学位論文要旨



No 116354
著者(漢字) 櫻田,宏一
著者(英字)
著者(カナ) サクラダ,コウイチ
標題(和) cis-9,10-methylenehexadecanoic acidの哺乳類における検出とその生理活性に関する研究
標題(洋)
報告番号 116354
報告番号 甲16354
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1749号
研究科 医学系研究科
専攻 社会医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大江,和彦
 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 助教授 小野木,雄三
 東京大学 講師 石川,昌
内容要旨 要旨を表示する

I. はじめに

 シクロプロパン脂肪酸の一種であるcis-9,10-methylenehexadecanoic acid (Cl7cyclo)は、グラム陽・陰性菌に広く存在することが知られているが、哺乳類の組織での存在はこれまでに報告されていない。著者は牛心筋のミトコンドリア亜分画をPLA2処理後、遊離される脂肪酸組成を高速液体クロマトグラフィー・マススペクトロメトリィー(LC-MS)により調べている過程で、Cl7cycloの分子量(268)と一致する脂肪酸を見出した。そこで、Cl7cycloを既知の方法で有機合成し、これが牛心筋のミトコンドリア亜分画より検出されたものと一致するかどうかを、高速液体クロマトグラフィー(HPLC)、ガスクロマトグラフィー・マススペクトロメトリィー(GC-MS)により検討した。さらに、この脂肪酸が牛心筋ミトコンドリア亜分画以外の哺乳類の組織の各種細胞分画に存在するか否かを確認するために、ヒトおよびラットの心臓と肝臓のミトコンドリア亜分画およびラット肝臓の細胞膜、サイトソル、ミクロソーム分画について存在の有無を調べるとともに、Cl7cycloがリン脂質の2位の位置に限局するか否かについても検討した。一方、熱傷などの病態時には、ヒト血清中のPLA2活性が著しく上昇することが知られており、その活性化の程度は死亡したケースの方が生き残ったケースに比べ有意に高かったとの報告がある。著者はPLA2活性の上昇にともなって血清中には、Cl7cycloが遊離されてくることを予想し、それが熱傷毒として心機能に対して影響を与えている可能性を考えた。そこで、ヒト焼死体、焼死以外の死因で死亡した死体および生体の血清から抽出した脂肪酸をHPLCおよびGC-MSで分析し、Cl7cycloの存在の有無を検討した。さらに、Cl7cycloの生理活性を調べる目的で、モルモット心筋に対するCl7cycloの影響を検討した。

II. 哺乳類の組織におけるCl7cycloの検出

1. 実験材料および方法

 牛の心臓は屠殺されたもの、ヒトの心臓と肝臓は司法解剖に付された死体からのもの、ラットは雄性Wistar系のものを使用した。各組織のミトコンドリア、細胞膜、ミクロソーム、サイトソル分画は、既知の方法に従ってそれぞれ調製した。リン脂質の抽出は、Bligh-Dyer法に従い総脂質を抽出した後、TLCにてリン脂質分画を採取した。ミトコンドリア亜分画からの脂肪酸の抽出は、ミトコンドリア亜分画をPLA2分解した後、0.3NHClを加え、diethyl etherにて抽出した。タンパク濃度はLowry法、リン脂質の定量はBarlettおよびKeenanらの方法に従って行った。Cl7cycloの有機合成はFurukawaらの方法に従ってcis-9-hexadecenoic acidから有機合成した。GC-MS装置はGC部HP6890、MS部HP5973を用い、カラムはHP-5MS (内径0.25mm、長さ30m、フィルム厚25μm)を用いた。キャリアーガスはhelium、流速は1ml/分、マススペクトロメーターはEI-MSを用た。HPLC装置は島津LC10-ADを用い、移動相acetonitrile : water (HClでpH3に調製)=73:27、流速は1ml/分、カラムはGLサイエンス社製イナートシルODS-2カラム(粒子径5μm、0.46×25cm)を用い、検出は192nmの吸光度を計測した。LC-MS装置はLC部HP1090、MS部HP5989Bを用い、移動相acetonitrile : water=75:25、流速は0.2ml/分、カラムはGLサイエンス社製のイナートシルODS-2カラムを用い、検出は192nmの吸光度を計測した。

