学位論文要旨



No 116312
著者(漢字) 日田,安寿美
著者(英字)
著者(カナ) ヒダ,アズミ
標題(和) ゴールデンハムスターのハーダー腺をモデルとした脂質代謝の制御機構
標題(洋)
報告番号 116312
報告番号 甲16312
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1707号
研究科 医学系研究科
専攻 分子細胞生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 竹繩,忠臣
 東京大学 助教授 中田,隆夫
 東京大学 助教授 仙波,憲太郎
 東京大学 助教授 横溝,岳彦
 東京大学 講師 本田,善一郎
内容要旨 要旨を表示する

 ハーダー腺は眼窩に位置する外分泌腺で、齧歯類では主に脂質を分泌する。この組織には脂質の合成酵素が存在し、脂質代謝を研究するうえでよいモデル系となる。ゴールデンハムスターではハーダー腺の脂質組成に雌雄差が見られ、薄層クロマトグラフィー(TLC)分析すると主成分である1-アルキル-2,3-ジアシルグリセロール(ADG)が雄では3スポット、雌では2スポットとしてあらわれる。この雌雄差はガスクロマトグラフィー(GLC)分析でも確認することができ、雄では直鎖脂肪酸、雌では直鎖以外に分枝鎖の脂肪酸からも構成される。

 本研究では、この違いを制御する機構を明らかにするために以下の実験を行った。まず、雌の腺に見られる分枝鎖脂肪酸の炭素骨格は偶数と奇数のイソ型および奇数のアンテイソ型であることから、分枝鎖アミノ酸すなわちバリン、ロイシン、イソロイシンの分解産物が脂肪酸合成のプライマーになることを予測した。そこで[14C]ラベルした分枝鎖アミノ酸のトレーサー実験を行い、各臓器の脂質への取り込みを調べた。肝臓、心臓、脳の脂質にはRIの取り込みがほとんど見られないことに比べ、ハーダー腺の脂質にはRI投与後の取りこみが経時的に増加し、6時間から9時間後に取り込みのピークに達した。このことから、ハーダー腺は分枝鎖アミノ酸を脂肪酸合成に効率よく利用していることが明らかとなった。ゴールデンハムスターのハーダー腺脂質をTLC分析したところ、雌雄ともにADGへのRIの取り込みがみられた。しかしゴールデンハムスターの雄ではコレステロールへのRIの取りこみが見られたが、雌では見られなかった。以上より、雄の腺では分枝鎖脂肪酸がアセチル-CoAにまで分解されて脂肪酸やコレステロールの合成に利用されることが示された。

 ADGのどの部分にRIが取り込まれたのかを知るために、ラジオガスクロマトグラフィー分析を行った。ゴールデンハムスターではアルキル基、アシル基ともに雄では偶数と奇数の直鎖脂肪酸に、雌では分枝鎖脂肪酸にRIの取り込みが見られた。このことから、雄では分枝鎖アミノ酸がアセチル-CoAやプロピオニル-CoAにまで分解されて脂肪酸合成に用いられたことが示され、雌ではバリン、イソロイシン、ロイシンがそれぞれイソブチリル-CoA、2-メチルブチリル-CoA、イソバレリル-CoAに代謝された後、脱分枝されずにそのまま脂肪酸合成に利用されることが明らかとなった。以上より、ゴールデンハムスターのハーダー腺における脂質組成の雌雄差は、イソブチリル-CoAと2-メチルブチリル-CoAに作用する短鎖/分枝鎖アシル-CoA脱水素酵素(SBCAD)と、イソバレリル-CoAに作用するイソバレリル-CoA脱水素酵素(IVD)の活性が雌雄で異なることに起因することが考えられた(図1)。

 対照実験として、ハーダー腺脂質の主成分がADGであり、その構成脂肪酸組成が雌雄ともに同じであるチャイニーズハムスターを用いて、分枝鎖アミノ酸のトレーサー実験を行った。TLC分析により雌雄共にADGにラベルの取り込みが見られ、ADGのアルキル基、アシル基ともに直鎖脂肪酸と分枝鎖脂肪酸の両方にラベルの取り込みが見られた。またチャイニーズハムスターの雌雄は共にコレステロールへのラベルの取り込みが見られたことから、IVDとSBCADの活性には雌雄差が存在しないことが示唆された。

 次に、ゴールデンハムスターについてIVDとSBCADの活性を測定したところ、雄では活性が高く、雌では低いことが明らかとなった。また、雄を去勢すると脂質組成は雄型から雌型に、雌にテストステロンを投与すると、雌型から雄型に変化し、IVDとSBCADの活性も前者では雌のレベルまで低下し、後者では雄のレベルまで上昇が認められた。

 テストステロンを投与すると、IVDとSBCADの活性が増加し、免疫組織化学染色ではアンドロジェンレセプター(AR)の発現が起きること、抗アンドロジェン剤であるフルタミドによりIVDおよびSBCAD活性の誘導が阻害されることから、テストステロンによりARの発現が誘導され、IVDとSBCADの発現が誘導されることが示された。

 以上より、ゴールデンハムスターのハーダー腺に見られる脂質組成の雌雄差は、IVD及びSBCAD活性の誘導がARにより制御されているために生じる結果であることが明らかとなった。

 二つの酵素の性質を応用し、分泌液の脂質組成を調べることでアンドロジェン様薬剤の効果をモニターする系を考案した。ゴールデンハムスターの嗅覚をエーテルで刺激すると半麻酔状態になると共にハーダー腺が絞られて脂質が分泌される。この分泌液を約1μl採取し、TLCプレートに直接塗布して脂質を分析した.

