学位論文要旨



No 116345
著者(漢字) 齊藤,祐子
著者(英字)
著者(カナ) サイトウ,ユウコ
標題(和) Tauopathy(異常リン酸化タウ蛋白蓄積症)を呈する疾患の臨床神経病理学的検討
標題(洋)
報告番号 116345
報告番号 甲16345
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1740号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,進昌
 東京大学 教授 深山,正久
 東京大学 教授 宮園,浩平
 東京大学 講師 小山,文隆
 東京大学 講師 川原,信隆
内容要旨 要旨を表示する

 Tauopathyとは、異常リン酸化されたtau蛋白(以下ptau)が、神経系に蓄積する病態のことである。神経細胞内に異常凝集したものとして、最も古くからよく知られているのが神経原線維変化(neurofibrillary tangle、以下NFT)で、Alzheimer病(以下AD)において初めて記載されて以来、特に痴呆を呈する神経変性疾患において、研究の重要な対象となっている。ptauは様々な神経疾患で認められ、神経細胞体・樹状突起のみならず、グリア細胞にも蓄積が観察されるが、神経変性の過程にptauがどのように関連するかは、未解決の問題である。近年、臨床神経病理学的に、前頭側頭葉型痴呆として一括されていた症例の一部に、tau遺伝子異常が明らかとなった。そして、tauの蛋白レベルでの異常が、一義的に神経変性疾患を引き起こしうることが判明した。

 筆者は、臨床神経学的にフォローし、不幸にしてなくなられた患者さんを、神経病理学的に検討する過程で、多くのtauopathyを経験した。それらtauopathyの臨床・画像・病理連関と、免疫組織化学的・超微形態的研究により、多くの新しい知見を得ることができたので、ここに報告する。

 対象は、著者が臨床的に経験した症例を含む、東京大学医学部神経内科及び東京都老人研究所神経病理部門を中核とする剖検ファイル。方法としては、神経病理学的には、ホルマリン固定パラフィン包埋標本を基本に、一般染色、免疫染色、電子顕微鏡所見を組み合わせた。一般染色では、ptau陽性構造を最も鋭敏にとらえるGallyas-Braak鍍銀染色を至適化し、抗ptau抗体免疫染色と組み合わせることで、より所見を確実なものとした。多数例の検討には、処理時間が短時間で、染色結果が安定している自動免疫染色装置(Ventana NX20)を導入、各抗体について至適化した。また症例によって、tau遺伝子変異の有無、ApoEの多型を検索した。自験例については、ご家族のインフォームドコンセントのもと、ホルマリン固定標本のみならず、パラフォルム固定免疫電顕用試料、グルタール固定通常電顕用試料、迅速凍結分子病理用試料を保存し、多方面からのアプローチが可能になるようこころがけた。

 結果であるが、第一章では、発達障害に関連したtauopathyの代表として、福山型筋ジストロフィーをとりあげた。本疾患は、筋のジストロフィー変化とともに、中枢神経奇形が必発であり、精神発達遅滞、脳波異常が見られ、小多脳回、厚脳回などが特徴である。本疾患においては、抗ptau抗体免疫染色陽性構造が、これまで報告のあった神経原線維変化出現部位より広く、しかも奇形に伴う異常組織に認められること、胎児期からも認められることが明らかとなり、時間的、空間的広がりをもったtauopathyを要素して持つ疾患であるという新知見を得た。本疾患の原因遺伝子産物であるfukutinの機能とptau形成及び、発達障害との関係が今後問題となろう。

 第二章では、tauopathyとα-synucleinopathyの関連について検索した。Lewy小体などの構成要素であることが近年明らかとなった、α-synucleinが蓄積する病態はα-synucleinpathyと呼ばれ、しばしばtauopathyと併存するが、そのメカニズムは分かっていない。Hallervorden-Spatz syndrome(以下HSS)長期生存自験例2例において、広範なtauopathyとα-synucleinopathyの合併の存在を明らかにし、tau遺伝子検索で、1例に多型を認めた。臨床上は、両例とも小児期に軽度の運動障害で発症し、錐体外路症状、痴呆が続発し、40代で寝たきりとなり死亡する経過を示した。文献例と総合すると、長期生存HSSは、遺伝性tauopathyとα-synucleinopathyの合併という特徴を有しており、HSS遺伝子が同定されれば、α-synucleinとtauの同時蓄積の病因にせまりうる点で、重要な位置を占めることを指摘した。

