学位論文要旨



No 116326
著者(漢字) 信里,綾香
著者(英字)
著者(カナ) ノブサト,アヤカ
標題(和) 近縁細菌ゲノム間のシークエンス比較から示唆された、「動く遺伝子」としての制限修飾遺伝子
標題(洋)
報告番号 116326
報告番号 甲16326
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1721号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 笹川,千尋
 東京大学 教授 中村,義一
 東京大学 教授 榊,佳之
 東京大学 教授 岩本,愛吉
 東京大学 助教授 大海,忍
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

 制限酵素(R)は、DNAの特定のシークエンスを認識して、DNAを切断する。パートナーの修飾酵素は、同じシークエンスをメチル化して、この切断からDNAを守ることができる。制限酵素は、適切に修飾されていない外来のDNAを切断する。「制限修飾遺伝子単位は、細菌が自己をウイルスやプラスミドなど侵入する外敵から守るための防御手段である」と信じられてきた。

 私たちのグループは、制限修飾遺伝子単位を持つプラスミドは、不和合なプラスミドによって置き換えにくいことを発見した。この置き換えへの抵抗は、置き換えが起きた細胞が死んでしまい、そのゲノムが次の世代に残りにくいことによって生じている。制限修飾遺伝子を失った細胞の子孫には修飾酵素が少なくなっていき、ついには複製されてできる染色体上の制限サイトを十分メチル化しきれなくなる。そこを残った制限酵素が切断し、細胞が死ぬ。制限修飾遺伝子をなくした細胞がライバル遺伝子もろとも死ぬことによって、制限修飾遺伝子コピーは、同じ細胞クローンの別の細胞の中で生きのびると考えられる。私たちは、「このような分離後宿主殺しが制限修飾遺伝子のライバルとの競争に役立ってきた」という仮説を「制限修飾遺伝子の利己的遺伝子仮説」と呼ぶことにした。私たちのグループは、さらに、大腸菌および枯草菌の染色体上の制限修飾遺伝子を導入した遺伝子によって置き換えようとすると大規模なゲノム再編が起きることを発見した。

 1995年にHaemophilus influenzaeの全ゲノム配列が初めて解読されて以来、細胞生物のゲノム解読が続々と進んでいる。1996年には、2種のMycoplasmaの全ゲノム配列の比較が、1999年には2株のHelicobacter pyloriの全ゲノム配列の比較が実現した。現在では、すでに解読された細菌ゲノムは34を越え、100を越える細菌ゲノムの解読が進行中である。このうち少なくとも18属で、Mycoplasmaと同様に、属内の異種間の比較が可能であり、さらに少なくとも7種で、Helicobacter pyloriと同様に、同じ種に属する異なる株の比較が可能である。

 近縁な細菌ゲノムの比較をすると、ゲノム多型がどう形成されたかが推測できる。「制限酵素修飾酵素遺伝子の、最小の生き物としての利己的なふるまいと、それらによるゲノム再編」という私たちの仮説の検証を、ごく近縁な細菌の株の全ゲノム配列を制限修飾遺伝子に注目して比較することによって試みた。その結果、この仮説を裏付けるような痕跡がピロリ菌などで発見された。

研究成果

1. 解読細菌ゲノム内の制限修飾遺伝子

 ヒトの胃に住み着いていて胃ガンや胃潰瘍などを引き起こすHelicobacter pylori(ピロリ菌)の二株の全ゲノムシークエンスが公表された。これら二つの株の制限修飾遺伝子ホモログをホモロジー検索、モチーフ検索などによって洗い出した。その際に、反復配列の伸縮やフレームシフト、トランスポゾン挿入などにより壊れた遺伝子の再構成を行った。その結果、それぞれ約50個以上の制限修飾遺伝子ホモログが同定された。このうち、二つの株の間でよく似ているペアがあるだけでなく、それぞれの株に特異的な制限修飾遺伝子ホモログが10個前後あり、多型を示すことがわかった。

 全ゲノム解読が行われたその他の細菌についても、制限修飾遺伝子ホモログを洗い出したところ、Helicobacter pyloriと同様に多くの制限修飾遺伝子ホモログを持つ細菌もいたが、対照的に、Rickettsia Prowazekii,Chlamydia trachomatis,Chlamydia pneumoniaeなど、ほとんど制限修飾遺伝子のホモログが見つからない細菌もいた。

