学位論文要旨



No 116336
著者(漢字) 井関,將典
著者(英字)
著者(カナ) イセキ,マサノリ
標題(和) Lnkファミリー細胞内アダプター蛋白質APSの単離と生理学的機能の解析
標題(洋)
報告番号 116336
報告番号 甲16336
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1731号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 竹縄,忠臣
 東京大学 教授 中村,祐輔
 東京大学 客員教授 北村,俊雄
 東京大学 助教授 仙波,憲太郎
 東京大学 助教授 田中,信之
内容要旨 要旨を表示する

 細胞表面の受容体にリガンドが結合することにより様々なシグナル伝達経路が活性化され、その結果として細胞の増殖、分化、細胞死などが引き起こされる。このシグナル伝達経路にアダプター蛋白質と呼ばれる、分子内に酵素活性を持たない分子群が重要な役割を果たしていることが明らかになってきている。

 アダプター蛋白質のシグナル伝達経路における役割は、最初成長因子受容体からのシグナルの研究によって証明された。免疫担当細胞における抗原受容体からのシグナル伝達においても、LAT、SLP-76、BLNK等のアダプター蛋白質が生体の免疫機能の発揮に必須な分子であることが遺伝子導入細胞株、遺伝子欠損マウスを用いた研究により明らかにされてきた。その他にも抗原受容体やサイトカイン受容体からのシグナルの活性化や抑制に関わるアダプター蛋白質が数多く単離、解析されており、免疫系のシグナル制御機構の複雑さが推測できる。既知のアダプター蛋白質の詳細な機能解析を進めるのみならず、新たなアダプター蛋白質を同定し、機能を調べることによって細胞内シグナル伝達機構の更なる解明に貢献できると考えられる。

 細胞内アダプター蛋白質の一つであるLnkの遺伝子欠損マウスは骨髄および脾臓にてB細胞の過剰産生が観察される。このことからLnkはB前駆細胞の増殖分化を負に制御していることが示唆される。LnkはFcεRIγ鎖のITAMモチーフに結合するSH2-Bという分子と相同性を持ちファミリーを形成すると考えられるが、これらの蛋白質群の詳細な機能については未だ明らかではない。私はこれらのアダプター蛋白質群の機能を検討するため、Lnk、SH2-Bと相同性を持つ新しい分子の探索、単離を試みた。

【方法と結果】

(1)マウスAPS遺伝子の単離

 Lnk、SH2-B相同分子を同定する第一歩として、両者の間で保存されているアミノ酸配列を用いてESTデータベースを検索したところ、高い相同性を持つcDNAがヒト胚中心B細胞に発現していることが分かった。この配列を元にオリゴマーを合成しPCRによりマウス脾臓からcDNA断片を増幅した。得られたcDNA断片をプローブとして脾臓cDNAライブラリーをスクリーニングし、cDNAクローンを単離し、その塩基配列を決定した。その結果、このcDNAは621アミノ酸に相当する読み枠を含んでおり、新規の分子をコードしていると考えられた。この配列を用いたデータベース検索の結果、この新規分子はc-kitに結合する分子として単離されたヒトAPSと高い相同性を示し、マウス相同蛋白質であることが分かった。マウスAPSは、ヒトAPSとアミノ酸レベルで82%同一で、N末端にプロリンに富む領域、PHドメイン、C末端側にSH2ドメインとリン酸化を受ける可能性があるチロシン残基を持っていた。

(2)マウスAPSmRNAの発現解析

 マウスの各組織のRNAを用いたノザンブロット解析の結果、APSのmRNAは脳、脾臓、筋肉で比較的強く発現しており、胸腺では発現していなかった。脾臓の丁細胞、B細胞を精製しRT-PCR法により検討したところ、T細胞ではAPSの発現はみられずB細胞で発現していることが分かった。また・細胞株のRNAを用いたノザンブロットの結果、成熟B細胞株に強く発現していることが明らかになった。

 また、cDNAクローニングの際にSH2ドメインの3'側に欠失変異を持つクローンと持たないクローンが単離されたが、RT-PCRの結果、変異を持つ転写産物は生体内では主要なものではないということが分かった。

(3)マウスAPS遺伝子の構造と染色体上の位置の決定

 マウスAPS cDNAをプローブとしてゲノムDNAライブラリーをスクリーニングし、得られたクローンから遺伝子の制限酵素地図を作製すると共に、サザンブロット、PCR、塩基配列決定等により、エクソンの位置を決定した。その結果マウスAPS遺伝子は蛋白質をコードする8つのエクソンからなることが明らかとなった。また、データベース検索の結果よりマウスAPS遺伝子は第5染色体に位置することが推察された。

