学位論文要旨



No 116353
著者(漢字) 大津,暁子
著者(英字)
著者(カナ) オオツ,アキコ
標題(和) 日本人の自殺死亡率に及ぼす社会生活因子の影響 : 経年変動と季節変動を含む
標題(洋) Effects of social life factors on suicide mortality in Japan relation to secular and seasonal trends
報告番号 116353
報告番号 甲16353
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1748号
研究科 医学系研究科
専攻 社会医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,進昌
 東京大学 教授 吉田,謙一
 東京大学 助教授 山崎,喜比古
 東京大学 助教授 小野木,雄三
 東京大学 助教授 岩波,明
内容要旨 要旨を表示する

I.はじめに

 本研究は、戦後の日本の自殺死亡率に影響を及ぼした社会生活因子を解明するために、1956-91年における自殺死亡率およびその手段別死亡率の経年変化の特徴から関与した社会生活因子を推定した。それを受けて自殺死亡率に関連すると思われる9つの社会生活指標と同時期の自殺死亡率の関連性を検討し、更に、20種類の社会生活指標から構造化した社会生活因子が近年の自殺死亡率に及ぼした影響を詳細に解明した。また、自殺死亡率の月別周期から季節変動の要因としての社会生活因子の関与度を検討した。

II.対象と方法

 各種死亡率の経年変動の解析のために、1956-91年の各年での男女別年齢調整自殺死亡率、年齢階級別自殺死亡率および手段別男女別死亡率を計算した(出典:自殺死亡統計、人口動態統計)。なお、男女の年齢調整自殺死亡率の特徴的な変化によって、これらの死亡率を1956-67,1968-74,1975-83および1984-91年の4期間に分けた。また、自殺死亡率に影響を及ぼした主要な社会生活指標を同定するために、1953-96年の各年での男女の年齢調整自殺死亡率および年令階級別自殺死亡率を算出し、同時に自殺死亡率に影響したと推測される9種類の主要な社会生活指標(出典:人口動態統計、労働力調査年報など)を選んだ。次いで、近年の自殺死亡率に影響を及ぼした社会生活因子の解析のために、1980,1985および1990年の47都道府県別に男女別自殺死亡率および20種類の社会生活指標(出典:社会生活統計指標など)を用いた。なお、死亡率の季節周期を解明するために、1972-94年に自殺によって死亡した483,828名の日本人を対象とし男女別に年齢調整死亡率および手段別年齢調整死亡率を月毎に算出した。

 以上の資料から1956-91年の各期間の死亡率の増減をみるために、自殺死亡率を目的変数、西暦を説明変数として各期間毎の直線回帰係数を算出し、Bonferroniの多重比較を行った。また、1953-96年において、死亡率を目的変数および9種類の社会経済指標を説明変数とする時系列重回帰分析を実施した。更に、1980、85および90年の各年度に関する上記の20種類の社会生活指標の因子分析(quartimax 回転法)から因子を抽出し、さらに各県の因子得点を算出し、ついでこの因子得点が男女別自殺死亡率に及ぼす影響をステップワイズ重回帰分析で解析した。月別周期の解析では、まず1972-94年の月別死亡率のX11-ARIMA法による時系列解析法によりトレンドを抽出し、元の月別死亡率からこのトレンドを取り除いた値を算出した。ついで、それらの値の月別の平均を求め、隣り月との有意差および各月の平均と年平均との有意差を対応のあるt検定とBonferroniの多重比較により検定した。なお、このX11-ARIMA法は失業率を含む各種の経済推移を予測する基本モデルを適用した。

III.結果

 1956-91年の死亡率の増減を解析した結果、(1)1968-74年の男子の25-44才および女子の15-24才の自殺死亡率が有意な増加を示した。(2)1956-67年の女子の年齢調整および年齢階級別死亡率は有意に減少したが、同期間の女子の飛び降りによる自殺死亡率が有意に増加した。

 9指標の社会生活指標による時系列重回帰分析の結果、(1)失業率が男女の年齢調整死亡率、男子の45-54才以外のすべての年齢階級別死亡率および女子の15-34才の年齢階級別死亡率と有意な正の相関を有した。(2)女子の労働力率が男子の年齢調整死亡率および35-54才以外のすべての年齢階級別死亡率と有意な正の相関を有した。(3)老年人口が男子の年齢調整死亡率および男子の35-54才と65才以上の年齢階級別死亡率と有意な負の相関を有した。

