学位論文要旨



No 116359
著者(漢字) 今井,靖
著者(英字)
著者(カナ) イマイ,ヤスシ
標題(和) アドレノメデュリンの血管障害に対する保護作用
標題(洋) Protective effects of adrenomedullin on vascular injury in mice
報告番号 116359
報告番号 甲16359
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1754号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 助教授 重松,宏
 東京大学 助教授 山崎,力
 東京大学 講師 木村,健二郎
 東京大学 講師 中尾,彰秀
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要旨

1. 背景・目的

 近年虚血性心疾患に代表される動脈硬化性疾患は本邦においても増加の一途をたどり、その病態生理の解明及び治療学の推進は循環器領域において現在大きな課題である。従って血管の恒常性や病態形成に関与する種々の因子の解析を行うことが動脈硬化性疾患に対する有用な研究戦略の一つである。現在、血管の恒常性の維持や動脈硬化に代表される血管障害にはアンギオテンシンII、エンドセリン1、一酸化窒素(NO)など種々の血管作動物質が大きな役割を演じることが判明している。

 血管作動物質の一つであるアドレノメデュリン(AM)は北村、寒川らにより1993年にヒト褐色細胞腫から単離された52個のアミノ酸からなるペプチドであり、副腎のほか心臓、腎臓、肺、血管など主として循環器系臓器に発現が認められる。calcitonin gene related peptide(CGRP)とは構造的に類似しfamilyを形成する。平滑筋に対しては細胞内cAMPを上昇を介して弛緩させ、また血管内皮細胞に対しては細胞内Ca2+濃度の上昇を介して一酸化窒素(NO)産生を促し血管を拡張するという2つの機序により降圧作用を発揮する。その他、血管平滑筋に対するAMの作用として細胞増殖・細胞遊走の抑制作用が報告されている。一方、血管内皮細胞においてはAMがアポトーシス抑制作用を持ち、それにはNOが関与していることが判明している。以上からAMは動脈硬化に対して抑制的に作用することが示唆され、治療薬としての標的となることが期待されるが、生体における直接的な作用については十分には解明されていない。

 近年、発生工学の進歩により数多くの遺伝子改変マウスが作成され、循環器領域においても病態生理の解明に寄与することが期待される。そこでAMの血管系における生理学的意義を解明するため、血管選択的にAMを過剰発現するトランスジェニックマウ(AMTg)を作成しこのモデル動物を用いて検討を行った。

2. 方法及び結果

 AMの血管特異的な過剰発現を得るために血管内皮に強発現するエンドセリン1に着目し、その前駆体であるpreproendothelin-1のプロモーターの下流にAM cDNAをつないだ導入遺伝子を使用し、トランスジェニックマウスを作成した。2つのラインで導入遺伝子の高発現が得られ、以後このラインを用いて解析した。ノーザンブロットにより心臓、大動脈、肺、腎臓など血管系での高発現が確認された。RIA法(radioimmunoassay)にてAM発現量を定量すると心臓、大動脈及び血漿中に2-8倍のAMの高発現が認められた。免疫組織学的に検討すると大動脈のほか主要な動脈の内膜、中膜に強い発現が認められた。

 観血的血圧測定では平均血圧がAMTgでは109.3±4.7mmHg(n=8)と、野生型マウス124.4±2.7mmHg(n=14)に比較して有意に低値を示した(p<0.05)。tail cuff法による非観血的血圧測定においても同様の傾向であった。このことからAMは慢性的過剰発現下においても代償されずに降圧因子として作用することが示された。

 AMの過剰発現による血管障害、動脈硬化に対する効果を検討するため、カフ血管障害モデル及び高脂血症モデルの2つの実験モデルの解析を行った。血管障害の手法としてはバルーンを用いて血管障害をもたらす手法が一般的であるが、非常に小型の動物であるマウスでは手技的に困難であるためカフモデルを用いた。この手法では容易に再現性の良い反応性内膜肥厚が得られ、かつ血管内操作がなく内膜が維持されるためAMの如く血管から産生される因子の解析に適している点が特徴である。8-12週齢の雄マウスの左大腿動脈を露出し周囲組織から剥離した後、ポリエチレンチューブで非閉塞性に動脈を被覆した。対側の右大腿動脈に対しては剥離のみ行いカフを留置しないSham手術を施行した。手術後14、28日で動脈の標本を作製し定量的に評価した。カフを留置しない右側ではAMTg、野生型ともに反応性内膜肥厚は認められなかった。カフを留置した左大腿動脈では内膜肥厚が生じたが、術後14日及び28日においてAMTg(n=10)では野生型(n=10)に比較して新生内膜形成が有意に抑制された(28日目:内膜/中膜比0.45±0.14 vs 1.31±0.41,p<0.01)。