(4)マウスAPSのチロシンリン酸化と細胞の増殖応答

 COS7細胞にチロシンキナーゼと共にAPS cDNAを過剰発現させる系を確立し、APSのチロシンリン酸化を調べた。その結果、マウスAPSはB細胞に発現している様々なチロシンキナーゼやc-kitによってチロシンリン酸化を受けることが分かった。またY16細胞、MC9細胞に過剰発現させた系を用いてIL-5、IL-3、SCFの刺激によるAPSのチロシンリン酸化を確認した。内因性のマウスAPSを発現しているB細胞株BAL17細胞を用いた実験により、抗IgM抗体刺激によってもマウスAPSはチロシンリン酸化を受けることが明らかとなった。マウスAPSのチロシンリン酸化部位を含むC末端を欠失した変異型マウスAPSを導入したMC9細胞においてはIL-3、SCFの刺激によるマウスAPSのチロシンリン酸化は検出できなかった。

 また、これらの野生型、変異型のマウスAPSを過剰発現させた細胞株をIL-5、IL-3、SCFで刺激しその増殖応答を測定したが、いずれの細胞も親株と比べて増殖応答に差は見られなかった。

(5)ASP遺伝子欠損マウスの作製

 ASPの生体内での生理学的機能を明らかにするため、APS遺伝子を標的としたターゲッティングベクターを作製し、ES細胞に導入し常法に従って遺伝子欠損マウスを作製し、サザンブロットによってAPS遺伝子座の変異を確認した。作製したマウスについて、ウェスタンブロットによりAPSの欠損を確認したところ、全く予想外であったが、APS-/-マウスでも抗マウスAPS抗体で検出できる蛋白質が発現していた。野生型マウスで検出されるAPSの二本のバンドのうち、高分子量のバンドがAPS-/-マウスでは消失しており、低分子量のバンドは増強していた。このことから野生型マウスでは分子量の異なる二種類のAPS蛋白質が発現していることが初めて分かり、AP計マウスでは高分子量のAPSのみが欠損しており、低分子量のAPSは依然発現が見られその量も増加していることが明らかとなった。

 高分子量のAPSの欠失の影響を調べるため、作製したAPS-/-マウスにおける、骨髄、脾臓、リンパ節等の免疫系細胞数や分布の変化をフローサイトメトリーにより解析すると共に、B細胞を刺激した際の増殖応答、抗原に対する免疫反応等を測定した。しかし調べた範囲内では野生型マウスとAPS-/-マウスの間で差は見出せなかった。そこで高分子量のAPS欠損の表現型がLnk遺伝子欠損によって明らかになる可能性を考え、APS-/-マウスをLnk遺伝子欠損マウスと交配させ、二重遺伝子欠損マウス(APS/Lnk-/-)を作製して解析した。調べた範囲内で、APS/Lnk-/-マウスの表現型はLnk欠損マウスの表現型とほとんど違いが見られず、APS遺伝子欠損による表現型は見出せなかった。

 高分子量のAPSのみの欠損では表現型が見られなかったことから、APSの機能を明らかにするためにはやはりAPSを完全に欠損させたマウスの作製が必須であると考えられる。今後、APS遺伝子欠損マウスを作製し、表現型を解析することによりAPSの生理学的機能を明らかにしていく。

【考察】

 本研究において、私は細胞内アダプター蛋白質Lnk、SH2-Bと相同性を持つ新規分子をクローニングした。この分子はヒトAPSと高い相同性を持っており、そのアミノ酸配列の類似性等から、単離した分子はマウスAPSであると考えた。マウスAPSはLnk、SH2-Bと同様にPHドメイン、SH2ドメインを持っており、また機能的に重要と考えられる領域のアミノ酸配列もよく保存されていることからこのAPS、Lnk、SH2-Bは新しいファミリーを形成すると考えている。各種組織や細胞群の発現パターンより、マウスAPSは未熟B細胞よりも成熟B細胞で高く発現していると考えられ、また、成熟B細胞株BAL17細胞において抗IgM抗体刺激によってチロシンリン酸化を受けることから、B細胞受容体からのシグナル伝達経路において何らかの役割をしていると考えられた。

 C末端欠失変異型APS遺伝子を導入した細胞をIL-3、SCFで刺激してもチロシンリン酸化が見られないことから、マウスAPSのリン酸化を受けるチロシン残基はC末端のチロシン618であることが示唆された。このC末端のチロシン残基はLnk、SH2-Bでも保存されており、これらの分子の機能に大きく関わっていることが考えられる。一方、APSのファミリー分子であるSH2-BにはC末端のチロシン残基が欠失したスプライシング変異型、SH2-Bβが存在している。この変異型は成長ホルモン、IFNγ、NGF等のシグナル伝達系で正の制御因子として機能するという報告がなされており、このことからAPSのC末端のチロシンに依存しないシグナル伝達制御機構も考えられる。野生型、C末端のチロシン残基欠失変異型APSを株化細胞に過剰発現させてもサイトカイン刺激による増殖応答の変化は見られなかった。今後更に解析を進め、APSがどのような分子と会合しているのかを明らかにすることがAPSの機能を解明する手がかりになることであろう。

 APSの生体内での生理学的機能を解析するために遺伝子欠損マウスを作製したが、予想外なことにAPS-/-マウスでも低分子量のAPS蛋白質の発現が残っていた。今回作製したAPS-/-マウス及び、APSとLnkの二重遺伝子欠損マウスのいずれもAPSの機能を推測させる表現型は見られず、高分子量のAPS蛋白質のみの欠損では免疫系に影響を及ぼさないということが明らかになった。これらのことからAPSの機能を明らかにするためにはAPS分子を完全に欠損させたマウスの作製が必須であると考えられたため、APS蛋白質を完全に欠損したマウスの作製を新たに行っている。