2. 結果と考察

 有機合成したCl7cycloのHPLC上のリテンションタイムは37分、GC-MSにおけるそのメチル化物のリテンションタイムは27.1分で、そのマススペクトルは親ピークである282の他、208と250を特徴としたパターンを持っていた。そこで、牛心筋ミトコンドリア亜分画をPLA2分解し、抽出した脂肪酸をHPLC分析すると、有機合成したCl7cycloに一致した37分にピークが認められ、このピーク分画を採取し、そのメチル化物をGC-MS分析したところ、有機合成したCl7cycloのリテンションタイムおよびマスパターンと一致したことから、牛心筋ミトコンドリア亜分画にCl7cycloが存在する可能性が示された。次に、各組織のミトコンドリア亜分画をPLへ2処理して抽出した脂肪酸をHPLCで分析し、含有されるCl7cyclo量を定量したところ、牛心筋にはヒトあるいはラット心臓、肝臓などの組織に比べて著しく多く含まれることが示された。また、各組織のミトコンドリア亜分画のリン脂質全脂肪酸あたりのCl7cyclo量を調べたところ、同様に牛心筋ミトコンドリア亜分画におけるCl7cycloの存在量は他の組織に比べて多かった。牛の組織における含有量が高値であることは、この脂肪酸が牛特有の消化管細菌から取り込まれている可能性も想定すべきと考えられた。次に、Cl7cycloがミトコンドリア以外の細胞分画にも存在するか否かを確認するために、ラット肝臓を用いて検出を試みたところ、細胞膜およびミクロソームにもその存在が確認され、生体膜一般に存在する可能性が示唆された。またミトコンドリア亜分画をPLA2処理しなかった時は、C17cycloは検出されず、さらにミトコンドリア亜分画を全加水分解して抽出したCl7cycloの量とPLA2処理後に抽出された量はほとんど等しかったことから、この脂肪酸がリン脂質の2位の位置に限局して存在する可能性が示唆された。

III. ヒト死体および生体血清におけるCl7cycloの検出

1. 実験材料および方法

 焼死体血清および焼死以外の死因で死亡した死体血清は、司法解剖に付された心臓血を遠心分離して得た。生体血清は、生体より採血した後、同様に得たが、それぞれ半量づつは採血後全血のまま24時間室温に放置した後、同様に得た。血清からの脂肪酸は、0.3NHClを加えた後、diethyl etherにて抽出した。HPLCによる脂肪酸の分析は、Waters 600Eを用い、移動相acetonitrile : water(HClでpH3に調製)=73:27、流速は1ml/分、カラムはGLサイエンス社製イナートシルODS-2カラム(粒子径5μm、0.46×25cm)、検出は200nmの吸光度を計測した。GC-MSによる脂肪酸の分析の条件はH章と同じである。

2. 結果と考察

 焼死体血清をHPLCで分析したところ、Cl7cycloのリテンションタイムと一致する脂肪酸の存在が示された。また抽出した脂肪酸のメチル化物をGC-MSで分析したところ、リテンションタイムおよびマスパターンがCl7cycloのメチル化物と一致するピークが認められたことから、焼死体血清におけるCl7cycloの存在が確認された。さらに、Cl7cycloは焼死体血清からだけでなく焼死以外の死因で死亡した死体血清からも検出されたが、健常な生体血清では採血直後の血清および24時間放置後の血液の血清のいずれでも検出されなかった。また焼死体血の血清および焼死以外の死因で死亡した死体血の血清におけるarachidonic acidおよびlinoleic acid量は、生体のそれらに比べ有意に高かった(p<0.05)。生体血清の採血直後と24時間放置後の血清では有意な変化がなかったことから、死戦期あるいは死後の血管内では、血管内皮等に由来するPLA2等のリパーゼ活性が上昇し、血中遊離arachidonic acidおよびlinoleic acidが増加したと考えられ、死体の血清からCl7cycloが検出されたのも、この活性上昇に伴うものと考えられた。すなわち、死戦期にPLA2活性が上昇し、血清中に遊離されたCl7cycloが生体に対して何かしら影響を与えている可能性も考えられた。

