学位論文要旨



No 116361
著者(漢字) 杉下,靖之
著者(英字)
著者(カナ) スギシタ,ヤスユキ
標題(和) 心臓における血管内皮成長因子の発現とその機能的意義
標題(洋)
報告番号 116361
報告番号 甲16361
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1756号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 高本,眞一
 東京大学 助教授 平井,久丸
 東京大学 講師 高市,憲明
 東京大学 講師 谷口,茂夫
内容要旨 要旨を表示する

 血管内皮成長因子(vascular endothelial growth factor:VEGF)は、血管内皮細胞を特異的に増殖させる分子量約45kDaの成長因子であり、その一方で血管透過性因子(vascular permeability factor:VPF)としての作用も認識されている。VEGFは生体のさまざまな細胞、組織において発現し、これらの組織、細胞から分泌されたVEGFは各種生体反応における血管透過性の亢進、血管新生に関与している。心臓や心筋細胞においてもVEGFが発現していることは、1993年より心筋梗塞の実験モデルや狭心症・心筋梗塞の臨床症例にて確認されている。さらに、血行再建術が困難な重症循環不全をきたした下肢や虚血性心疾患患者などの、実際の臨床症例に対するVEGF遺伝子注入による血管新生療法も今日に至るまでにすでに施行されてきた。

 VEGFの発現を誘導する因子としては虚血、低酸素が最も注目されているが、その他の因子として、tumor necrosis factor(TNF)-αやinterleukin (IL)-1βといった炎症性サイトカイン、およびその類縁物質であるlipopolysaccharide(LPS)もVEGFの発現を誘導することが報告されている。

 VEGFやその発現に関与しているhypoxia-inducible factor (HIF)-1α、arylhydocarbon-receptor nuclear translocator(ARNT)、および受容体であるfms-like tyrosine kinese (Flt)-1、fetal liver kinase(Flk)-1/kinase domain receptor(KDR)について既にこれらのノックアウトモデルも作成されているが、これらはすべて胎生約10日前後で死亡してしまい、心血管系の発達、形態形成に異常をきたしていた。また、心臓においてはその原基が形成され始める頃には既にVEGFが発現していることも示されている。

 他方、一般に心不全という病態に関わる因子として炎症性サイトカインが注目され、また近年不全心のリモデリングに関与する因子としてmatrix metalloproteinases(MMPs)が関心をもたれている。これまでの報告からこれら両者ともVEGFと発現調節について何らかの関係があることが示唆されている。

 以上のように、VEGFは循環器領域において、虚血・低酸素刺激による血管新生という作用以外にも、胎生期における心血管系の発達や形態形成に関わる作用、各種炎症性サイトカインに対する作用、心機能障害・心不全の病態形成に関する作用等、多彩な作用を有することが考えられる。したがって本研究では、胎生期心におけるVEGFの発現と作用、炎症反応物質に対する応答としてのVEGFの発現、不全心筋におけるVEGF発現の意義、ということに焦点を絞り、心臓、特に心筋細胞におけるVEGFの発現とその機能的意義について検討することを目的とした。

 まずはじめに、胎生10日目ニワトリ胚を用いて胎生期の心臓におけるVEGFの発現の状態について解析を試みた。ニワトリ胚のVEGF cDNAをクローニングした結果、ニワトリ胚VEGFはウズラ胚とはアミノ酸レベルで100%、ヒト、ラット、マウスとも70%以上と種を超えて非常に高い相同性を示した。さらに、同一のmRNAのalternative splicingにより4種類のisoformが生成されることが示唆された。また、Northern blot法にてニワトリ胚心室筋細胞におけるVEGF mRNAの発現レベルを解析したところ、VEGF mRNAはすでに何も刺激を加えない基礎状態から有意に発現を認めた。そこにAキナーゼ、Cキナーゼ刺激を加えるとその発現レベルはさらに上昇した。逆に、Aキナーゼ、Cキナーゼ阻害薬を加えても発現レベルは低下しなかったが、チロシンキナーゼ阻害薬では発現レベルの低下を認めた。また、ニワトリ胚flk-1もあわせてクローニングし、RT-PCRやNorthern-blot法にて心筋細胞におけるflk-1 mRNAの発現を解析した結果、どちらの手法によっても有意に発現していることが示された。さらに、in situ hybridization法により実際に心筋細胞においてVEGF mRNAとflk-1 mRNAが発現していることが示された。以上のことより、胎生10日目の心臓、心筋細胞においてVEGFは有意に発現していること、その発現を維持するためにはチロシンキナーゼが重要な働きをしていることが示された。さらに胎生期には心筋細胞そのものにもVEGFの受容体であるFlk-1が発現している可能性が示唆され、この時期には心筋細胞において発現したVEGFがautocrine作用にて心室筋細胞自身に何らかの作用を及ぼしていることが推察される。

