学位論文要旨



No 116316
著者(漢字) 城山,優治
著者(英字)
著者(カナ) キヤマ,ユウジ
標題(和) マウスの文脈記憶形成に関する分子・行動学的解析
標題(洋) Molecular and Behavioral Analyses of Contextual Memory Formation in Mice
報告番号 116316
報告番号 甲16316
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1711号
研究科 医学系研究科
専攻 機能生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 芳賀,達也
 東京大学 教授 勝木,元也
 東京大学 教授 加藤,進昌
 東京大学 講師 辻本,哲宏
 東京大学 講師 長谷川,功
内容要旨 要旨を表示する

 我々は、NMDA受容体GluRε1サブユニットのノックアウトマウスにおいて、その電気生理学的・行動学的な解析を行った。

導入:

 NMDA型のグルタミン酸受容体GluRチャネルは、GluRεとGluRζの2種類のサブファミリーから構成されており、中枢神経系のシナプス可塑性に関わる分子である。 GluRεサブファミリーには、中枢神経で発達段階に応じて異なる発現を示す4種類の分子が存在し、チャネル特性の機能的多様性を決定している。GluRε1サブユニットは、生後1週間より前脳において発現開始し、Mg2+の感受性が高いチャネルを構成する。 このサブユニットの生理機能を明らかにする為、我々はGluRε1の欠損マウスを作成し、シナプス可塑性と学習能力を測定した。

 このマウスでは、海馬CA1野におけるNMDA受容体電流が野生型マウスの約半分に減少し、シナプス長期増強(LTP)の程度が減少しており、更にモリス水迷路学習の能力の低下が見出されている。 以上の結果から、GluRε1サブユニットは、前脳におけるシナプス可塑性と学習・記憶に関与していると示唆された。

 我々は、GluRε1欠損マウスにおけるLTP減少のメカニズムを明らかにする事、および海馬NMDA受容体に依存し、且つ条件刺激を定量的に変化させられるなどの特性を持つ文脈依存性恐怖条件付けを用いてGluRε1欠損マウスの学習能力を明らかにする事を目的として、以下の実験を行った。

結果:

 GluRε1サブユニット欠損マウスでは通常の高頻度刺激(tetanus)による海馬CA1野のLTPのレベルが野生型マウスに比べて減少しているが、より強いtetanus刺激を加えるとLTPのレベルは上昇し、その飽和レベルにおいては野生型マウスと差が無いことが示された。以上の結果から、GluRε1サブユニット欠損マウスでは、LTP誘導の閾値が上昇していることが示された。

 また、通常の条件による文脈依存性恐怖条件付けを行ったところ、GluRε1欠損マウスでは大きな学習欠損は見出されなかった。そこで、我々はGluRε1欠損マウスをC57BL/6マウスとバッククロスを行い、遺伝子背景の約99.99%がC57BL/6由来となるGluRε1欠損マウスのラインを確立した。このバッククロスにより得られた野生型マウスの学習成績は、C57BL/6マウスとほぼ同レベルであることが確認された。このバッククロスマウスにおいて、通常の条件で音依存性、文脈依存性恐怖条件付けを行ったが、その成績は野生型と同程度であった。また、文脈依存性恐怖条件付けにおいて、非条件刺激として用いている電気ショックの電流を0.5mAから0.2mAに弱めたが、学習能力の差は見出されなかった。しかし、条件刺激として用いている電気ショック前の実験箱の探索時間を、従来の3分間から20秒間に短縮したところ、GluRε1欠損マウスの学習成績は野生型マウスに比べて明らかに低下していることを見出した。更に探索時間を変えて検討した結果、実験箱の探索時間が20秒間〜1分間の時にのみ有意な学習能力の低下が見出された。以上の結果から、GluRε1サブユニット欠損マウスでは文脈依存性恐怖条件付けの獲得において十分な実験箱の探索時間が必要なことから、学習の閾値が上昇していることが示された。