 20指標の因子分析の結果、1980,85および90年の3年次共5つの因子が抽出された。3年次に共通して第1因子が都市化および高所得、第2因子が若年人口、第3因子が失業因子、および第4因子は出稼因子であったが、1980年と1985年の第5因子は人口当りの小売店、および1990年の第5因子は上水道給水人口比率を表す因子であった。5つの因子のステップワイズ重回帰分析の結果、(1)都市化および高所得の因子が3年次に共通して男子の自殺死亡率と有意な負の関連を有しかつ出稼ぎ因子が正の関連を有した。(2)女子の自殺死亡率と3年次に共通して有意な関連を示した因子はなかった。

 1972-94年の月別死亡率の時系列解析の結果、(1)男女の全手段の年令調整死亡率が4月に最大のピークを有し、12月に最低であった。(2)男子の年齢調整死亡率では秋に小さなピークを有した。(3)男子の服薬自殺および飛び降り自殺では5月にピークがあるが、その他の手段では男女とも4月にピークがあった。(4)男子の飛び降り自殺と女子の入水自殺が8月に第2のピークを有した。(5)男子の飛び込み、熱傷、その他の自殺と女子の首吊り自殺が8月に最低であったが、その他の手段では男女とも冬に最低であった。

IV.考察

 自殺死亡率の経年変動の結果から有意な増減があった部分については、その増減の原因として、1956-67年での男女の年齢調整自殺死亡率の減少が高度経済成長、1984-91年での男子の年齢調整自殺死亡率の減少がバブル経済、1968-74年での中年男子と青年女子の自殺死亡率の増加が経済不況、家庭用ガス自殺の増減がガス普及と一酸化炭素含有濃度の低下、自動車排気ガス自殺の増加が車の急速な増加、飛び降り自殺の増加が高層ビルの普及、飛び込み自殺の減少は鉄道の安全性の向上によって影響を受けたと考えた。入水自殺の緩やかな減少が井戸の減少で一部説明できよう。すなわち、戦後の男子の自殺死亡率の変動には、経済および手段という社会生活因子の関与が示唆された。女子の場合、経済の影響は男子より小さかったと示唆された。

 この示唆に対する証明として自殺死亡率に関与すると示唆される主要な9種類の社会生活指標と死亡率の時系列重回帰分析を行った結果から、戦後の男女の年齢調整自殺死亡率には失業率が主たる社会生活因子であることを見出した。失業による不健康の増加が自殺率を増加させると考えられた。しかし、これらの社会生活指標の間には相互の関連性が推測されるので、今回20種類の社会生活指標を用いて因子分析を行い主たる社会生活因子を抽出し、ステップワイズ重回帰分析を行った。その結果、近年(1980-90年)の男子の自殺死亡率には都市化および高所得の因子が負の関係を、出稼ぎ因子が正の関係を示したが、保健福祉サービス、生活環境、学校教育、経済などの点における地方の生活の不便さが地方の自殺死亡率を増加させていると考えられた。また出稼ぎ者は男子が多く、家族と離れて暮らしていることが男子の自殺を増加させていると考えられた。

 他方、自殺死亡率の季節変動の解析から、男女の年齢調整死亡率が春にピークを有し、8月と冬に低下する結果を得たが、春に高い原因としてセロトニン活性の季節変動により抑欝状態が亢進する仮説などの神経行動学的因子が示唆された。手段別にみると、入水自殺は女子で春と夏に高く冬に低いが、入水が寒い冬より春と夏に行いやすいことによると考えられた。飛び込み、熱傷、その他の自殺の春のピークと夏のボトムは、焼死で使用される灯油が夏に使用されず冬から春に使用されることも原因と考えられた。飛び降り自殺は男子で春と夏に高く冬に低いが、春と夏は冬に比べて戸外での活動が多いことや風を受けるこの手段は行いやすいことによると考えられた。従って、これらの手段別死亡率の季節変動は、それぞれに関連する社会生活因子自体の季節周期性によって発生すると考えられた。他方、服薬自殺は社会生活因子の影響が乏しく、神経行動学的因子の季節変動による影響が強いと考えられた。しかしながら、自殺死亡率の季節変動は自殺死亡率のトレンドに比較して小さいので(平均月別変動の最大値は、トレンドの14.6%)、社会生活因子の季節変動や季節に特異的な神経行動学的因子の自殺死亡率に及ぼす影響は失業率などの社会生活因子自体のそれより軽微であるといえる。

V.結論

 戦後の日本における自殺死亡率の変動は男女共失業率が主要な原因と考えられた。さらに近年男子では地方居住(非都市化)と出稼ぎが主要な要因と考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は戦後の日本の自殺死亡率に影響を及ぼした社会生活因子を明らかにするために、自殺死亡統計、人口動態統計、労働力調査年報、杜会生活統計指標などの政府資料から収集した各種の死亡率や杜会生活指標を元に、1956-91年の自殺死亡率およびその手段別死亡率の経年変動の解析を試み、ついで自殺死亡率に関連すると思われる9つの社会生活指標と同時期(1953-96年)の自殺死亡率の関連性の解明を時系列重回帰分析により試みた。