2. 制限修飾遺伝子の多様性

 まず、Helicobacter pyloriの二つの株にある修飾遺伝子ホモログについて・様々な生物の遺伝子をまじえたマルチプル・アラインメントを進化系統樹の形に作成した。構造上の違いから、alpha,beta,gamma,C5グループに分類した。さらに、これらの修飾遺伝子が発見された、ホストである細菌の16S rRNAの系統樹と比べた。その結果、修飾遺伝子ホモログが様々な細菌に見られ、細菌界と古細菌界の修飾遺伝子の多様性をほとんどカバーしていることがわかった。また、コドン使用の偏りや、コドン3番目のGC含量の偏りからも、ゲノムの他の遺伝子と異なる性質を示し、比較的最近移ってきた(水平伝達)かも知れない制限修飾遺伝子が同定された。

3. 大きなゲノム多型

 Almらは、Helicobacter pyloriの二つの株のゲノム配列を比較し、大規模なゲノム多型を10件検出した。その中3つについては、制限修飾遺伝子ホモログが組換え点に隣接していた。私は、これら二つの株のゲノムDNAの配列をドットプロットで比較して、ゲノムの再編を検出した。さらに制限修飾遺伝子を含む領域について、BLASTを用いてDNAレベルで詳細に調べた。特に片方のゲノムにだけある制限修飾遺伝子に注目して、その周辺の配列を比較検討した。その結果、以下に示す「長い標的配列のくり返しを伴う遺伝子挿入」をはじめ、3つのタイプの挿入が見つかった。

3-1. 長い標的配列のくり返しを伴う遺伝子挿入

 図1-Aに示すような多型が発見された。すなわち、一方のゲノムにある一つの配列が、他方のゲノムでは、順向きに重複し、その問に別のDNAが入っていた。いくつかの例では、このDNAに制限修飾遺伝子があった。これは、これらのDNAが「長い標的DNAの重複を伴う挿入」によってゲノム.に挿入されたことを推測させた(図1-B)。これは、古典的なトランスポゾン挿入と似ているが、重複する標的配列の長さが百bp程度と桁違いに大きい。これは、新しい細菌の遺伝子移動の機構と考えられた。

 図2は、この挿入パターンを、制限修飾遺伝子による分離後宿主殺しに結びつけたモデルである。制限修飾遺伝子が染色体から取り除かれるなどしてその発現が妨げられると、染色体の制限酵素による切断が始まる。これは、DNA複製フォークの通過後にできる娘染色体上の制限修飾サイトがメチル化によって保護しきれなくなるために起きるのであるから、フォーク通過後に二つの娘染色体の別の座で切断が起きることも十分考えられる。その断端を宿主が再結合すれば、染色体の部分重複が生じるだろう。この時、そこに問題の制限修飾遺伝子を持つDNA断片が挿入されれば、制限修飾遺伝子の両側を重複が挟む形になる。修飾遺伝子の発現によってゲノムは再びメチル化され、制限酵素によるゲノムの攻撃は終わる。

 この形の遺伝子挿入で、制限修飾遺伝子が挿入するDNA内にある場合だけでなく、挿入される側にある場合も発見した。Helicobacter pyloriのcag pathogenicity island(病原性の島)も、構造が類似しており、この制限酵素による機構で挿入しているのかもしれない。

3-2. その他の挿入

 「ゲノムの欠失を伴う挿入型(置換型)」もいくつか見つかった。このような多型の起源も同様に、制限修飾遺伝子による分離後宿主殺しに結びつけて考えられる。宿主が非相同な結合によって切断を直そうとする時に、問題の制限修飾遺伝子がうまく結合点に挿入されると、ゲノムが再びメチル化され、細胞死の危機が去り、このゲノム再編あるいは多型の形が残ると考えられる。

 また、置換・逆位・欠失という隣接する3部分からなる構造も見つかった。これも、「制限修飾遺伝子によるゲノム二カ所の切断、断端からの分解の後、断片が逆向きになって再結合され、その時に制限修飾遺伝子が挿入された」という機構が推測できる。

4. その他の病原細菌についての、近縁ゲノム配列比較

 Neisseria meningitidisの二株の種内ゲノム比較、さらにそれらとNeissiria gonorrhoeaeとの属内種間ゲノム比較などからも、制限修飾遺伝子がゲノム多型形成に関与していることを示唆する例が得られている。

