学位論文要旨



No 116362
著者(漢字) 瀧本,英樹
著者(英字)
著者(カナ) タキモト,エイキ
標題(和) 心筋特異的転写因子Csx/Nkx2-5 の成人期心臓における役割
標題(洋)
報告番号 116362
報告番号 甲16362
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1757号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 高本,眞一
 東京大学 助教授 岡崎,具樹
 東京大学 講師 木村,健二郎
 東京大学 講師 中尾,彰秀
内容要旨 要旨を表示する

(背景および目的)

 心臓は個体の発生過程において最初に形成される臓器であるが、心臓の発生に関与する分子メカニズムはこれまでほとんど不明であった。しかし1989年にショウジョウバエのホメオボックス遺伝子tinmanが心臓に限局して発現する転写因子として報告され、その遺伝子を欠損したハエでは心臓が全く形成されないことが明らかとなった。1993年にはマウスの心臓からtinmanに配列の似たホメオボックス遺伝子のCsx/Nkx2-5が単離された。Csx/Nkx2-5は、発生段階のきわめて早期から前方中胚葉の予定心臓領域でその発現がみられ、その遺伝子を欠損したノックアウトマウスはlinear heart tubeが右側にloopingをおこす段階で心臓の発生が停止し胎生致死となる。これはCsx/Nkx2-5が正常な心臓の発生に不可欠な転写因子であることを示している。また最近ヒトにおいて房室伝導障害を合併する家族性心房中隔欠損症の病因遺伝子の座位がCsx/Nkx2-5 の染色体座位と一致することが見い出され、さらにその患者においてCsx/Nkx2-5ホメオドメイン内ないしその直後に変異が発見された。このことからCsx/Nkx2-5は心臓の形態形成や房室伝導細胞の機能維持など、多くの機能を有していると考えられる。

 Csx/Nkx2-5は発生初期から成人期に至まで心臓に発現しているため、成人期においても何らかの役割をはたしていることが考えられる。しかしながらノックアウトマウスは心臓形成不全による胎生致死をきたすため、その成人期における役割を探ることは不可能であった。そこで成人期心臓におけるCsx/Nkx2-5の役割をin vivoで明らかにすることを目的として本研究をおこなった。

(方法)

 本研究では遺伝子工学の手法を用いて2種類の遺伝子改変マウス(野生型Csx/Nkx2-5を過剰発現させたトランスジェニックマウスとCsx/Nkx2-5の作用を抑えるドミナントネガティブトランスジェニックマウス)を作成した。心筋と骨格筋におけるCsx/Nkx2-5の働きの違いを比較するため野生型Csx/Nkx2-5を過剰発現させたトランスジェニックマウスではchickenβ-actinをプロモーターとして使用した。またドミナントネガティブトランスジェニックマウスでは出生後の心臓に発現するようにαMHCをプロモーターとして使用した。12〜18週齢のマウスについて血圧、脈拍を測定し、心臓超音波による心機能を評価した。また電子顕微鏡による超微細構造の観察を含めた組織学的検索、さらに心臓における心筋特異的遺伝子発現の変化をノーザンブロット法で調べた。さらにCsx/Nkx2-5が心筋保護作用を持つかどうか調べるため、アドリアマイシンの負荷を加え心機能の変化を評価し、また心筋組織に誘導されるアポトーシスの程度をTUNEL法で評価した。最後にラット培養心筋細胞に野生型Csx/Nkx2-5とドミナントネガティブCsx/Nkx2-5を導入しin vitroでアドリアマイシンに対するアポトーシスの程度をTUNEL法で評価した。

(結果及び考察)

 どちらのマウスも成長障害や外奇形を認めず、血圧、心拍数、心重量ともに野生型と比べ有意な差は認められなかった。心臓超音波解析では野生型トランスジェニックマウスでは心機能は正常であるが、ドミナントネガティブマウスで心機能の低下が認められた。

 ノーザンブロット解析では野生型トランスジェニックマウス左室心筋でANP,BNP,CARP,MLC2νといった遺伝子の発現が亢進していた。これらの遺伝子はノックアウトマウス胎仔心筋ではその発現が低下していることが報告されており、Csx/Nkx2-5がこれら遺伝子の上流に存在し、成人期においてもこれらの遺伝子発現を調節していることが示唆された。さらに骨格筋では野生型Csx/Nkx2-5が過剰に発現しているにもかかわらず心筋特異的遺伝子である、ANPの発現は認められなかつた。このことはCsx/Nkx2-5は心筋細胞分化に必須の転写因子ではあるが、骨格筋におけるマスター遺伝子であるMyoDとは異なり、これのみでは心筋のフェノタイプを誘導できないことを示している。

 組織解析ではトランスジェニックマウス左室心筋に光顕上有意な変化を認めなかったが、電顕上左室心筋に多数の分泌顆粒を認めた。これら分泌顆粒はバソプレッシンの刺激で消失することからノーザンブロットの結果とあわせ、ANP,BNPが含まれると考えられた。通常心室筋には分泌顆粒は存在しないが、この結果は心室筋に過剰に発現したCsx/Nkx2-5が直接ANP、BNPを誘導したためと考えられた。一方ドミナントネガティブマウス左室心筋においては、前出の心臓特異的遺伝子の発現に有意な変化は認められなかったが、光顕上、間質の線維化が増加しており、電顕では筋原線維の減少と、ミトコンドリアの増加が認められた。このことは成人期おいてCsx/Nkx2-5が心筋構造の維持に必須であることを示している。

