学位論文要旨



No 116320
著者(漢字) 北川,洋
著者(英字)
著者(カナ) キタガワ,ヒロシ
標題(和) 異型腺腫様過形成を合併する肺線癌の臨床病理学的特徴と異型線腫様過形成の前癌病変としての検討
標題(洋)
報告番号 116320
報告番号 甲16320
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1715号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森,茂郎
 東京大学 助教授 森田,寛
 東京大学 助教授 南,学
 東京大学 講師 中島,淳
 東京大学 講師 石田,剛
内容要旨 要旨を表示する

1.序論:

1-1.末梢肺腺癌の発生母地:

 Milllerらは細気管支肺胞上皮癌(以下BAC)に類似しているが異型性の弱い病変が、癌と連続してあるいは別に孤立して存在し、肺腺癌との合併頻度が高い事実と両者の組織像の類似性から、大腸の腺腫に準えてこの病変が肺腺癌の前癌病変である可能性について言及した。

1-2.肺腺癌とAAHの臨床病理学的特徴:

 広い認識にも関わらず、AAHの発生に関与する臨床的因子やAAHの合併による予後への影響など、その臨床的特徴についていまだ明らかでない点は多い。AAHは、形態学的にH型肺胞上皮あるいはClara細胞に類似した細胞より構成された病変であるが、X染色体上にあるHUMARA(human adrogen receptor gene)の多型性を用いた検討によりAAHがclonalな病変であることが示され、p53遺伝子異常がAAHの癌化に関与しているとの報告もなされており、肺腺癌の前癌病変としての可能性について検討されている。

1-3.肺における発癌機序:

 肺における発癌にp53やp16遺伝子異常の関与が報告されている。p16遺伝子異常は、肺非小細胞癌の約4割にその異常が認められており、扁平上皮癌の早期病変でも高頻度の異常が指摘され、前癌病変と目されるAAHの段階からも、p16遺伝子異常が検出されることが予想される。

1-4.研究目的:

 前癌病変と考えられるAAHを合併する例を検討することは、肺腺癌における発癌機序の解明に重要と考えられる。文献的には複数のAAHを背景として多発する腺癌の症例報告がなされており、多発AAH合併症例の検討は癌多発の観点から特に重要であると考えられ,AAH合併例の特徴およびAAHの病理学的性質を明らかにする目的で以下に示した手法を用いて検討した。

2.対象と方法:

2-1.対象:

 (1)臨床病理学的検討:1994年〜1998年5年間の東京大学付属病院における肺腺癌切除例123例を用い、AAH非合併例・単発AAH合併例・多発AAH合併例の3群間の臨床病理学的特徴を比較検討した。

 (2)形態学的検討:(1)で対象とした症例中のAAH合併肺腺癌切除例16例を用い、高分化腺癌13病変(うちBAC7例、浸潤癌6例)、およびAAH58病変(うち単発AAH6病変、多発AAH52病変)の「病変の最大径」、「平均核面積」、「肺胞壁単位長さあたりの核個数」、「肺胞壁単位長さあたりの核面積」、「核面積のバラツキ」を計測し、単発AAH・多発AAH・BAC・浸潤癌の4群間で比較検討した。

 (3)免疫組織化学的検討:(1)で対象とした症例中のAAH合併肺腺癌切除例16例を用い、腺癌19病変(うちBAC7例、浸潤癌12例)、およびAAH36病変(うち単発AAH6病変、多発AAH30病変)における、抗Ki67・p53・p16抗体陽性細胞の割合を算出し、(2)と同様の4群間で比較検討した。

 (4)分子病理学的検討:分子病理学的検討:自治医科大学附属病院における肺腺癌切除例99例中のAAH合併腺癌35病変(うちBAC5病変、浸潤癌30病変)、AAH非合併腺癌64病変(うちBAC29病変、浸潤癌35病変)、単発AAH26病変、多発AAH24病変のpl6遺伝子promoter領域におけるメチル化の有無を検討した。正常対照として65ヵ所の非腫瘍性上皮を用いた。

3.結果と考察:

3-1.臨床病理学的検討:

3-1-1.AAH合併群と非合併群の比較およびAAH合併群の特徴:

 非合併例107例、単発AAH合併例6例、多発AAH合併例10例の臨床病理学的特徴を統計学的に比較検討した。

多発癌との関係:

 多発AAH合併例は他群に比して有意に多く多発癌症例が認められ、多発AAH合併例が癌多発に関与していることが予想された。

 多発AAH合併例の重喫煙者は同群の非重喫煙者に比して、癌が多発する傾向がみられた。また、AAH非合併群の重喫煙者と比較しても、癌多発例が多く、重喫煙歴を有する多発AAH症例が癌多発の高危険度群として、臨床的にfollow upされるべきであり、またAAHを肺腺癌発生の新たなmodelとして検討すべきであると考えられた。生命予後に関して、AAH有無による差異は認められなかった。