DNA合成の指標として新生内膜および中膜のBrdU取り込み率を術後3、7日目で比較したところAM過剰発現マウスで有意に低率であった。新生内膜および中膜の主たる構成細胞は血管平滑筋であることからAMの過剰発現が血管平滑筋の細胞増殖を抑制することが示唆された。AMの拮抗物質であるCGRP(8-37)投与では野生型では非投与マウスとの間に有意差が認められなかったが、AMTgでは内膜肥厚抑制作用が減弱し、AM過剰発現マウスにおける新生内膜抑制作用はAMの直接的作用であることが示された。またNO合成酵素の阻害物質であるL-NAME(Nω-nitro-L-arginine methyl ester)の持続投与を行ったところ新生内膜形成においてAMTgと野生型マウスとの間の差異が消失し、AM過剰発現による新生内膜抑制効果にはNOが関与することが示唆された。AM過剰発現による降圧の影響を検討するため、野生型マウスにヒドララジンを投与したが非投与マウスとの間に内膜肥厚に差異を認めず、AMの新生内膜抑制効果は降圧作用とは独立した作用であることが示された。

 次に高脂血症により惹起される動脈硬化に対するAM過剰発現の血管保護作用を検討した。齧歯類では高コレステロール食負荷を行っても通常では動脈硬化病変は形成されない。そこで我々は著しい高脂血症を来たし動脈硬化が生じるApolipoprotein E欠損マウス(ApoEKO)とAMTgとを交配し、AM過剰発現/ApoE欠損マウス(AMTg/ApoEKO)を作成した。AMTg/ApoEKOとApoEKOとの間に形態的な差異は認められず体重にも有意差を認めなかった。AMTg/ApoEKOおよびApoEKOのオスを生後2ケ月間は通常食で飼育し、以後2ヶ月間動脈硬化食(o.15%コレステロール、15%無塩バター含有)を投与したのち、動脈硬化病変を評価した。AMTg/ApoEKO、ApoEKOの脂質分画には動脈硬化食の投与前・後ともに有意差を認めなかった。大動脈の動脈硬化巣について大動脈全体の展開標本の動脈硬化巣面積を評価すると、病変面積/令大動脈内腔面積(%)AMTg/ApoEKO(n=12)12.0±3.9% vs ApoEKO(n=12)15.8±2.8%(p 0.05)とAMTg/ApoEで有意に硬化病変面積が抑制されていた。大動脈基部の大動脈洞横断面での硬化病変の評価では動脈硬化巣面積AMTg/ApoEKO(n=10)223,000±56,000μm2 vs ApoEKO(n=10)290,000±35,200μm2(p<0.05)とAMTg/ApoE KOで有意に動脈硬化巣形成が抑制された。AMTg/ApoEKOはApoEKOに比較して有意に低血圧でありAM過剰発現による抗動脈硬化作用が単なる降圧によるか否かを検討するため、ApoEKOにヒドララジン投与を行ったが病変面積は非投与のApoEKOと比較して有意差を認めなかった。従ってApoEKOマウスにおいてAM過剰発現による抗動脈硬化作用は降圧作用とは独立した作用によることが示唆された。

 ApoE欠損マウスでは内皮機能障害が存在することが知られているが、AMの過剰発現により内皮機能障害が改善するか否かを検討した。大動脈リング標本を用いて血管拡張能を比較したところアセチルコリン投与による内皮依存性血管拡張反応はAMTg/ApoEKOでApoEKOに比較して良好であったが、sodium nitroprusside投与による内皮非依存性血管拡張反応には有意一差を認めなかった。従ってAM過剰発現により高脂血症によりもたらされる内皮機能障害が改善されることが判明し、これが動脈硬化進展の抑制と関連していることが示唆された。