 更に、GluRε1欠損マウスでは条件付けにおける電気ショック直後の実験箱内での少量のFreezing反応(Freezing Immediately After Shock,FIAS)においても有意な学習成績の低下が見いだされた。しかし、FIASは上記の文脈記憶の結果とは異なり、実験箱の探索時間を長くしても野生型と比べて低いままであった。また、Conditioning終了後にマウスを一旦飼育箱に戻して1分後に実験箱に戻すと、GluRε1サブユニット欠損マウスのFreezing反応は大きく上昇し、野生型マウスとの有意差が消失した。

討論:

 GluRε1欠損マウスでは、LTPの閾値が上昇し、且つ飽和レベルに差が無かった。このことから、GluRε1サブユニット欠損マウスはLTPの誘導の機構に障害があり、それ以降のLTP発現の機構には影響を受けていないと考えられた。海馬ではNMDA受容体εサブユニットとしてGluRε1の他にGluRε2サブユニットも発現していることから、今回の解析でLTPが完全に消失しなかった原因は残存するGluRε2の機能によるものと考えられる。

 本実験の行動解析では、マウスの遺伝子背景を均一化し、また定量的な解析手法を導入した。その結果、GluRε1サブユニット欠損マウスでは、文脈依存性恐怖条件付けにおいても学習誘導の閾値が上昇し、且つ飽和レベルに差が無かった。GluRε1欠損マウスでは、LTPと文脈依存学習の両方の閾値が上昇し、これらの相関性が高いことが示された。このことから、海馬CA1野のLTPが文脈依存学習の生理的メカニズムであるという仮説を強く支持する結果となった。

 一方、GluRε1欠損マウスはFIASが顕著に低下しており、それは刺激条件の増加によっても野生型と同じレベルまで回復することはなかった。この結果から、FIASと翌日のFreezingは、それぞれ異なる分子メカニズムが関与している事が示唆された。また、Conditioning終了後にマウスを飼育箱に戻して1分後に実験箱に戻した場合の実験結果から、FIASと翌日のFreezingとを区分する要素は、時間経過ではなく箱からの出し入れに伴う実験手続きであることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、グルタミン酸受容体の一種NMDA受容体GluRε1サブユニットの欠損マウスを用いて、海馬におけるシナプス長期増強(LTP,Long Term Potentiation)及び海馬依存性の文脈依存学習への同受容体の関与を調べたものである。下記の結果を得ている。

1、GluRε1サブユニット欠損マウスでは通常の高頻度刺激(tetanus)による海馬CA1野のLTPのレベルが野生型マウスに比べて減少している。しかし、より強いtetanus刺激を加えるとLTPのレベルは上昇し、その飽和レベルにおいては野生型マウスと差が無いことが示された。

2、GluRε1欠損マウスをC57BL/6マウスとバッククロスを行い、遺伝子背景の約99.99%がC57BL/6由来となるGluRε1欠損マウスのラインを確立した。このバッククロスにより得られた野生型マウスの学習成績は、C57BL/6マウスとほぼ同レベルであることが確認された。

3、GluRε1サブユニット欠損マウスでは文脈依存性恐怖条件付けの獲得において十分な実験箱の探索時間が必要なことから、学習の閾値が上昇していることが示された。

4、GluRε1欠損マウスは、ショック直後の硬直(FIAS,freezing immediately after shock)が顕著に低下していた。それは刺激条件の増加によっても野生型と同じレベルまで回復することはなかった。

5、FIASと翌日のFreezingとを区分する要素は、時間経過ではなく箱からの出し入れに伴う実験手続きであることが示唆された。

 以上本論文は、海馬CA1野のシナプス長期増強と文脈依存学習へのNMDA受容体GluRε1サブユニットの関与を明らかにしたものであり、海馬依存性学習の分子機構を考える上での基礎的知見を提供している。また、誘導刺激条件を定量的に調節する実験手法は、ミュータン卜マウスの解析において過去に例が無く、今後の応用が期待される。よって、本論文は学位の授与に値すると認められる。

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