学位論文要旨



No 116334
著者(漢字) 宮寺,浩子
著者(英字)
著者(カナ) ミヤデラ,ヒロコ
標題(和) 嫌気的呼吸鎖の低分子電子伝達体ロドキノンに関する酵素群の解析
標題(洋)
報告番号 116334
報告番号 甲16334
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1729号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 脊山,洋右
 東京大学 教授 徳永,勝士
 東京大学 教授 中村,義一
 東京大学 助教授 増田,道明
 東京大学 講師 戸邊,亨
内容要旨 要旨を表示する

 原虫、蠕虫類などの寄生虫は、複数の宿主間を移り住むことによってその複雑な生活環を完結させており、そのエネルギー代謝系はヒトをはじめとした哺乳類が有する好気的呼吸鎖とは異なることが知られている。このような、寄生性生物に特有なエネルギー代謝系は生物学的観点から興味深いだけでなく、その宿主呼吸鎖との違いを利用した化学療法剤の有効な標的となる。本研究では、多くの蠕虫類の嫌気的呼吸鎖電子伝達系であるフマル酸還元系に着目し、この代謝系を標的とした化学療法剤の探索を目標とした基礎的研究を行った。

 NADH-フマル酸還元系(Fig.1)は、NADHの酸化を行う複合体I、フマル酸還元を行う複合体II、およびこの酵素複合体間の電子伝達を行うロドキノンから構成される。この呼吸鎖の特徴は、第一に、電子伝達が複合体Iにおけるプロトンポンプ活性と共役しており、そのため発酵に比べ効率よいATP産生を行うことができる点である。第二の特徴は、哺乳類などの好気的呼吸鎖、およびTCA回路ではコハク酸脱水素酵素として機能する複合体IIが、その逆反応であるフマル酸還元を触媒し、この電子伝達系の末端酸化酵素として機能することである。そして、第三の特徴は、複合体I、複合体II間の電子伝達を行うのが、多くの生物に共通に存在するユビキノンではなく、低電位ベンゾキノンであるロドキノンであることである。

 ロドキノン(Fig.2)は3位にアミノ基を有するベンゾキノンであり、ユビキノン(Em'=+110mV)に比べ低い酸化還元電位(Em'=-63mV)を有する。この低ポテンシャルであるという性質は、フマル酸還元(Em'=+30mV)を効率よく行うのに適しており、実際、回虫ミトコンドリアを用いたキノン再構成実験において、ロドキノンがNADH-フマル酸還元系における不可欠な構成要素であることが示されている。このように、NADH-フマル酸還元系は、哺乳類の好気的呼吸鎖電子伝達系とは電子伝達の方向性、基質特異性が異なることから、抗蠕虫薬開発における有効な標的となる。このなかでも薬剤標的としての効果が期待される部位は、呼吸鎖酵素複合体I、複合体IIにおける基質特異性の認識部位であるロドキノン結合部位、そして、寄生虫類に特有に存在するキノンであるロドキノンの生合成系であると考えられる。このようなロドキノンと相互作用する呼吸鎖構成酵素、およびその生合成に関与する酵素を対象として、本研究では、この代謝系において末端酸化酵素として機能するロドキノールーフマル酸還元酵素について(第1章)、また、電子伝達体として機能するロドキノンの生合成系について(第2章)、そして、実際にこの嫌気的呼吸鎖電子伝達系を阻害する化合物の探索とその阻害機構の解析(第3章)を行った。

(1)NADH-フマル酸還元系における末端酸化酵素、ロドキノール-フマル酸還元酵素の解析

 回虫成虫複合体IIは好気的呼吸鎖において機能する哺乳類複合体II(コハク酸酸化反応を触媒)との逆反応であるフマル酸還元反応を触媒し、また、ユビキノンではなくロドキノンを電子伝達の基質とする。この、ロドキノール-フマル酸還元酵素における電子伝達の機構や、コハク酸脱水素酵素との構造的相違点についての知見を得る目的で、培養が寄生虫類に比べ比較的容易である、紅色非硫黄光合成細菌Rhodoferax fermentansのロドキノール-フマル酸還元酵素を精製し、クローニングによる一次構造の解析を行った。その結果、R.fermentansロドキノールーフマル酸還元酵素はその基質親和性や酵素活性の高さなどの点が回虫ロドキノールーフマル酸還元酵素と非常に類似していることが明らかになった。しかし、キノンとの電子伝達を行う疎水性サブユニットの一次構造において、2種のロドキノールーフマル酸還元酵素の間に特有に保存されている領域は見出されなかった。また、予測アミノ酸配列を基に分子系統解析を行い、細菌と真核生物のロドキノールーフマル酸還元酵素間の分子系統関係を解析した結果、細菌と寄生虫のロドキノールーフマル酸還元酵素は、多くの嫌気的細菌が有するメナキノールーフマル酸還元酵素から直接進化したのではなく、好気性細菌や、多くの真核生物が有するコハク酸−ユビキノン還元酵素から派生したものであることが推測された。