3群の組織型について:

 AAH合併例、特に多発AAH合併例でBACの割合が高く、多発AAH合併例での多発癌が多発するAAHを背景として発生する可能性が伺われた.重複癌との関係:

 AAH非合併例に比してAAH合併例で有意に多くの重複癌症例が含まれていた(p=0.03)。逆に、重複癌症例では肺癌単独症例に比して、多発AAH合併例が多く含まれており(p=0.06)、重複癌発生とAAH合併との間に類似した背景を有することが示された。

3-2.形態学的検討:

 浸潤像のある高分化腺癌を浸潤癌とし、BAC、単発AAHおよび多発AAHを併せた4群間で、各病変の形態学的特徴について統計学的に比較検討した。

3-2-1.AAHと癌の比較:

 癌とAAHは形態学的に明らかに区別される病変であった。「病変の最大径」では、AAHの最大値は8.0mm、癌の最小値は10.7mmであり、この因子が両者の鑑別に有用で、9-10mmの間で区別可能であると考えられた。3-2-2.BACと浸潤癌の比較:

 「肺胞壁単位長さあたりの核面積」のみで、浸潤癌が大きい値をとっており(p=0.02)、両者は類似した細胞から構成される病変であることが示された。

3-2-3.単発AAHと多発AAHの比較:

 「病変の最大径」以外では両者に差はなかった。「平均核面積」・「肺胞壁単位長さあたりの核個数」・「肺胞壁単位長さあたりの核面積」では、多発AAHの最大値は単発AAHの最大値よりも大きく、「最大径」が5mm以上の病変は多発AAHに多く認められ、これらは多発AAH症例に多発癌が多いことに矛盾しない結果と考えられた。

3-2-4.多発AAHとBACの比較:

 「核面積のバラツキ」を除く全ての因子でBACが有意に大きい値をとっており、両病変は区別可能であったが、「平均核面積」「単位長さあたりの核個数」のいずれか一方で、多発AAHの中に、BACに比して大きい値をとる病変が認められ、AAHの前癌病変としての可能性を支持する結果であった。BACとAAHの鑑別に核密度が核面積に比して重要であることが示された。

3-3.免疫組織化学的検討:

 形態学的検討と同様,免疫組織化学的検討の結果を4群間で比較した。

3-3-1.Ki67 labeling index:

 形態学的検討と同様の意義をもつ結果であった。

3-3-2.p53 labeling index:

 AAHは癌に比して有意に小さく、AAHからの癌化にp53遺伝子異常が関与していることが伺われた。AAHの中には癌を越える値を示す病変が含まれており、LIが10%を越える病変をp53陽性病変とした場合、多発AAHに陽性病変が1病変(3%)認められ、AAHの前癌病変としての可能性や多発AAH合併例での癌多発を説明する上で興味深い。

3-3-3.p16 labeling index:

 癌はAAHに比して有意に低値であり、AAHからの癌化にp16遺伝子異常が関与していることが伺われた.

3-4.p16遺伝子のメチル化の検討:

 AAH合併腺癌に54%(BAC60%、浸潤癌53%)、AAH非合併腺癌に31%(BAC24%、浸潤癌37%)、AAHに22%(単発AAH19%、多発AAH25%)のメチル化が認められた。AAH合併腺癌は非合併例と異なり、AAHよりも高頻度にメチル化が認められた。BACと浸潤癌の間には、有意差は認められなかった。非腫瘍性上皮にメチル化は認められなかった。AAHとp16遺伝子のメチル化の関連については、(1)AAHの22%にメチル化が認められた(2)AAHを背景として発生する癌でメチル化が高頻度であった、(3)AAH合併例におけるBACでは60%にメチル化が認められた、以上の3点からp16遺伝子異常が正常上皮からのAAHの発生およびAAHからの癌化と密接な関連があることが示され、この事実は抗p16抗体を用いた免疫組織化学と同様の結果であった。

 以上の検討から、(1)AAHの前癌病変としての可能性が示され、(2)多発AAH合併例が、そうした前癌病変の可能性の強いAAHが数多く存在することを背景として、癌が多発する症例であることが示唆された。(3)また、p53とp16遺伝子異常はAAHの癌化に関与している可能性が伺われた。これらの事実は、こうした多発AAH合併例を、癌多発の高危険度群として臨床的にfollow upする上でも、腺癌の発生機序を解明し、治療法を発展させる上でも重要であると考えられた。

4.結語:

