスパーゼ特異的阻害蛋白質に着目し、これを発生後の神経細胞に特異的に発現させる方法を用いた。阻害タンパク質として、カスパーゼ-1,2,3,4,6,7,8,10を阻害することが知られているp35タンパク質を用い、この遺伝子をCaMKIIプロモーターの制御下で海馬および前脳の神経細胞に発現させるトランスジェニックマウスを作成した。そしてこのp35発現動物を用いて、カイニン酸の脳内直接投与による神経細胞死におけるカスパーゼの関与を検討した。

結果と考察

CaMKII-p35トランスジェニックマウスの作成

 CaMKIIプロモーターの下流にp35遺伝子を組み込んだ直鎖DNA(図1)をマウス(C57BL/6Cr)受精卵にマイクロインジェクトし、前脳神経細胞特異的にp35タンパク質を発現するトランスジェニックマウス(以下p35tg)を作成した。その結果、3ラインのp35tgを得、それぞれ4-2、6-7、7-5ラインと命名した。p35遺伝子の導入はサザンブロット法により確認し4-2と7-5ラインでは約50〜100コピー、6-7ラインでは5〜20コピーを有することが確認できた。またRT-PCR法により全てのラインの脳内にp35 mRNAが転写されていることも確認した。更に、p35tg脳内でのp35タンパク質の発現を確認するために抗p35抗体を作成し、ウェスタンブロット法によりp35タンパク質の発現を検出した。各ラインにおけるp35タンパク質の発現量は4-2=7-5>6-7であった。以上の結果から本研究ではp35タンパク質高発現型の4-2ラインと低発現型の6-7ラインを用いて解析を進めた。

カイニン酸誘発神経細胞死の検討

 カイニン酸は脳内への直接投与により海馬神経細胞の細胞死を誘導することが知られている。しかし、カイニン酸に対する感受性はマウスの系統によって著しく異なることが報告されているため、初めに本研究で使用するC57BL/6Crの感受性について検討した。1nmolのカイニン酸を脳内に直接投与後、クレシルバイオレット(以下CV)により染色した神経細胞の形態を調べた。その結果、カイニン酸投与約4時間で海馬CA1,CA3,CA4領域で神経細胞の凝縮が始まり、投与後16時間で神経細胞死に典型的なピクノーシス様の形態が観察された。更にカイニン酸投与24時間後には海馬全域で神経細胞の脱落を伴った神経細胞死が誘導されることが観察された。

カイニン酸投与によるカスパーゼの活性化とp35による阻害

 カスパーゼは一連のアポトーシス誘導過程において比較的初期段階に活性化されることが知られている。そこで、カイニン酸の脳内直接投与4時間後のマウス脳内におけるカスパーゼの活性化を免疫組織化学的に検討した。脳内でのカスパーゼの部位特異的活性化を検出するために、カスパーゼの細胞内基質であるアクチンタンパク質(以下アクチン)の切断部位を特異的に認識する抗体を使用した。遺伝子未導入の同腹子(以下non-tg)では、カイニン酸の投与により海馬CA3領域においてカスパーゼの活性を検出することが出来た。一方、p35tgマウスではカイニン酸投与によるカスパーゼの活性化が著しく抑制されていることが判明した。このカスパーゼ活性の抑制効果は高発現型の4-2ラインの方が低発現型の6-7ラインに比べて強いことから、p35タンパク質の濃度依存的に行われることが考えられた。以上の結果は、カイニン酸の脳内直接投与によりカスパーゼの活性が上昇すること及び、p35tg脳内においてp35タンパク質が機能的に発現していることを示している。

p35タンパク質によるカイニン酸誘導細胞死抑制効果の検討

 p35tgとnon-tgを用いてカイニン酸による神経細胞死の誘発効果について比較検討した。カイニン酸投与後24時間で神経細胞の形態をCV染色により観察した結果、p35tgにおいて凝縮した死細胞の形態が、non-tgと同様に海馬CA1,CA3領域に見られた。次に、神経細胞死の生物学的指標であるDNA断片化に対するカイニン酸の効果をTUNEL法により検討した。その結果non-tg及びp35tg共にカイニン酸投与により、海馬CA1,CA3領域においてTUNEL陽性像が観察された(図2)。このようにカスパーゼの活性化が抑制された海馬CA3領域においても死細胞の形態及びDNA断片化について顕著な差は認められなかったことから、カイニン酸の脳内直接投与により誘導される神経細胞死はカスパーゼ非依存的カスケードによる可能性が強く示唆された。このことは、成体の脳において純粋にカスパーゼ依存的な神経細胞死を成立させることが非常に難しいこととも矛盾しない。