 次に、新生仔ラット培養心室筋細胞を用い、心筋細胞におけるLPS刺激に対するVEGFの発現増強作用、およびその細胞内機構について検討した。Northern blot法によって新生仔ラット培養心室筋細胞におけるVEGF mRNAの発現を解析したところ、10μg/mlのLPS刺激にて、わずか1時間後というごく早期からVEGF mRNAの発現が増強してさらに6時間以上持続し、VEGF mRNAはiNOS mRNAと比較して非常に早い時間経過をたどることが示された。また、LPSがiNOS mRNAを誘導する際に重要な経路である転写因子nuclear factor-κB(NF-κB)やチロシンキナーゼについて、これらの阻害薬を加えても、LPS刺激6時間後のVEGF mRNAの発現レベルが減少することはなかった。さらに、ラット心室筋培養液中のVEGF濃度をELISA法にて解析した結果、LPS刺激6時間後にはコントロールと比較してVEGF濃度が有意に増加し(約38%)、さらに12時間後ではVEGF濃度は約53%高値を示した。以上の結果より、LPSによって新生仔ラット培養心室筋細胞におけるVEGFのmRNA発現レベル、及び培養液中へのVEGFの分泌が増強されることが示された。またその時間経過や各種阻害薬による前処理の結果からしてこれまでに知られていたLPS刺激によって活性化する経路とは違うものが関与している可能性が示唆された。これまでにも実験モデルによりLPS投与5-24時間後に心臓において間質の浮腫が出現していることを認めており、今回の結果からするとVEGFの発現が間質浮腫の出現をきたし、さらには心臓のコンプライアンスが低下により拡張機能に影響を与える可能性が推察される。本研究で使用したLPS刺激以外にも他の炎症性サイトカインでも同様にVEGF発現の上昇をきたすことが考えられ、とすると炎症反応時に心筋はVEGFを発現して間質浮腫をきたし、心機能に影響を及ぼす可能性を秘めていることが推察される。

 最後に、心不全症例より得た生検材料を用いヒト不全心筋におけるVEGF発現と血行動態指標との関係について検討を加えた。ヒト不全心筋に対する免疫組織化学的検討の結果、11例中4例で心筋細胞にVEGFの発現を認めた。しかもVEGF陽性群では陰性群に比べ、LVEDPは有意に高く(16.0±8.4 vs.6.6±2.1 mmHg、p<0.05)、LVEDVは有意に大きく(273.0±57.1 vs.159.6±36.3 ml、p<0.05)、EFは有意に低かった(0.24±0.09 vs.0.40±0.12、p<0.05)。この結果、VEGFの発現している症例では発現していない症例に比べて心機能が低下している可能性が示された。心機能が低下することによってVEGFの発現が増強されるのか、あるいは逆に発現したVEGFが心機能の低下をさらに進行させるのか、双方とも可能性が考えられる。いずれにしろ、本研究の結果から、VEGFの発現と心機能の間には何らかの因果関係があることが推察される。