 本研究では、総合的にはAAHとされた病変の中に、形態学的、免疫組織化学的に癌と類似した病変が含まれており、AAH合併例での多発癌が高頻度にBACであることと併せて、AAHを経たBACへの癌化経路の存在が示唆され、こうした経路の中で、p53やp16遺伝子異常が、AAHの発生と同時にAAHからの癌化に深く関与していることが伺われた。

 今回、臨床的に多発AAH合併例が他群に比して癌の多発しやすい一群であることが示された、また、多発AAH群により癌に近い病変が多い点と、重喫煙歴および重複癌を有する点が、多発AAH合併例での癌多発に大きく関与することが示された。これまで、AAHの発生に関連した臨床的因子の指摘はなされていなかったが、今回の検討ではAAH多発と重複癌罹患が相関しており、両者の間に何らかの共通素因が存在することが伺われた。癌が多発する事実と併せて、多発AAH合併例を臨床的にfollow upしていく上で、他臓器の癌の有無も併せて検索することが極めて重要であると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、異型腺腫様過形成を合併する肺腺癌症例の特徴と異型腺腫様過形成の前癌病変としての可能性を明らかにするため、症例個々の臨床情報、病理組織検体を用いて検討を行い下記の結果を得ている。

1. 東京大学附属病院における肺腺癌症例123例を、異型腺腫様過形成(以下AAHと略)の合併数によってAAH非合併例、単発AAH合併例、多発AAH合併例の3群に分け、臨床病理学的な差異を検討したところ、多発AAH合併例の多くが重複癌を有する症例であり、また他群に比して多くの多発癌症例が認められ、AAH合併・重複癌・多発癌の3者に密接な関係があることが示された。同群の多発癌発生に関してAAHを多数合併することに加え、重喫煙歴を有することおよび他臓器にも原発癌(重複癌)が発生していることが関与していることが判明し、多発AAH合併例を喫煙とともに重複癌・多発癌の発生という観点から臨床的にfollow upするべきであると考えられた。また、本検討では、5年生存率に関して多発AAH合併例と他群との間に有意差はなかったが、同群の重複癌および多発癌への深い関与を考慮すると、さらに症例数を増やした長期の予後調査が必要であると考えられた。

2. AAHの形態学的・免疫組織化学的性質を明らかにするために、AAH合併例16例を用いて、単発AAH・多発AAH・細気管支肺胞上皮癌・浸潤癌の4群間で比較検討を行った。形態学的にも、免疫組織化学的にも、AAHは明らかに癌と区別される病変群であることが示されたが、AAHの中には細気管支肺胞上皮癌と類似した性質を有する病変が認められ、AAHが前癌病変である可能性と矛盾しない結果であり、AAHの癌化にp53およびp16遺伝子の異常が関与しているごとが示唆された。

 また、形態学的検討からAAHとBACの鑑別に「病変の大きさ」と「肺胞壁単位長さあたりの核面積」が有用であった。「病変の大きさ」において9-10mmが両者を区別する境界と考えられた。「肺胞壁単位長さあたりの核面積」は「平均核面積」と「肺胞壁単位長さあたりの核個数」の2因子を加味した因子であると考えられるが、「肺胞壁単位長さあたりの核面積」は核面積に比して核密度との相関が密であることが示され、これらの結果から、AAHとBACを組織学的に鑑別する際に、病変の最大径と核密度を重視することが有用であると結論付けられた。

3. これまで、AAHを対象としたp16遺伝子に関する報告は僅かで、p16の免疫組織化学的検討では、AAHからの癌化とは関係しないという本検討とは異なった結果であったため、DNAを用いたさらなる検討が必要であると考え、自治医科大学付属病院の肺腺癌症例99例を用いて、非腫瘍性上皮、AAH・BAC・浸潤癌におけるp16遺伝子promoter領域のメチル化の有無を検討した。その結果、AAHには22%、AAH合併腺癌では54%(BACでは60%、浸潤癌では53%)、AAH非合併腺癌では31%(BACでは24%、浸潤癌では37%)のメチル化が認められ、BACと浸潤癌に差異は認められなかったものの、AAH合併腺癌において高頻度であったことから、p16遺伝子異常がAAH発生およびAAHの癌化に関与している可能性のあることが示された。

 以上、本論文は肺腺癌症例においてAAHを多数合併する症例が、重複癌罹患と相関し、多発癌を発生しやすい一群であることを明らかにし、この点は多発AAH合併例を特異な一群として臨床的にfollow upすることの重要性につながると考えられる。

 また、AAHが前癌病変として矛盾の無い病変であることが示され、その発生に重複癌罹患が相関していることを臨床的に明らかにし、さらにその癌化にp16遺伝子のメチル化が関与している可能性のあることを、これまで行われることの少なかった分子病理学的手法を用いて明らかにした点で、肺腺癌の発癌機序解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位授与に値するものと考えられる。

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