カイニン酸投与によるカルパイン活性化の検出

 カルパインはカルシウム依存性の細胞内システインプロテアーゼであり、カスパーゼとともに神経細胞死に関与することが報告されている。最近ではカルパインはアルツハイマー病等の神経変性疾患における病理変化に関与することが報告されている。また、カスパーゼ系とカルパイン系の相互作用についてもいくつかの報告があり、たとえば、カスパーゼがカルパイン特異的阻害蛋白質カルパスタチンを分解することによって、カルパインの活性化を促進しうることが知られている。そこで、カイニン酸誘導神経細胞死に伴うカルパインの活性化について検討した。脳内でのカルパインの部位特異的活性化を検出するために、カルパインの細胞内基質であるスペクトリンタンパク質の切断部位を特異的に認識する抗体を使用し、カイニン酸脳内直接投与によるカルパイン活性化の有無を、免疫組織染色及びウェスタンブロット法により検討した。先ず免疫染色法によりnon-tgマウスの海馬においてカイニン酸投与後に明確なカルパインの活性化が検出された。興味深いことに、この活性化はカイニン酸誘発神経細胞死に対して感受性の高い海馬CA1,CA3,CA4領域においてのみ検出された(図3)。このことはカルパインがカスパーゼよりもカイニン酸誘発神経細胞死に、より密接に関与している可能性を示唆している。また、ウェスタンブロット法を用いた検討により、カルパインの活性化はカイニン酸投与2時間後から検出できることから、カルパインはカイニン酸誘発細胞死の初期過程に関与している可能性が考えられる。更に、p35tgマウスを用いて同様の検討を行ったところ、カルパインの活性化はnon-tgと同様に観察されたことから、カイニン酸誘発神経細胞死の初期過程で起こるカルパインの活性化はカスパーゼ非依存的に起こる可能性が示唆される。最近、興奮性アミノ酸による神経細胞死はカスパーゼに依存するものと依存しないものの混合型であり、後者の寄与の方が大きいとの報告が見られる。このような系におけるカルパインの関与をより詳細に検討するためには、今後は、カルパインの内在性インヒビターであるカルパスタチンを過剰発現するトランスジェニックマウスを用いた検討が必要であろう。さらに、そのようなマウスとp35トランスジェニックマウスを交配させれば、これら二つのプロテアーゼシステムの相互作用についても検討が可能になると期待される。

まとめ

 以上の結果より以下のことが明らかとなった。

1.C57BL/6Crマウスでは、カイニン酸を脳内直接投与すると、海馬神経細胞で部位選択的な神経細胞死が引き起こされる。

2.カイニン酸誘発神経細胞死では、局所的にカスパーゼが活性化される。

3.p35タンパク質によるカスパーゼの阻害はカイニン酸誘発神経細胞死に影響を与えなかった。

4.カイニン酸誘発細胞死の初期過程において、カルパインが活性化され、これは神経細胞死によく相関していた。

図1 p35tg作製用コンストラクト

図2 カイニン酸により誘発された神経細胞死(TUNEL染色)

図3 カイニン酸によるカルパインの活性化

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は神経変性疾患に伴って起きる神経細胞死の具体的なメカニズムを明らかにするために、カスパーゼ阻害タンパク質(p35)を発生後の神経細胞特異的に発現するトランスジェニックマウスを用いて、興奮性アミノ酸(カイニン酸)により誘導される神経細胞死のメカニズムの解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.カスパーゼは発生段階の神経細胞死に必要不可欠で、カスパーゼ遺伝子を欠損させたマウスは発生期に致死であることから、p35cDNAを発生後の神経細胞に特異的に発現するCaMKII promoterの下流に接続した結果、p35遺伝子を持つトランスジェニックマウスが得られることが示された。またトランスジェニックマウスの海馬においてp35のmRNA及びタンパク質が発現していることが、RT-PCR法及びWestemblot法によってそれぞれ示された。

2.カイニン酸をトランスジェニックマウスの作製に用いたC57BL/6Crマウスの脳内に直接注入した結果、カイニン酸投与4時間後の海馬CA1,CA3,CA4領域の神経細胞で、神経細胞死に特徴的である細胞体の凝縮が誘導されることがクレシルバイオレット染色によって示された。また、カイニン酸投与8時間後には同領域において、神経細胞死のマーカーであるDNAの切断が起きていることがTUNEL染色法によって示された。

3.カイニン酸誘導神経細胞死における、細胞死実行プロテアーゼであるカスパーゼの神経細胞での活性化について、カスパーゼの細胞内基質であるアクチンタンパク質のカスパーゼによる切断部位を認識する抗体を用いて免疫組織染色を行った結果、カイニン酸投与4時間後の海馬CA3領域の神経細胞においてカスパーゼが活性化されていることが示された。また、同様の検討をp35トランスジェニックマウスを用いて行った結果、カスパーゼの活性がp35タンパク質によって抑制されることが示された。

4.p35トランスジェニックマウスを用いて、カイニン酸誘導神経細胞死におけるカスパーゼの関与を検討した結果、神経細胞死に伴って起きる細胞体の凝縮及びDNAの切断の抑制は認められな.かった。したがって、カイニン酸の脳内直接投与により誘導される神経細胞死にはカスパーゼが直接関与していないと考えられた。

5.カイニン酸誘導神経細胞死におけるカルシウム依存性プロテアーゼであるカルパインの活性化について、カルパインの脳内基質であるスペクトリンタンパク質のカルパインによる切断部位を認識する抗体を用いて免疫組織染色を行った結果、カイニン酸投与4時間後の海馬神経細胞において神経細胞死誘導部位と相関してカルパインが活性化されていることが示された。また、Western blotによりカルパインが神経細胞死の初期段階で活性化していることが示された。よって、カルパインが神経細胞死の実行過程に関与している可能性が示唆された。

 以上、本論文はトランスジェニックマウスを用いた解析から、興奮性アミノ酸のマウス脳内直接投与により誘導される神経細胞死における細胞内プロテアーゼの作用を明らかにした。発生後の神経細胞死における細胞内プロテアーゼの関与については、これまで未知な部分が多く存在していたことから、本研究は神経変性疾患に伴って起きる神経細胞死のメカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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