(2)回虫ロドキノン生合成系の解明

 ロドキノンはNADH-フマル酸還元系において電子伝達体として機能し、回虫など蠕虫類のエネルギー代謝における必須の構成要素である。そのため、その生合成系はこれらの蠕虫類に対する化学療法剤開発において有効な標的となるものと考えられる。ロドキノンの存在は系統的に異なる様々な種より報告されているが、その生合成系はいずれの生物種においても明らかにされていない。先行研究より、ロドキノシのキノン骨格はユビキノン生合成系によって生合成されていることが示唆されているが、その生合成前駆体がDMQおよびhydroxyUQ、UQのいずれであるのかは不明である(Fig.3)。そこで、本項では寄生性線虫回虫のロドキノン生合成酵素を同定することを目標として、まずその生合成前駆体を明らかにしようと試みた。この過程で、回虫と同様線虫であり既にその全ゲノム配列が同定されている線虫Caenorhabditis elegansにロドキノンが少量存在することに着目し、まず第一段階として、C.elegansを用いて線虫におけるロドキノン生合成前駆体を同定しようと試み、ユビキノン生合成系に変異があると考えられたclk-1変異株のキノン組成の解析を行った。その結果、ロドキノンの生合成前駆体が恐らくDMQまたはそれより上流の生合成中間体であることが強く示唆された。

(3)NADH-フマル酸還元系を標的とした化学療法剤の探索と阻害機構の解析

 NADH-フマル酸還元系を標的とした化学療法剤の開発を目的として、その候補分子の探索、その候補分子の探索、およびその阻害機構の解析を行った。3種の構造の異なるグループの化合物及びその構造類縁体について阻害活性を検討し、その中で最も阻害効果の高いナフレジンについて、その阻害機構を解析した。ナフレジンは海綿より単離されたAspergillus niger FT-0554培養液中から見出された化合物である。この化合物は回虫フマル酸還元還元系を著しく低濃度で阻害するが(IC50;12nM)、哺乳動物ミトコンドリア好気的呼吸鎖酵素に対しては著しい阻害活性は示さない(IC50>4.2μM)。回虫NADH-フマル酸還元系は複合体I、および複合体IIにおける2つの酵素反応から構成されるが、ナフレジンはこのうち複合体I(NADHキノン酸化還元活性)に対して高い阻害活性を示した(IC50;8-24nM)。一方、複合体II(ロドキノール-フマル酸還元酵素)に対する阻害は非常に高い濃度でのみ起こった(IC50;80μM)。これらの結果より、ナフレジンは回虫呼吸鎖複合体Iを特異的に阻害することが明らかになった。さらにその阻害様式を解析したところ、NADH-キノン還元酵素活性において、decy1-RQと拮抗的に作用したことから(Fig.4)、ナフレジンは回虫複合体Iのキノン結合部位を特異的に阻害していることが分かった(Fig.5)。この結果は、複合体Iのキノン結合部位が寄生性蠕虫と哺乳動物の間で異なること、したがって、複合体Iが選択的阻害剤の標的として極めて有効であることを示している。(ナフレジンの発見は、北里研究所生物機能研究所、大村智、塩見和朗博士による。本研究は同グループとの共同研究による。)

 寄生虫疾患は今なお世界の人口の大部分が居住する熱帯、亜熱帯地域に蔓延しており、膨大な人的、経済的損失がもたらされている。しかし、その治療、駆除に有効な抗寄生虫薬の開発は他の疾患分野に比べ非常に立ち遅れているのが現状であるといえる。本研究では蠕虫の嫌気的呼吸鎖電子伝達系、NADH-フマル酸還元系においてロドキノンを基質とする酵素、複合体I、および複合体IIについて、またロドキノン生合成系について解析を行ったが、このような寄生虫に特異的なエネルギー代謝系に特有な構成要素について詳細に解明してゆくことにより、さらに有用な選択的阻害剤の設計が可能になるものと考えられる。

Fig. 1 Anaerobic electron transfer chain of adult A. suum (NADH-fumarate pathway)

 The anaerobic respiratory chain (NADH-fumarate pathway) is shown in black arrows. The aerobic respiratory chain of rnammalian mitochondria is shown in gay. NADH-fumarate pathway catalyzes the terminal steps of PEPCK-sucdnate pathway. in this pathway, elecirons are tranfered from complex I to RQ (rhodoquinosse), and used in the reduction of hinsarate at complex II.