IV. Cl7cycloのモルモット心筋への作用

1. 実験材料および方法

 雌性モルモットの心臓を麻酔下で摘出し、Krebs-Henseleit液中で、右心室より乳頭筋を摘出し、長さ約5mmの標本を作製した。これを95%02と5%CO2を含む混合ガスで酸素化し、30℃に温度を維持した液量30mlの器官槽に懸垂し、短形波を電気刺激装置から与えて、脂肪酸溶液に対する乳頭筋収縮の変化を測定した。脂肪酸溶液は、標準試料Cl7cycloを0.1%モルモット血清と懸濁したものと、Cl7cycloを0.1%ethanolに溶解したものを調製し、それぞれ器官槽における最終濃度が10、30、100、300μM濃度になるように調製して使用した。次に、actomyosinをモルモット心臓から抽出し、5%ethanolに溶解した標準試料Cl7cyclo、linoleic acid、arachidonic acidおよびpalmitic acidそれぞれ0、40、400μM濃度に対するactomyosin Mg2+-ATPase活性を測定した。同様に、5%ethanolに溶解したCl7cycio 0、40、400μM濃度に対するmyosin K+-EDTA-ATPase活性を測定した。また、PKCインヒビターchelerythrine chloride10μMを使用し、C17cyclo存在下で、myosin K+-EDTA-ATPase活性に対する影響を調べるとともに、PKCアクチベーターphorbol 12 myristate 13-acetatelμMを使用し、C17cyclo非存在下で、K+-EDTA-ATPase活性に対する影響を調べた。

2. 結果と考察

 モルモット乳頭筋の収縮におけるCl7cycloの効果は、ethanolをvehicleとした時(エタノールグループ)、コントロールでは、初めの5分で5%の収縮抑制が見られたが、それ以降しだいに収縮は回復していき、約30分以降は最初の収縮力のレベルまで回復した。エタノールグループではすべての濃度のCl7cycloで、処置後5分までに急激な心筋収縮力の抑制が出現し、それ以後は抑制効果が継続した。30、100、300μMの濃度では5分以降、10μMの濃度では20分以降でその収縮力の抑制効果は、コントロールと比較し、有意(p<0.05)であった。次にvehicleとしてモルモット血清(血清グループ)を使って同様の実験を行った場合、30μM以上のC17cycloで有意(p<0.05)な収縮力の抑制がみられたが、その程度はエタノールグループに比べて弱い傾向があった。これらの結果は、エタノールグループでは、ethano1による抑制効果に対して相乗的にCl7cycloによる抑制効果が発現した可能性があるのに対し、血清グループではCl7cycloが血清中のアルブミンに吸着されて、その効果が減弱し、徐々に抑制効果が現れた可能性が考えられた。次に、各脂肪酸によるactomyosin Mg2+-ATPase活性の変化をみてみたところ、Cl7cycloは40、400μM濃度で有意(p<0.05)に活性を抑制し、その程度は最大で約40%だった。不飽和脂肪酸であるlinoleic acidは40、400μM濃度で、arachidonic acidは400μM濃度で有意(p<0.05)にその活性を抑制したが、その程度はいずれも最大で約25%であった。一方、飽和脂肪酸であるpalmitic acidには抑制効果は認めなかった。さらに、Cl7cycloによるmyosin K+-EDTA-ATPase活性を測定したところ、4、40、400μM濃度のいずれでも活性は有意(p<0.05)に抑制され、その程度は最大約40%であったことから、myosinのATPase活性の中心部位にCl7cycloが直接的あるいは間接的に作用している可能性が示唆された。また、アラキドン酸やエイコサノイドがPKCを介してNa+-K+-ATPase活性をコントロールしているとの報告があることから、C17cycloがPKCのリン酸化を介してATPase活性を抑制している可能性も考えられたが、PKCインヒビターはCl7cycloによるK+-EDTA-ATPase活性の抑制効果をブロックせず、PKCアクチベーターはCl7cyclo非存在下でK+-EDTA-ATPase活性を抑制しなかった。さらにイムノブロッティングにより、actomyosinに主要なPKCアイソフォームが検出されなかったことから、Cl7cycloによるATPase活性の抑制におけるPKCの関与の可能性は低いと考えられる。

