学位論文要旨



No 116346
著者(漢字) 椎尾,康
著者(英字)
著者(カナ) シイオ,ヤスシ
標題(和) ヒト傍脊柱筋の中枢神経支配に関する研究
標題(洋)
報告番号 116346
報告番号 甲16346
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1741号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野,照剛
 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 教授 中原,一彦
 東京大学 教授 中村,耕三
 東京大学 講師 森田,明夫
内容要旨 要旨を表示する

 二足直立歩行を行うヒトにとって、傍脊柱筋などの体幹筋は四肢遠位筋と異なり、姿勢の制御、歩行において極めて重要な役割を担っている.傍脊柱筋は解剖学的に、随意筋、横紋筋に分類され、当然のことながら随意的収縮も可能であり、Penfieldらが術中の脳表刺激によって明らかにしたように、対側一次運動野の皮質中枢が存在し、皮質脊髄路による支配を受けていることは既知の事実である。しかし一方で傍脊柱筋は随意性の高い巧緻動作を担当する手内筋などの四肢遠位筋とは異なり、自動的あるいは反射的な姿勢制御にも寄与しているため、その中枢支配には四肢遠位筋とは異なる経路、あるいは異なる様式が存在することが予想される。事実、動物実験の知見からは大脳皮質のみならず皮質下の脳幹網様体が、姿勢や歩行の制御の中枢として重要な役割を持つことが知られているが、ヒトでは侵襲的な実験は行えないため、その支配の様式については十分な研究がなされていない。神経内科臨床の場においては、大脳一次運動野が対側の骨格筋を支配するという事実は脳病変を有する患者の臨床的観察とも大筋で矛盾するものではないが、体幹筋をはじめとする近位筋では必ずしも当てはまらない。脳血管障害などの皮質脊髄路病変では対側遠位筋には強い麻痺を生じるが、近位筋は比較的に麻痺を免れることは古くから知られ、体幹筋をはじめとする近位筋が両側性の皮質支配を受けていることが予測されてきた。また一次運動野を含まない前頭葉病変で近位筋の軽度の麻痺が生じることや、病変と同側の近位筋に麻痺が生じる例もあり、体幹筋は四肢遠位筋とは違って両側性の支配を受けていること、その支配に関わる皮質中枢が対側一次運動野の他に前運動野を含む前頭葉にも存在することが推定されている。これらの体幹筋麻痺のメカニズムのみならず、様々な錐体外路疾患においても姿勢制御の異常、歩行の異常が観察され、その病態生理を解明していく上でも、まず健常入の体幹筋とくに傍脊柱筋の中枢神経支配の様式を明らかにすることは、その基礎的なデータを提供することになり大変意義深いものと思われる。そこで本論文では、健常人の腰部傍脊柱筋の中枢神経支配について、二つの非侵襲的方法を用いて検討し、その生理学的役割との関係について考察した。

 本研究の前半では、ヒトにおいて非侵襲的に皮質支配を研究する方法として近年盛んに用いられるようになった経頭蓋磁気刺激法を使用して、腰部傍脊柱筋の表面筋電図反応を惹起する頭蓋上のmotor pointをmappingした。さらに刺激をtriggerとするPSTH(post-stimulus time histogram)を多数の傍脊柱筋のsingle motor unitについて調べ、その皮質支配の様式について検討した.表面筋電図反応の頭蓋上mappingでは、Cz(vertex)から被検筋の対側に2cmの部位ないしCzの刺激で最大となる対側性反応が認められた。さらに刺激強度を上げてmappingを行うとCzから被検筋と同側に6cm、前方に2cmという、第一背側骨間筋のmotor pointの2cm前方の部位で、対側性反応よりも潜時の遅い同側性反応が得られた。次に、傍脊柱筋の同一のsingle motor unitの発火を記録しつつ、対側性反応、同側性反応のmotor pointを刺激することで、PSTHを調べた.その結果、傍脊柱筋のPSTHは、同じsingle motor unitであっても対側性反応と同側性反応で異なるパターンを示すこと、また異なるsingle motor unitの間で異なるパターンを呈することがわかった。その内訳は、対側性反応のPSTHでは、約60%のSingle motor Unitで、皮質脊髄路による単シナプス性支配を受ける四肢遠位筋と同様のmultiple descending volleysに対応した複数の尖鋭なpeakを形成した(M-type:Multiple peaks)。また約30%のsingle motor unitではM-typeよりもonsetの潜時が遅く持続時間の長いなだらかな発火を示した(B-type:Broad firing)。残りの約10%のsingle motor unitでは、B-type様の発火の直前に抑制が見られた(l-type:lnhibition)。一方、同側性反応のPSTHのパターンは、M-typeを示すものは存在せず、約55%のsingle motor unitがB-typeの発火パターンを、約20%がI-typeのパターンを示し、残りの約25%のsingle motor unitでは同側性の支配を示すPSTHの所見は得られなかった。また一部の被検者で下行路を錐体交叉部で刺激する大後頭孔部電気刺激を加えたが、いずれもその対側性反応よりも潜時の早い尖鋭なpeakを一つ形成した。これらの結果は、傍脊柱筋の支配では四肢遠位筋と同様の対側一次運動野からの単シナプス性の支配が存在する一方、対側性反応、同側性反応のmotor pointの部位からの、興奮性、抑制1性の多シナプス性の経路が混在していることを示唆している。動物実験ではトレーサーや種々の電気生理学的手法を用いて、一次運動野や前運動野から脳幹網様体への両側性の投射(皮質網様体路)、また脳幹網様体から体幹筋を支配する脊髄前角細胞への投射(網様体脊髄路)の存在が示されている.これらの事実から、本研究で示された多シナプス性の経路は脳幹網様体を経由する経路であると推察した。