 第三章では、最近、遺伝性tauopathyや、ヒトtau遺伝子や変異tau遺伝子を過剰発現させたtransgenic mouseで、前角細胞病変が出現するという事実をもとに、最も頻度の高いtauopathyであるADの脊髄前角を病理学的に評価した。その結果、他のtauopathyと同様、ADにもtau関連病理が脊髄前角細胞に生じ、細胞障害をきたしている可能性があることをはじめて記載した。今後ADにおいて、下位運動ニューロン病変が日常生活動作の低下に関係している可能性を、検討していく必要があると思われる。

 第四章では、Amyloid β蛋白の蓄積はあっても年齢相応以下にとどまり、NFTの出現が突出している点より、純粋タウパチーのひとつと考えられている、神経原線維変化優位痴呆(以下NFTD)について検討した。第一部ではタウ蛋白遺伝子、R406W変異を伴うNFTDと,高齢者孤発NFTDを臨床病理学的に比較検討すると同時に、初老期発症NFTDという新しい範疇に属する疾患をはじめて記載した。神経原線維の側頭葉内側面に強調された出現と、下位運動ニューロン並びにグリアにもtau関連病理が出現するという点ではこれらは共通するが、出現の範囲はR406Wが最も広く、高齢者孤発NFTDは病変が海馬に限局する傾向を示し、初老期NFTDは、その中間の病理変化を示した。孤発性tauopathyを、それに類似する表現型を示すと報告されている、tau遺伝子の特定部位の変異を伴う、tauopathyとの比較により、新しい知見を見つけてゆくという、今後のtauopathy研究におけるひとつの方向性を示した。

 第四章第二部では高齢期発症の筋萎縮性側索硬化症(amyotrophic lateral sclerosis,以下ALS)にNFTDを合併した群を初めて記載した。本来tauopathyの要素を持たないALSという神経変性疾患において、遺伝的地域的要素が重視されているGuam島や紀伊半島のALS痴呆複合体以外にも、老化という枠の中であるが、tauopathyの関連があることを、はじめて指摘した。

 第五章では高齢者連続剖検例のなかから、これまで本邦ではあまり注目されていなかったtauopathyである、嗜銀顆粒性痴呆(argyrophilic grain dementia,以下AGD)について、その頻度、痴呆と責任病巣の関連について明らかにした。本疾患は約10年前にドイツで報告されて以来、多数例での報告は他には主にスウェーデンからのものに限られていた。本疾患はADにおけるNFT、neuropil threadとは光顕・電顕形態が異なる、pretangle、嗜銀顆粒の出現を神経病理学的特徴とする。嗜銀顆粒は適切なGallyas-Braak染色と抗ptau抗体免疫染色の双方を慎重に比較することではじめて評価可能である。これまで注目されてこなかった理由として、AD脳診断のための鍍銀染色のスタンダードであったBielschowky染色では検出困難であること、他の変性疾患に合併することが多いため、特異性及び痴呆との関連付けが不明とみなされてきたことが大きい。筆者は、高齢者連続剖検例190例について、Gallyas-Braak法を至適化し、抗ptau抗体に対する免疫染色を組み合わせ適応することで、嗜銀顆粒はこれらの脳のおよそ40%に出現する点で、NFTと同様老化関連tauopathyのひとつとしてとらえるべきものであり、痴呆を伴う場合は、嗜銀顆粒が多数出現することによると思われる、迂回回を中心とする、側頭葉・扁桃核移行部の変性が必発であることを、はじめて明らかにした。さらに、AGDはADの70%に認められる結果を得、フランクフルトにおける統計とほぼ一致し、この疾患が、高齢者における老化・痴呆の点で、極めて重要な位置を占めることを、明示した。さらに、迂回回の限局性萎縮をMRI画像で検出することで、生前診断の可能性を述べた。

 以上、既知のtauopathyにおける表現型を臨床病理学的に再検討することにより、多数の新知見を得た。

 今後の筆者自身の課題として、特に嗜銀顆粒性痴呆について、臨床症状をさらに検討していくことで、臨床診断の可能性を追求していきたい。また、本年9月の国際神経病理学会(ロンドン)発表時申し入れのあった、これまでAGDが認められないとされていた、ニュ一ヨーク市立老人ホーム剖検例の検索への国際共同研究を通じ、AGDの頻度が民族差なのか方法論の差なのかを、明らかにしていきたい。