 本研究においては、心臓におけるVEGFの発現及びその機能的意義ということに注目し、胎生期における発現とその細胞内機構、炎症反応物質による発現上昇作用、及び不全心におけるVEGFの発現と機能的意義、という点に焦点を絞って解析を試みた。その結果、これまで認識されてきたような血管新生を必要とする虚血状態のみだけではなく、胎生期における発達、炎症反応時、心不全状態、等のさまざまな場面でVEGFは心臓での発現が増強し、さらに心臓そのもにも影響を及ぼしている可能性があることが示唆された。現時点では虚血に対する血管新生作用のみを期待してVEGFの臨床応用が試みられているがそれ以外の作用についてはあまり考慮されていない。今後は、VEGFの心臓自体に対する作用についても十分な研究・考察がなされていく必要がある。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、血管内皮成長因子(vascular endothelial growth factor:VEGF)の循環器領域における多彩な作用を明らかにするため、胎生期心におけるVEGFの発現と作用、炎症反応物質に対する応答としてのVEGFの発現、不全心筋におけるVEGF発現の意義、ということに焦点を絞り、心臓、特に心筋細胞におけるVEGFの発現とその機能的意義についての解析を試みたものであり、以下の結果を得ている。

1. 胎生10日目ニワトリ胚を用いて胎生期の心臓におけるVEGFの発現の状態について解析した。ニワトリ胚のVEGF cDNAをクローニングした結果、ニワトリ胚VEGFはウズラ胚とはアミノ酸レベルで100%、ヒト、ラット、マウスとも70%以上と種を超えて非常に高い相同性を示した。さらに、同一のmRNAのalternative splicingにより4種類のisoformが生成されることが示唆された。また、Northern blot法にてニワトリ胚心室筋細胞におけるVEGF mRNAの発現レベルを解析したところ、VEGF mRNAはすでに何も刺激を加えない基礎状態から有意に発現を認めた。そこにAキナーゼ、Cキナーゼ刺激を加えるとその発現レベルはさらに上昇した。逆に、Aキナーゼ、Cキナーゼ阻害薬を加えても発現レベルは低下しなかったが、チロシンキナーゼ阻害薬では発現レベルの低下を認めた。また、ニワトリ胚flk-1もあわせてクローニングし、RT-PCRやNorthern blot法にて心筋細胞におけるflk-1 mRNAの発現を解析した結果、どちらの手法によっても有意に発現していることが示された。さらに、in situ hybridization法により実際に心筋細胞においてVEGF mRNAとflk-1 mRNAが発現していることが示された。

2. 新生仔ラット培養心室筋細胞を用い、心筋細胞におけるLPS刺激に対するVEGFの発現増強作用およびその細胞内機構について解析した。Northern blot法によって新生仔ラット培養心室筋細胞におけるVEGF mRNAの発現を解析したところ、10μg/mlのLPS刺激にて、わずか1時間後というごく早期からVEGF mRNAの発現が増強してさらに6時間以上持続し、VEGF mRNAはiNOS mRNAと比較して非常に早い時間経過をたどることが示された。また、LPSがiNOS mRNAを誘導する際に重要な経路である転写因子nuclear factor-κB(NF-κB)やチロシンキナーゼについて、これらの阻害薬を加えても、LPS刺激6時間後のVEGF mRNAの発現レベルが減少することはなかった。さらに、ラット心室筋培養液中のVEGF濃度をELISA法にて解析した結果、LPS刺激6時間後にはコントロールと比較してVEGF濃度が有意に増加し(約38%)、さらに12時間後ではVEGF濃度は約53%高値を示した。

3. 心不全症例より得た生検材料を用いヒト不全心筋におけるVEGF発現と血行動態指標との関係について解析した。ヒト不全心筋に対する免疫組織化学的検討の結果、11例中4例で心筋細胞にVEGFの発現を認めた。しかもVEGF陽性群では陰性群に比べ、LVEDPは有意に高く(16.0±8.4 vs.6.6±2.1 mmHg、p<0.05)、LVEDVは有意に大きく(273.0±57.1 vs.159.6±36.3 ml、p<0.05)、EFは有意に低かった(0.24±0.09vs .0.40±0.12、p<0.05)。

 以上、本論文は心臓においてVEGFが胎生期における発達、炎症反応時、心不全状態、等のさまざまな場面で発現が増強し、さらに心臓そのもにも影響を及ぼしている可能性があることを明らかにした。本研究は、これまで虚血に対する血管新生作用のみしか認識されていなかったVEGFの作用に対して実際には心臓自体にも様々な作用を有することを示し、今後このような視点からも十分に研究・考察する必要があることを新たに提言するものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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