まとめ

 Helicobacter pyloriの株間ゲノム配列の比較から、「長い標的重複をともなう挿入」という大規模ゲノム多型を発見した。これは、制限酵素修飾酵素遺伝子がゲノムに独特の様式で挿入した痕跡と推測された。これは、制限酵素修飾酵素遺伝子がゲノムの形成に関与する「動く遺伝子」であるという私たちの予想と一致した。

図1.長い標的配列のくり返しを伴う遺伝子挿入

図2.制限修飾遺伝子の利己的な転位モデル

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、実験から得られた、制限修飾遺伝子が「動く遺伝子」であるという仮説を検証するため、Helicobacter pyloriの二株における制限修飾遺伝子およびその周辺の配列を比較・解析したものであり、下記の結果を得ている。

1.多型と水平伝達

公表されているHelicobacter pylori(ピロリ菌)の二株の全ゲノムシークエンスから、制限修飾遺伝子ホモログをホモロジー検索、モチーフ検索などによって洗い出した結果、それぞれの株に、59個の制限修飾遺伝子ホモログが同定された。このうち片方の株のみに特異的な制限修飾遺伝子ホモログがそれぞれ11個ずつあり、多型を示していた。これら修飾遺伝子ホモログについて、様々な細菌の修飾遺伝子をまじえたマルチプル・アラインメントを進化系統樹の形に作成した。さらに、これらの修飾遺伝子が発見されたホストである細菌の、16S rRNAの系統樹と比べたところ、Helicobacter pyloriの修飾遺伝子ホモログが様々な細菌に見られ、細菌界と古細菌界の修飾遺伝子の多様性をカバーしていることが示された。各遺伝子のコドン3番目のGC含量を解析したところ、Helicobacter pyloriの制限修飾遺伝子には、保存されている遺伝子の集団から大きくずれているものが見られた。これは、比較的最近、他の離れた細菌ゲノムから水平移動してきた可能性が考えられる。さらに、いくつかの制限修飾遺伝子の水平伝達の可能性は、コドン使用の偏りの解析からも示唆された。

2. 「長い標的重複を伴う挿入」

Helicobacter pyloriの二株のゲノムにおいて、制限修飾遺伝子周辺のゲノム配列を、blastを用いてDNAレベルで詳細に比較検討したところ、制限修飾遺伝子が挿入された痕跡であると推測される多型パターンが見つかった。これは、親ゲノムに制限修飾遺伝子が挿入して標的となる配列が重複されるという機構で説明できた。この「長い標的配列のくり返しを伴う制限修飾遺伝子挿入」は、制限修飾遺伝子が「動く遺伝子」であることの裏付けとなるものであった。さらに、これと似た構造は、挿入される遺伝子の固まりがcag pathogenicity islandなど制限修飾遺伝子以外の場合や、他のゲノム間での比較(Neisseria meningitidisとNeisseria gonorrhooeae)でも発見され、細菌の新しい遺伝子移動の機構と考えられた。

3. 利己的転移モデル

これらの挿入パターンは、制限修飾遺伝子による分離後宿主殺しに結びつけた次のようなモデルで説明できる。制限修飾遺伝子が染色体から取り除かれるなどしてその発現が妨げられると、DNA複製フォークの通過後にできる娘染色体上の制限修飾サイトがメチル化によって保護しきれなくなり、染色体の制限酵素による切断が始まる。「長い標的配列のくり返しを伴う制限修飾遺伝子挿入」の場合、その断端を宿主が再結合すれば、染色体の部分重複が生じる。この時、そこに問題の制限修飾遺伝子を持つDNA断片が挿入されれば、制限修飾遺伝子の両側を重複が挟む形になる。修飾遺伝子の発現によってゲノムは再びメチル化され、制限酵素によるゲノムの攻撃は終わる。

以上、本論文では、二株のHelicobacter pyloriゲノムにおいて制限修飾遺伝子に注目した配列の詳細な比較検討から、これまで実験結果から提唱されてきた制限修飾遺伝子が長短二つのスケールで「動く遺伝子である」という仮説の裏付けがなされた。さらに、制限修飾遺伝子が様々なゲノム多型に連鎖していることから、ゲノム再編に深い関わりを持つことが示唆された。これは細菌病原性とゲノム進化の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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