 雄を去勢してから2週間と、テストステロンの投与を開始してから2週間、分泌液を経時的に採取して脂質分析を行ったところ、図2aとbに示す通り脂質組成の変化をモニターすることができた。また、去勢した雄にフルタミドとテストステロンの同時投与を行ったところ、フルタミドの濃度依存的にアンドロジェン阻害効果が見られ、50mg/kgで顕著な阻害効果を示した(図2c)。すなわちこのモニター系はアンドロジェンだけでなく抗アンドロジェン様薬剤の効果を調べる上でも利用可能であることが明らかとなった。この方法は14日間という比較的短い期間で、非侵襲的かつ経時的に一個体への影響を追跡できることから、創薬時にアンドロジェンおよび抗アンドロジェン様薬剤の効果をスクリーニングするin vivoの系として有用であると考える。

図1 ゴールデンハムスターのハーダー腺における分枝鎖アミノ酸の代謝経路

雄の腺ではIVDとSBCADの活性が高く、雌の腺では活性が低いことが示された。

図2 各術後2週間のADGプロファイルの変化。

(a)去勢後;(b)去勢2週間後の雄にテストステロンの投与を開始後;(c)去勢2週間後の雄にテストステロン(1mg/kg)とフルタミド(50mg/kg)を同時投与開始後の変化、それぞれ経時的にハーダー腺の分泌液を採取し、ADGプロファイルの14日間の変化をモニターした。矢印は雄に特有なスポットの位置を示す。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究はゴールデンハムスターのハーダー腺における脂質組成の雌雄差を制御する因子ならびに雌雄差のメカニズムを明らかにするために、分枝鎖アミノ酸のトレーサー実験と、分枝鎖アミノ酸の異化過程に作用する酵素の活性とアンドロジェンによる制御の検討を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.ハムスターのハーダー腺は脂質を活発に合成する組織で、肝臓、心臓、脳に比べて高い効率で分枝鎖アミノ酸の代謝産物を脂肪酸合成に利用していた。この点では、雌雄差は認められなかった。

2.ゴールデンハムスターのハーダー腺では分枝鎖アミノ酸の異化経路が雌雄で異なり、その代謝産物を雄では直鎖脂肪酸とコレステロールの生合成に利用し、雌では分枝鎖脂肪酸の合成に利用していることを明らかにし、この結果から雄の腺ではアセチル-CoAやプロピオニル-CoA、雌の腺ではイソブチリル-CoA、2-メチルブチリル-CoA、イソバレリル-CoAをそれぞれプライマーとして利用していることが示された。

3.この腺における分枝鎖アミノ酸の代謝の違いは、分枝鎖アミノ酸の脱分枝反応を触媒するisovaleryl-CoA dehydrogenase(IVD)とshort/branched chain acyl-CoA dehydrogenase(SBCAD)の活性の違いに起因し、雄の腺では活性が高く、雌では低いことが示された。

4.この腺におけるIVDとSBCADの活性は雄を去勢すると低下し、アンドロジェン剤により活性が誘導され、アンドロジェン受容体に結合して効果を示す抗アンドロジェン剤により阻害されることから、アンドロジェン受容体を介した酵素活性の誘導機構の存在が示された。

5.以上で得られた知見を応用し、この腺の分泌脂質の組成を調べることで、アンドロジェンおよび抗アンドロジェン剤が生体に及ぼす効果をモニターする系を考案した。雄を去勢すると雌型の組成に変化し、この動物にテストステロンを投与すると雄型の組成に変化した。また、去勢した雄にテストステロンと抗アンドロジェン剤であるフルタミドを同時投与したところ、テストステロンによる効果を阻害する様子が観察された。この方法は薄層クロマトグラフィーを用いた簡便なモニター系であり、14日間という比較的短期間で薬剤の効果を調べることができ、生殖器への直接的な影響を同じ動物から調べることが可能であることから、創薬時に薬剤の効果をスクリーニングする系として有用であることが示された。

 以上、本論文はゴールデンハムスターのハーダー腺の脂質組成に雌雄差が生じるのはこの腺における分枝鎖アミノ酸の異化経路が異なるためであること、その原因となるIVDおよびSBCADの活性が種特異的かつ臓器特異的にアンドロジェンにより制御されていることを明らかにし、IVDとSBCADの特異的な活性の誘導機構を応用したモニター系を考案して示した。本研究は脂肪酸合成過程の制御機構の解明と、IVDおよびSBCADのアンドロジェンによる発現機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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