 更に、20種類の社会生活指標から構造化した社会生活因子が近年(1980-90年)の自殺死亡率に及ぼした影響の解明を重回帰分析により試み、また、1972-94年での月別自殺死亡率に関する季節変動の時系列分析を試みた。以上の諸研究から下記の結果を得ている。

1. 自殺死亡率の経年変動の解析の結果、(1)1968-74年に男子の25-44才および女子の15-24才の自殺死亡率が有意に増加し、(2)1956-67年の女子の年齢調整および年齢階級別死亡率は有意に減少したが、同期間の女子の飛び降りによる自殺死亡率が有意に増加したことが見いだされた。以上の結果から、戦後の男子の自殺死亡率の変動には経済および手段という社会生活因子が関与し、女子では経済の影響は男子より小さいことが示唆された。

2. 自殺死亡率と9種類の社会生活指標の時系列重回帰分析の結果、(1)失業率が男女の年齢調整死亡率、男子の45-54才以外のすべての年齢階級別死亡率および女子の15-34才の年齢階級別死亡率と有意な正の相関を有したこと、(2)女子の労働力率が男子の年齢調整死亡率および35・54才以外のすべての年齢階級別死亡率と有意な正の相関を有したこと、(3)老年人口が男子の年齢調整死亡率および男子の35-54才と65才以上の年齢階級別死亡率と有意な負の相関を有したことが見いだされた。以上の結果から、戦後の男女の年齢調整自殺死亡率には失業率が主たる原因であることが示された。

3. 20種類の社会生活指標の因子分析の結果、1980,85および90年の3年次共5つの因子が抽出された。3年次に共通して第1因子が都市化および高所得、第2因子が若年人口、第3因子が失業因子、および第4因子は出稼因子であったが、1980年と1985年の第5因子は人口当りの小売店、および1990年の第5因子は上水道給水人口比率を表す因子であったことが示された。ついで、5つの因子のステップワイズ重回帰分析の結果、(1)都市化および高所得の因子が3年次に共通して男子の自殺死亡率と有意な負の関連を有しかつ出稼ぎ因子が正の関連を有したこと、および(2)女子の自殺死亡率と3年次に共通して有意な関連を示した因子はなかったことが見いだされた。一般的に杜会生活指標の間には相互の関連性が推測されるが、今回因子分析で抽出された社会生活因子は互いに独立した因子であり、これらの独立した杜会生活因子と自殺死亡率に関する以上の結果から、(1)近年の日本では保健福祉サービス、生活環境、学校教育、経済などの点における地方の生活の不便さが地方の男子の自殺死亡率を増加させていること、および(2)出稼ぎ者は男子が多く、家族と離れて暮らしていることが男子の自殺を増加させていることとの考えが示された。また、(3)失業因子が1980年と90年で男子の死亡率と正の関連性を有したことが見いだされ、戦後の男女の年齢調整自殺死亡率には失業率が主たる社会生活因子であることが示された。

4. 月別死亡率の時系列解析の結果、(1)男女の全手段の年令調整死亡率が4月に最大のピークを有し、12月に最低であったこと、(2)男子の年齢調整死亡率では秋に小さなピークを有したこと、(3)男子の服薬自殺および飛び降り自殺では5月にピークがあるが、その他の手段では男女とも4月にピークがあったこと、(4)男子の飛び降り自殺と女子の入水自殺が8月に第2のピークを有したこと、および(5)男子の飛び込み、熱傷、その他の自殺と女子の首吊り自殺が8月に最低であったが、その他の手段では男女とも冬に最低であったことが見いだされた。服薬自殺は杜会生活因子の影響が乏しいので 神経行動学的因子の季節変動による影響が強く、その他の手段別死亡率の季節変動はそれぞれに関連する杜会生活因子自体の季節周期性によって発生するということが示唆された。しかし、自殺死亡率の季節変動は自殺死亡率のトレンドに比較して小さいため、社会生活因子の季節変動や季節に特異的な神経行動学的因子の自殺死亡率に及ぼす影響は失業率などの社会生活因子自体のそれより微少であることが示された。

 以上、本論文は戦後の日本の自殺死亡率とそれに関連する社会生活因子に関する多変量解析および時系列解析から、戦後の日本における自殺死亡率の変動は男女共失業率が主要な要因であったこと、および近年男子では地方居住(非都市化)と出稼ぎが主要な要因であったことを明らかにした。これらの成果は戦後の日本の自殺死亡率に影響を及ぼした主たる社会生活因子の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位を授与するに値するものと考えられる。

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