 本研究で私はLnk、SH2-Bと相同性を有する分子、マウスAPSを初めて同定し、これらの分子が新しい細胞内アダプター蛋白質ファミリーを形成することを示した。今後、APS遺伝子欠損マウスを作製、解析することにより、APSの生体内での生理学的機能を明らかにしていきたいと考えている。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究はLnk、SH2-Bからなる新しいアダプター蛋白質ファミリーであるLnkファミリーの機能を明らかにするための方法の一つとして、Lnk、SH2-Bのアミノ酸配列と相同性を持つ分子を検索することによりこのファミリーに属する新規分子の同定と機能解析を行ったものであり、下記の結果を得ている。

(1)LnkとSH2-Bの間で保存されているアミノ酸配列を用いてESTデータベースを検索し、PCR、cDNAライブラリーのスクリーニングによって、621アミノ酸に相当する読み枠を含んだ新規cDNAクローンを単離した。この分子はc-kitに結合する分子として単離されたヒトAPSと高い相同性を示し、マウスAPSであることが分かった。マウスAPSは、ヒトAPSとアミノ酸レベルで82%同一で、N末端からプロリンに富む領域、PHドメイン、SH2ドメインとチロシンリン酸化部位を持っていた。ノザンブロット等の解析の結果、APSのmRNAは脳、脾臓、筋肉で比較的強く発現しており、胸腺では発現しておらず、また成熟B細胞株に強く発現していることが明らかになった。脾臓では丁細胞ではAPSの発現はみられずB細胞で発現していることが分かった。またRT-PCR法によって、cDNAクローニングの際に単離された欠失変異型は生体内では主要なものではないということを示した。APS cDNAをプローブとしてゲノムDNAライブラリーをスクリーニングし、得られたクローンから遺伝子の制限酵素地図を作製し、エクソンの位置を決定した。その結果マウスAPS遺伝子は蛋白質をコードする8つのエクソンからなることが明らかとなった。また、データベース検索の結果よりマウスAPS遺伝子は第5染色体に位置することが推察された。

(2)COS7細胞にチロシンキナーゼと共にAPS cDNAを過剰発現させる系を用いて、APSはB細胞に発現している様々なチロシンキナーゼやc-kitによってチロシンリン酸化を受けることを示した。またY16細胞、MC9細胞に過剰発現させた系を用いてIL-5、IL-3、SCFの刺激によるAPSのチロシンリン酸化を確認した。内因性のAPSを発現しているB細胞株BAL17細胞を用いた実験により、抗IgM抗体刺激によってもAPSはチロシンリン酸化を受けることを示した。APSのC末端を欠失した変異型APSを導入したMC9細胞においてはIL-3、SCFの刺激によるAPSのチロシンリン酸化は検出できなかった。また、これらの野生型、変異型のAPSを過剰発現させた細胞株をIL-5、IL-3、SCFで刺激しその増殖応答を測定したが、いずれの細胞も親株と比べて増殖応答に差は見られなかった。

(3)APSの生体内での生理学的機能を明らかにするため、APS遺伝子を標的としたターゲッティングベクターを作製し、常法に従って遺伝子欠損マウスを作製し、サザンブロットによってAPS遺伝子座の変異を確認した。しかしウェスタンブロットを行ったところ、APS-/-マウスでも抗APS抗体で検出できる蛋白質が発現していた。このことから野生型マウスでは分子量の異なる二種類のAPS蛋白質が発現していることが初めて分かり、APS-/-マウスでは高分子量のAPSのみが欠損しており、低分子量のAPSは依然発現が見られその量も増加していることが明らかとなった。高分子量APSの欠失の影響を調べるため、作製したAPS-/-マウスの骨髄、脾臓等の細胞のフローサイトメトリーによる解析、B細胞を刺激した際の増殖応答、抗原に対する免疫反応等を測定したが、野生型マウスとAPS-/-マウスの間で差は見出せなかった。高分子量のAPS欠損の表現型がLnk遺伝子欠損によって明らかになる可能性を考え、二重遺伝子欠損マウス(APS/Lnk-/-)を作製して解析した。調べた範囲内で、APS/Lnk-/-マウスの表現型はLnk欠損マウスの表現型とほとんど違いが見られず、高分子量APS欠損による表現型は見出せなかった。今後、完全なAPS遺伝子欠損マウスの作製、解析が期待される。

 以上、本論文はLnk、SH2-Bと相同性を有する分子としてマウスAPSを同定し、これらの分子が新しい細胞内アダプター蛋白質ファミリーを形成することを示し、またAPSがB細胞でのシグナルに関与することを明らかにした。本研究は、未だ明らかにされていないLnkファミリーアダプター蛋白質を介したシグナル伝達系の解明に重要な貢献をもたらすと思われ、学位の授与に値するものと考えられる。

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