 また、老化・痴呆をはじめとするtauopathyにおいては、病理標本の共有という面でも、生化学、分子病理などの神経科学的な多方面からのアプローチを可能にするためにも、剖検症例について、遺族への充分なインフォームドコンセントをもとに、いわゆるbrain bankをつくっていくことが不可欠であると思われる。正確な臨床・病理診断のもとに、神経科学研究の基礎となるbrain bankを創設していく」一員として、貢献していくことができれば幸いである。

審査要旨 要旨を表示する

 Tauopathyとは、アルツハイマー原線維変化の構成成分である、微小管関連蛋白tauの異常蓄積をきたす病態の総称である。Tau遺伝子変異による家族性tauopathyの発見により、tauの変化が神経変性の一次的原因となる得ることが明らかとなり、現在注目を集めている領域である。

 齋藤祐子学士は、加齢に伴うtauopathyにおいて、神経原線維変化、neuropil threadというpaired helical filament(PHF)を構成要素とするものとは異なる、嗜銀顆粒(argyrophilic grain)、pretangleという、新たに記載された蓄積形態に注目した。この嗜銀顆粒について、痴呆の原因となりうるか、神経原線維変化とは独立した病変なのかについて検討を加えた。

 方法としで、tauopathy検出のため、鍍銀染色と免疫染色を組み合わせ、最適化することがまず行われた。ついで、その検出法を用い、若年から高齢に至る種々のtauopathyにおける、原線維変化と嗜銀顆粒の関係が比較検討された。

 結果であるが、序章において、tauopathyの検出のためには、改良を加えたGallyas-Braak鍍銀染色法と、異常リン酸化タウ蛋白を認識する抗体cloneAT8を用い、自動免疫装置Ventana NX20により条件を最適化した免疫染色の、両者の組合せが、最良であることが示された。

 ついでその方法を用い、各種tauopathyについて検討がなされた。

 第一章では福山型筋ジストロフィー症が取り上げられ、tauの異常リン酸化は胎児から存在する可能性があり、原線維変化は20台より海馬傍回と発生異常皮質に出現するが、嗜銀顆粒は伴わないことが示された。

 第二章ではHallervorden-Spatz症候群長期生存例が取り上げられ、原線維変化は海馬傍回を最強点にしつつも中枢神経系にび漫性に出現し、嗜銀顆粒は伴わないことが示された。

 第三章ではamyloid β蛋白の蓄積を伴わないアルツハイマー病脊髄前角の検討がされ、原線維変化は出現するが、嗜銀顆粒は伴わないことが示された。

 第四章前半では、神経原線維変化優位型痴呆(neurofibrillary tangle-predominant form of dementia、以下NFTD)が検討され、神経原線維の好発部位が海馬・海馬傍回であること、若年発症でtau遺伝子R406W変異を伴う症例及び初老期発症の症例には嗜銀顆粒はなく、高齢発症NFTDでは側頭葉・扁桃核移行部に少量伴うことが示された。後半では高齢発症筋萎縮性側索硬化症にNFTDを伴う2例が検討され、神経原線維変化の分布、嗜銀顆粒の出現がともに高齢発症NFTDと共通することが示された。

 第五章では、高齢者連続剖検例を検討し、嗜銀顆粒を伴うものが40%に及ぶこと、構成線維がPHFではなくstraight tubulus(ST)からなること、痴呆を伴う症例は側頭葉・扁桃核の萎縮・変性を伴うことが明らかにされた。またこれらの症例は神経原線維変化を常に伴うが、海馬傍回に限局し、好発部位が異なることが示された。

 まとめにおいては、以上の検討をふまえ、神経原線維変化の形態をとるtauopathyは、普遍的細胞障害性変化であり、海馬傍回を共通の好発部位とするが、それに加え、それぞれの疾患特有の分布をとることが述べられた。それに対し、嗜銀顆粒の形態をとるtauopathyは、側頭葉内側面に限局し、かつ高齢者にのみ出現すること、好発部位である側頭葉・扁桃核移行部の変性が、知的機能障害と相関することが明らかにされた。そして、今後さらに生化学的・分子遺伝学的アプローチを行う予定であることが示された。

 以上、本研究は、tauopathyに関する検出法を確立、神経原線維変化と嗜銀顆粒というふたつのtauopathyについて、両者が独立した病態で、ともに神経変性に関連することはじめて明らかにした。この事実は、今後のtauopathy研究において重要な貢献をもたらすと考えられ、学位授与に値すると全員一致で判断した。

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