 二つ目の実験では、脳波と表面筋電図のコヒーレンスを傍脊柱筋、第一背側骨間筋、前脛骨筋において算出することでその皮質支配の性質について検討した。コヒーレンスとは二つの時間関数(この場合は脳波と筋電図)から定義される相互相関関数のフーリエ変換によって得られるクロススペクトルを、両者のパワースペクトルの平方根で除した値で、二つの時間関数の周波数領域における相関の目安となるものある。ここ数年、脳波あるいは脳磁図と筋電図との間のコヒーレンスを研究した報告が盛んになされているが、体幹筋を対象とした報告はなされていない。本研究の結果、傍脊柱筋を含むいずれの筋でもその対側の一次運動野に対応する部位の脳波誘導で、15-30Hzの周波数帯域でのコヒーレンスの有意な上昇を認めたが、同側性のmotor pointでは有意の上昇は見られないことがわかった。またその上昇の程度は、第一背側骨間筋≒前脛骨筋>傍脊柱筋の順で大きかった。コヒーレンスの上昇は、皮質の興奮から筋電図反応までのtime lagが一定となる単シナプス性の皮質脊髄路支配の割合が多いほど大きくなるものと考えられる.このことがら、同側性反応ではM-typeの単シナプス性支配が存在しないため、コヒーレンスの上昇を認めず、また対側性反応では単シナプス性支配も存在するが、多シナプス性支配も混在するため、ほとんどが単シナプス性支配の四肢遠位筋よりもコヒーレンスの上昇の程度が少なくなるものと考えられた。これらの結果は、前半の磁気刺激を用いた検討と整合性がある結果と結論した。

 本研究から、ヒト傍脊柱筋では、巧緻性の高い随意動作を担当する四肢遠位筋と同様の皮質脊髄路による対側性、単シナプス性の支配の他に、対側性、同側性の多シナプス性の支配も存在することがわかり、その経路は脳幹網様体を経由すると推察した。動物実験のデータから、脳幹網様体は大脳皮質、小脳室頂核、歩行中枢として知られる脚橋被蓋核、脊髄視床路などの入力を受けつつ、姿勢制御、筋トーヌスの調節、歩行などに中心的な役割を果たすことがわかっている。これらの動物実験でのデータと今回の研究の結果を考え合わせて、単シナプス性の皮質脊髄路支配は、傍脊柱筋の随意的な収縮に寄与し、多シナプス性の下行路は皮質網様体路を介して、自動的、反射的な姿勢、歩行の制御に密接に関わる脳幹網様体の機能をmodulateしているものと考えた。本研究から推察された傍脊柱筋の中枢神経支配の様式は、随意的収縮のみならず、自動的、反射的な姿勢、歩行の制御をも担当する体幹筋の生理学的役割を反映したものと考える。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は二足歩行を行うヒトにおいてその姿勢制御、歩行などに重要な役割を担う傍脊柱筋の中枢神経支配と生理学的機能の関連を明らかにするために、健常成人において経頭蓋磁気刺激と、脳波−表面筋電図のコヒーレンスという二つの方法を用いて検討を行っており、下記の結果を得ている。