V. 総括

 従来、シクロプロパン脂肪酸は、細菌を中心とした下等動物にのみその存在が認められていた。ある種の細菌では、その細菌膜中に占めるシクロプロパン脂肪酸の全脂肪酸に対する割合は数十%にも達する。しかし、未だシクロプロパン脂肪酸の細菌における生物学的役割については明らかになっていない。本研究は、シクロプロパン脂肪酸の一種であるC17cycloが哺乳類の組織中のリン脂質を構成する脂肪酸の一つである可能性を初めて明らかにした。またこの脂肪酸がモルモット心筋の収縮に対して抑制効果があることを初めて示したが、死体血清中に検出された程度の濃度では心筋収縮を抑制するとは言えず、その生理的影響については、慎重に検討する必要がある。このCl7cycloの由来については、牛心筋におけるCl7cycloの量が他の生体に比べ多かったことから、牛の消化管に寄生した細菌に由来する可能性も否定できない。今後、哺乳類で生合成されているのか、細菌に由来するのかについて検討する必要がある。もし生体で生合成されているとすると、その合成酵素の検出および脂肪酸代謝のメカニズムなどさらに研究する必要がある。また、本研究により、血管内でPLA2活性が上昇するような病態下に、血清中に遊離されたCl7cycloが心機能に影響を与えている可能性が示唆された。このような病態時において、生体血からのCl7cycloの検出を行う必要もある。

 以上のように、本研究は、シクロプロパン脂肪酸の哺乳類の組織における存在の可能性とその生理活性を初めて示した。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、シクロプロパン脂肪酸の一種であるcis-9,10-methylenehexadecanoic acid (Cl7cyclo)が哺乳類の組織に存在する可能性をHPLC、GC-MSにより検討することを主な目的としている。また、Cl7cycloがヒト死体および生体血清中に検出されるか否かを検討するとともに、その生理活性を調べる目的で、モルモット心筋収縮に対する影響を検討したものであり、下記の結果を得ている。

1. Cl7cycloは牛心臓、ラット心臓、肝臓およびヒト心臓、肝臓のミトコンドリア亜分画に存在する可能性が示唆された。さらに、ミトコンドリア以外の細胞分画にも存在し、生体膜一般に存在する可能性が示めされるとともに、リン脂質の2位の位置に局在する可能性が示唆された。しかし、牛心臓のミトコンドリア亜分画におけるCl7cycloの存在量がラットおよびヒトのそれらに比べ多かったことから、牛の消化管の構造および細菌叢の特異性を考えると、Cl7cycloは細菌から取り込まれている可能性も否定できない。

2. 死戦期あるいは死後の血管内では、血管内皮等に由来するPLA2等のリパーゼ活性が上昇すると考えられ、それに伴って血清中にはC17cycloが遊離されてくる可能性が示唆された。

3. Cl7cycloはモルモット乳頭筋収縮に対して、抑制効果があることが示唆され、それには血中で30μM程度以上の濃度が必要と考えられたが、アルブミンの少ない細胞外液中や細胞内ではより低濃度で筋収縮に影響を与える可能性も否定できない。さらに、Cl7cycloはactomyosin Mg2+-ATPase活性およびmyosin K+-EDTA-ATPase活性を抑制したことから、C17cycloがmyosinのATPase活性の中心部位に直接的あるいは間接的に作用して収縮を抑制している可能性が示唆された。しかし、このATPase活性抑制にPKCによるmyosinのリン酸化が関与している可能性は低いと考えられる。

 以上、本論文はシクロプロパン脂肪酸の一種であるcis-9,10-methylenehexadecanoic acidの哺乳類の組織における存在の可能性とその生理活性を初めて示したものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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