3. 考察

 preproendothelin-1プロモーターを用いたAM過剰発現マウスは血管系でAMを強発現していた。循環動態に関してはAMTgは野生型に比べて有意に低血圧であり、AMが慢性的過剰発現下においても降圧因子として作用していることが判明した。また恒常的なAM過剰発現が反応性新生内膜肥厚、高脂血症に伴う動脈硬化巣形成を抑制することが示され、AMは血管障害に対して保護的に作用していることが明らかとなった。その保護作用は、AM過剰発現による内皮機能の維持、NO産生九進、また平滑筋増殖抑制といった機序が介在すること、またそれは単なる降圧効果によるものでないことが示された。今後はAMの血管に対する直接的作用を評価するためリコンビナントペプチドの局所投与、またはウイルスベクターなどを用いたAM遺伝子の血管における強制発現により抗動脈硬化作用を検証する必要がある。また本研究はマウスでの検討であり、齧歯類以外の動物種での検討が必要である。しかしながら本研究でAMの血管保護作用が示されたことにより、動脈硬化の新たな予防および治療手段として今後のAMの臨床応用が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、血管の恒常性や病態形成に関与する血管作動物質の一つであるアドレノメデュリン(AM)の血管に対する保護作用を明らかにするため、発生工学の手法を用いて遺伝子改変マウスを作成し解析を行ったものであり、下記の結果を得ている。

1. 血管特異的な過剰発現を得るために血管内皮に強発現するエンドセリン1に着目し、その前駆体のpreproendothelin-1のプロモーターの下流にAM cDNAをつないだ導入遺伝子を用いて血管特異的にAMを過剰発現するトランスジェニックマウスを作成した。ノーザンブロットおよび免疫組織学的検討により主として血管系におけるAMの過剰発現が得られていることが確認された。

2. AM過剰発現マウスは野生型に比較して有意に低い血圧を呈し、AMは慢性的な過剰発現下においても代償されずに降圧因子として作用することが示された。

3. AM過剰発現マウスおよび野生型マウスにカフモデルを用いて血管障害を惹起させ、反応性新生内膜肥厚に対する影響を評価し、AM過剰発現マウスにおいて新生内膜形成が有意に抑制されることが示された。新生内膜および中膜のBrdU取り込み率の評価から、AM過剰発現マウスにおいて血管平滑筋の細胞増殖が抑制されることが示された。また、このAM過剰発現による血管保護作用はNO合成酵素の阻害物質であるNω-nitro-L-argininemethyl esterの投与により消失することから、その保護作用は主としてNOを介していることが示された。

4. 高脂血症により惹起される動脈硬化に対するAM過剰発現の血管保護作用を検討するために、著しい高脂血症を来たし動脈硬化が生じるApolipoprotein E欠損マウス(ApoEKO)とAM過剰発現マウスとを交配し、AM過剰発現/ApoE欠損マウス(AMTg/ApoEKO)を得た。AMTg/ApoEKOマウスおよびApoEKOマウスに高脂血症食負荷を行ったところ、負荷前および負荷後の脂質分画には両群で有意差を認めなかったが、AMTg/ApoEKOマウスにおいてApoEKOマウスに比較して有意に動脈硬化巣形成が抑制されることが示された。

5. ApoE欠損マウスでは内皮機能障害が存在することが従来より知られているが、AMの過剰発現により内皮機能障害が改善するか否かを明らかにするため、大動脈リング標本を用いて血管拡張能を比較した。アセチルコリン投与による内皮依存性血管拡張反応はAMTg/ApoEKOマウスにおいてApoEKOマウスに比較して有意に良好であったが、sodiumnitroprusside投与による内皮非依存性血管拡張反応では有意差を認めず、AM過剰発現により、高脂血症により惹起される内皮機能障害から血管が保護されることが示された。

 以上、本論文は血管特異的にAMを過剰発現する遺伝子改変マウスを作成し解析することで、生体におけるAMの降圧作用の他、血管障害・動脈硬化から血管を保護する作用があることを明らかにした。特にAMの血管障害に対する作用はin vitroの系において血管内皮細胞・血管平滑筋細胞に対する薬理作用についての研究を数篇認めるのみで、in vivoの研究はほぼ皆無に等しく、当研究はAMの血管における病態生理の解明、血管障害・動脈硬化に対する臨床応用につながる非常に貢献度の高い研究であり、学位の授与に値するものと考えられる。

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