Fig. 2 Structure of UQ9 and RQ9

Fig. 3 The UQ biosynthesis pathway

The UQ biosynthesis steps proposed from genetic studies of yeast Saccammyces cerevisiae and E. coli (Maganathan, 1996). Compounds indicated in this figure are,(from the top) 3-polyprenyl-4-hydroxybenzoate, 2-methoxy-6-polyprenyl-1,4-benzoquinone), DMQ (demethoxy ubiquinone; 2-methoxy-5-methyl-6-polyprenyl-1,4-benzoquinone). hydroxy-UQ (2-methoxy-3-hydroxy-5-methyl-6-polyprenyl-1,4-beozoquinone), and UQ. The proposed biosynthetic precursor of RQ either DMQ, hydroxy UQ, or UQ. hut are yet to be identified.

Fig. 4 Kinetic analysis of nafuredin inhibition of complex I with decyl RQ

The catalytic activities of NADH-quinone oxidoreductase were expressed as nmot of NADH oxidized per min per mg of protein. The assays were perfermed in 50 mM potassium phosphate buffer (pH 7.2), 1mM KCN, 200 μM NADH, and 30 μg A suum mitochondria, at 30℃. The enzymatic reaction was started by the addition of deql-RQ. The absoebance change at 340 nm(miliimolar coefficient for NADH; 6.2) was followed.

Fig. 5 The inhibition of nafuredin is quinone-binding site of A suum complex I

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は寄生性蠕虫類のエネルギー代謝系であるNADH-フマル酸還元系について重要な構成要素である複合体IIの酵素的性質について、そして電子伝達体ロドキノンの生合成系について解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. ロドキノール-フマル酸還元酵素の精製と一次構造の決定

 NADH-フマル酸還元系における末端酸化酵素であるロドキノール-フマル酸還元酵素における電子伝達の機構や、コハク酸脱水素酵素との構造的相違点についての知見を得る目的で、紅色非硫黄光合成細菌Rhodoferax fermentansのロドキノールーフマル酸還元酵素を精製し、その酵素的性質を解析し、クローニングによる一次構造の解析を行った。その結果、R.fermentansロドキノール-フマル酸還元酵素はそのサブユニット構成、基質親和性などの酵素的性質が回虫ロドキノールーフマル酸還元酵素と非常に類似していること、しかし進化的には独立の経路で獲得された酵素であることを示した。

2. 回虫ロドキノン生合成系の解明

 ロドキノンはNADH-フマル酸還元系において電子伝達体として機能し、回虫など蠕虫類のエネルギー代謝における必須の構成要素であるため、その生合成系はこれらの蠕虫類に対する化学療法剤開発において有効な標的となることに着目し、回虫ロドキノン生合成酵素の同定を目的として解析を行った。先行研究より、ロドキノンのキノン骨格はユビキノン生合成系によって生合成されていることが示唆されているが、その生合成前駆体がDMQおよびhydroxyUQ、UQのいずれであるのかは不明であった。そこで、本研究ではロドキノンの生合成前駆体を推定することを目的に、回虫と同様線虫であり既にその全ゲノム配列が同定されている線虫Caenorhabditis elegansにおいてユビキノン生合成系に変異があると考えられたclk-1変異株のキノン組成の解析を行った。その結果、clk-1変異株ではユビキノン生合成中間体であるDMQが蓄積しており、ユビキノンが検出されないことを示した。得られた結果よりロドキノンの生合成前駆体が恐らくDMQまたはそれより上流の生合成中間体であると推測された。

3.NADH-フマル酸還元系を標的とした化学療法剤の探索と阻害機構の解析

 NADH-フマル酸還元系を標的とした化学療法剤の開発を目的として、その候補分子の探索、およびその阻害機構の解析を行った。3種の構造の異なるグループの化合物及びその構造類縁体について阻害活性を検討し、その中で最も阻害効果の高いナフレジンについて、その阻害機構を解析した。その結果、ナフレジンは回虫呼吸鎖複合体Iを特異的に阻害すること、そしてナフレジンは回虫複合体Iのキノン結合部位を特異的に阻害していることを示した。この結果は、複合体Iのキノン結合部位が寄生性蠕虫と哺乳動物の間で異なること、したがって、複合体Iが選択的阻害剤の標的として極めて有効であることを示唆するものである。

 以上、本論文はNADH-フマル酸還元系を構成する酵素の構造及び酵素的性質についての基礎的研究であり、より詳細な構造活性相関を明らかにする上で不可欠な解析である。また、ロドキノン生合成系を解明する過程で、これまでその生化学的な変動が全く捉えられていなかった線虫長寿命変異株においてキノン組成が著しく変化していることを示している。さらに、薬剤の探索と阻害機構の解析により、実際にNADH-フマル酸還元系が抗寄生虫薬の標的として有効であることを示している。このように、本研究はロドキノンを基質とする酵素群の解明とこれを標的とした阻害剤の探索に重要な貢献をしていると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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