 さらにアポトーシスを誘導し心筋を障害するアドリアマイシンに対する急性期(24時問後)の反応性の違いを検討したところアドリアマイシン投与による心機能低下の程度はドミナントネガティブマウス、野生型マウス、トランスジェニックマウスの順で大きかった。またTUNEL陽性細胞はドミナントネガティブマウス、野生型マウス、トランスジェニックマウスの順で多かった。これらのin vivoにおける結果をin vitroで確認するため、ラット培養心筋細胞に野生型Csx/Nkx2-5とドミナントネガティブCsx/Nkx2-5をトランスフェクトし、アドリアマイシンによる負荷を与えたところコントロール細胞ではTUNEL陽性細胞は24%程度であったが、ドミナントネガティブCsx/Nkx2-5をトランスフェクトした細胞では70%、野生型Csx/Nkx2-5をトランスフェクトした細胞では10%以下であり、Csx/Nkx2-5が直接的な心保護作用を持つことが示唆された。

(結論)

本実験から、Csx/Nkx2-5は発生期のみならず成人期においても心筋構造及び心機能の維持に重要であり、AMPをはじめとするいくつかの心筋特異的遺伝子の発現を調節していることが示された。またアドリアマイシンで誘導されるアポトーシスから心筋細胞を保護する役割があると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、心臓の発生および心臓の分化に必須の組織特異的転写因子であるCsx/Nkx2-5の成人期における役割を明らかにするため、発生工学の手法を用いて野生型Csx/Nkx2-5を過剰発現させたgain of function型のマウスおよびドミナントネガティブCsx/Nkx2-5を過剰発現させたloss of function型のマウスという2種類の相反するモデルを作成し、心機能、組織、RNAの解析を試みたものであり、以下の結果を得ている。

1. 野生型Csx/Nkx2-5トランスジェニックマウスにおいてトランスジーンの発現は心臓、骨格筋、脳にこの順で多く発現していた。心筋では、ANP,BNP,CARP,MLC2νの遺伝子発現が亢進しておりCsx/Nkx2-5の下流にある遺伝子であることが示された。とりわけANPの発現は非常に亢進しており、電顕上左室心筋には通常は存在しない分泌顆粒が認められた。また骨格筋ではCsx/Nkx2-5が過剰に発現しているにもかかわらずANPの発現は認められなかった。このことからCsx/Nkx2-5のみでは心臓のフェノタイプを骨格筋に導入できない、つまりCsx/Nkx2-5のみでは心臓発生のプログラムを活性化することができないことが示された。

2. ドミナントネガティブCsx/Nkx2-5トランスジェニックマウスでは心機能が低下し、心筋の間質に線維化が認められた。さらに電顕上は筋原線維の減少と、ミトコンドリアの増加を認めた。この結果から成人期おいてCsx/Nkx2-5が心機能および心筋構造の維持に必須であることが示された。

3. Csx/Nkx2-5が心筋保護作用をもつかどうかを調べるため、心毒性を有する薬剤であるアドリアマイシンをこれら遺伝子改変マウスに投与し、急性期(24時間後)の心機能の変化及び組織変化を調べた。野生型Csx/Nkx2-5トランスジェニックマウスでは心機能の有意な低下は認めず、電顕上も心筋の障害はコントロールに比べて軽度であった。しかしドミナントネガティブCsx/Nkx2-5トランスジェニックマウスは心機能がコントロールよりも低下し、電顕上も高度の心筋障害が認められた。またアドリアマイシンの心毒性はアポトーシスの誘導によると考えられているが、心筋組織でのTUNEL陽性細胞はドミナントネガティブCsx/Nkx2-5トランスジェニックマウス、コントロール、野生型Csx/Nkx2-5トランスジェニックマウスの順で多かった。このことからin vivoにおいてCsx/Nkx2-5はアポトーシスを抑制することによる心筋保護作用をもつことが示された。

4. これらのin vivoにおける結果をin vitroで確認するため、ラット培養心筋細胞に野生型Csx/Nkx2-5とドミナントネガティブCsx/Nkx2-5をトランスフェクトし、アドリアマイシンによる負荷を与えたところコントロール細胞のTUNEL陽性細胞は24%程度であったが、ドミナントネガティブCsx/Nkx2-5をトランスフェクトした細胞では70%、野生型Csx/Nkx2-5をトランスフェクトした細胞では10%以下であり、Csx/Nkx2-5が直接的な心保護作用を持つことがin vitroで示された。

 以上、本論文は2種類の遺伝子改変マウスを用いて,これまで発生時期での役割が注目されていた心筋特異的転写因子Csx/Nkx2-5が成人期においても正常な心筋構造の維持、心機能の維持、心筋特異的遺伝子の発現調節、心保護といった役割を持つことを明らかにした。本研究は、これまでまったく不明であった転写因子Csx/Nkx2-5の成人期における働きの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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