1. 健常人に対する経頭蓋磁気刺激によって腰部傍脊柱筋に誘発される表面筋電図反応を頭蓋上でmappingし、対側一次運動野の刺激によって生じると考えられる対側性反応と、被検筋と同側で手内筋の運動野の前方の部位の、より強い刺激によって生じる遅い潜時の同側性反応の二つを同定した。

2. 次に、傍脊柱筋のsingle motor unitの発火を記録しつつ、1で示した対側性反応、同側性反応のmotor pointを刺激することで、PSTH(post-stimulus time histogram)を検討し、傍脊柱筋のPSTHは、同じsingle motor unitであっても対側性反応と同側性反応で異なるパターンを示すこと、また異なるSingle motor unitの間で異なるパターンを呈することを示した。対側性反応のPSTHでは、約60%のsingle motor unitにおいて、皮質脊髄路による単シナプス性支配を受ける四肢遠位筋と同様のmultiple descending volleyに対応した複数の尖鋭なpeakを形成したが(M-type:Multiple peaks)、約30%のsingle motor unitではM-typeよりもonsetの潜時が遅く持続時間の長いなだらかな発火を示し(B-type:Broad firing)、多シナプス性の経路の混在が示唆された。残りの約10%のsingle motor unitでは、B-type様の発火の直前に抑制が見られた(l-type:lnhibition)。一方、同側性反応のPSTHのパターンは、M-typeを示すものは存在せず、約55%のsingle motor unitがB-typeの発火パターンを、約20%がl-typeのパターンを示し、残りの約25%のsingle motor unitでは同側性の支配を示すPSTHの所見は得られなかった。また一部の被検者で下行路を錐体交叉部で刺激する大後頭孔部電気刺激による検討を加え、いずれもその対側性反応よりも潜時の早い尖鋭なpeakを一つ形成し錐体交叉以降が単シナプス性であることを示した。これらの結果は、傍脊柱筋の支配では四肢遠位筋と同様の対側一次運動野からの単シナプス性の支配が存在する一方、対側性反応、同側性反応のmotor pointの部位からの、興奮性、抑制性の多シナプス性の経路が混在していることを示すものであり、姿勢制御、歩行に重要な役割を持つとされる脳幹網様体を介する経路と推察され、随意収縮のみならず自動的、反射的な収縮も行う傍脊柱筋の生理学的機能を反映した結果と考えられた。

3. さらに脳波と表面筋電図のコヒーレンスすなわちcortico-muscular coherenceを傍脊柱筋、第一背側骨間筋、前脛骨筋において算出することでその皮質支配の性質について検討した。コヒーレンスとは二つの時間関数(この場合は脳波と筋電図)から定義される相互相関関数のフーリエ変換によって得られるクロススペクトルを、両者のパワースペクトルの平方根で除した値で、二つの時間関数の周波数領域における相関の目安となるものある。本研究の結果、傍脊柱筋を含むいずれの筋でもその対側の一次運動野に対応する部位の脳波誘導で、15-30Hzの周波数帯域でのコヒーレンスの有意な上昇を認めたが、その上昇の程度は、第一背側骨間筋や前脛骨筋よりも少なく、また同側性のmotor pointにおいてはコヒーレンスの上昇がないことを示した。コヒーレンスの上昇は、皮質の興奮から筋電図反応までのtime lagが一定となる単シナプス性の皮質脊髄路支配の割合が多いほど大きくなると考えられ、同側性反応では単シナプス性支配が存在しないため、コヒーレンスの上昇を認めず、また対側性反応では単シナプス性支配も存在するが、多シナプス性支配も混在するため、四肢遠位筋よりもコヒーレンスの上昇の程度が少なくなるものと考えられた。これらの結果は、前半の磁気刺激を用いた検討と整合性がある結果と結論した。

 以上、本論文は随意収縮のみならず自動的、反射的な姿勢制御、歩行にも関与する傍脊柱筋の中枢神経支配の様式をヒトにおいて二つの非侵襲的な電気生理学的アプローチにより検討した。本研究はヒトにおける体幹筋固有の生理学的機能と中枢神経支配の関連を明らかにし、姿勢や歩行の異常を呈する神経疾患の病態の解明にも重要な貢献をなす基礎的研究と考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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